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プレート・テクトニクスとは−プレート・テクトニクス−

最終更新日:2017年2月16日

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 ドイツの気象学者のアルフレッド・ウェゲナー(A.Wegener、1880-1930)は、1910年代大陸移動説(Continental Drift)を提唱して、『大陸および海洋の起源』(The Origin of Continents and Oceans)という書を著した。彼は、@地殻表面の頻度曲線が2つのピークを示すため、陸と海は異なる物質からなり、高度も元々違っていたこと;Aアイソスタシー(Isostasy)の原理から、地殻は水平方向にも動くことができること;B大西洋を挟む大陸間で、地質構造などが連続すること;C海を渡れない生物が、現在は海で隔てられた諸大陸に化石として分布すること;D南半球の大陸およびインドなどにペルム紀〜石炭紀(約3億年前)の氷河堆積物が存在すること、などから大陸はかって1つの超大陸〔Supercontinent:彼はパンゲア(Pangaea)と命名した〕を形成していたことを理論化して示した。1920年代には、賛否両論の大論争となった。氷河(Glacier)の分布や造山(Orogeny)運動の成因(山脈のでき方)などを明確に説明することができたが、大陸移動の原動力(Driving Force)については説明できなかった(彼は、離極力と潮汐力を挙げたが、これらの力で大陸が動くことは信じられなかった)。やがて1930年代になって論争は大陸移動説の敗北で終止符を打つ。その敗因は、主に@ウェゲナー自身の死(グリーンランドでの気象観測中の事故死と言われる);A原動力に対する説明に欠けること;B地球は固いという当時の地球観に反したこと、などである。アーサー・ホームズ(A.Holmes)によるマントル対流説(Mantle Convection)も提唱されていたが、大陸移動説とは結び付けられなかった。
 1939〜1945年に第二次世界大戦が起こり、軍事関連以外のあらゆる学問分野の研究は一時停止した。従って、地球科学分野の研究が本格的に再開されたのも1950年代になってからである。戦争中に、軍事目的として潜水艦の航行上の必要性から、世界の海洋の海底地形測量が行われていたが、戦後は、海洋学(Oceanography)全般の研究が大きく進展した。海底地形測量の他に海底堆積物や基盤岩についての研究も行われたが、特にそこに記録された地磁気の結果は特筆すべきものであった。つまり、海底地磁気には縞模様が見られ、これは過去の地球磁場が繰り返して反転してきたことを示すことが判った。過去の地磁気についての学問は古地磁気学(Paleomagnetism)というが、古地磁気学の進歩は著しかった。岩石残留磁気と生成年代(放射年代法による)から、過去の地球磁場を復元できる。この方法は陸上についても適用され、過去の地球の極移動の復元などが行われた。これらの復元において、過去に大陸が移動したことや海底が拡大したことを仮定しなければ説明できないことが判明した。海底地形の研究の進歩から、その凸地形である海嶺や、凹地形である海溝などは知られていたが、これらの成因も関連付けて説明されることになった。
 やがて、1960年代には、かって葬り去られた大陸移動説は、海洋底拡大説(Seafloor Spreading)として生まれ代わることになる。これによって、海洋底が若いことや、海嶺と海溝の成因や、大陸の成長などが説明できるようになった。さらに、球体である地球の表層に存在するプレートは球殻状であるが、その動きを幾何学的に説明するモデル〔オイラー(Euler)の原理による〕も提出され、現実のプレートの運動を説明できることが明らかになった。そして、1968年頃に、プレートテクトニクス(Plate Tectonics)という名称が世界的に使用されるようになった。これは、硬いプレート(大きいもので10数枚:厚さは100〜150キロメートル程度)が水平運動を行い、その弱部であるプレート境界において地下からの熱や物質が引き起こす地質現象を主に説明するモデルであり、大陸移動説−海洋底拡大説の後継モデルとして完成されたものである。特に地震と火山活動の成因を説明できることが重要である。日本では、1980年代頃に研究者によって使われ出した。プレートテクトニクスは現在の地球科学分野における最大のモデルである。

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