数
字
・
ア
ル
フ
ァ
ベ
ッ
ト |
AQUAシステム |
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AQUAシステム(あくあシステム)とは、Accurate and QUick Analysis
System for Source Parameters.の略称で防災科学技術研究所が開発し2005年度より運用する高精度即時震源パラメータ解析システムで、震源の位置、マグニチュード、発震機構(メカニズム解)を即時的に推定し公開する地震警報システムである。
なお、速報性を重視したシステムであるため、気象庁の緊急地震速報とはマグニチュードの推定値が異なることも多く、推定結果には大きな誤差を含んでいる場合がある。また、誤差が大きいなど信頼性が劣ると判断される場合には、情報の公開は行われない。 |
DONET |
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DONETとは、(Dense
Oceanfloor Network system for Earthquakes
and Tsunamis)の略称で海洋研究開発機構が運用管理する熊野灘沖の南海トラフで発生すると想定されている東南海地震の想定震源域の一部に敷設されている地震・津波観測監視システムのひとつ。DOENT1
とも表記することがある。紀伊半島沖熊野灘の水深約1,900m〜4,300mの海底に、稠密かつ高精度に地震や津波等のリアルタイム観測を行うための観測機器が設置され、観測データは陸上局から専用回線によりアルタイムで海洋研究開発機構や防災科学技術研究所、気象庁に配信されている。なお、南海地震の想定震源域には、DONET2が整備途上である。 |
DONET2 |
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DONET2とは、(Dense
Oceanfloor Network system for Earthquakes
and Tsunamis 2)の略称で海洋研究開発機構が運用管理する潮岬沖から室戸岬沖の南海トラフで発生すると想定されている南海地震の想定震源域の紀伊水道に敷設される地震・津波観測監視システムのひとつで、2015年度からの運用開始を予定している。潮岬沖から室戸岬沖の海底には、稠密かつ高精度に地震や津波等のリアルタイム観測を行うための観測機器が設置される予定で、観測データは陸上局から専用回線によりアルタイムで海洋研究開発機構や防災科学技術研究所、気象庁への配信が計画されている。なお、東南海地震の想定震源域には、DONETが整備され稼働中である。 |
VAN法 |
VAN
method |
VAN法(英: VAN method)は、ギリシャのアテネ大学の物理学者ヴァロツォス (Panayotis
Varotsos) 、アレクソプロス (Caesar
Alexopoulos) 及びノミコス
(Kostas Nomikos) によって提案された地球電磁気学的手法による地震予知の方法である。VANは3名の頭文字である。1985年から予想を初め、1993年3月18日にはピルゴス市のマグニチュード5.7の地震予知に成功した。 |
あ |
会津地震 |
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会津地震(あいづじしん)は、江戸時代初期1611年に福島県の会津地方を襲った直下型地震をいう。
俗に「慶長会津地震」または「会津慶長地震」といい、1611年9月27日(旧暦の慶長16年8月21日)午前9時ころ会津盆地西縁断層帯付近を震源として発生したものである。一説によれば震源は大沼郡三島町滝谷付近ともいわれるが、地震の規模マグニチュードは6.9(7)程度と推定されており、震源が浅かったため局地的には震度6強から7に相当する激しい揺れがあったとされる。 |
アスペリティ |
Asperity |
アスペリティ(英: asperity)は、地震学において、震源域の中で大きくずれ、大きな揺れを起こす地震波が出ると考えられる部分を指す。断層面で、通常は強く固着しているが、地震時に大きくずれ動く領域と定義されている。被害をもたらす強震動を左右するのが、アスペリティである。ただし、断層の破壊が始まる地点(震源)はアスペリティから少し外れたところにあることが多い。字義どおりには、荒々しさ、(言葉の)激しさ、(表面の)ざらざらしていること、などを表す名詞である。 |
アラスカ地震 |
1964
Alaska
earthquake |
アラスカ地震(Great Alaskan
Earthquake、アラスカ大地震)は、1964年3月28日にアラスカ州で発生した地震。聖金曜日に発生したことから、聖金曜日地震(The Good Friday Earthquake)とも呼ばれている。
震源はアラスカ州南西部のプリンス・ウィリアム湾。太平洋プレートと北アメリカプレートの境(アリューシャン海溝付近)における海溝型地震である。観測された表面波マグニチュードはMs8.4〜8.6とされていたが、その後、金森博雄の推定によりモーメントマグニチュード(Mw)で9.2であることが判明し、アメリカ合衆国地震観測史上最大規模となった。この地震で131人が亡くなった。同年、日本で発生した新潟地震と並び、液状化現象による被害が大きく、これ以降、土質力学の分野で液状化現象が活発に研究されるようになった。
この地震から1年近く経過した1965年2月4日に、同じ海溝付近にあるアリューシャン諸島でMw
8.7の地震が発生している。 |
アリカ地震 |
1868
Arica
earthquake |
アリカ地震(アリカじしん)は、1868年にペルー南部からチリ北部、アリカ沖で発生した巨大地震である。津波などで25,000人以上が死亡し、ニュージーランドや日本など太平洋の広い範囲にも津波が襲った。
9年後にはこの地震の震源域に隣接した南部でイキケ地震が発生した。
1868年8月13日16時45分(現地時間)、21時30分(UTC)(20時45分(UTC)とも)に、南緯18.6°、西経71.0°付近のペルー・チリ海溝沿いで巨大地震が発生した。震源付近のアリカは当時ペルー領であったが、現在はチリ領である。
この地震の有感範囲は広く及び、北西側1400km以上離れたペルーのSamanco、東側ではボリビアのコチャバンバまで及んだ。8月25日までに約400回の余震が記録されている。
この地震はナスカプレートと南アメリカプレートとの収束型境界の沈み込み帯で発生し、震源域では全長約600kmに亘って断層破壊が発生したと推定され、1604年の地震もほぼ同じ場所で発生しているが、1868年の地震の方がより広い範囲に断層破壊が及んだ。 |
アリューシャン地震 |
1965
Rat Islands
earthquake |
The 1965 Rat Islands earthquake occurred
at 05:01 UTC,
on 4 February. It had a magnitude
of 8.7 and triggered a tsunami
of over 10 m on Shemya
Island, but caused very little damage.
The Rat Islands
form part of the
Aleutian Islands, a chain of volcanic islands forming an
island arc,
that results from the subduction
of the Pacific
Plate beneath the North
American Plate. This plate boundary, the Alaska-Aleutian
megathrust, has been the location of many megathrust
earthquakes. |
アリューシャン地震
(1957年) |
1957
Andreanof
Islands
earthquake |
1957年のアリューシャン地震(アリューシャンじしん)は、同年3月9日にアメリカ・アラスカ州のアリューシャン列島で発生したモーメントマグニチュード(Mw)8.6の地震。
1957年3月9日にモーメントマグニチュード(Mw)8.6あるいはMw9.1
(表面波マグニチュード(Ms)8.3)の地震が、アリューシャン列島の一部であるアンドリアノフ諸島の南のプレート境界で発生した。
この地震によりアダック島とウニマク島の地下に影響を与えただけでなく、長期間に渡り活動を休止していた火山ヴィザヴィドフ山にも影響を与えた。
また、津波も発生しハワイでは16mの津波が到達して500万ドルもの被害をもたらした。津波でオアフ島では2つの村が破壊され、アリューシャン地域では2つの橋が破壊されたが、地震または津波での死者は無かった。
モーメントマグニチュードでJohnson(1994)の値を採用すれば2011年現在、アメリカ国内で発生した地震では4番目の規模である。 |
安政地震 |
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安政年間の1854〜1958年に発生した大地震(安政の大地震、安政大地震):
・伊賀上野地震(1854/7/9、M7.25、直下型)
・安政東海地震(1854/12/23、M8.4、海溝型・逆断層型)
・安政南海地震(1854/12/24、Mw8.5、海溝型・逆断層型)
・安政江戸地震(1855/11/11、M6.9-7.4、直下型)
・安政八戸沖地震(1856/8/23、M8?、プレート境界型)
・飛越地震(1858/4/9、M7.1-7.2、安政東海地震の誘発地震?) |
安政江戸地震 |
1855
Edo
earthquake |
安政江戸地震(あんせいえどじしん)は、安政2年10月2日(1855年11月11日)午後10時ごろ、関東地方南部で発生したM7クラスの地震である。世にいう安政の大地震(あんせいのおおじしん)は、特に本地震を指すことが多く、単に江戸地震(えどじしん)とも呼ばれる。
南関東直下地震の一つと考えられている。 |
安政東海地震 |
1854
Tokai
(oの頭に-)
earthquake |
安政東海地震(あんせいとうかいじしん)は、江戸時代後期の嘉永7年11月4日(1854年12月23日)に発生した東海地震である。ここでいう「東海地震」とは南海トラフ東側半分の東海道沖が震源域となる地震のことであり、東南海地震の領域も本地震の震源域に含まれていた。
また、約32時間後に発生した安政南海地震と共に一連の東海・東南海・南海連動型地震として扱われ、安政地震、安政大地震とも総称される。この地震は嘉永年間末に起きたが、この天変地異や前年の黒船来航を期に改元されて安政と改められ、歴史年表上では安政元年であることから安政を冠して呼ばれる。当時は寅の大変(とらのたいへん)とも呼ばれた。本項では、同時に起きた東南海地震の震源域も含めて記述する。
安政南海地震の2日後には豊予海峡でM
7.4の豊予海峡地震が発生。また翌年には安政江戸地震(M 6.9-7.1)が起きた。本地震や安政南海地震は安政江戸地震と合わせて「安政三大地震」とも呼ばれ、伊賀上野地震から1858年飛越地震までの安政年間に連発した一連の大地震を安政の大地震とも呼ぶ。
江戸時代には南海トラフ沿いを震源とする巨大地震として、この他に慶長9年(1605年)に起きた慶長地震、および宝永4年(1707年)の宝永地震の記録がある。 |
安政南海地震 |
1854
Nankai
earthquake |
安政南海地震(あんせいなんかいじしん)は、江戸時代後期の嘉永7年11月5日(1854年12月24日)に発生した南海地震である。
約32時間前に発生した安政東海地震(東南海地震含む)と共に一連の東海・東南海・南海連動型地震として扱われ、安政地震、安政大地震とも総称される。この地震は嘉永年間末に起きたが、この天変地異や前年の黒船来航を期に改元されて安政と改められ、歴史年表上では安政元年(1854年)であることから安政を冠して呼ばれる。当時は寅の大変(とらのたいへん)とも呼ばれた。
安政南海地震の2日後には豊予海峡でM
7.4の豊予海峡地震が発生。また翌年には安政江戸地震(M 6.9-7.4)が起きた。本地震や安政東海地震は安政江戸地震と合わせて「安政三大地震」とも呼ばれ、伊賀上野地震から1858年飛越地震まで安政年間に連発した一連の大地震を安政の大地震とも呼ぶ。
江戸時代には南海トラフ沿いを震源とする巨大地震として、この他に慶長9年(1605年)に起きた慶長地震、および宝永4年(1707年)の宝永地震の記録がある。 |
安政八戸沖地震 |
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安政八戸沖地震(あんせいはちのへおきじしん)は、江戸時代後期の安政3年7月23日(1856年8月23日)に八戸沖で発生した大地震である。
震度分布や津波襲来の様子が1968年十勝沖地震に酷似しており、1677年延宝八戸沖地震および1763年宝暦八戸沖地震と共に青森県東方沖(三陸沖北部)で繰り返し発生しているプレート境界型の固有地震と考えられている。 |
伊賀上野地震 |
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伊賀上野地震(いがうえのじしん)は、嘉永7年6月15日(1854年7月9日)14時頃に現在(2011年)の三重県伊賀市北部(経度136度、緯度34.75度)で発生した地震である。地震のタイプとしては活断層で発生した内陸直下型地震とみられる。「安政」への改元前に発生した地震であるが、歴史年表では嘉永7年1月1日に遡って安政元年としており、安政伊賀地震とも呼ばれる。
また、本地震に始まり飛越地震に至る安政年間に連発した一連の顕著な被害地震は安政の大地震と総称される。 |
イキケ地震 |
1877
Iquique
earthquake |
イキケ地震(イキケじしん)は、1877年にチリ北部、イキケ沖で発生した巨大地震である。太平洋の広範囲に津波被害を起こした。
9年前にはこの地震の震源域に隣接した北部でアリカ地震があった。
1877年5月9日21時16分(現地時間)、5月10日0時59分(UTC)(5月10日2時16分(UTC)とも)に、南緯19.6°、西経70.2°付近のペルー・チリ海溝沿いで巨大地震が発生した。
カレタでは5分間の揺れが感じられ、アリカの南側50km付近からコビハ南部までの範囲でメルカリ震度階級でVIII
以上の揺れとなった。
この地震はナスカプレートと南アメリカプレートとの収束型境界の沈み込み帯で発生し、震源域では全長約420km
- 450kmに亘って断層破壊が発生したと推定された。
この時期、イキケはまだペルー領土であり、その南の太平洋沿いはボリビア領アントファガスタ県であり、チリの北端はさらに南にあった。チリとボリビアの間ではアタカマ国境紛争があり、1874年の条約で1877年に南緯24度線に国境線が引かれ、その北がボリビア、南がチリとされた。この条約でボリビアはチリの企業が硝石採掘を行う場合、税金を課さないとされた。
しかし、イキケ地震による被害の大きかったボリビア領アントファガスタ県では1878年にチリの採掘会社に対する課税を行った。チリ企業がこれを拒否するとボリビアは硝石の輸出を禁止し紛争に発展、太平洋戦争が勃発した。この結果、チリは大きく領土を北に伸ばし、ペルー南部の一部とボリビア太平洋岸のすべてがチリに併合され、両国に大きな政治的動揺を起こした |
異常震域 |
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通常地震の地震であれば観測される震度(あるいは加速度)は震源地(震央)で最も大きくなり、中心から同心円状に広がりながら観測される震度は小さくなる。このような傾向を示さない震度分布を示す場合で、震源から同距離の地点だが震度が大きい地域を異常震域(いじょうしんいき、region of abnormal seismic intensity)と呼ぶ。
異常震域が現れる原因は、主にその周辺地域の地盤の状態によるものと、プレート構造によるものの2つに分けられる。 |
伊豆大島近海の地震 |
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伊豆大島近海の地震(いずおおしまきんかいのじしん)は、1978年(昭和53年)1月14日午後0時24分39秒、伊豆大島西岸沖約15km(北緯34度46分、東経139度15分)を震源として発生した。マグニチュードは7.0。伊豆大島と神奈川県横浜市で震度5を観測したが、震源域が陸におよんでいたため、静岡県賀茂郡東伊豆町では、震度6相当の揺れに襲われた。
被害は伊豆大島よりも伊豆半島東部に集中。崖崩れなどにより、多数の死者を出した。また、猛毒のシアン化ナトリウム(青酸ソーダ)が狩野川を経て駿河湾へと流れ込み、魚貝類に多大な被害を与えた。
気象庁はこの地震を「1978年伊豆大島近海の地震」と命名した。「伊豆大島近海地震」と呼ばれることがある。 |
伊豆半島沖地震 |
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伊豆半島沖地震(いずはんとうおきじしん)は、1974年(昭和49年)5月9日に伊豆半島で発生した地震。
1974年(昭和49年)5月9日08時33分27秒に発生した。過去に地震被害の記録のない地域で発生した地震であり、震源は北緯34度37分48秒、東経138度46分48秒の石廊崎沖南南西約5kmであった。やや北方の南伊豆町の海岸付近とする説もある。震源の深さは9kmで地震の規模を示すマグニチュードはM6.9〜7.0。静岡県賀茂郡南伊豆町で最大震度5を観測し、死者30名、全壊134棟など大きな被害を出した。
この地震以後、伊豆半島付近の地震活動が活発になり、1976年(昭和51年)に河津地震(M5.4)、1978年(昭和53年)に伊豆大島近海の地震(M7.0)が発生している。 |
岩手・宮城内陸地震 |
2008
Iwate-
Miyagi
Nairiku
earthquake |
岩手・宮城内陸地震(いわて・みやぎないりくじしん)は、2008年(平成20年)6月14日(土)午前8時43分(JST)頃に岩手県内陸南部(仙台市の北約90km、東京の北北東約390km)で発生した、マグニチュード7.2(気象庁暫定値)の大地震。同県奥州市と宮城県栗原市において最大震度6強を観測し、両市を中心に被害が発生した。被害の特徴として、同じ規模の地震と比較して、建物被害が少なく土砂災害が多いことが挙げられる。
気象庁はこの地震を平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震(英: The Iwate-Miyagi Nairiku Earthquake in 2008)と命名した。 |
浦河沖地震 |
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浦河沖地震(うらかわおきじしん)は、1982年(昭和57年)3月21日午前11時32分06秒に北海道日高支庁浦河郡浦河町南西沖20km(北緯42度4分、東経142度36分、深さ40km)を震源として発生した。地震の規模を示すMは7.1。
震源に最も近い浦河町では、震度6(烈震)を記録した。札幌市・帯広市・小樽市・岩見沢市・苫小牧市・倶知安町・広尾町・青森県むつ市で震度4を観測するなど、北海道全域と東北地方北部を中心に強い揺れを感じた。「震度6」を北海道で観測したのは1952年以来のことあった。北海道・東北地方のほぼ全域と、関東から中部地方の一部まで揺れを感じた。また、震源域から100kmも離れた札幌市でも、局所的に震度5に相当する揺れを感じた。 |
永長地震 |
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永長地震(えいちょうじしん)は平安時代後期に起きた南海トラフ沿いの巨大地震と推定される地震である。東海・東南海地震と思われ、約2年2ヵ月後に南海地震と推定される康和地震が発生した。
この地震は嘉保年間に起きたが、この天変地異を期に約1ヶ月後の12月17日(ユリウス暦1097年1月3日)に永長に改元され、年表上では永長元年となることから永長を冠して呼ばれる。『後二条師通記』、『中右記』、『百練抄』および『康富記』などに地震被害の記録がある。 |
液状化現象 |
Soil
liquefaction |
液状化現象(えきじょうかげんしょう)は、地震の際に、地下水位の高い砂地盤が振動により液体状になる現象。これにより比重の大きい構造物が埋もれ、倒れたり、地中の比重の小さい構造物(下水管等)が浮き上がったりする。ゆるく堆積した砂質土層では、標準貫入試験で得られるN値が10程度以下と小さい場合が多い。一般に、液状化現象が生じるかどうかは、FL値、液状化の程度はDcyやPL値などの指標を用いて判定する。単に液状化(えきじょうか、英: liquefaction)ともいう。
なお、この現象は日本国内では新潟地震の時に注目されだか、当時はまだ「液状化現象」の言葉は使われておらず、行政やマスコミは「流砂現象」という言葉を使っていた。 |
エクアドル・コロンビア地震 |
1906
Ecuador-
Colombia
earthquake |
The 1906 Ecuador--Colombia earthquake occurred
at 15:36 UTC on
January 31, off the coast of
Ecuador, near Esmeraldas.
The earthquake
had a magnitude
of 8.8 and triggered a destructive tsunami
that caused at least 500 casualties on the coast of Colombia.
The earthquake occurred along the boundary between the Nazca
Plate and the South
American Plate. The earthquake is likely to be a result of
thrust-faulting,
caused by the subduction
of the Nazca plate beneath the South American plate.
The coastal parts of Ecuador and Colombia have a history of
great megathrust
earthquakes originating from this plate boundary. |
択捉島沖地震 |
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択捉島沖地震(えとろふとうおきじしん)は、択捉島沖で発生する地震のことである。過去に数回大規模な地震が発生している。2011年1月1日の地震調査研究推進本部による長期評価では、今後30年以内にマグニチュード8.1程度の地震が発生する確率が60%である。平均活動間隔は72.2年。 |
えびの地震 |
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えびの地震(えびのじしん)は、1968年(昭和43年)2月21日10時44分50秒、宮崎県と鹿児島県境の韓国岳の北西15km付近(えびの高原 北緯32度1分、東経130度43分)を震源として発生したM6.1の地震。えびの町(現:えびの市)の真幸地区では、震度6を観測した。 |
延宝房総沖地震 |
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延宝房総沖地震(えんぽうぼうそうおきじしん)は、延宝5年10月9日(1677年11月4日)に房総半島東方沖付近で発生したと推定される地震。規模はM8.0とされている。房総沖地震の一つと考えられているが、震央位置については諸説ある、詳しい地震像については解明されていない。
地震動による被害が確認されないのに対し、津波被害が顕著な津波地震との見方がある。約半年前には1968年十勝沖地震に類似し、三陸沖北部が震源と推定されている延宝八戸沖地震があった。 |
大森公式 |
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大森公式(おおもりこうしき、Omori
formula)は、地震で初期微動継続時間から、震源距離(観測地点から震源までの距離)を求める式である。
1899年、大森房吉が発表した。 |
か |
海震 |
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海震(かいしん、英: seaquake)とは、水中・水上において観測される地震動のこと。海上の船舶において観測される事は珍しくない。
地震動は、各種の地震波によって引き起こされる。このうち、S波や表面波は固体中しか伝播しないために、水中・水上では観測されない。P波は疎密波であるために、液体中も伝播できる。このため、地中で発生した地震波(P波)は、水中を伝播し、船舶などにおいて観測されることとなる。
船舶においては、それなりの衝撃を感じ、船が破壊されるケースもある。また、陸上の震度階級にならい、海震階級も作られている。 |
華県地震 |
1556
Shaanxi
earthquake |
華県地震(かけんじしん)は、1556年1月23日(旧暦嘉靖34年12月12日)の朝、明の陝西省(現在の中華人民共和国陝西省)で起きた地震。近年の調査によると震源は陝西省の華山付近で、規模はマグニチュード8.0と推定。明嘉靖関中大地震(みんかせいかんちゅうだいじしん)・陝西地震(せんせいじしん)ともいう。
「明実録」という書物によると、この地震による死者は朝廷に報告されたものだけで83万人、実際はそれをさらに上回る死者数を出したとされ、史上最悪の震災を引き起こした。この地域は当時も今も窰洞(ヤオトン)と呼ばれる横穴式住居が多く、それらが地震にともなう液状化現象で一斉に崩壊して被害を大きくしたと考えられている。840kmの広範囲にわたって破壊され、ある地域では人口の60%が死亡した。 |
鹿児島県北西部地震 |
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鹿児島県北西部地震(かごしまけんほくせいぶじしん)は、1997年(平成9年)3月26日17時31分47秒(JST)に鹿児島県薩摩地方で発生したM6.6の地震、あるいは同年5月13日14時38分28秒(JST)に(北緯31度56.9分、東経130度18.1分、深さ9km)を震源として発生したM6.4の地震。前者に対して後者を第2鹿児島県北西部地震と呼称することもある。
1997年3月26日に鹿児島県北西部でM6.6の地震が発生した。負傷者31人、住家全壊2棟の被害があり、鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)で最大震度5強を観測した。約1か月の5月13日に3月の地震の震央の近傍でM6.4の地震が発生。負傷者43人、住家全壊4棟の被害があり、川内市で最大震度6弱を観測した。この2つの地震はともに北東-南西方向に圧縮軸、北西-南東方向に張力軸を持つ横ずれ断層型で、メカニズムが類似しているが余震域の分布が異なり、後者は前者に誘発された可能性がある。これらの地震によって、負傷者74人、総額200億円の被害を出した。 |
火山性地震 |
Volcano
tectonic
earthquake |
火山性地震(かざんせいじしん、英:
volcanic earthquake)とは、地下でのマグマの移動などの火山活動によって発生する地震。発生のメカニズムが通常の地震とは異なり、余震や前震がなく、本震のみが単独で発生するとみなされている。
火山性地震のメカニズム
火山周辺の地下には、マグマの通り道となるところがある。この通り道は比較的頑丈で、普段は崩れたりすることはほとんどない。しかし、マグマが上昇してくると、圧力がかかる上に温度も上昇する。特に地上に近いほど、地下にも水分が含まれており、マグマで熱せられた水分が蒸発して体積が数千倍に増し、圧力も一気に高まる。すると、圧力に耐え切れなくなったマグマの通り道では岩盤が割れて地震が発生する。また、マグマによって圧力が高まった後、マグマが通り過ぎたことで圧力が下がり、押さえつけられていた岩盤が崩れることによっても地震が発生する。
マグマの移動は噴火に関係なく起こりうるが、火山の噴火が迫っている可能性もある。そのため、マグマの移動を火山性地震の観測によって捉え、その火山の火山性地震と噴火のパターンを研究し、噴火予知に生かしている。日本では、数十の活動的な火山に地震計をはじめとした計器や観測所が設置され、気象庁の火山情報などで警報体制が構築されている。
火山性地震は一般的に規模が小さく、無感(震度1より小さい)地震となることが多い。また、地震の周期も多種多様である。火山の周辺では周期別にいくつかの種類の精密な地震計を設置して観測を行う。 |
カスケード地震 |
1700
Cascadia
earthquake |
カスケード地震(カスケードじしん、1700
Cascadia earthquake)とは、1700年にカスケード沈み込み帯で発生したプレート間地震。推定されるモーメントマグニチュード (Mw)は8.7から9.2。カナダブリティッシュコロンビア州のバンクーバー島から、アメリカ合衆国カリフォルニア州北部に至る、太平洋岸北西部沿いのファンデフカプレートにおいて発生した。断層の破壊は1000キロの範囲にわたって発生し、平均の滑り量は20メートルであった。
この地震によって日本の沿岸部に到達する津波が発生した。また、ブーンビル地滑りにもつながった可能性がある。 |
活構造 |
|
活構造(かつこうぞう, active structure)とは、活断層や活褶曲などの、比較的新しい時代に活動したと見られる地形を指す地質学の用語。
場合にもよるが、おおむね第三紀または第四紀以降に、断層運動によるずれや褶曲の形成などが発生した場所を言う。このような場所は、現在においても比較的活動が活発だと考えられ、近い将来に再び活動し、地震を含めた大規模な瞬時の地形変化を起こしやすいとされる。
そのため、地震学では、将来起こりうる地震の震源断層を推定するために、活構造の位置を調査する手法が広く採用されている。 |
鎌倉大地震 |
1293
Kamakura
earthquake |
鎌倉大地震(かまくらだいじしん)とは、正応6年4月12日(1293年5月19日)以降に関東地方を中心に発生した地震。震源地、規模等は不明。研究があまりなされていないため標題のほか永仁の関東地震、鎌倉強震地震、永仁鎌倉地震、建長寺地震などさまざまな名で呼ばれている。
正応6年4月12日(1293年5月19日)、関東地方で地震が発生。建長寺を代表として多数の神社仏閣が倒壊し、多数の死者が発生した。鎌倉大日記では、翌日にも余震と思われる地震の記述が残されており、建造物の倒壊のほか多数の土砂災害などが発生、23,024人もの死者が発生したとされている。また、この震災による混乱を利用し、鎌倉幕府執権・北条貞時は、当時幕府内で専横を振るっていた平頼綱(杲円)邸への襲撃を命令し、頼綱父子の討伐に成功した(平禅門の乱)。朝廷では、地震の発生や、この後発生した干魃等を重視し、同年8月5日(9月6日)に永仁への改元を行っている。
平成20年(2008年)、東京大学地震研究所では、三浦半島小網代湾の堆積物に着目、分析を進めた結果、鎌倉大地震により発生した大津波の痕跡を見いだしている。 |
カムチャツカ地震 |
Kamchatka
earthquakes |
カムチャツカ地震(カムチャツカじしん)は、1952年11月4日にカムチャツカ半島沖で発生した地震。
千島海溝付近における海溝型地震で、マグニチュード(モーメントマグニチュード、M)は9.0の超巨大地震である。津波は日本では遡上高8.5mであり、第一波の高さは1.0mであった。約3000km離れたハワイ諸島西端のミッドウェイ島にも襲ってきた。
カムチャッカ半島沖では、1737年にもM9.0 - 9.3の規模と推定される地震が発生している。 |
感震計 |
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感震計(かんしんけい)とは、防災装置の一種。地震の加速度を検出し、加速度が一定値(5gal、気象庁震度階級での震度5弱相当など機種によって違う)を超えると、警報または制御信号を発する。停電後も8秒間程度は監視を継続するものがある。その地震波をICメモリに記録するものもある。水平方向、垂直方向の各方向専用のものがある。 |
寛政地震 |
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寛政地震(かんせいじしん)は江戸時代中期の寛政5年1月7日(1793年2月17日)に仙台沖で発生した大地震である。
1978年に発生した宮城県沖地震とその海溝側(三陸沖南部海溝寄り)との連動型地震と考えられている。宮城県沖地震と考えられているものとしては、記録のある既往地震のなかで最大規模である(東北地方太平洋沖地震、貞観地震のような広範囲で複数の固有地震震源域に跨るものは除く)。 |
関東地震 |
Kanto
(oの頭に-)
earthquakes |
関東地震(かんとうじしん)とは、相模トラフを震源とするプレート境界型地震(海溝型地震)である。関東大地震(かんとうだいじしん)とも呼称される。
200年以上の周期で繰り返し発生していると考えられている。記録に残る地震で同様のプレート間地震であると推定されるのは元禄16年(1703年)の元禄関東地震と大正12年(1923年)の大正関東地震(関東大震災)の2例である。 |
関東大震災 |
1923
Great Kanto(oの頭に-) earthquake |
関東大震災(かんとうだいしんさい)は、1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒(日本時間)、神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源として発生したマグニチュード7.9の大正関東地震による地震災害である。
神奈川県・東京府を中心に千葉県・茨城県から静岡県東部までの内陸と沿岸に広い範囲に甚大な被害をもたらし、日本災害史上最大級の被害を与えた。 |
寛文近江・若狭地震 |
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寛文近江・若狭地震(かんぶんおうみ・わかさじしん)は江戸時代前期の寛文2年5月1日(1662年6月16日)に近畿地方北部を中心に発生した大地震で、2つの地震が連続して発生した地震と考えられている。
本地震は近江国や若狭国において地震動が特に強く甚大な被害が発生したが、震源域に近く、当時約41万人の人口を有し依然として国内第二の大都市であった京都において特に被害は甚大であった。京都の被害状況から寛文京都地震、従来、震源域が琵琶湖西岸付近であるとする考えがあったことから、琵琶湖西岸地震と呼ばれることもある。 |
喜界島地震 |
1911
Kikai
Island
earthquake |
喜界島地震(きかいじまじしん)は、1911年(明治44年)6月15日23時26分、鹿児島県喜界島南方(北緯28度、東経130度付近と推定)で発生した地震。規模はマグニチュード
8.0(Mw8.1)。 名瀬測候所で震度6に相当する揺れ(烈)を観測したほか、那覇測候所などでも震度5相当(強)の揺れがあった。明治喜界島近海地震、明治奄美大島近海地震とも呼ばれる。
この地震は南西諸島で発生した地震としては有史以来最大規模のものである。フィリピン海プレートがユーラシアプレート(沖縄マイクロプレート)に沈み込む南西諸島海溝で発生した海溝型地震と推定されているが詳細は不明である。1995年に同じ付近を震源として発生した地震の観測結果から、1911年の地震は逆断層型と考えられる。 |
気象庁震度階級⇔メルカリ震度階級 |
Japan
Meteorological
Agency seismic
intensity scale |
気象庁震度階級(きしょうちょうしんどかいきゅう)は、日本で使用されている独自の震度階級。地震の揺れの大きさを階級制で表す指標である。単に震度ともいう。主に気象庁が中心となって定めたもので、2012年時点で、4,300地点で観測が行われている。過去に基準や段階が変更されたこともあるが、現在は震度0から7まで(5と6にはそれぞれ強弱の2段階がある)の10段階設定されている。地震の規模を示すマグニチュードとは異なる。
日本における気象庁震度階級は、1996年4月から、それまでの体感や被害状況による判定に代えて、全国に配置された計測震度計
(seismic intensity meter)という自動計測機器により測定され、発表されている。
震度計設置を開始した当初の1991年からは、波形を収録する機能がない「90型震度計」が採用されていた。1994年からは、改良されてデジタル波形をメモリーカードに収録する機能が付いた「93型震度計」が展開された。その後、観測可能な加速度上限値を2倍以上としサンプリングレートも2倍とするなどの改良を加えた「95型震度計」に切り替えられた。現在気象庁の震度計はすべて「95型震度計」である。 |
気象庁マグニチュード Mj
(マグニチュード) |
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気象庁マグニチュードは、日本で国としての地震情報として使用されており、2003年の約80年前まで遡って一貫した方法で決定され、モーメントマグニチュードともよく一致している。
気象庁マグニチュードは周期5秒までの強い揺れを観測する強震計で記録された地震波形の最大振幅の値を用いて計算する方式で、地震発生から3分程で計算可能という点から速報性に優れている。一方、マグニチュードが8を超える巨大地震の場合はより長い周期の地震波は大きくなるが、周期5秒程度までの地震波の大きさはほとんど変わらないため、マグニチュードの飽和が起き正確な数値を推定できない欠点がある。東北地方太平洋沖地震では気象庁マグニチュードを発生当日に速報値で7.9、暫定値で8.4と発表したが、発生2日後に地震情報として発表されたモーメントマグニチュードは9.0であった。
2003年9月24日以前
2003年9月24日までは、下記のように、変位マグニチュードと速度マグニチュードを組み合わせる方法により計算していた。
・変位計(h≦60km)の場合
Mj = log A + 1.73 log Δ - 0.83(Aは周期5秒以下の最大振幅)
・変位計(h≧60km)の場合
Mj = log A + K(Δ, h)(K(Δ, h)は表による)
・速度計の場合
Mj = log AZ + 1.64 log Δ + α(AZは最大振幅、αは地震計特性補正項)
2003年9月25日以降
変位マグニチュードは、系統的にモーメントマグニチュードとずれることがわかってきたため、差異が小さくなるよう、2003年9月25日からは計算方法を改訂し(一部は先行して2001年4月23日に改訂)、あわせて過去の地震についてもマグニチュードの見直しを行った。
・変位によるマグニチュード
Md = 1/2 × log (An2 + Ae2) + βd(Δ,
H) + Cd(An, Aeの単位は10-6 m)
ここで、βdは震央距離と震源深度の関数(距離減衰項)であり、Hが小さい場合には坪井の式に整合する。Cdは補正係数。
・速度振幅によるマグニチュード
Mv = α × log (Az) + βv(Δ, H) + Cv(Azの単位は10-5
m/s)
ここで、βvはMdと連続しながら、深さ700km、震央距離2,000kmまでを定義した距離減衰項である。Cvは補正係数。 |
北丹後地震 |
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北丹後地震(きたたんごじしん)あるいは丹後地震(たんごじしん)とは、1927年(昭和2年)3月7日、18時27分39秒に発生した地震である。震源は、北緯35度37.9分、東経134度55.8分の京都府丹後半島北部。M7.3の大きな地震であった。兵庫県の豊岡町(現・豊岡市)、京都府の宮津町(現・宮津市)、峰山町(現・京丹後市)で震度6。京都市、兵庫県洲本市、福井県福井市、敦賀市、奈良県奈良市、広島県福山市で震度5を記録した。 |
北美濃地震 |
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北美濃地震(きたみのじしん)は、1961年8月19日14時33分33秒の石川県加賀地方を震源として発生した地震。
震央は北緯36度6分42秒、東経136度42分0秒の石川・福井・岐阜県境付近付近、震源の深さは10km、地震の規模はM=6.5〜7.5と推定される。被害地周辺に鳩ヶ湯-小池断層と呼ばれる地質断層があるが、東京大学地震研究所による震央付近の現地調査の結果この地震で活動した形跡は見られず、震源断層とみられる断層は発見されなかった。 |
強震観測網 |
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強震観測網(きょうしんかんそくもう)(略称:K-NET
, KiK-net)は、防災科学技術研究所により整備・運用されている地震観測網のひとつで、強震動と呼ぶ被害を及ぼす様な強い揺れを確実に記録するための強い震動でも計測データが飽和しにくい「広ダイナミック・レンジの加速度型ディジタル強震計」による観測網である。観測により得られたデータはデータベース化され、断層破壊過程の詳細解析、地震ハザード・被害リスク評価などの様々な研究や実務に役立てられている。1996年の観測開始時の観測網は、K-NET(Kyoshin Net:全国強震観測網)と(Kiban-Kyoshin Net:基盤強震観測網)で構成され別々に運用されていたが、2008年6月に
強震ネットワーク(K-NET , Kik-net)として統合され、地震毎に編集された強震データはインターネット経由で地震発生から数分で利用することができる。また、気象庁のほか観測点が設置されている自治体にもリアルタイムで震度情報が提供されている。ほとんどの観測点は陸上にあるが、相模湾の海底ケーブル式地震計も含まれている。 |
巨大地震 |
Megathrust
earthquake |
巨大地震(きょだいじしん)は、地震の中でとくに規模が大きなものを指す言葉である。学術用語ではないが、日本地震学会の発表や各種教科書・論文でもしばしば使われる表現である。また地震の大きさを端的に表す言葉であるためか、マスメディアも積極的に使用している。 |
緊急地震速報 |
Earthquake
Early
Warning
(Japan) |
緊急地震速報(きんきゅうじしんそくほう、英語:
Earthquake Early Warning、略称: EEW)とは、地震発生後大きな揺れが到達する数秒から数十秒前に警報を発する事を企図した地震早期警報システムの一つで、日本の気象庁が中心となって提供している予報・警報である。
2004年に一部試験運用を開始、2007年10月1日からは一部の離島を除いた国内ほぼ全域すべての住民を対象とした本運用を開始した。同種のシステムとしては世界初である。
推定震度5弱以上のときに発表されテレビ放送や携帯端末などで「(震度4以上の)強い揺れとなる地域」を伝える「一般向け」(地震動警報)と、発表基準が低く誤報の可能性が高いものの「各地の震度や揺れの到達時間」などが分かる「高度利用者向け」(地震動予報)の2種類がある。
地震の発生直後に、震源に近い観測点の地震計で捉えられた地震波のデータを解析して震源の位置や地震の規模(マグニチュード)を直ちに推定し、これに基づいて各地での主要動の到達時刻や震度を推定し、可能な限り素早く知らせるものである。
主要動到達前のわずかな時間を適切に活用できれば地震災害の軽減に役立つものと期待されている。特に陸地から離れたところで発生する海溝型などの大地震に対しては、沿岸の都市で原理上数秒から数十秒の猶予時間が見込める。しかし、技術的な限界のため速報が主要動の到達に間に合わない場合があり、とくに陸地を震源とするいわゆる直下型地震で激しく揺れる震央付近では原理上数秒しか猶予時間がない、あるいは間に合わないと考えられる。これに対しては、観測点を増やしたり処理・伝達を高速化するなどの技術向上が少しづつ進められている。このほか、誤報のリスクなどもある。
当初から、発表に伴い社会の様々なところで混乱が生じる事が懸念されていて、2004年の一部運用開始から試験的・限定的な発表に留められていたが、2007年10月1日に「一般向け」速報提供開始が決定されたことを受けて、直前まで広報手段について調整が行われた。速報に関する諸問題を考慮しながら、テレビを皮切りに「一般向け」速報が順次拡大していき、国内向け携帯電話にも広く導入されているほか、「高度利用者向け」を提供する端末やソフトウェアが多様な方式・事業者によって提供されている。
なお、個人においても法人などにおいても、導入の可否はそれぞれの判断に任せられており、義務化の予定はない。 |
釧路沖地震 |
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釧路沖地震(くしろおきじしん)は、1993年1月15日20時06分07秒、北海道釧路市南方沖15km(北緯42度55.2分、東経144度22.4分、深さ101km)の太平洋を震源として発生したM
7.5の地震。この地震は、沈み込んでいる太平洋プレートの2重深発面の下側のスラブ内を震源とした地震であった。 |
グーテンベルグ・リヒター則 |
Gutenberg-
Richter
law |
グーテンベルグ・リヒター則(グーテンベルグ・リヒターそく、英:
Gutenberg--Richter law、GR則またはG-R則)は、ドイツの地震学者ベノー・グーテンベルグとアメリカ合衆国の地震学者チャールズ・リヒターが見出した、地震の発生頻度と規模の関係を表す法則である。片対数グラフで表すと直線関係になる。
マグニチュードがM
のときの地震の頻度をn(回/年)とすると、M とn の関係は、パラメーターa 、b を使って次の式により表される。
log10 n = a - bM
または
n = 10a - b M
傾きを表すb を「b値」と言う。b値の具体的な値は、統計期間や地域により若干異なるものの、0.9〜1.0前後となる。この式から、マグニチュードが
1 大きくなるごとに地震の回数は約10分の1となることがわかる。 |
群発地震 |
Earthquake
swarm |
群発地震(ぐんぱつじしん)とは、地震活動の一種。比較的狭い震源域において、断続的に地震が多発するものである。
主に火山活動・プレートの移動(マグマの移動)が発生の要因である。噴火の直前はかなりの数の地震が起きる例が観測されている。群発地震に関しては、特に「本震」・「余震」といった区別はされず、顕著な被害を伴った場合は気象庁が命名を行うことがある。
無感地震が多発するのみの場合もあれば、震度5や6クラスが立て続けに発生する場合もある。また、短期間で断続的に地震が発生し続けるため、船酔いのような感覚(地震酔い)や寝不足などになる人もおり、さらに強い揺れによる被害の増加などによって日常生活に多大な影響を及ぼす時もある。ノイローゼにかかる人もいる。一方、震源地周辺住民にとっては地震が日常茶飯事となり、地震の少ない地域の住民に比べ、発生時の行動は落ち着いているとも言える。
大きな規模の地震が発生した際に断続的に発生する余震は群発地震とは呼ばない。ただし、群発地震が大きな規模の地震の予兆現象(前震)になることはある。 新潟県中越地震の余震活動では震度5以上の揺れが短時間で連続して発生したため、群発地震とみる専門家もいる。2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の前震も群発地震であった。 |
慶長三陸地震 |
1611
Sanriku
earthquake |
慶長三陸地震(けいちょうさんりくじしん)は、江戸時代の初期、現在の岩手県三陸沖(北緯39度、東経144.4度)を震源として発生した地震。地震の規模を示すマグニチュードは推定8.1。ただし、震源や地震の規模については諸説ある。
1611年12月2日(慶長16年10月28日)、巳刻過ぎ(10 -11時頃)大地震、昼八ツ時(午後2時頃)に大津波(現地時間)と記録されている。『武藤六上衛門所蔵古大書』には「大地震三度仕」とあり、3度大きく揺れたことになる。当時、日本を探検中のビスカイノらも、奥州沿岸の測量中に地震と津波に遭遇し、その記録を残している。
津波の波源域は1933年(昭和8年)の昭和三陸地震とほぼ重なる。
この地震において、現在の三陸海岸一帯は強震に見舞われたが、太平洋側沿岸における震度は4
- 5程度と推定され、地震による被害はほとんどなく、津波による被害が大きかったことから津波地震と推定されている。この地震による津波被害は「慶長三陸地震津波」あるいは「慶長三陸津波」とも呼ばれている。さらに、この地震の7年前には同じく津波地震と考えられ、東海・東南海・南海のトラフ寄りが震源とされる慶長地震があった。
なお、地震が発生した当時は「三陸」という言葉は存在しなかった。 |
慶長地震 |
1605
Nankai
earthquake |
慶長地震(けいちょうじしん)は、江戸時代初期の1605年2月3日(慶長9年12月16日)に起こった地震である。発生場所には諸説があり南海沖(南海トラフ)単独地震説と南海沖と房総沖の連動地震説などがあり、マグニチュード7.9前後と推定される。津波被害による溺死者は約5,000人(1万人という説もある)だが、地震による陸地の揺れが小さいのが特徴である。また震源や被害規模も不明な点が多い。
以上のことから津波を想起させる大きな地震動が発生しない津波地震であったとされ、同様の地震が将来発生した場合に避難が遅れ大きな被害が出る可能性があり、問題となっている。 |
慶長伏見地震 |
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慶長伏見地震(けいちょうふしみじしん)は、1596年9月5日(文禄5年閏7月13日)子の刻に現在の京都・伏見付近で発生した大地震である。慶長伏見大地震とも呼称される。京都では伏見城天守や東寺、天龍寺等が倒壊し、死者は1,000人を超える。 |
芸予地震 |
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芸予地震(げいよじしん)は、瀬戸内海の安芸灘を震源として発生し、震源に近い広島県・山口県東部と愛媛県に比較的大きな被害を生じる地震。
「芸予地震」の名称を持つ地震は1905年(明治38年)と2001年(平成13年)の2回があり、区別する為に発生年を冠して「N年芸予地震」あるいは年号を冠した名前で呼ばれる。フィリピン海プレートの動きによるスラブ内地震と考えられているものについて記述する。
芸予とは、厳密には安芸国(広島県西部)と伊予国(愛媛県全域)を指す。"芸予諸島"の名でも使われるように、現在では広島県全域と愛媛県の2県の意味合いが強い。芸予地震と名のつく地震はその2県の中間である瀬戸内海で発生しその2県に被害をもたらした地震のことである。
震源が深部であるため、本州全土から四国・九州と広範囲で揺れるがその規模に対して比較的被害が小さい特徴がある。過去の地震では津波による被害は記録されていない。一方で瀬戸内海沿岸部では液状化現象が発生、この地方特有の地層である風化した花崗岩が堆積した"マサ土"によるがけ崩れなど、地盤災害(土砂災害)やそれに伴う二次災害が発生している。
なおこの地域の北側にあたる山陽地方において、マグニチュード3以上の地震数は頻繁に起こる東北地方などと比べて極めて少なく、周辺の活断層も他の地域と比べると少なく日本列島の中でも地殻変動が少ない特徴がある。2001年の地震が発生するまでは暫くこの地域を震源とする大きな地震が発生していなかったため、地震空白域とされていた。他方、南側の愛媛県は、南海地震・豊予海峡地震や日向灘地震で被害に合う想定域であり、更に日本最大級の断層である中央構造線断層帯が東西を横断しており、多大な地震の被害に遭う可能性が高い地域である。2度の芸予地震では広島での被害が多かったが、過去での地震では愛媛での被害が多かった事例もある。 |
元禄地震 |
1703
Genroku
earthquake |
元禄地震(げんろくじしん)は、元禄16年11月23日(1703年12月31日)午前2時ごろ、関東地方を襲った巨大地震。
震源は相模トラフの房総半島南端にあたる千葉県の野島崎と推定され、東経139.8度、北緯34.7度の地点にあたる。マグニチュード(M)は7.9-8.2と推定されている。元禄大地震(げんろくおおじしん、げんろくだいじしん)あるいは元禄の大地震(げんろくのおおじしん)とも呼ばれ、論文などでは元禄関東地震(げんろくかんとうじしん)の名称もしばしば使用される。
大正12年(1923年)に起きた関東地震(関東大震災)と同タイプの海溝型地震である上に、震源分布図も類似することから大正関東地震以前の関東地震と考えられている。ただし、地殻変動は大正関東地震よりも大きいものであった。大規模な地盤変動を伴い、震源地にあたる南房総では海底平面が隆起して段丘を形成した元禄段丘が分布し、野島岬は沖合の小島から地続きの岬に変貌したという。
江戸時代中期の元禄から宝永年間は巨大地震、噴火が続発した時期であり、本地震の4年後の宝永4年(1707年)にはM 8.4-8.7と推定される宝永地震、および宝永大噴火も発生している。 |
宏観異常現象 |
Earthquake
weather |
宏観異常現象(こうかんいじょうげんしょう)とは、大きな地震の前触れとして発生ないし知覚されうると言われている、生物的、地質的、物理的異常現象とされるものなどをひとまとめにしたものである。
宏観異常現象による地震予知については、地震予知#宏観異常現象による地震予知も参照。 |
高感度地震観測網 |
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高感度地震観測網(こうかんどじしんかんそくもう、英語:
High Sensitivity Seismograph Network Japan、略称:Hi-net(ハイネット))は、日本各地、地域毎の地震の特徴を詳しく把握する為に約20km間隔で設置された、無人で微弱な揺れの感知が可能な24時間稼働の高感度地震計による地震観測網である。防災科学技術研究所 (防災科研) によって1995年から整備され1996年に観測が開始された。Hi-netは2011年時点では日本全国に約800箇所の観測点が配置されており、世界的にも比類が無い規模である。
観測データは常時、中央局(データセンター)に送られ、気象庁による緊急地震速報や地震発生後の震源決定、地震調査委員会による地震活動の現状把握、高精度即時震源パラメータ解析システム(AQUAシステム)など様々に利用されている。また、観測データや解析されたデータはインターネットで公開されており、無料で利用することが出来る。 |
康和地震 |
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康和地震(こうわじしん)は平安時代後期に起きた南海トラフ沿いの巨大地震と推定される地震である。南海地震と思われ、約2年2ヵ月前には東海・東南海地震と推定される永長地震があった。
この地震は承徳年間に発生したが、この天変地異やこの年の夏に流行した疫病を期に康和と改元され、年表上では康和元年に相当することから「康和」を冠して呼ばれる。『後二条師通記』および『広橋本兼仲卿記』などに地震被害の記録がある。もともと、畿内付近の地震とされていたが、土佐の被害記録の発見により南海地震と推定されることになった。 |
古地震 |
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古地震(こじしん)とは、昨日まで過去に起きた全ての地震のこと。地震史料として使用する場合、日本では太陽暦が使用され、地震計による観測が開始された明治5年頃以前の史料を示す場合が多い。なお地震(歴史地震学)としての古地震は歴史地震を参照のこと。 |
固有地震 |
Characteristic
earthquake |
固有地震(こゆうじしん, Characteristic
earthquake)とは、ある断層において、ほとんど同じ間隔と規模をもって、周期的に繰り返し発生する地震のこと。固有地震は震源域・規模や地震波形までも類似していることから、相似地震という呼び方もある。
また、地震は地殻内でランダムに発生するという考え方に対して、固有地震のように一定の時間的間隔をもってほぼ同じ震源域・規模の地震が発生するという学説を固有地震説と呼ぶ。
現在地震学では一般的に、マグニチュード6 - 7を超えるような大地震においては、そのほとんどが固有地震であると考えられている。 |
さ |
三条地震 |
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三条地震(さんじょうじしん)とは、1828年(文政11年)旧暦霜月(11月)12日(現在の暦では12月18日)の朝五ツ時上刻(7時40分頃)に発生した、北緯37.6度、東経138.9度を震源(震央は新潟県三条市芹山付近と推定される)とするマグニチュード6.9の地震である。現在の新潟県三条市、燕市、見附市などで、現在の震度7相当の揺れがあったと推定される。「越後三條地震」または「文政三条地震」とも呼ばれる。なお、ほぼ同じ位置で、1670年寛文西蒲原(四万石)地震が発生している。 |
三陸沖地震 |
Seismicity
of the
Sanriku
coast |
三陸沖地震(さんりくおきじしん)は、日本の東北地方の三陸沖、太平洋の地下を震源として発生した地震の総称である。
三陸沖地震は、東北地方太平洋沿岸(三陸海岸)の沖合いに位置する日本海溝における海溝型地震の中でも、特に遠方の海域で発生する地震である。
震源が海溝側付近にあるものと推定され、人が住む陸地までの距離があるため、陸上で観測される震度と地震に伴って発生する津波の大きさとの相関は低い。すなわち、観測された震度が小さくとも大きな津波が発生する場合がある。また、震源域における地震動自体が小さいにもかかわらず大きな津波となる津波地震が発生することもあり、明治三陸地震(M8.2 - 8.5)のように地震による直接の被害はほとんどないにもかかわらず、甚大な津波被害を引き起こしたケースがある。津波は太平洋沿岸各国に到達していることが観測されており、特に日本の三陸海岸一帯に激甚な被害をもたらすことが多い。
2011年3月11日には、三陸沖を震源としながら岩手県沖から茨城県沖まで広範囲の固有震源領域を巻き込んで大規模な連動型地震となった、東北地方太平洋沖地震も発生している。この地震により三陸海岸を中心に北海道から関東地方にかけて大きな津波が発生。また、三陸沖を震源とする複数の余震も発生している。この地震発生を期に「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」は大幅に見直され、「東北の太平洋沿岸に巨大津波を伴うことが推定される地震」は、平均再来間隔が約600年と評価された。 |
三陸沖北部地震 |
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三陸沖北部地震(さんりくおきほくぶじしん)とは、日本海溝を震源域とする地震のうち、概ね岩手県宮古市田老沖から北、千島海溝接続部までを震源域とする地震。過去に十勝沖地震と命名された地震や、八戸沖地震と呼ばれるものも含む。地震の規模はM8.0前後と推定され、1677年、1763年、1856年、1968年と17世紀以降4回発生したと考えられる。このほか、三陸沖北部ではM7.1〜M7.6程度の一回り小さい地震が場所を問わず何度か発生している。 |
三陸はるか沖地震 |
1994
offshore
Sanriku
earthquake |
三陸はるか沖地震(さんりくはるかおきじしん)は、1994年12月28日に日本の三陸沖で発生したM7.6の地震である。
1994年(平成6年)12月28日21時19分21秒、青森県八戸市東方沖180km(北緯40度25.8分、東経143度44.7分、深さごく浅い)を震源として、M7.6の地震が発生した。
気象庁は「平成6年(1994年)三陸はるか沖地震」と命名した。 |
色丹島沖地震 |
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色丹島沖地震(しこたんとうおきじしん)とは、色丹島南東沖を震源域とするM7.8前後(Mw8.2前後)の固有地震である。平均発生間隔は約72年で、2012年の地震調査研究推進本部による長期評価では、30年以内の地震発生確率は50%程度。 |
地震 |
Earthquake |
地震(じしん、英: Earthquake)という語句は、以下の2つの意味で用いられる。
1. 地震学における定義:
地球表面を構成している岩盤(地殻)の内部で、固く密着している岩石同士が、断層と呼ばれる破壊面を境目にして、急激にずれ動くこと。これによって大きな地面の振動が生じこれを地震動(じしんどう)という。
2.地表面のゆれ: 地震動のことで一般的にはこちらも「地震」と呼ばれる。「地震」(なゐふる)という語句は『日本書紀』にも見え、その他古文書の記録にも登場するが、これらは今日の地震学における地震動のことであり、また「大地震」、「小地震」などと共に震度の程度を表すものでもあった。
地震を対象とした学問を地震学という。地震学は地球物理学の一分野であり、構造地質学と密接に関わっている。 |
地震学 |
Seismology |
地震学(じしんがく、英語: seismology)とは、地震の発生機構、およびそれに伴う諸事象を解明する学問である。広義では地震計に記録される波形を扱う様々な研究を含む。 |
地震観測網 |
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地震観測網(じしんかんそくもう)とは、地震計による地震観測のネットワークである。ほとんどの場合、24時間体制で観測が行われる。
公的機関の場合、震源位置や地震規模の把握が主目的のため、観測データは即時処理され緊急地震速報などの地震警報システムや被害規模の即時推定や被害リスク評価などに利用される。また、データは地下構造の解析などにも利用される。海底ケーブル式のシステムでは、水圧計を利用した津波警戒システムを兼ねる。
自治体や企業によるシステムの場合、地震発生後の被害規模の推定に利用される事が多い。 |
地震危険度 |
Seismic
risk |
地震危険度(じしんきけんど、英: seismic
risk)とは、ある地点における地震の危険度(リスク)を表すものである。一定期間における最大の地震動、一定期間に一定基準以上の地震動がある確率など、様々な表現方法がある。地図形式のものは地震ハザードマップ(seismic hazard map)とも呼ばれる。
なお、特に日本のように震源が陸地から遠い巨大地震が多いところでは、地震活動の多い少ないが必ずしも地震動の多い少ないには直結しないことから、地震危険度とは別に地震活動度(じしんかつどうど、英: seismic activity)という用語を用いて分けて考えることがある。
更に、地震動だけではなく構造物の被害や損失についても扱う場合があり、1990年代以降多くなってきている。 |
地震空白域 |
Seismic
gap |
地震空白域(じしんくうはくいき)は、かつて地震活動があったにもかかわらず、長期間に渡って地震の震源がない、またはこれからもしばらくは起こらないであろうと予想される地域のこと。震度ではなくマグニチュードを基準としているため、離れた地域で起こった地震の影響で強く揺れたとしても、その地域は地震空白域であるとされる。空白域は大地震の前兆としてみられることもある。 |
地震計 |
Seismometer |
地震計(じしんけい)とは地震の際の揺れを計測する機器である。
地震計は地震により発生した地震動(地面の動き)を計測し、記録する機器である。震度計(正確には「計測震度計」)は、地震計の一種であるが、計測された地震動から計測震度を算出する機能をもつため、特に震度計と別称されている。
地震計は、地震動を計測するセンサー及びそれらを記録する計測システムによって構成される。
地震計は3次元空間のXYZの3成分のセンサーを備え、それらを直交する南北・東西・上下の各方向にそろえて設置することで、地面の三次元的な動きを把握できるように設置することが一般的である。しかしながら、観測目的によっては1つまたは2つの成分のみ計測することや、南北や東西とは異なる方位(たとえば、建築構造物に平行な向きなど)にセンサーを配置することもある。
地震計は目的に応じて多様な種類があり、古くは始皇帝の時代に既に存在した地震の揺れにより竜が咥えた鉄球が落下する簡単な仕組みのものから、地球の裏側で発生した地震の人間には感じないようなわずかな揺れを検知できるもの、震度階級最大の激震が生じても記録できるものまでいろいろである。
気象庁では各地に設置された地震計の情報を集積し、発震時刻と震源地を決定し、マグニチュードを算出する。これに合わせて、津波の発生の予測を行う。また、震度計の情報もリアルタイムで収集し震度情報として発表する。 |
地震警報システム |
Earthquake
warning
system |
地震警報システム(じしんけいほうシステム)とは、「地震が起こった後、震源要素や地震動の分布を迅速に解析し、その情報をいろいろなユーザー(防災関係者、電気、ガス、水道、電話、交通、報道、個人)に伝えて防災に役立てること」であり、地震の際に警報を発して被害を最小限に抑えるための安全管理システムである。
構造物の耐震化や地震時対応の強化などの事前防災、発生前に地震を予測する地震予知と並ぶ、地震対策の1つであり、1990年代以降大きく発達し普及が進んでいる。 |
地震考古学 |
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地震考古学(じしんこうこがく)とは、地震学と考古学をあわせ持つ学問であり、遺跡にある地震跡の調査と、歴史資料の地震に関する記述との照らし合わせによって、発生年代の推定や将来の地震の予測を行う、新しい学問分野である。提唱者は寒川旭(さんがわ あきら)である。 |
地震前駆現象 |
Earthquake
prediction |
地震前駆現象(じしんぜんくげんしょう)とは、大規模な地震の前に発生する、地震の前触れと考えられる特徴的な現象の総称である。前駆現象、地震前駆活動、前駆活動などとも呼ばれ、名称は定まっていない。
地震前に起こるとされる諸現象全体を指す。また、このうち主に地象(地面現象、地質的現象)のみを指したり、民俗・民間で地震の前触れとされるもの(宏観異常現象)以外を指したりすることもある。 |
地震動 |
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地震動(じしんどう)とは、地震によって発生する揺れのこと。地震の揺れを振動として捉えた、あるいは工学的に見た概念であり、波動として捉えたり、物理学的に見た場合は地震波と呼ぶ。一般的には地震動自体も「地震」と呼ぶことが多い。 |
地震波
(⇒地震波速度式は地球内部物理学) |
Seismic
wave |
地震波(じしんは、英: seismic
wave、earthquake wave)は、地震により発生する波。
1 地震波の種類
1.1 実体波
1.1.1 P波 (P-wave) Primary wave(第一波)またはPressure wave(圧力波)の略。
1.1.2 S波 (S-wave) Secondary wave(第二波)またはShear wave(ねじれ波、たわみ波もしくは剪断波)の略。
1.1.3 T波 (T-wave)
1.1.4 後続波
1.2 表面波
1.2.1 ラブ波(Love wave) 水平の剪断力を地面に与える表面波。
1.2.2 レイリー波(Rayleigh wave) 水面に立つさざ波に似た動きをする表面波。
1.3 自由振動 |
地震発生物理学 |
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地震発生物理学(じしんはっせいぶつりがく)または地震物理学とは、地震(断層破壊)を物理的現象として詳細に分析し、そのメカニズムを解明する学問である。地震学の一分野。
地震発生物理学の命題として、「不均質な地殻内で起こる不均質な断層運動(せん断破壊過程)を説明するための、物理法則を確立させること」が挙げられる。主なテーマとして以下のようなものが挙げられる。
・実際の地中で想定される高圧高温の環境下において、地殻を構成する岩石の特性からその破壊の過程を研究し、断層の形成や破壊(=地震)がどのように生じるか。
・地震波の伝播や地質構造を研究し、地中や地表においてどのような地震動が生じるか。また、地震動の特性と被害状況の関係にはどのようなものがあるか。
・上記研究の結果を反映して、精度が高く定量的な震源モデルや地殻モデルを開発する。 |
地震モーメント |
Seismic
moment |
地震モーメント(じしん-)とは、地震の大きさを示す指標のひとつで、断層運動の力のモーメント(エネルギー)の大きさを表す。
断層面の剛性率をμ(Pa)、断層面積の合計をA(m2)、断層全体での変位(すべり)量の平均を(m)としたとき、地震モーメントM0は、
と表される。単位はニュートンメートル(N・m)である。 |
地震予知 |
Earthquake
prediction |
地震予知(じしんよち)とは、地震の発生を予め知ることである。「地震予知」という語は、広範にはいわゆる「予知」を含んで言うが、学術的には科学的方法により地震の時期・場所・規模の3要素を論理立てて「予測」することを指す。ただし日本地震学会は、警報に繋がるような決定論的な予測のみを「地震予知」とし、それ以外の日常的に公表可能なもの(確率で表現されるもの)は「地震予測」とする新しい定義を2012年秋に発表し、推奨している。なお、震源における断層破壊の発生後に行われる緊急地震速報などの地震警報システムはこれらに含めない。
日本では、東海地震に限って24時間体制で行われているプレスリップの検出に基づく地震予知の体制が整備されているが、確実ではなく、予知できない可能性もあるとされている。また、東海地震以外の地震は、前兆現象の検出方法や予知情報が発表された時の行動が確立されておらず、予知は不可能と考えておくべきとされている。
なお、決定論的な地震予知は「現時点では非常に困難」とされている。その一方で気象庁や東海地震の判定会が東海地震は「予知できる可能性がある」としているのは、プレスリップがいわゆる「前兆」ではなく本震の発生たるプレート間の滑りの「早期検知」であるためとされているが、この考え方には批判があり、東海地震だけが可能とすべきではないという意見もある。 |
四川省の地震一覧 |
List
of
earthquakes
in Sichuan |
中華人民共和国・四川省では数多くの地震が発生している。ここではマグニチュード6以上の地震を列挙する。 |
四川大地震 |
2008
Sichuan
earthquake |
四川大地震(しせんおおじしん、しせんだいじしん)とは中華人民共和国中西部に位置する四川省アバ・チベット族チャン族自治州ブン川県で現地時間(CST)2008年5月12日14時28分(UTC6時28分)に発生した地震。
中国地震局は、「ブン川地震(ウェンチュアンじしん、ぶんせんじしん)」という名称を基本として、広域名の四川省や地震規模を組み合わせた「四川ブン川8.0級地震」とも呼び、中国国内の報道などでは、歴史的事件の名称でよく用いられるような、発生日に基づいた「512大地震」とも呼んでいる。また「四川大震災」などとも呼ばれる。 |
島原大変肥後迷惑 |
1792
Unzen
earthquake
and tsunami |
島原大変肥後迷惑(しまばらたいへんひごめいわく)とは、1792年5月21日(寛政4年4月1日)に肥前国島原(現在の長崎県)で発生した雲仙岳の火山性地震およびその後の眉山の山体崩壊(島原大変)と、それに起因する津波が島原や対岸の肥後国(現在の熊本県)を襲った(肥後迷惑)ことによる災害である。 |
ジャワ島中部地震 |
May
2006
Java
earthquake |
ジャワ島中部地震(ジャワとうちゅうぶじしん)は2006年5月27日、インドネシア西部時間の午前5時53分58秒(日本時間午前7時53分58秒、UTC26日22時53分58秒)に、インドネシアのジャワ島中部で発生したモーメントマグニチュード(Mw)6.3の地震。
この地震を発生させたのは、現在のところジャワ島中部を南北に走る活断層の活動だと考えられている。
ジョグジャカルタ市街地の東側には南北数十kmに連なる活断層(オパック断層)がある。この断層の南端でM6.2の最初の地震が発生し、直後にその北東でもM6.1の地震が発生し、揺れが連続した。このためバンドゥル県など断層北部付近では、2つの揺れが干渉しあって増幅され、揺れが大きくなり被害が集中したと見られている。 |
ジャワ島南西沖地震 |
July
2006
Java
earthquake |
ジャワ島南西沖地震(ジャワとうなんせいおきじしん)は、2006年7月17日、インドネシアのジャワ島南西部沖で8時19分28秒(UTC)(現地時間
午後3時19分28秒)に発生した地震である。
アメリカ合衆国地質調査所は、地震の規模をモーメントマグニチュード7.7と推定。
インドネシア気象地理庁によれば、震源地はバンドンの南約620kmのインド洋で、震源の深さは32km。
当初、津波の規模は2-3mとの報道が見られたが、その後の名古屋大学などの痕跡調査により、7m以上の規模であることが判明している。 |
首都直下地震観測網 |
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首都直下地震観測網(しゅとちょっかじしんかんそくもう)、英語: Metropolitan Seismic Observation
network、略称:MeSO-net(メソネット)。
2007年度(平成19)年度より、文部科学省により始められた『首都直下地震防災・減災 特別プロジェクト』により整備されたボアホール型の地中地震計による中感度地震観測網で、観測点は南関東の関東平野を中心に約400箇所(2009年現在)設置されている。
高密度の観測網を構築した事で、従来の観測網より精度の高い震源分布を決定することが可能となり、更に建物を破壊する震動(強震動の)予測に必要な地下構造(地震波速度構造)も明かになった。 |
主要動⇔初期微動 |
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主要動(しゅようどう)とは、地震における中盤の大規模な地震動のこと。地震波のS波と表面波(レイリー波・ラブ波)によって引き起こされる揺れのことである。また、主要動が到達するまでの間は、P波のみによる振動が継続し、その地震動は初期微動という。 |
貞観地震 |
869
Sanriku
earthquake |
貞観地震(じょうがんじしん)は、平安時代前期の貞観11年5月26日(ユリウス暦869年7月9日、
グレゴリオ暦7月13日)に、日本の陸奥国東方沖(日本海溝付近)の海底を震源域として発生したと推定されている巨大地震である。地震の規模は少なくともマグニチュード8.3以上であったとされる。地震に伴って発生した津波による被害も甚大であった。
この地域に周期的に発生する三陸沖地震の1つとして理解されてきたため、「貞観三陸地震」と呼称されることがある。他にできる限り元号を外して「9世紀陸奥海溝地震」のような自然科学的名称も考えられている。 |
庄内沖地震 |
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庄内沖地震(しょうないおきじしん)とは、1833年12月7日 (天保4年10月26日)14時頃に山形県沖(北緯 38.9 東経 139.25)の日本海で発生した地震。規模は、マグニチュード (M) 7.5程度と推定されている。地震により津波が発生し東北地方と新潟県の日本海側だけでなく能登半島にも被害を及ぼした。
出羽国沖地震(でわのくにおきじしん)、庄内地震(しょうないじしん)、あるいは羽前沖地震(うぜんおきじしん)とも呼ばれる。
庄内地方で壊家475戸、津波による溺死者 38人。能登半島の輪島で溺死者
47人。宇佐見による調査で震度6の揺れが推定された場所は新潟県から山形県にまたがる長さ80kmの地域、震度5は新潟から秋田に至る約250km
最上川沿いの山形盆地まで、震度4は津軽・北海道松前から能登半島まで及んだ。
津波高は波源に近い湯野浜〜府屋間で5〜6m、局地的に7〜8m。新潟県の角田浜・五ヶ浜では地盤高5m以上の砂浜に遡上、佐渡の岩谷口も6.4m、波源から遠い輪島でも津波高は5.3mと考えられている。
震源域は1964年新潟地震に重なるとの見方もあるが、新潟地震の震源域の北側で発生した地震とも考えられ、1978年日本海中部地震の発生以降注目され積極的な調査が行われた。 |
正平地震 |
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正平地震(しょうへいじしん)は室町時代前期(南北朝時代)に発生した南海トラフ沿いの巨大地震と推定される地震である。この地震名の「正平」は南朝の元号から取ったものであり、北朝の元号である康安から取って康安地震(こうあんじしん)と呼称されることもある。
記録は南海地震と思われるものであるが、発掘調査により東南海地震も連動したと推定される。東海地震については不明。 |
昭和三陸地震 |
1933
Sanriku
earthquake |
昭和三陸地震(しょうわさんりくじしん)は、1933年(昭和8年)3月3日午前2時30分48秒に、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖約 200 km(北緯39度7.7分、東経145度7.0分)を震源として発生した地震。気象庁の推定による地震の規模はM8.1。金森博雄の推測はMw8.4でアメリカ地質調査所 (USGS) もこれを採用している。
震源は日本海溝を隔てた太平洋側であり、三陸海岸まで200km以上距離があったため、三陸海岸は軒並み震度5の強い揺れを記録したが、明治三陸地震の時と同じく、地震規模に比べて地震による直接の被害は少なかった。その一方で、強い上下動によって発生した大津波が襲来し、被害は甚大となった。最大遡上高は、岩手県気仙郡綾里村(現・大船渡市三陸町の一部)で、海抜28.7mを記録した。第一波は、地震から約30分で到達したと考えられる。 |
初期微動⇔主要動 |
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初期微動(しょきびどう、preliminary
tremors)とは、地震における最初の小規模な地震動のこと。地震波のP波によって引き起こされる揺れのことである。また、初期微動はP波が到達してからS波が到達するまでの間継続し、その後の地震動は主要動という。 |
震央 |
Epicenter |
震央(Epicenter)は、地震または地下の爆発が発生した地点である震源の真上に当たる地表の点である。英語のEpicenterは、古代ギリシア語で「上」を意味するepiと「中央」を意味するkentronに由来する形容詞epikentrosをラテン語化した新ラテン語の名詞epicentrumを語源に持つ。
地震の場合、震央は断層が破壊し始めた地点の真上であり、多くの場合には最も被害が大きい。しかし、巨大地震では断層破壊距離が長く、被害は破壊域に沿って広がる。例えば、2002年にアラスカ州で起こったマグニチュード7.9の地震の場合、震央は破壊域の西端であったが、最も被害が大きかったのは、破壊域の東端から330km離れた地点であった。 |
震源 |
Hypocenter |
震源(しんげん、hypocenter)は、地震(岩石の破壊)の発生した地下の場所を意味する。震央とは異なる。
震源と震源域
岩石の破壊は震源となる場所一か所で起こるものではないので、岩石の破壊が最初に発生した場所を震源と言い、岩石が破壊した領域を震源域(しんげんいき、hypocentral region、focal region)と呼ぶ。震源域はその規模によって大きく異なり、場合によっては数百kmにおよぶこともある(例として、規模がマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震の震源域は岩手県沖から茨城県沖まで南北500kmにわたった。よって余震の震源点も一点ではない)。地震学においては、震源域と断層面はほぼ同義である。
小規模な地震では震源域が極めて小さく、岩石破壊が震源に集中している場合も多い(ポイントソース)。逆に大規模な地震では震源域が広い。よくある誤解として、例えば兵庫県南部地震は震源が淡路島であったことから、“淡路島で発生した地震で、やや離れた神戸に被害が大きかった”と考えてしまうことがあるが、この場合も“岩石の破壊が最初に発生した場所”である震源が淡路島であるにすぎない。実際に岩石の破壊した領域、すなわち震源域は神戸市の直下まで伸びていることが、余震分布などから明らかになっている。
このように岩石が場合によっては数百kmにわたり破壊される地震という現象の中で、単に岩石の破壊が始まった点にすぎない震源が重視されるのは、震源のみが後述のように地震波の到達時刻をもとに、地震発生直後に判定できるからである。
地震の規模と断層の長さの関係の目安は、M2.0:0.16km、M3.0:0.5km、M4.0:1.6km、M5.0:5.0km、M6.0:16km、M7.0:50km、M8.0:160km、M9.0:500km。 |
人工地震 |
Seismic
source |
人工地震(じんこうじしん)は、人工的に起こされる地震動である。主に、地中を探査する人工地震探査のために起こされる。
人工地震は、人工的な発破などにより発生する。一方、通常の地震動を発生させる地震のことを、自然地震と呼ぶことがある。
土木工事などに使われる発破は地震波を発生させるため、しばしば自然地震と誤認される。ただし地震波には、P波に比べてS波が小さい、表面波が卓越する、すべての観測点でP波初動が押し波となるなどの特徴があり、自然地震による地震動との判別は可能である。核爆発によるものも代表的な人工地震のひとつであり、大規模な地震動となった例もある。こちらも地震波に前述と同じ特徴があるため、識別及び感知が可能であり、地震計による核実験の監視に活用されている。 |
震災 |
Seismic
hazard |
震災(しんさい)とは、地震による災害のことである。大規模なものを大震災という。
「関東大震災」「阪神・淡路大震災」「東日本大震災」などのように、大きな被害の出た地震の場合、地震そのものの意味で「震災」が使われることがあり、狭義ではこれらの地震を指して単に震災と呼ぶ。他方、被害の無い微小地震や無人地帯での地震については、「震災」とは表現しない。
日本の大規模地震対策特別措置法では「地震災害」を「地震動により直接に生ずる被害及びこれに伴い発生する津波、火事、爆発その他の異常な現象により生ずる被害」と定義している(同法第2条1号)。
震災における被害の主因は、震災ごとに異なる。例えば、関東大震災では、地震後の火災による死者が多かった。島原大変肥後迷惑では地震で崩れた山が海に流れ込み、それが引き起こした津波が対岸を襲い「肥後迷惑」と呼ばれるほどの壊滅的な被害を与えた。2003年にイランで起こった地震では日干し煉瓦製の住宅が倒壊して多数の住民が犠牲になった(バム地震参照)。 |
震度 |
Seismic
scale |
地震学において、震度とは、ある地点における地震の揺れの大きさを表した指標である。震度階級、震度階ともいう。それぞれ揺れの違いがある10前後のレベルで表現され、世界では地域により定義の異なるいくつかの震度階級が用いられている。現在の日本では気象庁震度階級が使われており、日本では一般的にこれを「震度」と |
深発地震 |
Depth
of
focus |
深発地震(しんぱつじしん)とは、地下深いところで発生する地震のことである。深発地震は原則として、深く潜り込むプレート(スラブ)内部の性質変化に起因するスラブ内地震である。プレートテクトニクスの観点からは海洋プレート内地震(沈みこんだ海洋プレート内で起こる地震)に分類される。
定義
深発地震は震源の深さが深い地震であるが、明確な定義はない。だいたい深さ60kmまでの地震を浅発地震、60kmから200kmまでの地震を稍(やや)深発地震、200km以深で発生する地震を深発地震という。深さ500〜670kmで発生することが多い。ただし深発地震は670km以深では発生しない。
文脈によっては、沈み込む海洋プレート内(とくに、プレート間地震が起こらない、深さ数十キロメートルより深い場所)で発生する地震を深発地震と称することがある。たとえば芸予地震は、前者の定義では深発地震や稍深発地震には当たらないが、後者の定義では深発地震となる。 |
スマトラ島沖地震 |
1833
Sumatra
earthquake |
The 1833 Sumatra earthquake occurred on
November 25, 1833, about 22:00 local
time, with an estimated magnitude
in the range Mw= 8.8-9.2. It caused a large tsunami
that flooded the southwestern coast of the island. There are
no reliable records of the loss of life, with the casualties
being described only as 'numerous'. The magnitude of this event
has been estimated using records of uplift taken from
coral microatolls.
The island of Sumatra lies on the convergent
plate boundary between the Indo-Australian
Plate and the Eurasian
Plate. The convergence between these plates is highly oblique
near Sumatra, with the displacement being accommodated by near
pure dip-slip
faulting along the subduction zone, known as the Sunda
megathrust, and near pure strike-slip
faulting along the Great
Sumatran fault. The major slip events on the subduction zone
interface are typically of megathrust
type. Historically, great or giant megathrust earthquakes have
been recorded in 1797, 1833, 1861, 2004, 2005 and 2007, most
of them being associated with devastating tsunamis. Smaller (but still large) megathrust events
have also occurred in the small gaps between the areas that slip
during the larger events, in 1935, 1984, 2000 and 2002. |
スマトラ島沖地震 |
Sumatra
earthquake |
スマトラ島沖地震(スマトラとうおきじしん)は、スマトラ島周辺で起こる大きな地震の名称。スマトラ沖地震、スマトラ地震とも通称される(後者についてはスマトラ島内で発生した地震との使い分けに留意)。
スマトラ島周辺で起こる地震の概要
ミャンマーから大スンダ列島、小スンダ列島、ティモール島にかけて、インド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートがぶつかり合うスンダ海溝(ジャワ海溝)がある。ここは世界有数の地震多発地帯で、スマトラ島周辺では100年から150年の周期で大きな地震が繰り返し発生している。過去から地震を多数経験してきており、2000年代に入ってから発生した上記の地震もその一連の流れの一つである。
過去の記録では901年頃にMw 8.9と推定される地震、1797年にスマトラ島中部沖でM 8.4と推定される地震、1833年にスマトラ島南部沖でMw
8.9と推定される地震、1861年にスマトラ島北部沖でMw 8.5と推定される地震などが起きている。
2004年の地震では、スマトラ島北西沖からアンダマン・ニコバル諸島にかけてのプレートの境界(ジャワ海溝)が1,000km超にもわたる巨大な範囲でずれ、一気にマグニチュード9を超えるエネルギーが解放された。これにより周辺のユーラシアプレートにかかる力が大きく変わり、2005年の地震などを誘発していると考えられている(参照)。インドネシアで2004年以降地震が急増しているのは、このためではないかと見られている。なお、地震の種類としては2009年の地震(海洋プレート内地震)を除き、プレート間地震(海溝型地震)となっている。この他、スマトラ島の沖で発生したものではないが、2013年にはスマトラ島内(北部)でもM 5.9の直下型地震が発生している(スマトラ島地震)。
本来、「スマトラ島沖」はスマトラ島北西沖からスマトラ島南東沖までの広い範囲を指すが、2004年12月26日にマグニチュード9.1の地震が発生して大きく報じられて以来、「スマトラ島沖地震」はこの地震のことを指す場合が非常に多くなった。
これらの地震により火山活動も活発となっており10以上の火山で地震が増加、2006年5月と2010年10月にはムラピ山が噴火に至っている。また巨大地震の頻発により、トバカルデラにおける破局噴火に繋がる可能性も懸念されている。 |
スマトラ島沖地震
(2004年) |
2004
Indian
Ocean
earthquake
and
tsunami |
2004年スマトラ島沖地震(スマトラとうおきじしん)は、2004年12月26日、インドネシア西部時間07時58分53秒(UTC00時58分)にインドネシア西部、スマトラ島北西沖のインド洋で発生したマグニチュード9.1の地震である。単に「スマトラ島沖地震」といった場合、この地震を指すことが多い。
この2004年スマトラ地震におけるマグニチュード9.1は、1900年以降でチリ地震に次いで2番目に大きい規模である。これはモーメントマグニチュード (Mw) であり、ハイチ地震 (Mw7.0) の約1,400倍、2003年十勝沖地震 (Mw8.0) の約40倍、東北地方太平洋沖地震 (Mw9.0) の約1.4倍に相当するエネルギーである。
また、アメリカ地質調査所 (USGS) の暫定発表で当初マグニチュード8.1と発表されていたが、次にマグニチュード8.5、さらにマグニチュード8.9と発表された後、9.0に修正された。さらにその後、アメリカ・ノースウェスタン大学などの研究グループにより、9.3に再修正された。
2012年現在、USGSではマグニチュード9.1としている。最終的には米ノースウエスタン大学と同程度の値になる可能性もある。これは、震源地でプレートが3回に渡って南から順にずれ、そのずれの継続時間が6
- 7分にわたったためと見られている。
震源域は研究機関によって異なり、およそ1,000km - 1,600kmと長さをもつ。地震後のGPSや実地調査では、スマトラ島北西沖にあるニアス島からインド領のアンダマン諸島北端までの広範囲で隆起・沈降・水平移動といった地面のずれ(変位)が観測されている。国土地理院の分析によれば、震源域はミャンマー領ココ諸島(英語版)とアンダマン諸島北端の間付近から、ニアス島の北西に位置するシムルー島(英語版)北部までの約1320kmとされている。
平均を取って約1,300kmだとしても、日本列島沿岸の海溝に当てはめれば銚子沖から得撫島南方沖あたり、あるいは銚子沖から奄美大島東方沖あたりにまで及ぶ規模である。M9.3の本震だけを見ても、ずれた断層(プレートの境界面)は南北に約400km、東西に約150kmにわたる範囲に及び、ずれた距離(変位)は最大約20mという巨大な規模のものであった。
大津波が発生し、インドネシアのみならず、インド洋沿岸のインド、スリランカ、タイ王国、マレーシア、モルディブ、マダガスカル、ソマリアなど東南アジア全域に加え、東アフリカ等でも被害が発生した。本地震ののち、チリで津波デマによるパニックが起こり1人が死亡したほか、世界各地で新たな地震発生後に津波を警戒して住民が早期に避難した事などから、この地震が世界中に知れ渡り、人々の心に強く残ったことを示している。
この地震以降、スマトラ島周辺では大きな地震が多発している(詳細は「スマトラ島沖地震」参照)。 |
スマトラ島沖地震
(2005年) |
2005
Sumatra
earthquake |
2005年スマトラ島沖地震(スマトラとうおきじしん)は、2005年3月28日16時9分36秒(UTC、現地時間
午後11時9分36秒)にスマトラ島沖で発生した地震である。ニアス島付近で発生したことからニアス島沖地震とも呼ばれる。
2004年12月26日のスマトラ島沖地震の余震がだいぶ収まり、規模も小さくなってきた2005年3月28日16時9分36秒
(UTC) に、同地震の震源の南東約250km沖で、モーメントマグニチュード(Mw)8.6の地震が発生した。この地震は、スマトラ島沖地震の余震ではなく、別の地域を震源とする誘発地震(広義の余震とも呼ばれる)である。
2004年12月26日のスマトラ島沖地震の発生によりプレートにかかっていた圧力が開放され、代わりにプレートの他の部分へ圧力がかかったために、もともとあった断層に歪(ひず)みが溜まり起こった、云わばスマトラ島沖地震が引き金になった地震ではないかと見られている。また、この地震の震源域の延長はおよそ350kmと推定されている。この震源域は2004年のスマトラ島沖地震の震源域に隣接し一部が重複しており、2つの地震の震源域を重ね合わせると1,600kmにも及ぶ。そのため、2004年の地震と今回の地震は東海・東南海・南海連動型地震のような連動型の巨大地震であった可能性も指摘されている。
このことから、インド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートの境界地域で、近年地震が起こっていない部分では、更なる地震に警戒が必要であるという研究や報告が見られた(スマトラ島周辺で起こる地震全体の概要参照)。
また、ニアス島付近では1861年に津波を伴うM8を超える地震が発生している他、この地震の震源域のすぐ南では1833年にもM8を超える地震が発生している。 |
スロースリップ |
Slow
earthquake |
スロースリップ(英: slow slip)とは、地震学の用語で、普通の地震によるプレートのすべり(スリップ)よりもはるかに遅い速度で発生する滑り現象のことである。「スローイベント」「ゆっくりすべり」「ゆっくり地震」などとも呼ばれるが、厳密には「スロースリップ」か「ゆっくりすべり」が最も的確に意味を表している。海溝などの沈み込み帯ではよく見られる現象。また、1つのプレートの中に存在する断層の面でも発生する。防災科学技術研究所により整備された高感度地震観測網の観測結果が当該事象発見のきっかけとなった。SSE(Slow Slip Event)と略される事もある。
「普通の地震よりもはるかに遅い速度」というのは、地震を起こす地殻変動の速度のことである。地震としては、地震動の継続時間が非常に長く、地震動の周期が比較的長め(約0.5秒-数十秒、低周波領域)であるという特徴を持つ。 |
制震 |
Mitigation
of
seismic
motion |
制震(せいしん)は、建築設計上の概念であり、建物に入力される地震力を、建物内部の機構により減衰させたり増幅を防いだりすることで、建物の振動を低減させることを指す。制振とも書かれ、日本建築学会では正式に制振を用いているが、言葉の顧客への印象や「耐震」など他の用語との対比のしやすさから民間企業では制震を用いることもある。ただし、地「震」を制するのではなく「振」動を制するという趣旨から、近年では「制振」に統一されつつある。
力学的な形態により、「層間ダンパー型」、「マスダンパー型」、「連結型」などに分類され、また、エネルギーの入力の有無により「パッシブ制震」、「セミアクティブ制震」、「アクティブ制震」に大きく分かれる。
主に大規模な建築物に利用されているが、近年では住宅などへの適用も目立つ。また、橋梁などにも制震機構が組み込まれることがある。 |
善光寺地震 |
|
善光寺地震(ぜんこうじじしん)とは、1847年5月8日(弘化4年3月24日)、信州(現長野県)の善光寺平(ぜんこうじだいら)を震源とし直下型で発震、付近に多大の損害をもたらした逆断層型の地震である。地震規模を示すマグニチュードは河角廣による推定でMK = 5として M = 7.4
(M = 4.85 + 0.5 MK)、文献によっては 7.3。 |
前震 |
Foreshock |
前震(ぜんしん)とは一連の地震活動において本震の前に起こる地震のことである。ふつう、本震の後に起こる余震よりも規模が小さく数も少ない。しかし、活動の最中に前震か本震かは判断出来るものではなく、後になってから解析され判明する。
比較的小さな地震(前震)が断層の一部を破壊したり断層にかかる応力を変化させ、より大きな規模の地震を引き起こすきっかけとなっているのではないかと考えられている。 |
ソロモン諸島沖地震
(2013年) |
2013
Solomon
Islands
earthquake |
ソロモン諸島沖地震(ソロモンしょとうおきじしん)は、2013年2月6日にソロモン諸島近海で発生した地震である。
発生は2013年2月6日現地時間12時12分(日本時間10時12分)。震源はソロモン諸島東部のサンタクルーズ諸島沖で、震源の深さは28.7km。マグニチュードは8.0という巨大地震であった。太平洋プレートの下にインド・オーストラリアプレートが沈み込むプレート境界型地震と推定され、2013年1月以降、本地震の前震とみられるマグニチュード4.0以上の地震が40回以上観測されている。
名古屋大学地震火山研究センターは、国際的な地震観測網であるIRIS(Incorporated Research Institution for Seismology) のデータを利用し以下のように解析した。
・右横ずれ断層の地震
・地震モーメント : Mo = 5.4 * 1020 Nm
(Mw = 7.8)
・破壊継続時間(主破壊) : T =
40 s
・深さ : H = 20 km
・最大滑り量 : Dmax = 3 m |
た |
耐震 |
Earthquake
engineering |
耐震(たいしん)は、広義には、建築構造物や土木構造物が地震に対して破壊や損傷しないようにすることをさす。また、狭義には制震や免震と区別して、主要な構造体そのものの強度や靭性を向上させることで破壊や損傷を防ぐことをさす。 |
耐震基準 |
|
耐震基準(たいしんきじゅん)とは、建築物や土木構造物を設計する際に、それらの構造物が最低限度の耐震能力を持っていることを保証し、建築を許可する基準である。
日本においては、建築物には建築基準法及び建築基準法施行令などの法令により定められた基準が、また、原子力発電所などの重要構造物や道路・橋梁などの土木構造物には、それぞれ独自の基準が設けられている。 |
耐震診断 |
|
耐震診断(たいしん しんだん)とは、既存の建築物の構造的強度を調べ、想定される地震に対する安全性(耐震性)、受ける被害の程度を判断する行為。地震による破砕・倒壊を未然に防ぐため、その恐れの有無を把握する目的で行われる。
耐震診断の方法には、以下の3種類がある。
1.一次診断
2.二次診断
3.三次診断
過去に起きた大地震の地震波を用いる方法も広く使われている。
耐震診断の結果によっては耐震改修などが求められる。なお静岡県をはじめとする多くの自治体では、耐震診断や耐震改修に補助金を助成している。
安全の判定基準は Is≧0.6かつCT・SD値≧0.3となっているが、自治体によって異なり、安全側に1割増のIs≧0.7やIs≧0.8を要求する施主もいるので確認する必要がある。
一般的に公営住宅には0.6以上、学校施設では0.7以上が求められる。 |
高田地震 |
|
高田地震(たかだじしん)は、1751年5月21日(寛延4年/宝暦元年4月26日)深夜(夜丑の刻、午前2時頃)に高田市(現:新潟県上越市中央部)を中心に発生した大規模地震である。現在現存している資料からは、マグニチュード7.0から7.4相当と推定されている。「宝暦高田地震」或いは「越後・越中地震」とも称される。 |
弾性反発説 |
Elastic-
rebound
theory |
弾性反発説(だんせいはんぱつせつ,
英: Elastic-rebound theory)とは、地震の原因を説明するメカニズムの1つであり、現在の地震学では断層地震説およびプレートテクトニクス等と関連付けて幅広く支持されている学説である。
初期の弾性反発説としては、1906年のサンフランシスコ地震等の研究を受けてリード(H.F.Reid)が発表したものが知られている。これは、震源の両側でお互いに逆方向となるような歪みの力が働いており、地下の岩体は歪みを受けると弾性変形を起こして曲がり、やがて限界を超えると剪断破壊を起こして地震を発生させるというものである。これは、弾性歪みによる弾性変形→塑性変形→破壊という、力学でいう物質の変形過程に対応している。現在ではこの考え方は広く受け入れられているが、当時は他の説も展開されており、その証明方法を含めて論争が巻き起こった。
弾性反発説の裏付けとしては、地震波(P波)の初動分布が挙げられる。ふつう、震源を中心に十字に区切られた4領域に押しの領域と引きの領域が交互に並ぶように分布するが、弾性反発説による断層の破壊を考えるとこれを説明できる。ちなみに、断層面の両側に働く力は2対の偶力、つまり各2方向の圧縮力と張力が2対(ダブルカップル)であり日本では当初から支持されていたが、欧米では当初1対の偶力(シングルカップル)と考えられていた。1963年に丸山卓男がこれを物理学的に証明する考え方を提示し、1960年代には欧米でもダブルカップルが定着した。
日本でも大正時代ごろよりこの説をもとにした研究が進められていった。1960年代には、プレートテクトニクスに基づいた海溝型地震の発生メカニズムとしても弾性反発説が採用されるにいたった。 |
断層 |
Fault |
断層(だんそう、英: fault)とは、地下の地層もしくは岩盤に力が加わって割れ、割れた面に沿ってずれ動いて食い違いが生じた状態をいう。
断層が動く現象を断層運動(faulting)と呼び、地震の主原因であると考えられている。食い違いが生じた面そのものを断層面(fault surface)と呼ぶ。断層面と鉛直線がなす角を断層角(fault dip)、水平面に置き換えた断層運動の方向を走向(fault strike)と呼ぶ。
侵食や堆積環境の変化、火山岩の噴出・堆積などによってできた地層の境界は、一見食い違っているように見える場合があるが、ずれ動いたわけではないため断層ではなく、不整合、非整合などと呼ばれる。 |
断層地震説 |
|
断層地震説(だんそうじしんせつ)は、断層の運動そのものが地震であり、揺れを引き起こすという考え方。
かつて日本の地震学においては、陥没地震・隆起地震・岩漿貫入など、何らかの地殻の変形が地震となり、その結果として崖崩れなどと同様に断層が作られるという説があったが、断層地震説はそれらに対立する学説である。その後の研究で、地震波の押し波と引き波の分布や地殻変動の調査などから、断層の動きと地震波との関連を示す実証例が認められ、またメカニズムを説明した弾性反発説も実証されたことから、断層地震説が定着した。 |
地球内部物理学 |
|
地球内部物理学(ちきゅうないぶぶつりがく)は地球内部を研究対象とする自然科学である。地球物理学の一分野に属する。
地球内部を直接掘削して調査することは困難を伴い、これまで地下10km内外を掘削したに過ぎず、内部を探求する方法は主に地球内部を透過する地震波の研究に依るところが大きい。
地震波の伝播速度
地震波の地球内部の伝播速度は、物質の弾性定数、密度ρ、および非圧縮率
K に依存する。これらの剛性率および非圧縮率は体積変化およびねじれ変形に対する力学物性定数である。
体積変化を伴う疎密波である縦波の
P 波の伝播速度は以下の式で表される。ここでμ および λ は弾性に関するラメの定数、特に
μ は剛性率と呼ばれる。
また、体積変化を伴わない横波の S波の伝播速度は以下のようになる。
地震波の走時曲線からマントルの地震波速度分布を計算するために、震央距離 Δ と、波線パラメーター p = (dT/dΔ)および速度分布
V(r) の関係式であるHerglotz-Wiechert法が用いられる。
このアーベルの積分方程式の解は走時解析に用いられ以下の式で表される。ここで
は走時曲線の傾きから得られる見かけの角速度である。
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地動儀 |
|
地動儀(ちどうぎ)とは、中国後漢の張衡が132年(陽嘉元年)に考案した世界最古とされる地震計(感震器)。正しくは候風地動儀という。
銅製で外形は酒がめに似ており直径は8尺(約184cm)。円筒の周囲8方向に突起した竜が配置され、その口には球を含んでいる。円筒中にある都柱(倒立振子の類)が地震に従って動き発生方向の竜の口から球が転落する。その下で口を開けて上を向いたヒキガエル(蟾蜍)の口の中に入り、大きな音を発するようになっていた。内部は8方向に向かうクランクと掛外しの装置が存在し、中心の倒立振子の変位を伝える仕組みになっていたとされている。
1936年には日本の地震研究所で動作する複製が作成された。 |
超巨大地震 |
|
超巨大地震(ちょうきょだいじしん)は、巨大地震の中でも特にモーメントマグニチュード尺度でMw9程度以上あるいはMw9クラスのものをいう。しかし、「巨大地震」と同様に地震学的に厳密に定義付けられているわけではない。 |
長周期地震動 |
Long
period
ground
motion |
長周期地震動(ちょうしゅうきじしんどう、英語:long-period
earthquake ground motion)は、地震発生時に通常の短い周波数の地震動とは異なり、約2-20秒周期で揺れる震動のことである。周期が長い、すなわち低周波領域で発生するため低周波地震動とも。
地震波に含まれる震動のうち、長周期の震動によって建物に大きな被害が出ることがある。長周期地震動は減衰しにくく、また長い周期での震動は特に高層建築物の固有振動数と一致して、建造物を共振(または共鳴)させ急激に振幅が増大するためである。従来の地震への耐震性は建造物の剛性の向上に偏りがちであり、一方の長周期地震動に対して設計段階での対策が不十分であった。しかし近年長周期地震動による被害の研究が進み、地震に強いとされてきた既設の超高層ビルに対して今後破壊的ダメージをもたらされる懸念が出てきている。このため最近の高層建築物においてはこれまでの制震構造や免震構造技術に加えて長周期地震動への対策がされ始めている。
建築物の固有振動数は、その材質や高さ、形状によって異なる。また共振により増大される振幅は、建築物の位置(高さなど)によっても異なってくる。一般に低層建築物・中層建築物などではほとんど揺れを感じないが、高層建築物などでは高い階に行けばいくほど揺れが強くなる。マグニチュード8クラスの地震が新潟県中越地方で発生したと想定し名古屋市内にあるビルの30階の揺れを再現したところ、1周期だけで約10メートルほどまで大きく揺れる。逆に短周期の場合は低層建築物に揺れが生じ、高層建築物に揺れが起きにくい。
長周期地震動の原因は地下構造にあり、沖積平野や埋立地などの軟弱地盤で起こりやすい。1985年のメキシコ地震では、メキシコシティ(湿地帯を埋め立てた軟弱地盤である)で最大2秒の長周期地震動が観測され、高層ビルやホテル、高層住宅など多くの建物が倒壊した。この地震は長周期地震動による最大の災害であるが、当時は建物の建築基準の甘さが建物倒壊の原因だとされた。近年になってようやくこれが低周波地震動の共振によるものと判明した。
このようなことから、長周期地震動による地震が発生した場合、避難する行動を取ることが困難になることが多く、被害が拡大することに繋がりやすいため、抜本的な地震対策が求められる。 |
チリ地震
(1960年) |
1960
Valdivia
earthquake |
1960年のチリ地震(チリじしん、西:Gran
terremoto de Valdivia)は、同年5月、チリ中部のビオビオ州からアイセン州北部にかけての近海、長さ約1,000km・幅200kmの領域を震源域として発生した超巨大地震である。地震後、日本を含めた環太平洋全域に津波が襲来し、大きな被害が発生した。
地震の発生時刻は現地時間の5月22日15時11分14秒、震源はチリ中部の都市バルディビア近海で、規模は表面波マグニチュード(Ms)で8.3 - 8.5、モーメントマグニチュード(Mw)では金森博雄の推定によると9.5である。Mw9.5という値は、近代地震学の計器観測史上で世界最大であり、歴史地震を含めても最大級である。長さ1,000km、滑り量10mを越える断層が活動したと考えられ地震モーメントM0は 2.0×1023N・m (2.0×1030dyn・cm) に達すると推定される。
日本の東北地方海岸に到達した験潮所波形の数値解析によれば、長さ850km、幅180km、滑り17m、傾斜角20°の低角逆断層モデルが東北沿岸の津波を最も再現できるとされる。
最大震度は、日本の気象庁震度階級で震度6相当とされている。 |
チリ地震
(2010年) |
2010
Chile
earthquake |
2010年チリ地震はチリ中部沿岸で2010年2月27日3時34分14秒(現地夏時間;
6時34分14秒 UTC)に発生した大地震。地震の規模は、USGS(米国地質調査所)によれば、モーメントマグニチュード(Mw)で8.8だった。1900年以降、チリでは1960年5月のチリ地震に次ぐ規模、世界でも発生当時では5番目の規模の地震となった。 |
津波 |
Tsunami |
津波(つなみ)は、主に地震や火山活動に起因する海底地形の急変により、海洋に生じる大規模な波の伝播現象である。強風により発生する高波、および気圧の低下などで起こされる高潮とは異なる。
1波1波の間隔である波長が非常に長く、波高が巨大になりやすいことが特徴である。地震による津波では波長600km、波高5m超のものが生じた事がある(津波が陸上に達するとこの値は大きく変わる)。
津波という現象は、例えるならば大量の海水の塊の運動であり、気象など他の要因で生じる波とは性質が大きく異なる。大きな津波は陸地に浸入し、種々の災害を発生させる。
『歴史的な津波の一覧』も参照。 |
津波地震 |
Tsunami
earthquake |
津波地震(つなみじしん)とは、地震動から求められるマグニチュードの大きさに比して、大きな津波が発生する地震のことである。1972年に地震学者の金森博雄が定義した。
海底において地震が発生し、海底面に地震断層による地殻変動が現れると、それは海水の上下動を呼び起こし、津波を発生させる。通常は、津波を発生させる地震は大規模な地震であり、体感もしくは強震動地震計などにより、津波を引き起こした地震による揺れ(地震動)を感知することができる。一般的に断層運動の大きさ(モーメントマグニチュード)が大きいほど、地震動も津波の規模も大きくなる。
しかしながら、断層運動によって、地震動(揺れ)と津波(海底面の地殻変動による海水の上下動)がそれぞれ生じるのであって、地震動が津波を引き起こすわけではなく、地震動と津波は原因は同じだが別の現象であるともいえる。よって地震動と津波の大きさがリンクしない場合もあり、極端なケースになると、体感もしくは地震計によって観測した地震動は比較的小規模であるにも拘わらず、大きな津波が発生する場合もある。このタイプの地震を津波地震と呼称する。
津波の波高が大きいことから、海水の上下動の差=地殻の変動量自体は大きい。大きな地殻変動が通常の地震よりも長い時間をかけて発生する(スロースリップ)ことで、有感となるような短周期の地震動をあまり生じさせることなく大きな津波を発生させ、津波地震となる。また、海溝軸付近でのすべり量が大きいと津波が大きくなる。一般に地震断層の破壊伝播速度は、通常の地震ではおおむね秒速2.5〜3km程度であるとされる。しかし津波地震では秒速1km程度の場合が多い。このような地震では強震動をあまり生じさせないが、津波の波源域は津波が拡散するよりも早く数分以内の短い時間で広がるため、津波が大きくなる。破壊伝播速度がこれよりさらに十分遅い場合は、津波の波源域が広がる前に津波が拡散してしまい、大きな津波も発生しなくなる。
地震の揺れ自体が小さいにもかかわらず大きな津波を発生させる津波地震の特性から、地震発生直後の避難が難しく被害が拡大する危険性をはらんでいる。津波地震の顕著な例として知られる1896年の明治三陸地震では、2万人以上の死者を出した。
2011年の東北地方太平洋沖地震では、プレート境界の陸地側の深い部分のすべりにより短周期の強い地震動が発生し、沖合いの海溝側の浅い部分のすべりにより長周期の地震動と強大な津波を発生したと推定され、この陸地側と海溝側の断層破壊が往復する形で発生したと推定される。これにより広範囲で発生した海溝型地震と津波地震が連動して、津波もより巨大化された可能性がある。また、明治三陸地震は主にプレート境界の海溝側の浅い部分で断層破壊が発生し、長周期の地震動と強大な津波を発生したと理解される。東京大学の古村孝志らも明治三陸地震や同じく津波地震である慶長地震は海溝側の浅い部分で発生した地震と推定している。
地震学では一般的に、実体波マグニチュードに対してモーメントマグニチュードや津波マグニチュードが1以上大きくなるような地震が津波地震に分類される。 |
定常すべり |
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定常すべり(ていじょう-)とは、地震学において、沈み込み型のプレート境界(沈み込み帯)の深いところで発生する、振動を伴わないプレートのすべりのこと。非地震性すべりの1つで、もう1つは準定常すべり(スロースリップ)である。また、これに対してふつう「地震」と呼ばれるすべりを地震性すべりという。
接している2つのプレートがお互いに変位するだけのすべりであり、地震波を出さない。そのため、地震計で観測することはできず、変位計やGPSなどによる変位観測、測地などでしか、正確なすべりの様子を知ることはできない。
プレートの境界面にある3種のすべり領域(アスペリティ、遷移領域、安定すべり域)のうち、安定すべり域で起こる。この領域は地下60kmを超える深さのため高い圧力がかかり、温度も高くなって地殻は液体となって存在している(アセノスフェアという)。そのため、大陸プレートはこの深さでは固体として存在せず、固体の海洋プレートが液体のアセノスフェアの中を沈み込む構造となっている。プレート間地震の原因となるプレート同士の摩擦はここでは非常に小さいため、プレートのすべりは非常にゆっくりとしていて、かつ振動を起こさずに安定している。
ただし、この深さにおいては、海洋プレートが地下深くで割れて起こる海洋プレート内地震という別のタイプの地震は発生する。 |
天正地震 |
|
天正地震(てんしょうじしん)は、天正13年11月29日(1586年1月18日)に日本の中部で発生した巨大地震である。
天正大地震(てんしょうおおじしん)あるいは天正の大地震(てんしょうのおおじしん)とも呼ばれる。また、各地の被害から長浜大地震(ながはまおおじしん)、白山大地震(はくさんおおじしん)、木舟大地震(きふねおおじしん)、天酉地震とも呼ばれる。
『東寺執行日記』、『多聞院日記』など多くの古文書に記録が見られ、『梵舜日記』(別名『舜旧記』『舜舊記』)には約12日間にわたる余震が記録されている。 |
東海地震 |
Tokai(oの頭に-)
earthquakes |
東海地震(とうかいじしん)は厳密には2通りの用法があり、
1.浜名湖南方沖の遠州灘中部から静岡県沼津市沖の駿河湾に至る駿河トラフ(南海トラフの東端を占める)下のプレート境界(沈み込み帯)で、2.の用法での「東海地震」震源域の東側が、単独で破壊して発生すると想定されている海溝型地震。想定東海地震、駿河湾地震。この用法では、潮岬南方沖から浜名湖南方沖までのを震源とする同様の地震を「東南海地震」として区別する。
2.潮岬南方沖の熊野灘から沼津市沖の駿河湾に至る南海トラフ下のプレート境界で周期的に発生しており、将来も発生が予想されている海溝型地震。最新の地震は1854年(嘉永7年)の安政東海地震である。
のどちらかを指す。東海大地震(とうかいだいじしん)とも呼称される。両者ともマグニチュード8級と想定されている。
東海地震は本来、熊野灘から駿河湾にかけてを震源域とする巨大地震(本項2.の用法)を指していた。しかし、1944年にその西側だけを震源域とする巨大地震が発生(後に東南海地震と呼称される)、それにより空白域として残った遠州灘中部から駿河湾にかけてを震源域とする単独での巨大地震(本項1.の用法)の発生が警戒されるようになった経緯から、現在は遠州灘中部から駿河湾にかけてのみを震源域とする「想定東海地震」、または「駿河湾地震」を指す場合が多くなっている。
本項1.の用法におけるいわゆる「想定東海地震」は、後述の通り1970年代以降注目されるようになり、プレスリップの検知による直前予知に基づいた予知体制が構築されるとともに防災運動が展開されてきた。前回発生から約150年となる1990年代から2000年代にかけて、複数の研究者が別の見方から発生時期が近いと予想した上、特異な地震活動、低周波地震、スロースリップなどが相次いで観測・報告されたものの発生しなかった。東海地震単独発生の例がないことからも、近年では再び「東南海地震や南海地震と連動してのみ発生する」との説が見直されている。
文献や地質調査により推定される歴史地震において安政東海地震など東海道での被害が著しい『東海地震』と称する地震は全て、本項1.の用法における「想定東海地震」と「東南海地震」の震源域が同時に巨大地震を発生させたもの(すなわち本項2.の用法)と考えられていて、「(想定)東海地震」と「東南海地震」を分ける区分方法については根拠が明確ではないとの批判がある。一方、「東南海地震」の震源域のみが巨大地震を発生させて「(想定)東海地震」の震源域で長らく巨大地震が発生しなかったと考えられている時期も過去存在していることから、この区分方法を支持する見方もある。
なお、(想定)東海地震と東南海地震(東海道 - 紀伊半島)に加えて、南海地震(紀伊半島 - 四国)もしばしば連動して発生し、更に規模の大きな巨大地震となった例(南海トラフ巨大地震)があり、今後もそのような様式で発生する場合があると考えられている。 |
東海地震に関連する情報 |
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東海地震に関連する情報(とうかいじしんにかんれんするじょうほう)は、日本において気象庁が、東海地震発生の予兆の可能性がある現象を観測したときに発表する情報。単に「東海地震関連情報」と呼ばれる場合もある。
前兆と見られる現象の程度に応じて3段階の情報があり、いずれも政府機関やマスコミを通じて国民に周知される。2番目に重い「東海地震調査情報」では防災関連機関が準備を開始し、最も重い「東海地震予知情報」については強制力を伴った住民の避難や交通規制など、防災に向けた大規模な対策が行われる。
ただし、情報が発表されないまま地震が発生する(突発型東海地震)可能性も少なくないとされている。気象庁などはこの情報だけを頼りにするのではなく、不意に東海地震が発生した場合の対策も同時に行うべきだと促している。 |
東海・東南海・南海連動型地震 |
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東海・東南海・南海連動型地震(とうかい・とうがなんかい・なんかいれんどうたじしん)は、東海地震、東南海地震、南海地震という3つの巨大地震のうち2つ以上の地震が同時発生した連動型巨大地震のこと。3連動地震、あるいは南海トラフの広範囲を震源域とする巨大地震であるため南海トラフ巨大地震ともいわれる。また、この地震により発生するとされる災害を「東日本大震災」に倣い「西日本大震災」と呼称する場合がある。 |
唐山地震 |
1976
Tangshan
earthquake |
唐山地震(とうざんじしん)は、1976年7月28日3時42分(現地時間、UTC+8)に、中華人民共和国河北省唐山市付近を震源として発生したマグニチュードMw7.5の直下型地震。市街地を北北東から南南西に走る断層に沿って大きな水平右ずれが発生し、当時有数の工業都市であった唐山市は壊滅状態となった。死者数は中国発表で約25万、米国地質調査所の推計では65.5万人。
この地震による死者は公式記録によれば242,419人を数え、これは20世紀最大の地震被害である。被災による犠牲者の中には日本人もおり、火力発電所建設のために派遣されていた日立製作所の社員3人が犠牲になった。
当時中国は文化大革命の真っ只中であり、政府は「自力で立ち直る」と外国からの援助を拒否した。このことが犠牲者の拡大をもたらした一因だといわれている。また、政府の方針により被害実態の多くが伏せられたとも言われ、死者の数についても非公式には60万から80万人、もしくはそれ以上とも言われている。
この地震の情報もすぐには公表されず、日本に地震発生が伝えられたのは、地震発生の21時間後であったと報道されている。
地震は北京市内でも強く感じられ、何度も余震の警報が出されたので、そのたびに市民が住居外での生活を余儀なくされるような影響があった。 |
東南海地震 |
1944
Tonankai
(oの頭に-)
earthquake |
東南海地震(とうなんかいじしん)は、紀伊半島沖から遠州灘にかけての海域(南海トラフの東側)で周期的に発生する海溝型地震。規模は毎回
M 8 クラスに達する巨大地震で、約100年から200年周期で発生している。東南海大地震(とうなんかいだいじしん)とも呼称される。
最新のものは、1944年(昭和19年)12月7日に、紀伊半島南東沖を震源として発生したものであり、元来「東南海地震」はこの昭和東南海地震を指す名称であった。この地震により、遠州灘沿岸(東海道)から紀伊半島(南海道)に渡る一帯で被害が集中したために「東南海」と呼ばれるようになり、現在では過去の同地域の地震についても東南海地震と呼ばれるようになっている。東海地震や南海地震と発生がほぼ同時もしくは時期が近いなど連動する場合があるが、震源域が異なっており別の地震に区別される。 |
東北地方太平洋沖地震 |
2011
Tohoku
(前のoの頭に-)
earthquake
and tsunami |
東北地方太平洋沖地震(とうほくちほうたいへいようおきじしん)は、2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分18.1秒、日本の太平洋三陸沖を震源として発生した地震である。東日本大震災を引き起こし、東北から関東にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらした。
- 東日本大震災は『東日本大震災』(東北地方太平洋沖地震)のページを参照。
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十勝沖地震 |
2003
Hokkaido
(後のoの頭に-)
earthquake |
十勝沖地震(とかちおきじしん)は、北海道の十勝地方の沖合を震源として起こる地震。過去に数回発生しているため、一般的に発生年を付して「○○○○年十勝沖地震」と呼んで区別される。
文書に残る十勝地域の歴史地震は慶長年間の松前藩によるトカチ場所の設置及び、1666年(寛文6年)のビロウ場所の設置以降で、松前藩以前の道東地域に主に居住していたアイヌ人による史料は残されていない。
北海道十勝沖からロシア連邦のカムチャツカ半島沖にかけて千島海溝が存在しているが、この海溝では太平洋プレートが北アメリカプレートの下に年間数cmの速度で沈み込んでいる。このため両プレートの境界で歪みが発生し、その歪みの開放により発生する逆断層型の海溝型地震である。
想定される十勝沖地震のマグニチュード(M)は8前後、発生間隔は約60 - 80年と見られている。これまで
M8クラスの地震が1843年、1952年、2003年と繰り返し発生している。400 - 500年程度の間隔で根室沖地震と連動してきた可能性があり、2003年の十勝沖・1973年の根室沖の次の地震が連動した場合の規模はM8.3程度と推定されている。なお、1968年の地震は震源域が「三陸沖北部」に分類されるため、この周期に含まれない。
また、十勝沖では17.5年周期でM7前後のひとまわり小さい海溝型地震や27.3年周期で沈み込むプレート内部で発生するM7-8程度のスラブ内地震(深発地震)も発生する。 |
鳥取県西部地震 |
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鳥取県西部地震(とっとりけんせいぶじしん)は、2000年(平成12年)10月6日13時30分18秒(金曜日)、鳥取県西部を震源として発生したM
7.3の地震。地震空白域とされる地域で発生した。
気象庁はこの地震を平成12年(2000年)鳥取県西部地震と命名した。
1996年の震度階級改正以来初めて震度6強を記録した。気象庁マグニチュードが7を超す大地震だったにもかかわらず、何人かは生き埋めとなったが救助され、死者は無かった。これは、震源地が山間部であったこと、市街地の一部を除き、人口が密集していない地域であったこと、積雪の多い地域のため頑丈な造りの民家が多かったこと、そして地盤が比較的強固であったことも挙げられる。
鳥取県では、この地震の二ヶ月前に震度6強の震災が鳥取県西部で発生することを想定して防災訓練を実施しており、訓練の成果として地震発生から10分後には行政および消防当局が対策を実施することができた。しかし、境港市街の液状化を始め、日野町、米子市などで住宅の倒壊、損壊など物理的な被害は顕著であった。また震源地が大山にほど近い事もあり大山の噴火も懸念されたがまったく火山活動は無く、津波は観測されていない。
・発生:2000年(平成12年)10月6日(金)13時30分18秒
(JST)
・震源:鳥取県米子市南方約20km(北緯35度16.4分、東経133度20.9分、深さ9km)
・地震の規模:M7.3(Mw6.6)
・最大震度:6強(鳥取県日野郡日野町根雨、鳥取県境港市東本町)
・防災科学技術研究所のKiK-Netでは日野において震度7相当(計測震度6.6)の1135galを観測。 |
鳥取地震 |
1943
Tottori
earthquake |
鳥取地震(とっとりじしん)は、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)9月10日17時36分54秒に発生した地震。震源地は鳥取県気高郡豊実村(現・鳥取市)野坂川中流域(北緯35度28.3分、東経134度11分)。M7.2。震源が極めて浅く、鳥取市で震度6、遠く瀬戸内海沿岸の岡山市でも震度5を記録した。1945年の敗戦前後にかけて4年連続で1000名を超える死者を出した4大地震(東南海地震、三河地震、南海地震)の一つである。 |
な |
長野県西部地震 |
1984
Otaki
earthquake |
長野県西部地震(ながのけんせいぶじしん)は、1984年(昭和59年)9月14日08時48分49秒、御嶽山 (長野県)山麓の長野県木曽郡王滝村直下(北緯35度49.5分、東経137度33.4分、深さ2km)を震源として発生したM
6.8 の地震。
王滝村では推定震度6(烈震)を記録し、被害が集中した。震度が推定になっているのは、当時地震計が置かれていなかったため。震央部(震源の真上)では震度7(激震)だったのでは、と推測する意見もある。震源の深さは 2km と極めて浅い地震であったが、この地震によって地表面に断層は現れなかった。余震分布の観測結果により、延長15kmの北東−南西方向の断層と、直交する延長5kmの北西−南東方向断層の2方向の断層が活動した。
震源域の真上では、一部の範囲で重力加速度を越えた5Hz〜10Hzの震動により、石や木片が飛んだという報告がある。水資源開発公団の牧尾ダムに設置されていた地震計(震央距離 4km)は、300ガルを上限とする設定であった為に振り切れていた。 |
南海地震 |
Nankai
megathrust
earthquakes |
南海地震(なんかいじしん)は、紀伊半島の紀伊水道沖から四国南方沖を震源とする周期的な巨大地震の呼称。南海トラフ西側でプレート間の断層滑りが発生する低角逆断層型の地震とされる。
狭義の南海地震は1946年(昭和21年)に発生した昭和南海地震を指す名称であるが、広義には安政南海地震や宝永地震(東海・東南海地震も連動)など南海道沖を震源域とする歴史地震も含まれ、さらに将来、同震源域で起きると想定される地震も含めて南海地震と総称される。また、南海大地震(なんかいだいじしん)や南海道地震(なんかいどうじしん)と呼称される場合もある。 |
南西諸島近海地震 |
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南西諸島近海地震(なんせいしょとうきんかいじしん)では、南西諸島、琉球海溝、沖縄トラフおよびその近海を震源とする地震について述べる。 |
新潟県中越沖地震 |
2007
Chuetsu(前のuの頭に-)
offshore
earthquake |
新潟県中越沖地震(にいがたけんちゅうえつおきじしん)は、2007年(平成19年)7月16日10時13分23秒(JST)に発生した、新潟県中越地方沖を震源とする地震である。地震の規模を示すマグニチュード(M)は6.8。中越地方では2004年(平成16年)の新潟県中越地震以来のマグニチュード6以上および震度5弱以上を観測した地震となった。
気象庁はこの地震を平成19年(2007年)新潟県中越沖地震(英: The Niigataken Chuetsu-oki Earthquake in 2007)と命名した。
発震:2007年(平成19年)7月16日
月曜日 10時13分23秒
震源:新潟県上中越沖(新潟市の南西約60km)
震源の深さ:約17km
地震の規模:マグニチュード6.8(モーメントマグニチュード6.6)
最大震度:6強
新潟県長岡市(小国町法坂)、同柏崎市(中央町・西山町池浦)、同刈羽村、長野県飯綱町三水地区
非公式ながら柏崎刈羽原子力発電所敷地内にある地震計1基において震度7に相当する揺れ(計測震度6.5)があったと算出されている。
最大加速度:新潟県柏崎市西山町池浦:1018.9gal(全方向合成) |
新潟県中越地震 |
2004
Chuetsu
(前のuの頭に-)
earthquake |
新潟県中越地震(にいがたけんちゅうえつじしん)は、2004年(平成16年)10月23日17時56分に、新潟県中越地方を震源として発生したM6.8、震源の深さ13kmの直下型の地震である。
ユーラシアプレート内部で起こった逆断層地震。北魚沼郡川口町(現長岡市)で最大震度7を観測した。震度7を観測したのは、1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)以来9年ぶり、観測史上2回目。なお、兵庫県南部地震では気象庁などの調査によって震度が判定されたため、震度計で震度7が観測されたのは初めてである。また、余震の揺れが強く、群発地震活動を呈して頻繁に起きたことも特徴のひとつである。
気象庁はこの地震を平成16年(2004年)新潟県中越地震(英: Mid Niigata Prefecture Earthquake in 2004)と命名した。英語圏では Niigata Prefecture Chuetsu Earthquake などの表記が多く用いられた。また、一般的ではないものの、新潟県はこの地震による震災を新潟県中越大震災と命名し、この呼称を11月29日より使用している。 |
新潟地震 |
1964
Niigata
earthquake |
新潟地震(にいがたじしん)は、1964年(昭和39年)6月16日13時1分41秒(JST)、新潟県粟島南方沖40km(北緯38度22.2分、東経139度12.7分、深さ34km)を震源として発生した地震。地震の規模はM7.5。
サハリンから新潟沖へとつながる日本海東縁変動帯で発生した地震の一つ。余震は、震央の北北東−南南西方向の約80
kmの範囲に分布しているが、震源断層の傾斜方向は明らかになっていない。当時周辺の陸上の地震計(地震観測点)設置箇所は少なく海底地震計は設置されていなかったことから、余震の震源決定の精度は悪い。震源近くの粟島はこの地震によって約
1m隆起した。粟島の海岸にはいくつかの段丘が形成されており過去の活動歴を残していて、活動間隔は段丘の高さから約2000年間隔とする説と海底の活断層の解析から約3000年間隔とする説がある。
先行する静穏化現象があり、震央を中心として半径約50kmの範囲では16年間に渡って地震活動が低調で、地震の約2年半前からやや活発な活動の後に本震が発生した。 |
日本海中部地震 |
1983
Sea of
Japan
earthquake |
日本海中部地震(にほんかいちゅうぶじしん)は、1983年(昭和58年)5月26日11時59分57秒に、秋田県能代市西方沖80km(北緯40度21.6分、東経139度4.4分、深さ14km)の地点で発生した逆断層型の地震。マグニチュードは7.7であった。
当時日本海側で発生した最大級の地震であり、秋田県・青森県・山形県の日本海側で10mを超える津波による被害が出た。国内での死者は104人に上り、そのうち100人が津波による犠牲者である。家屋の全半壊3049棟、船舶沈没または流失706隻。被害総額は約1800億円。
震源に最も近い秋田県能代市では当時まだ地震計が設置されておらず、震度5またはそれ以上と推測された。
本震に先立ち、前震とみられる地震が5月14日22時49分頃(M5)、5月22日4時52分頃(M2.4)、同日23時14分頃(M2.3)に本震と同じ場所で発生している。本震は、約20秒間隔で発生した2つの揺れで構成されている。本震発生後の余震は、6月1日0時まで有感地震が211回、無感地震が828回あった。さらに6月に入ってから6月9日21時49分にM6.1、同22時4分にM5.9、そして最大の余震(M7.1)が本震発生後の1か月ほど後の6月21日15時25分に発生した。この余震では津波が観測された。
気象庁が正式名称の「日本海中部地震」を発表するまでの間に報道各局が便宜上使用した名称として使われ、公式の記録上には残らないものに、「秋田沖地震」や「日本海秋田沖地震」の通称がある。 |
日本の1940年代4大地震 |
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・鳥取地震(1943/9/10、M7.2、震源深さ0km)
・東南海地震(昭和東南海地震:1944/12/7、Mw8.1-8.2、震源深さ40km)
・三河地震(1945/1/13、M6.8、震源深さ11km)
・南海地震(昭和南海地震:1946/12/21、Mw8.1-8.4、震源深さ24km) |
仁和地震 |
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仁和地震(にんなじしん)は平安時代前期に起きた南海トラフ沿いの巨大地震と推定される地震である。
この地震の9年前(878年)には関東地方で大地震(相模・武蔵地震)、18年前(869年)には三陸沖を震源とする甚大な津波被害を伴った巨大地震である貞観地震があった。 |
根室半島沖地震 |
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根室半島沖地震(ねむろはんとうおきじしん)とは、北海道根室半島の南東沖の太平洋で発生する地震。過去数回発生している。
根室半島南東沖の大地震は、大きく分けて2種類あると考えられている。
・M7.9前後、発生間隔約70年ほどの地震。1973年根室半島沖地震がこのタイプ。
・M7.1前後、発生間隔約20年ほどの地震。
いずれも、北海道が乗る北アメリカプレートの下に太平洋プレートが沈み込んでいる千島海溝近辺で起こる海溝型地震である。 |
濃尾地震 |
1891
Mino-
Owari earthquake |
濃尾地震(のうびじしん)は、1891年(明治24年)10月28日に濃尾地方で発生した、日本史上最大の内陸地殻内地震。「美濃・尾張地震(みの・おわりじしん)」とも呼ばれている。辛卯の年に発生したことから辛卯震災と呼んでいる報告書もある。
濃尾地震は、1891年10月28日6時38分50秒に発生した。震源は、岐阜県本巣郡西根尾村(現・本巣市)、北緯35度35分、東経136度20分付近。河角廣(1951)は岐阜市付近(北緯35.6°、東経136.6°)に震央を仮定し規模MK
= 7.0を与え、マグニチュードは
M = 8.4に換算されているが、明治・大正期の地震については0.5程度大きく見積もられているとされる。また、震央距離と震度との関係など当時のデータから後にM8.0とも推定される。アメリカ地質調査所 (USGS)でも8.0としている。「根尾谷断層帯」が活動した典型的な内陸地殻内地震(いわゆる直下型地震)であり、これは日本の陸域で発生した地震としては観測史上最大である。
3日前の10月25日21時14分には揖斐川下流域を震源とする、前震と思われる地震(M 6.0)が発生している。
記録のある過去の歴史地震では、745年6月5日(天平17年4月27日)に美濃を中心として発生した天平地震が濃尾地震と類似した地震とする見方もある。また1586年1月18日(天正13年11月29日)に発生した天正地震も、この地域を襲っており、より広大な範囲に被害をもたらしているが、震源域は不明な点が多い。
震源断層
両白山地から濃尾平野北方にかけて位置する濃尾断層帯のうち、根尾谷断層帯、梅原断層帯、温見断層北西部が活動をした。活動域は福井県境(福井県野尻)付近から岐阜県を経て愛知県境にまで及び、北北西―南南東方向に総延長約76kmの断層が出現した。地表の変位は両端ほど垂直成分が多く中央部では水平成分が多くなり、根尾谷断層に沿って水平変位は最大で7.6mを記録している。根尾村水鳥(みどり)地区での根尾谷断層は上下差6m横ずれ量4mにも及び、写真技師
瀬古安太郎撮影の写真は、この地震の象徴として広く利用されている。なお、この断層の写真の撮影者には瀬古安太郎、小藤文次郎、小川一真など複数の名前が挙げられている。
この地震活動により福井県境付近から岐阜県を経て愛知県境の断層に加え、地表に現れていないものの、分岐する岐阜 - 一宮断層など合計5個の断層が動いたと仮定する震源モデルが提唱されており、合計の地震モーメントはM0 = 1.5×1020N・m (Mw 7.4)と推定されている。
北北西方向への延長線上には1948年福井地震を引き起こした福井地震断層が存在し、南南東方向への延長線上には1945年三河地震の深溝断層方向と同一である。 |
能登半島地震 |
2007
Noto
earthquake |
能登半島地震(のとはんとうじしん)は、2007年(平成19年)3月25日9時41分58秒(JST)に石川県輪島市西南西沖40kmの日本海で発生した、マグニチュード(M)6.9(気象庁暫定値)の地震。地震空白域とされる地域で発生した。気象庁はこの地震を平成19年(2007年)能登半島地震(英: Noto Hanto Earthquake in 2007)と命名した。 |
は |
ハイチ地震
(2010年) |
2010
Haiti
earthquake |
2010年ハイチ地震はハイチ時間の2010年1月12日16時53分(UTC21時53分)にハイチ共和国で起こったマグニチュード
(M) 7.0の地震。地震の規模の大きさやハイチの政情不安定に起因する社会基盤の脆弱さが相まり、死者が31万6千人程に及ぶなど単一の地震災害としては、スマトラ島沖地震に匹敵する近年空前の大規模なものとなった。
震源はハイチの首都ポルトープランスの西南西25km、深さは13km、マグニチュード(モーメントマグニチュード
Mw)は7.0と推定されている(アメリカ地質調査所)。この地域は北アメリカプレートとカリブプレートの衝突型境界の近傍であり、震源が浅い典型的な直下型地震(内陸地殻内地震)である。この地震を起こした断層は、エンリキロ-プランテインガーデン
(Enriquillo-Plaintain Garden) 断層系の中の断層の1つと推定されている。地震のメカニズムは、逆断層成分を持つ左横ずれであった。地震波からの推定では、断層の滑り量は最大で約4mであった。ポルトープランスとその郊外では改正メルカリ震度階級VII
- X相当の揺れがあったと推定されている。
地震発生直後の2010年1月12日17時0分と8日後の同月20日6時3分(いずれもハイチ時間)には、それぞれポルトープランスの西南西約50kmと55km、深さは約10kmの地点で、M5.9の地震が発生し、同日までの最大規模の余震だと見られている。20日の地震は震源メカニズムが本震と異なるため調査が必要だともされている。
ポルトー・プランス湾沿岸のグラン・ゴアーブでは地滑りにより平均3mの高さの津波が発生し、複数の家屋が倒壊、津波を見物していた3人が犠牲となった。 |
破局噴火 |
Plinian
eruption |
破局噴火(はきょくふんか 英語: ultra
plinian)とは、地下のマグマが一気に地上に噴出する壊滅的な噴火形式で、しばしば地球規模の環境変化や大量絶滅の原因となる。大規模なカルデラの形成を伴うことからカルデラ破局噴火と呼ぶ場合もある。また、そのような噴火をする超巨大火山をスーパーボルケーノ(英語版)とも呼ぶ。
メカニズム
地殻上部にある地下数kmにあるマグマ溜まりに様々なガスを封じ込めたマグマが存在する場合がある。マグマ圧が高まると珪長質マグマは発泡し大量のガスを噴出し、マグマ溜まり自体が爆発して地殻表層部を吹き飛ばす大噴火となる。通常の噴火と異なり、噴火の破壊力は壊滅的な威力となり、火砕流も放射状360度の方向に流走し広大な面積を覆う。半径数十kmの範囲で生物が死滅するばかりでなく、その大量の噴出物で地球の気温が下がったり、種族の絶滅の原因になることもある。爆発の後は、地表は大きく陥没しカルデラが形成される。破局噴火を起こすマグマ溜まりは扁平な形で存在することが多く、噴火せずに地下で固結した珪長質火成岩体の形状が扁平であるという最近の地質学的知見も、それを裏付けている。第四紀を通じてこのような噴火は九州や北海道をはじめ本州でも何度も起こってきた。阿蘇カルデラ、姶良カルデラ(鹿児島湾北部)、摩周カルデラ、鬼頭カルデラ、十和田カルデラなどがその例である。とりわけ阿蘇カルデラは四回にわたって巨大噴火をした。
通常の噴火との比較
火山噴火の規模を表す火山爆発指数 (VEI) は、噴出物(テフラなど)の量によって決定され、破局噴火はVEIは7から最大の8に相当する。例えば1990年から1995年にかけて噴火した雲仙普賢岳では、火砕流1回あたりのマグマ噴出量としては10
- 1000m3 (VEI=0)、5年余りに渡る活動期間中の噴出物の総量では0.2km3 (VEI=4) 程度、また20世紀最大の火山噴火とされる1991年のピナトゥボ山噴火はVEI=6であったが、北米のラガリータ(英語版)、サンホアン(英語版)、イエローストーンなどでは1,000km3の規模となり、火砕流の規模だけでも雲仙普賢岳の1000万倍程度となる。このように破局噴火は火砕流堆積物に代表される噴出するマグマの量が途方も無く多いのが特徴である。 |
白鳳地震 |
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白鳳地震(はくほうじしん)は白鳳時代(飛鳥時代後期)の天武天皇13年(684年)に起きた、南海トラフ沿いの巨大地震と推定される地震である。南海トラフ巨大地震と推定される地震の確実な記録としては最古のものである。白鳳の大地震(はくほうのおおじしん)、白鳳大地震(はくほうおおじしん)、あるいは天武地震(てんむじしん)とも呼ばれる。
記録による土佐や伊予の被害の様相から南海地震と考えられていたため白鳳南海地震(はくほうなんかいじしん)とも呼ばれてきたが、発掘調査により、ほぼ同時期に東海地震・東南海地震も連動したと推定されている。 |
八丈島東方沖地震 |
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八丈島東方沖地震(はちじょうじまとうほうおきじしん)は、1972年に八丈島の東方沖で発生した地震である。
1972年(昭和47年)12月4日午後7時16分、八丈島の東方に位置する北緯33度12分・東経141度5分を中心とする地下50kmの太平洋下でM7.2の地震が発生。この地震に対し、気象庁は1972年12月4日八丈島東方沖地震と命名した。この地震により八丈島・震度6、東京・震度4を記録した。この年の八丈島では2月29日にも近海で地震があり震度5を記録していた。それからは余震が続き震度5を最高に100回近くの余震が発生していた。
この地震では、八丈島では最大波高50cm程度の津波を観測した。
福井地震以来長らく震度6の観測事例がなく、この地震で24年ぶりに公式に震度6を観測したことになる。
なおこの地震では東京都新宿区に建設されたばかりの超高層ビル、京王プラザホテル(47階建、170m)では44階のレストランでは高層ビル特有の長周期の横揺れが発生して客などが一時騒然となったという。 |
発震機構 |
Focal
mechanism |
発震機構(はっしんきこう、英: focal
mechanism)とは、地震学の用語で、ある断層が地震を起こした際における、地下での断層の位置や方向、地震の際の断層の動きのこと。メカニズム (mechanism) ともいう。これらを示すモデルを発震機構解あるいはメカニズム解という。
発震機構解を求める方法には、初動発震機構解(初動解)とセントロイド・モーメント・テンソル解(CMT解)の2種類がある。初動発震機構解は、複数の地震計で観測されたP波のデータを解析すれば算出できるため、広く用いられる。CMT解は長周期の地震波を解析して求めるため、規模がある程度大きな地震でしか用いられないが、セントロイド(地震で最もずれが大きかった部分のこと)での発震機構を算出するため、より実態に近い結果を算出することができ、また断層運動の規模も算出することができる。 |
バルディビア地震 |
1575
Valdivia
earthquake |
バルディビア地震(バルディビアじしん)は、1575年にチリ南部、バルディビア沖で発生した巨大地震である。
1575年12月16日14時30分頃(現地時間)、18時30分頃(UTC)に、南緯39.8°、西経73.2°付近のペルー・チリ海溝沿いで巨大地震が発生した。マグニチュードは表面波マグニチュード尺度でM
8.5と見積もられているが、記録の限られた歴史地震であり、その値は不確定的なものである。
北はコンセプシオンから南はカストロまでの広い範囲で揺れの記録が確認され、インペリアルおよびバルディビアでは大津波の記録、コンセプシオンおよびカストロでは津波の記録が確認される。また、インペリアル、バルディビアおよびカストロで海岸沈降の記録がある。
バルディビアでは津波によって100人が死亡し、地割れが発生し、地滑りによる天然ダムが翌年4月に決壊してインディオら1200人が死亡したとされる。余震は40日続いたと記録されている。 |
阪神・淡路大震災 |
Great
Hanshin
earthquake |
阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)は、1995年(平成7年)1月17日(火)に発生した兵庫県南部地震による大規模地震災害である。
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒(日本時間=UTC+9)、淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、Mj7.3の兵庫県南部地震が発生した。
近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府、京都府も)が大きな被害を受けた。特に震源に近い神戸市市街地(東灘区・灘区・中央区(三宮・元町・ポートアイランドなど)・兵庫区・長田区・須磨区)の被害は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。戦後に発生した地震災害としては東日本大震災に次ぐ規模である。
1995年1月25日の政令により、激甚災害法(激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律)に基づく激甚災害に指定。 |
東日本大震災 |
Aftermath
of the 2011
Tohoku
(前のoの頭に-)
earthquake
and tsunami |
東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)は、2011年(平成23年)3月11日(金)に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波、及びその後の余震により引き起こされた大規模地震災害である。
- 東日本大震災は『東日本大震災』(東北地方太平洋沖地震)のページを参照。
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日向灘地震 |
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日向灘地震(ひゅうがなだじしん)とは、南海トラフの西端に位置する日向灘で起こる海溝型の地震である。日向地震(ひゅうがじしん)とも呼称される。
宮崎県および大分県の沖合にあたる日向灘の海域では、過去より繰り返し大地震が発生する事が知られている。日本政府の地震調査研究推進本部
地震調査委員会の報告(2004年)によると、日向灘地震は規模により2つに分けられ、マグニチュード (M) 7.6前後のものと、M7.0 - 7.2程度のものがある。いずれも陸側のプレート(ユーラシアプレート)とフィリピン海プレートの境界面で起こる低角逆断層(衝上断層)型のプレート間地震(海溝型地震)で、震源域は具体的に特定できないものの深さは10
- 40km付近。
九州東岸の宮崎県串間市付近から大分県佐伯市付近までは海岸線が北北東-南南西方向に伸び、その南東側の沖には南海トラフの海溝軸がほぼ平行に伸びている。地震調査委員会の報告に用いられた評価領域は、先述の海岸線を北東に愛媛県宇和島市付近まで延長した線の付近を陸側の外縁とし、そこから海溝軸までの間の幅およそ100
- 150kmを領域としている。海溝軸に近い幅50km程度は領域から除かれている。
M7.6前後のものは約200年間隔で発生すると推定され、17世紀以降は1662年 (M7.6)と1968年
(M7.5)の2回発生しており、2回とも津波を引き起こし人的被害を出している。また、M7.0
- 7.2程度のものは約20 - 27年間隔で発生すると推定され、1923年以降は1931年
(M7.1)、1941年 (M7.2)、1961年 (M7.0)の3回、ないし1984年 (M7.1)を含めて4回(1984年の地震は従来プレート間地震とされていたが、プレート内地震であり日向灘地震に含まれないという指摘もある。)発生しており、いずれも人的被害を出している。
2種類の地震を合わせると十数年から数十年に一度の割合で発生している。調査により判明している過去最大の地震は、1662年のM7.6の地震であり、日向灘の領域単独でM8以上となる巨大地震が発生した記録はない。しかし、震源域が東に隣接する南海地震などと同時発生してM8以上の連動型巨大地震となったことがあるという見方もある。例えば、東海・東南海・南海連動型地震であった1707年宝永地震は日向灘地震とも連動した可能性が指摘されている。そして、将来もそのような連動型巨大地震が発生する恐れがあり、対策を取ろうとする動きがある。特に2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)以降、そのような動きが強くなっている。
今後日向灘地震が発生した場合、周辺の沿岸各地に地震の揺れによる被害のほか、震源域が浅い場合には津波による被害も生じることが予想されている。特に、九州では宮崎県や大分県、四国では愛媛県や高知県の太平洋側などで津波の被害が予想されている。 |
兵庫県南部地震 |
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兵庫県南部地震(ひょうごけんなんぶじしん)は、1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒(日本時間=UTC+9)に発生した地震である。阪神・淡路大震災を引き起こし、兵庫県南部を中心に大きな被害と発生当時戦後最多となる死者を出した。また、震源は野島断層(六甲・淡路島断層帯の一部)付近で、地震により断層が大きく隆起して地表にも露出している。
大都市直下を震源とする日本で初めての大地震であり、気象庁震度階級に震度7が導入されて以来初めて(1996年9月30日まで運用されていた旧震度階級では最初で最後の)気象庁によって震度7が記録された地震である。 |
表面最大加速度 |
Peak
ground
acceleration |
表面最大加速度(ひょうめんさいだいかそくど、英語:
peak ground acceleration, PGAと略される。また design basis earthquake
ground motion、DBEGMとも)とは、地震での地表での加速度の最大値の測定値であり、地震工学における重要な入力パラメータである。単に最大加速度と呼ばれる事も多い。
震度と同様、ある場所においてどれだけ強く地面が揺れたかを表すものである。マグニチュードとは異なり、地震全体のエネルギーを示すものではない。
地震においては建築物やインフラストラクチャーの被害は、地震のマグニチュードよりも、地震動により強く関係する。中程度の地震では表面最大加速度が被害の最大の決定要因である。強い地震では被害は表面最大速度により強く依存する。 |
表層地盤増幅率 |
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表層地盤増幅率(ひょうそうじばんぞうふくりつ)とは、地表面近くに堆積した地層(表層地盤)の地震時の揺れの大きさを数値化したもので、地震に対する地盤の弱さを示す。いわば地震の力を割り増しする係数であり、数値が大きいほど地盤は弱く揺れは大きくなる。一般に「1.5」を超えれば要注意で、「2.0」以上の場合は強い揺れへの備えが必要であるとされる。防災科学技術研究所の分析では、1.6以上で地盤が弱いことを示すとしている。 |
福井地震 |
1948
Fukui
earthquake |
福井地震(ふくいじしん)は、1948年(昭和23年)6月28日16時13分29秒に発生し福井県を中心に北陸から北近畿を襲った地震である。福井大地震ともいう。
震源は福井県坂井郡丸岡町(現坂井市丸岡町)付近。戦後復興間もない福井市を直撃した都市直下型地震。規模はM7.1。 |
福岡県西方沖地震 |
2005
Fukuoka
earthquake |
福岡県西方沖地震(ふくおかけんせいほうおきじしん)は、2005年(平成17年)3月20日午前10時53分40.3秒、福岡県北西沖の玄界灘で発生した最大震度6弱の地震である。歴史的に地震が起こりにくいと認識されてきた地域で発生した。
福岡市から北西30kmほどの地点にある、長さ30km、幅20kmほどの断層が、北西と南東の方向にそれぞれ逆にずれた(横ずれ型)ために発生した。ずれた距離は60cm程度。横ずれ型なので地面の盛り上がりが無く、海底を震源地としながらも幸い津波が発生しなかった。
歴史上では679年1月頃(天武7年12月)に筑紫地震、1898年(明治31年)8月10日に福岡市付近を震源とする糸島地震(M6.0)が発生しているが、M7.0クラスの大地震が発生した記録はなく、福岡市周辺地方では有史以来初の大地震となった。
九州地方で震度6弱を観測したのは1997年(平成9年)5月13日の鹿児島県北西部地震の際に鹿児島県川内市(現薩摩川内市)で震度6弱を観測して以来7年9ヶ月ぶり。九州北部に限るとM7.0クラスの地震は1700年に壱岐・対馬で発生して以来約300年ぶり、1890年(明治23年)の観測開始以降では初めてとなる。福岡県・佐賀県ではこれまで地震により最大で震度4までしか観測されたことがなく、少なくとも百数十年に一度という大きな地震になった。
政令指定都市に震度6以上のクラスの地震が襲うのは、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の際に神戸市で震度6または7が襲って以来10年ぶりであるが、震源地が沖合でありやや離れていたこと、併せて地震波動の周波数成分が1秒未満の短周期(高周波数)に偏っていた事もあり、都市部の直下型の地震による甚大な被害は免れた。
本震と余震の分布は、福岡市中心部から同市東区志賀島に向かって北西に延びる一直線上に分布しており、今後もその地域で余震が発生すると見られている。この一直線上の南には福岡市中心部から筑紫野市にかけて数十キロにわたる警固断層があり、今回の地震との関連性も調査された。それによると、警固断層の今後30年以内の大地震発生確率は6%と比較的高いことがわかった。
最も揺れと被害が大きかった福岡市西区の玄界島には本震発生当時震度計が設置されていなかった(本震での推定震度は震度7〜震度6弱)。そこで、翌21日に気象庁地震機動班が玄界島漁村センター(福岡市西区玄界島)に震度計を設置、以後震度を観測している。
2005年(平成17年)5月23日頃、本震における玄界島での推定震度が最大で震度7となる可能性があると報道された。東京大学地震研究所によると推定震度7(6.57)、鹿島建設小堀研究室によると推定震度6弱(5.9)と幅があるが、震度の正式な決定は気象庁が行うもので、事後調査によるものも含めて同庁は正式に最大震度は変更していない。
今回の地震では福岡市中心部でも多少の被害は出たが、より震源地に近かった同市西区玄界島に被害が集中した。マスメディアでは玄界島の被害が主に報道されているが、同程度に震源に近く被害も(建物被害の統計上も)大きかった同じ福岡市西区でも、西浦地区は報道上あまり注目されていない。
2006年(平成18年)10月1日より、国内各地の震央地名が変更になり、地震発生当時の「福岡県西方沖」は「福岡県北西沖」に改められた。 |
プレスリップ |
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プレスリップ(pre-slip)とは、大きな地震が発生する際に、震源となる断層の破壊を誘導する微小な割れ目(破壊核)を形成する地震のこと。前兆すべりともいう。本震の前兆でもあるが、破壊核の形成に着目している点で前震とは異なる。 |
宝永地震 |
1707
Hoei
(oの頭に-)
earthquake |
宝永地震(ほうえいじしん)は、江戸時代の宝永4年10月4日(1707年10月28日)、遠州灘沖から紀伊半島沖(北緯33.2度、東経135.9度)を震源として発生した巨大地震。南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が発生したと推定され、記録に残る日本最大級の地震とされてきた。世にいう宝永の大地震(ほうえいのおおじしん)、あるいは宝永大地震(ほうえいおおじしん)とも呼ばれ、地震の49日後に起きた宝永大噴火と共に亥の大変(いのたいへん)とも呼ばれる。
南海トラフ沿いを震源とする巨大地震として、江戸時代には宝永地震のほか、慶長9年(1605年)の慶長地震、嘉永7年(1854年)の安政東海地震および安政南海地震が知られている。また、宝永地震の4年前(1703年)には元号を「宝永」へと改元するに至らしめた関東地震の一つである元禄地震が発生している。 |
豊予海峡地震 |
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豊予海峡地震(ほうよかいきょうじしん)は、江戸時代後期の1854年12月26日(嘉永7年/安政元年11月7日)辰下刻-巳上刻(9-10時頃)に、豊予海峡を震源として発生したマグニチュード(M)7.4の地震である。豊予地震、豊予大地震とも呼ばれる。
震源地は現在の九州の大分県と四国の愛媛県との間にある豊予海峡のやや大分県寄りで、安芸灘から伊予灘を経て豊後水道に至る領域を震源とするプレート内地震のひとつと考えられる。
この地震の直前には、12月23日の安政東海地震(M8.4)、12月24日の安政南海地震(M8.4)と巨大地震が相次いで発生している。本地震は南海地震の約40時間後に発生し、豊前では南海地震より強く感じられた。
河角廣(1951)は規模MK = 4.3 を与え、マグニチュードは
M = 7.0に換算されている。宇佐美(2003)は
M = 7.3-7.5と推定している。 |
北海道東方沖地震 |
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北海道東方沖地震(ほっかいどうとうほうおきじしん)は、1994年(平成6年)10月4日22時22分57秒に北海道根室半島沖約200km(北緯43度22.5分、東経147度40.4分、深さ28km)の地点を震源として発生したM
8.2の沈み込んでいる太平洋プレート内(スラブ内)で発生した地震。
地震の規模はM 8.2で、最大震度は釧路市と厚岸町で観測された震度6。1993年(平成5年)釧路沖地震と同じ海洋プレート内地震である。日本近海で発生した地震としては、平成に入って初めてM8を観測した地震である。
10月9日には M7.3の最大余震を観測した。
1969年にはすぐ東隣の領域で色丹島沖地震が発生している。 |
北海道南西沖地震 |
1993
Hokkaido
(後のoの頭に-)
earthquake |
北海道南西沖地震(ほっかいどうなんせいおきじしん)は、日本標準時1993年(平成5年)7月12日午後10時17分12秒、北海道奥尻郡奥尻町北方沖の日本海海底で発生した地震である。マグニチュードは7.8、推定震度6(烈震)で、日本海側で発生した地震としては近代以降最大規模。震源に近い奥尻島を中心に、火災や津波で大きな被害を出し、死者202人、行方不明者28人を出した(このため、奥尻島地震とも呼ばれる)。さらに、ロシアでも行方不明者3人。奥尻島の震度が推定になっている理由は、当時の奥尻島に地震計が置かれていなかったためである。 |
本震 |
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本震(ほんしん)とは、地震発生時にある地域で一定の期間内に連続して発生した地震のうち、最も規模の大きかったものを言う。前震・余震に対して使われる用語である。一連の「○○○(大)地震」は本震と余震を総合して言われる。
一般に、本震は最大余震に比べてマグニチュードが1程度大きい。また本震発生後には余震が頻繁に発生するため、本震を決定することは容易である。
なお、松代群発地震に代表される群発地震や火山性地震にはふつう本震はない。 |
ま |
マグニチュード |
Richter
magnitude
scale |
地震のマグニチュード(magnitude)とは、地震が発するエネルギーの大きさを対数で表した指標値である。揺れの大きさを表す震度とは異なる。日本の地震学者・和達清夫の最大震度と震央までの距離を書き込んだ地図に着想を得て、アメリカの地震学者チャールズ・リヒターが考案した。リヒターの名からリヒター・スケール(Richter scale)ともいい、英語圏ではこの名称が一般的である。マグニチュードは地震のエネルギーと対数関係にあり、マグニチュードが2増えるとエネルギーは1000倍になる。
地震学ではモーメントマグニチュード(Mw)が広く使われる。日本では気象庁マグニチュード(Mj)が広く使われるが、長周期の波が観測できるような規模の地震(Mj5.0以上)ではモーメントマグニチュードも解析・公表されている。
3
一般的なマグニチュードの種類
3.1
リヒターマグニチュード Ml
3.2
表面波マグニチュード Ms
3.3
実体波マグニチュード Mb
3.4
モーメントマグニチュード Mw
3.5
気象庁マグニチュード Mj
3.5.1
2003年9月24日以前
3.5.2
2003年9月25日以降 |
松代群発地震 |
|
松代群発地震(まつしろぐんぱつじしん)は、長野県埴科郡松代町(現長野市)付近で1965年(昭和40年)8月3日から約5年半もの間続いた、世界的にも稀な長期間にわたる群発地震である。松代地震とも呼ばれている。
震源地は皆神山付近。総地震数は71万1341回。このうち、有感地震は6万2826回(震度5: 9回、震度4: 48回、震度3: 413回、震度2: 4596回、震度1: 5万6253回)を数えた。深さ7 km より浅い地震が殆どで群発地震全てのエネルギーは、M6.4に相当する。地殻変動が最大であった場所では、この地震活動の前後で約1m隆起し隆起域の直径は約10Kmに及んだ。また、付近には「松代地震断層」が発見された。なお、微小地震の検知能力が十分にあったにもかかわらず、グーテンベルグ・リヒター則により期待される回数の微小地震は発生しなかった。 |
三河地震 |
1945
Mikawa
earthquake |
三河地震(みかわじしん)は、1945年1月13日午前3時38分23秒に、愛知県の三河湾で発生したマグニチュード6.8の直下型地震である。
また、1945年の終戦前後にかけて4年連続で1000人を超える死者を出した4大地震(鳥取地震、東南海地震、南海地震)の一つである。
震源地は三河湾 北緯34度42分06秒
東経137度06分48秒、深さ11km。三重県津市で震度5を記録したが、震源に近い現在の西尾市などでは震度6(現在の震度階級では7)であったといわれる。
1ヶ月前の1944年12月7日に発生した昭和東南海地震の最大規模の余震とする説があるが、同地震に影響を受けて発生した誘発地震とする説もある。地震発生当初は昭和東南海地震(第一次地震)に対して第二次地震と呼称された。 |
南関東直下地震 |
|
南関東直下地震(みなみかんとうちょっかじしん)は、関東地方の南部(神奈川県・東京都・千葉県・埼玉県・茨城県南部)で歴史的に繰り返し発生するマグニチュード7級の大地震を指す総称。首都圏の中心地域であることから首都直下地震、東京に焦点を絞った場合東京直下地震、東京大震災などともいう。日本で想定される都市直下型地震の一つ。
東海地震や立川断層帯地震のように特定の固有地震を指すものではなく、南関東の直下を震源とする被害地震クラスの数種類の大地震をまとめて指す呼び方である。このように総称を用いている理由として、南関東の地下構造が複雑なため過去の被害地震の発生様式が特定されていない点、また防災の観点から複数の直下地震をまとめて呼んだ方が分かりやすい点などが挙げられる。厳密には、より規模・被害が大きい相模トラフで起こる海溝型地震(1703年や1923年の関東地震)を含まない。
発生した場合の被害や影響が多大であることから、日本政府や関係自治体が調査報告を行っており、中央防災会議は2003年に「我が国の存亡に関わる喫緊の根幹的課題」としているほか、間接的被害は全世界に長期間及ぶと考えられている。2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の地殻変動が関東地方にも及んだことで発生確率が高まったとする研究者が複数おり、2012年には新たに最大震度7を含む想定震度分布が発表され、報道などの社会的関心も高まっている。 |
宮城県沖地震 |
2005
Miyagi
earthquake |
宮城県沖地震(みやぎけんおきじしん)は、日本の宮城県東方沖を震源とする地震。特に日本海溝(海洋プレートと大陸プレートの境界部分)の大陸プレート側を震源として周期的に発生するマグニチュード(M)7.5前後の地震を指す。
東北地方などがのる北アメリカプレートの下に、同地方の東方沖で海洋プレートの太平洋プレートが沈み込んでいる(東北地方がのるプレートはアリューシャンプレートまたはオホーツクプレートとする説もあるが、いずれも北アメリカプレートと同系列、あるいは広義には同じとみなせる)。
この両プレート間で両側のプレートから圧縮を受けて歪みが生じ、プレート間に存在する活断層が活動することによって発生する地震の内、牡鹿半島沖を震源とするマグニチュード(M) 7.1〜7.4 前後の地震が繰り返し発生している。平均発生間隔は約38年である。また、陸よりと海溝よりの2つのアスペリティがあると考えられていて、宮城県沖地震には1930年代の地震のように時間をおいて複数のアスペリティが別々にすべる場合と、1978年の地震のように同時にすべる場合があると考えられている。過去の地震の規模から別々にすべった場合はM
7.1〜7.4、同時にすべった場合はM 7.4前後になるとみられる。なお、宮城県沖地震の想定震源域のプレート面では毎日何度も地震が発生しているが、ほとんどが無感地震(震度0)である。
宮城県沖地震は、これまで25-40年という比較的短い間隔で周期的に発生している。また三陸沖南部海溝寄りの地震と連動した場合、M8.0前後の地震になるといわれる。このタイプの地震は、過去の記録などから1793年に起きたとみられている。
一方、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震は三陸沖を震源とするものの、北は岩手県沖から南は茨城県沖まで広範囲の震源域における連動型地震となっており、地震予知連絡会や国の地震調査研究推進本部も「想定される宮城県沖地震も同時に発生した」との見解を示している。地震調査研究推進本部は、このような複数の震源域が連動する地震は、平均約600年間隔で発生していると推定した。過去の地震の規模からモーメントマグニチュード(Mw)8.4〜9.0前後の地震になるとみられる。
なお、地震保険において、宮城県は2等地(4等級のうち、危険度が低い方から2番目の等級)となっており、三大都市圏よりも危険度は低いと見積もられているが、地震保険の世帯加入率は愛知県、東京都に次いで全国で3番目に高い。 |
宮城県沖地震
(1978年) |
1978
Miyagi
earthquake |
宮城県沖地震 (1978年)(みやぎけんおきじしん
(1978ねん))は、1978年(昭和53年)6月12日の17時14分25秒に発生したマグニチュード7.4の地震。最大震度は仙台市などで観測した震度5(強震)であり、東京でも震度4(中震)を記録した。平均37.1年の間隔で複数回起きた宮城県沖地震の一つである。 |
宮城県北部地震 |
|
宮城県北部地震(みやぎけんほくぶじしん)は、宮城県北部を震源とする地震。特に、そのうち地殻内の断層を震源とする直下型地震を表すことが多い。 |
明応地震 |
1498
Nankai
earthquake |
明応地震(めいおうじしん)は、室町時代後期(戦国時代初期)に発生した地震である。南海トラフ沿いの巨大地震と推定される。
記録にある被害分布が安政東海地震に類似しており、震源域は東海地震・東南海地震と思われるものであった。一方で、四国でも一部大地震があったとする記録が発見され、また発掘調査から同時期の南海地震の存在が浮き彫りになり、東海・東南海・南海連動型地震の一つとされる。 |
明治三陸地震 |
1896
Sanriku
earthquake |
明治三陸地震(めいじさんりくじしん)は、明治時代の日本の三陸沖で発生した地震である。1896年(明治29年)6月15日午後7時32分30秒、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖200km(北緯39.5度、東経144度)を震源として起こった、マグニチュード8.2-
8.5という巨大地震であった。
地震に伴って、本州における当時の観測史上最高の遡上高である海抜38.2mを記録する津波が発生し、甚大な被害を与えた。
なお、当地震を機に「三陸海岸」という名称が広く使用され始めた(参照)。
1888年(明治21年)の磐梯山の噴火や1891年(明治24年)の濃尾地震の時から新聞報道が全国的にされるようになり、義援金が集まるようになった。 |
メドヴェーデフ・シュポンホイアー・カルニク震度階級 |
Medvedev-
Sponheuer-
Karnik
scale |
メドヴェーデフ・シュポンホイアー・カルニク震度階級(メドヴェーデフ・シュポンホイアー・カルニクしんどかいきゅう、Medvedev-Sponheuer-Karnik
scale)とは、ある地点における地震の程度を表現する指標。MSK震度階級と略されることが多い。1964年に成立し、ロシアなどのCIS諸国や、東欧諸国、イスラエル、インドなどで使用されている。
MSK震度階級と気象庁震度階級の比較
1967年から1970年に、日本の106の気象官署でMSK震度階級と気象庁震度階級の同時観測が行われた。その観測結果から気象庁震度階級は低震度に適し、MSK震度階級は高震度に適していることが分かった。この研究において、気象庁震度階級の震度JをMSK震度階級の震度Mになおす式は、Jが3までの低震度のときはM=1.5J+1.5、大地震のときはM=1.5J+0.75と求められた。 |
メルカリ震度階級⇔気象庁震度階級 |
Mercalli
intensity
scale |
メルカリ震度階級(メルカリしんどかいきゅう、Mercalli
intensity scale)とは、ある地点における地震の程度(地震動)を表現する指標。地球表面の構造物に与える影響や人間が感じる揺れの大きさに基づいて、人が判定する。
世界で数種類使用されている震度階級の1つであり、日本における気象庁震度階級にあたる。1873年考案のロッシ・フォレル震度階級(10段階)をもとにして、1884年にイタリアの火山学者ジュゼッペ・メルカリによって考案された |
免震 |
Base
isolation |
免震(めんしん)は、構造設計(とくに建築構造)の概念であり、地震力を抑制することによって構造物の破壊を防止することを意味する。
これと比較すべき概念としてまず挙げられるのが耐震である。耐震は、地震力を受けても破壊しないという意味であり、構造的に頑丈であること・偏心が小さいことなどを目指して安全をはかることである。簡単にいえば耐震は地震力を受けても壊れない(耐える)ことを指し、免震は地震力をなるべく受けない(免れる)ことを指すのである。この他にも制振という概念があり、これは構造体内部に震動を吸収する装置を組み込むことで構造物の破壊を防止することをさす。特に近年の大型建築物などでは、免震・制振・耐震すべてを考慮し、技術を組み合わせることで安全性を高めている。 |
モーメントマグニチュード Mw
(マグニチュード) |
|
1979年、当時カリフォルニア工科大学の地震学の教授であった金森博雄と彼の学生であったトーマス・ハンクスは、従来のマグニチュードは地震を起こす断層運動の地震モーメント(Mo)と密接な関係があり、これを使えば大規模な地震でも値が飽和しにくいスケールを定義できるという金森のアイデアをモーメントマグニチュード(Mw)と名付け、以下のように計算される量として発表した。
Mw = (log Mo - 9.1) / 1.5(Mo = μ × D × S)
Sは震源断層面積、Dは平均変位量、μは剛性率である。
これまでに観測された地震のモーメントマグニチュードの最大値は、1960年に発生したチリ地震の9.5である。
・断層面の面積(長さ×幅)と、変位の平均量、断層付近の地殻の剛性から算出する、まさに断層運動の規模そのものである。
・M8を超える巨大地震では、地震の大きさの割りにマグニチュードが大きくならない「頭打ち」と呼ばれる現象が起こる。モーメントマグニチュードはこれが起こりにくく、巨大地震の規模を物理的に評価するのに適しているとされ、アメリカ地質調査所(USGS)をはじめ国際的に広く使われている。
・日本の気象庁では、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震に対して、地震の規模をより適切に表せるとして、気象庁マグニチュード(Mj8.4)に加え、モーメントマグニチュードの計算値(Mw9.0)を発表した。 |
や |
八重山地震 |
1771
Great
Yaeyama
Tsunami |
八重山地震(やえやまじしん)とは1771年4月24日(明和8年3月10日)午前8時頃に発生した地震、大津波。推定マグニチュード7.4-8.0。津波により先島諸島(特に八重山列島)が大きな被害をうけた。そのため、元号を取って明和の大津波ともよばれる。
震源は八重山列島近海、深さは不明。地震の規模をしめすマグニチュードは7.4とされるが、あくまで推定であり、根拠は不明な点が多い。これは河角廣(1951)が規模MK = 5.1を推定し、マグニチュードに換算したものであるが、河角は震央位置を示していない。
フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込むために生ずる、歪みがもとで発生した海溝型地震と考えられている。これほどの津波が起きた原因については、海底で地すべりが起こったという説が最も有力である。しかし海底調査も行われたが、地すべりの地点は現在でも特定されていない。
対して琉球大学理学部の中村衛は、石垣島と多良間島の中間に位置する正断層(仮称:石垣島東断層)の活動により地震および津波が起こったと推測し、シミュレーションの結果から、マグニチュードを7.5と見積もっていた。しかし、更なるシミュレーションの結果、琉球海溝内の断層の活動により、深さ6km、M8程度の津波地震が起こった可能性が高いとしている。さらに津波マグニチュードMt8.5と推定する説もある。 |
誘発地震 |
Remotely
triggered
earthquakes |
誘発地震(ゆうはつじしん)は、巨大地震に誘発されてその震源域から離れた場所で発生する地震である。波及地震、広義の余震、あるいは連鎖地震とも呼称される。また、特に本震から遠方の地域で誘発された地震を遠方誘発地震と呼ぶ場合がある。 |
ユレダス |
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ユレダス(UrEDAS)とは、国鉄鉄道技術研究所(後の財団法人鉄道総合技術研究所)が開発した地震警報システムである。名称は、早期地震検知警報システム(地震動早期検知警報システム、Urgent Earthquake Detection
and Alarm System)の頭文字をとったもの。地震の際に即座に警報を発して被害を最小限に抑えるための安全管理システムである。運用対象には東海道新幹線を初めとする日本の新幹線があった。 |
余震 |
Aftershock |
余震(よしん)とは本震とは同時に発生せず、時間が経った後に来る地震である。これに対し、本震より前に発生する地震を前震という。規模は本震以下のことが多いが、本震に匹敵する規模の余震が発生することもある。一般的には最大余震のマグニチュードは本震のそれよりも1程度小さいとされる。 |
ら |
リスボン地震
(1755年) |
1755
Lisbon
earthquake |
1755年のリスボン地震(リスボンじしん)は、同年11月1日に発生した地震。午前9時40分に西ヨーロッパの広い範囲で強い揺れが起こり、ポルトガルのリスボンを中心に大きな被害を出した。津波による死者1万人を含む、5万5000人から6万2000人が死亡した。推定されるマグニチュードはMw8.5
- 9.0。震源はサン・ヴィセンテ岬の西南西約200kmと推定されている。リスボン大震災(リスボンだいしんさい)ともいう。 |
リヒターマグニチュード Ml
(マグニチュード) |
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リヒターは、ウッド・アンダーソン型地震計(2800倍)の最大振幅A(単位:μm)を震央からの距離100kmのところに値に換算したものの常用対数をマグニチュードとした。従って、地震波の振幅が10倍大きくなるごとに、マグニチュードが1ずつあがる。
Ml = log10 A |
歴史地震 |
Historical
earthquakes |
歴史地震(れきしじしん)は近代的な観測機器の無かった時代で、古文書、災害記念碑などの記録に残された過去の地震である。歴史時代に発生した地震に相当する。一方で記録に残されていない、遺跡発掘や地質調査などから判明した有史以前の地震は先史地震と呼称されている。また、これらの地震を含めて近代的地震観測開始以前の地震は古地震とも呼ばれる。
日本では1885年に地震計など観測網の整備が開始されたため、歴史地震は一般的に1884年以前発生のものを指す。
歴史地震の調査研究は将来起きると想定される地震の予測など防災上、欠かすことの出来ないもので、プレート間巨大地震の発生周期などを論ずる地震学の一分野であり、ある地域の地震災害の正確な評価を行うためには、地震により開放されるエネルギーを見積もる必要があるが、計器観測が始まって以来の地震のみではデータの蓄積として不充分であり、古地震学の助けを借りる必要性が生じる。
また歴史研究の一部を担う考古学でもあり、地震考古学の分野も開拓されている。 |
連動型地震 |
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連動型地震(れんどうがたじしん)とは、複数のプレート間地震(海溝型地震)、あるいは大陸プレート内地震(活断層型地震)が連動して発生するとする仮説である。連動関係にある地震はほぼ同時に発生する場合だけでなく時間差を置いて発生する場合があり、時間差を伴う場合も「連動」(広義の連動型)と称することがある。また、このような連動関係にある複数の地震は、通常の地震における再来周期より短い時間差で発生する。一方、連動型地震自体の再来間隔は通常の海溝型地震と比較して長期となる特徴がある。 |
わ |
和達清夫 |
Kiyoo
Wadati |
和達 清夫(わだち きよお、男性、1902年9月8日
- 1995年1月5日)は、愛知県生まれの地球物理学者、歌人。専門は気象学、地震学。地震のエネルギーをあらわすマグニチュードは、和達の研究がヒントになって作られたものである。また、深発地震を発見したことでも知られ、和達-ベニオフ帯に和達の名が今も残っている。子に物理学者和達三樹がいる。 |