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【さ】
- 砂漠化(desertification)A
『人為的インパクトによって生じた土地の荒廃や植生の退行現象。開墾・燃料・用材のための樹木の伐採、耕作、放牧、灌漑、道路建設、鉱山開発、観光開発、レクリエーションの一つであるサンドバギー(オフロードドライブ)などによる。砂漠化の具体的な現象は土壌や河川水の塩性化、土壌浸食、あるいは飛砂(砂丘の再活動)などとして発現し、食糧問題や土砂災害、環境悪化などを引き起こす。〔大森博雄〕』
→『砂漠化とは』のページを参照。
- 産業廃棄物(industrial wastes)F
『事業活動に伴って生じた廃棄物をいう。1992年の統計によると、約6億tの資源を輸入し、11億tの砂利、岩石などを国内で掘り出して生産活動を行っている。輸入資源の約半分、3億tは燃料として消費される。この生産活動の結果、約12億tの製品などが生産され、そのうち8000万tが輸出される。その一方で産業廃棄物が3億t排出され、そのうち1億tは回収利用されている。これに約1億tのごみなど一般廃棄物が加わり、結局3億tが埋め立てなどに捨てられている。しかし、捨てられる産業廃棄物や一般廃棄物の確実な分別集収を行えば、その1/2は資源として再利用が可能と考えられる。』
- 酸性雨(acid rain)F
『通常の雨は、大気中の二酸化炭素を炭酸として溶かしているので、pH 5.6 程度の弱酸性を示すが、これより酸性の強い雨をいう。酸性雨は化石燃料の燃焼により大気中に放出される硫黄酸化物SOx中の主に亜硫酸ガスSO2、窒素酸化物NOxが大気中を長時間、数百〜数千kmの長距離を漂う間に酸化がすすみ、硫酸H2SO4、硝酸HNO3、硫酸塩、硝酸塩など、水に溶けやすい物質に変換し、ついに雨に含まれて降るもので、酸性霧や酸性物質が直接地表に降下することもある。酸性雨の発生機構は光化学反応も関与して複雑であるが図54(略)のように推定されている。酸性雨による被害は森林、農作物の枯死、湖沼水や井戸水の酸性化を来し漁業被害、健康被害、生態系の変化など被害は著しく、その規模も広範囲となる。酸性雨防止の抜本策は化石燃料の燃焼排ガスの脱硫、脱硝、そして水素や太陽エネルギーなどクリーンエネルギーの普及である。』
酸性雨(acid rain)H
『1872年に、最初のイギリスの大気汚染の監督官、Robert Angus Smithにより提案された語。そのとき、彼はマンチェスター付近の降雨が硫酸を含んでいることを発見した。今日、酸性雨はもっと一般的に、植生、土壌および水生生態系に対する大気汚染の全堆積物を表すのに用いられている。堆積物は、次の3つの形をとる。
(1) 湿った堆積物、すなわち雨、ひょう、あるいは雪。
(2) 乾いた堆積物、すなわち植物や土壌表面で吸収されるか、あるいは水の表面に沈下する気体や粒子としての汚染物質。
(3) 隠された堆積物、すなわち汚染が雲の小滴に取り込まれ、それらは雲に包まれた植生上に堆積する。
一般に、雨水はpHが5.6以下のとき酸性であるとみなされる。雨は二酸化炭素を溶解して、炭酸をつくり、通常pH 5.6になる。このpH値は、自然界の硫黄および窒素源を考慮していない。陸地と海洋起源の気体状の硫黄化合物(例、硫化ジメチル、硫化カルボニル、硫化水素)は、酸化されて二酸化硫黄になる。同時に、自然界の脱窒による硝酸の放出は、堆積物に硝酸を与える。そこで、汚染されていない雨水のpHは、4.6と5.6の間で変動する。人間の活動が原因となる汚染物質は、雨水のpHをさらに低下させる。一方、隠された堆積物は、さらに濃縮するしくみとして働く。その働きは、地形性の雲が高地に相当期間とどまる地域で起こる。雲の中で上昇した汚染された空気は、水滴に溶けた汚染物質を放出し、次にそれが接触する表面に高濃度で堆積する。同様に、霧雨は、同量の大雨よりも全降雨面積がずっと広い。そのような軽い降水の結果、pH値が2.5と3.0の間になることもある。
酸性の堆積の結果、土壌からの陽イオン、特にカルシウムの浸出が起こる。それは、湖と川のCa2+の欠乏の原因となる。これは、工業と自動車の排出ガスによる強い酸の汚染により、20世紀になって加速されている自然界の過程である。この結果(特に、スカンジナビア、スコットランド北部および北アメリカ東部で)、地表水への硫酸と酸性物質の移入が進行しつつあり、そのため多くの湖で魚の数が減少している。強い酸性のみで固い卵殻を柔らかくすることを妨げ、ふ化を阻害することで、魚の増殖を抑える。魚は、土壌からの酸の流出の二次的な結果である可溶性のアルミニウムによっても殺される。アルミニウムは、上皮細胞を傷つけることにより、鰓の働きを失わせる。鰓は粘液でふさがれ、血液の酸素含量が低下する。Ca2+の濃度が低下したとき、毒性は最大になる。森林の衰退を招く森の木への害も起こっている。土壌からのMg2+の流出のために、葉が白化し、成長が遅くなる。この色素の喪失に対する樹木の感受性は、土壌の全体的な栄養状態に依存するのであろう。
』
→『酸性雨とは』のページを参照。
【し】
- 自然災害
⇒鳥海(1998)による
⇒住・平(1998)による
- 自然破壊(disruption of nature)(A)
『人間の諸活動によって、自然環境が有する多様な価値や諸機能が直接的または間接的に損なわれ、結局、人間生活にも無視できない悪影響が及ぼされることをいう。環境汚染、アメニティ破壊とならんで、現代における環境破壊の基本的な問題領域の1つである。』
- 持続可能な発展(sustainable development)(A)
『「持続可能な開発」とも訳される。「環境と発展(開発)に関する世界委員会」(WCED)の1987年の報告書 Our Common
Future に用いられ、1992年の「環境と発展(開発)に関するリオデジャネイロ宣言」の原則に採用された。@生態系の保全など自然条件の範囲内での環境の利用、A世代間の公平、B南北間の公平や貧困の克服のような世界的見地からの公正という3つの柱を含んでいる。』
- 社会的費用(social cost)(A)
『社会原価ともいう。公害や交通麻痺、生活環境の悪化などにより、発生源者以外の人々が大部分負担させられる損失。本来は発生源者が負担すべきであるが、それが特定できなかったり、市場価格に反映できなかったりするため、関係者間の負担の公平をめぐって論争が続き、環境問題の深刻化とともにその重要性を加えつつある。』
- 種(species)H
『正式な分類学の部類(種)と、それを例示する単位(特定の種)のいずれにも用いられる語。二名法の系では、種の単位はラテン語の二名で表され、個々の種は一つの属のなかまとなる。1672年に植物についての本を著した博物学者のJohn
Rayは、分類単位としても真の種の基準は、種は決して他の種子からは生じなく、交雑は不稔であると述べて、循環論法を完全には避けられなかった。Rayのような創造主義者にとって、交雑不稔は予想できることであった(ビュフォンの唯名論と比較せよ)。ダーウィンにとっては、不稔性の障壁(まったく異なる隔離機構という進化の概念)が進化するのに時間がかかれば、すべての不稔性の程度は発見することができるであろうものであった。
ダーウィンの著作は、種の問題に関しては、種は徐々に進化するという見解で予想されるように、ときには唯名論を示す。別なときに、彼は分類単位と部類を明確に区別する。部類としての種(すなわち、分類学の単位)を定義する可能性については疑問があるが、単位として種が実在することは何も疑っていない。彼は、種に関して実在論を信奉していない。
動物学者は、野生の種の境界を定めるのに、生殖隔離の基準が特に有効であることを見いだした。その点で、生物学的な種の概念には、表現型は同じで、生殖的に他のグループから隔離されているが、それらの間で実際に交雑ができるかその可能性がある集団をなす種のグループが含まれる。その適用における問題点は次の点である。(a)他の集団からの生殖隔離が一つの種の範囲について不完全であるのを認めたとき、(b)輪状種に関するとき、(c)絶対無性生殖種(無配種)について、(d)性的な雄を欠く動物(絶対雌性産生単為生殖)に関して、(e)向上進化について。生物学的な種の概念は、歴史的な動態を組み込むことにも成功しない。それにより、種が系統学的に独特であることを無視する。大部分の菌類、植物、海産の無脊椎動物は、その配偶子を広くばらまき、野外で生殖隔離をつくり上げるのを不可能にする。表現形質(博物館の分類学者のもつ在庫品)が非常に複雑であることは、それらの種を同定するのに役立つ。しかし、同胞種は問題を提起し、その場合、分類は外部形態よりも細胞学的技術(例、DNAプローブの利用)に頼る。しかし、生殖隔離がしばしばそれらの存在を示す最初の手がかりとなる。
最近、生態学的および進化学的な種の概念に関する支持が高まっている。前者は、独立して存在する環境内の地位、すなわち生態的地位(それを占める生物を別々に隔離することは困難である)に注目して分類する。種の分化を生態的地位の変化と同等視するが、必要な変化の範囲は固定しない。後者は、系統学的な種の独自性(無性的および雌性産生単為生殖型に有用な)を強調するが、漸進的な向上進化による分岐的(分枝的)な種分化を重視する。大部分の種は、2種類あるいはそれ以上の亜種か品種を含むらしく、多型的であるといわれる。
統一した種の概念を見つけることが不可能なのは、生殖系の多様性と生体物質の動的な状態を反映しているから、恥ずかしいことではない。種の概念が生物学の学説内で顕著に示されないことも、思いがけないことではないであろう。種は、自然種(化学における元素のように)ではなく、各々が歴史的に一度しか出現せず、消滅してしまえばかけがえのない個別のものと考えられるであろう。もし種が個別のものであれば、種名は固有名であり、それゆえ種の特性は記載されるが、それを特定しないであろう。それで、分類単位の定義には、すべての生物学の分類単位に必要な特性のリストがなくても、哲学的な用語が必要であろう。』
- 食物連鎖(しょくもつれんさ)(food chain)H
『比喩的な生物の鎖であり、どんな自然の群集にも存在し、その中をエネルギーと物質が移動する。それぞれの鎖の輪は食べることによりエネルギーを得るが、1つ進むと食べられる側になり、エネルギーを与えることになる。鎖の輪の数は、普通は3〜4で、6を超えることはめったにない。鎖のはじめは緑色植物(独立栄養生物)である。緑色植物から数えて同じ数の環を経た食物を得ている生物は、同じ栄養段階に属しているという。したがって緑色植物は一つの段階(T1)、すなわち生産者の段階を占める。他のすべての段階は消費者であり、T2(草食動物または一次消費者)、T3およびT4(二次消費者で、それぞれより小さい肉食動物とより大きい肉食動物)がある。それぞれの栄養段階において、多くのエネルギー(および炭素原子)が呼吸によって失われ、前段階よりも少ない生物量しか伝わらない。細菌、菌類およびある種の原生生物は、すべての段階において分解の機能を果たす消費者である。生物群集内のすべての食物連鎖は食物網を形成している。』
⇒(財)日本生態系協会(1998)による
⇒アーネスト・キャレンバッハ(2001)による
【せ】
- 生態系(ecosystem)H
『相互作用する生物個体からなる生物群集と、それらが生活し相互作用する環境の総体。例、湖、森林、草原、ツンドラ。これらの系には、金属イオン、有機物、気候条件(気温、降水量、その他の物理的条件)などのすべての非生物的要素が含まれる。生物的要素には、通常いくつかの異なる栄養段階に属する生物が含まれる。栄養段階には、一次生産者(独立栄養生物、主に緑色植物)、他の生物や有機物を摂食する大型消費者(従属栄養生物、主に動物)、これらの生物の遺骸に含まれる複雑な有機物を分解する小型消費者(従属栄養性の腐生生物、主に細菌類と菌類)があり、小型消費者が有機物を分解して放出する栄養分を再び一次生産者が利用する。』
生態系(ecosystem)J
『エコシステム。ある地域にすむすべての生物とその地域内の非生物的環境をひとまとめにし、主として物質循環やエネルギー流に注目して、機能系として捉えた系。生産者・消費者・分解者・非生物的環境が、これを構成する四つの部分である。物質・エネルギーのほかに、第三の流れとして情報量の伝達および維持機能に重点をおいた考え方もある。生態系という用語は、A.G.タンズリー(1935)の造語で、植物と動物が共同体的な関係をもっているとするF.E.クレメンツらの生物群集の概念を否定し、それよりはバイオームに環境を加えた力学系を考えるべきだとして提唱したもの。しかし、その後の使用法はさまざまで、上記の用法のほかに、生物は環境無しには生存できないことを強調する意味で使用する場合や、個体群とその主体的環境を合せた系(生活系、life
systemもこれに近い)とする場合などもある。海洋生態系・湖沼生態系・砂漠生態系・草原生態系・森林生態系・都市生態系などの区分もあり、その広さも数滴の水から宇宙生態系までいろいろである。』
生態系(せいたいけい)K
『生物群集とそれを取り巻く無機的自然(大気、水、土壌など)との間におけるエネルギーの流れや物質の循環などの系をいう。ある程度の大きさをもった地域範囲では、ある程度のまとまりをもった独立性を認めることが可能であり、それらを一つの系とみなして生態現象の解明を進める研究方法が成立する。』
→『生態系とは』のページを参照。
⇒和田(1996)による
⇒(財)日本生態系協会(1998)による
⇒アーネスト・キャレンバッハ(2001)による
⇒和田(2002)による
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