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最終更新日:2017年7月13日
世界遺産(UNESCO World Heritage)は、1972年に採択された世界遺産条約(世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約、Convention Concerning the Protection
of the World Cultural and Natural Heritage)に基づきユネスコの世界遺産委員会(UNESCO World Heritage Committee)により決定されて登録される。 文化遺産(Cultural)・自然遺産(Natural)・複合遺産(Mixed)の3つに分けられる。 2016年時点で、1052件(文化遺産814件、自然遺産203件、複合遺産35件)が登録されており、日本では20件(文化遺産16件、自然遺産4件)である。 |
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《知床(2005)》(Shiretoko(2005))自然遺産
《白神山地(1993)》(Shirakami-Sanchi (1993))自然遺産
《平泉(2011)》(Hiraizumi - Temples, Gardens and Archaeological Sites Representing the Buddhist Pure Land(2011))文化遺産
《日光の社寺(1999)》 (Shrines and Temples of Nikko (1999))文化遺産
《小笠原諸島(2011)》(Ogasawara Islands(2011))自然遺産
《ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-(2016)》(The Architectural Work of Le Corbusier, an Outstanding Contribution to the Modern Movement(2016))
《富士山(2013)》(Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration(2013))文化遺産
《富岡製糸場(2014)》(Tomioka Silk Mill and Related Sites)文化遺産
《白川郷・五箇山の合掌造り集落(1995)》(Historic Villages of Shirakawa-go and Gokayama (1995))文化遺産
《古都京都の文化財(1994)》(Historic Monuments of Ancient Kyoto (Kyoto, Uji and Otsu Cities) (1994))文化遺産
《古都奈良の文化財(1998)》 (Historic Monuments of Ancient Nara (1998))文化遺産
《法隆寺地域の仏教建造物(1993)》(Buddhist Monuments in the Horyu-ji Area (1993))文化遺産
《紀伊山地の霊場と参詣道(2004)》(Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range (2004))文化遺産
《姫路城(1993)》(Himeji-jo (1993))文化遺産
《石見銀山遺跡とその文化的景観(2007)》(Iwami Ginzan Silver Mine and its Cultural Landscape (2007))文化遺産
《広島の平和記念碑(原爆ドーム)(1996)》(Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome) (1996))文化遺産
《厳島神社(1996)》(Itsukushima Shinto Shrine (1996))文化遺産
《「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群(2017)》(Sacred Island of Okinoshima and Associated Sites in the Munakata Region)文化遺産
《明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業(2015)》(Sites of Japan’s Meiji Industrial Revolution: Iron and Steel, Shipbuilding and Coal Mining)文化遺産
《屋久島(1993)》(Yakushima (1993))自然遺産
《琉球王国のグスク及び関連遺跡群(2000)》(Gusuku Sites and Related Properties of the Kingdom of Ryukyu (2000))文化遺産
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世界 |
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Territorial division(countries with ten or more World Heritage Sites) Brown: nations with 40 or more heritage sites; Light brown: nations with 30 to 39 heritage sites; Orange: nations with 20 to 29 heritage sites; Blue: nations with 15 to 19 heritage sites; Green: nations with 10 to 14 heritage sites. |
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Wikipedia(HP/2015/5)による『World Heritage Site』から |
世界遺産の分布(2003年7月現在) 参考:シンクタンクせとうち総合研究機構「世界遺産データ・ブック 2004年版」 危機にさらされている世界遺産 出典:シンクタンクせとうち総合研究機構「世界遺産データ・ブック2004年版」 |
日本 |
日本には現在14件の世界遺産があります(2007年7月現在)。 (社)日本ユネスコ協会連盟の『世界遺産活動』の『世界遺産リスト』の中の『日本の世界遺産リスト』から |
石見銀山(いわみぎんざん) |
和暦年 | 西暦年 |
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花園院の時代 | 1308〜1317 | 周防の大内弘幸が北辰星の託宣で仙山に銀の出ることを知る。時代は下って南北朝時代、石見国を攻めた足利直冬が銀山を手に入れる。しかし採掘の技術を知らず、露出した自然銀のみを採っていたがやがて採り尽くしてしまった。 |
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博多の商人・神谷寿亭が銅を買うため出雲の鷺銅山へ赴く途中、日本海沖から山が光るのを見た。 |
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銅山主・三嶋清右衛門を3人の技術者を伴って採掘し、鉱石を九州へ持ち帰った。 |
天文 2 | 1533 | 博多より宗丹・桂寿という2人の技術者を伴い、銀の製錬法〔灰吹法(はいふきほう)〕を導入した。 |
− | 1551〜 | 石見国の守護であった大内氏の滅亡(1551)後は毛利氏と尼子氏の争いとなり、銀山を含む石見国は争奪の的となっていた。 |
永禄 5 | 1562 | 毛利氏が石見国を平定。銀山と温泉津を直轄地とした。以来慶長 5年(1600)関ヶ原の戦い終結まで毛利氏の支配が続く。 |
天正18 | 1590 | 豊臣秀吉が全国を統一した後、毛利氏は豊臣氏の大名として中国地方を知行し、銀を豊臣氏へ納めた。 |
慶長 5 | 1600 | 家康の重臣・大久保長安と彦坂小刑部が石見に下向、毛利氏から銀山を接収、鉱山経営に見識のある大久保長安が初代の奉行となった。 |
− | − |
安原伝兵衛という者が「釜屋間歩」と名付けた坑道から年に3,600貫(13,500s)もの運上(年貢として納める銀)。 『慶長の頃より寛永年中大盛士稼の人数二十万人、一日米穀を費やす事千五百石余、車馬の往来昼夜を分たず、家は家の上に建て、軒は軒の下に連り・・・』( 銀山旧記)。 |
慶長 | − | 産銀量ピーク |
延宝元 | 1673 | 灰吹銀出高357貫25匁(約1,340s) |
享保元 | 1716 | 灰吹銀出高177貫730匁5分8厘(約665s) |
天保元 | 1830 | 灰吹銀出高80貫800目(約300s) |
元治元 | 1864 | 幕府は尊皇攘夷をせまる長州軍を征伐するため軍を出した(第一次長州征伐)。 |
慶応 2 | 1866 | 2度目の長州征伐があり、長州軍が大森に進撃、代官・鍋田三郎右衛門は逃亡。 |
明治 2 | 1869 | 太政官布告により大森県が設置されて代官所に県庁を設置 |
明治 3 | 1870 | 大森県が廃止され浜田県となり、代官所に大森支庁を設置 |
明治 5 | 1872 | 浜田沖地震により多くの間歩が水没、休山となる |
明治 6 | 1873 | 旧浜田藩家老・安達惣右衛門が一鉱区を経営 |
明治 9 | 1876 | 浜田県が廃止され、島根県へ合併 |
明治12 | 1879 | 代官所解体 |
明治20 | 1887 | 藤田組によって経営再開、大森鉱山を正式名称とする |
明治35 | 1902 | 代官所跡へ邇摩郡役所を建設(現・石見銀山資料館) |
大正12 | 1923 | 大森鉱山の休山 |
昭和16 | 1941 | 「重要鉱物増産法」により(株)同和鉱業が再開発を行うが稼業できず |
石見銀山遺跡の範囲 大森銀山地区の遺跡地図 島根県大田市による『石見銀山遺跡とその文化的景観』から |
石見銀山の鉱床 石見銀山(大森鉱山)の鉱床は,仙山西部の銅及び銀を含む永久鉱床と,東部の銀を主とする福石鉱床に分けられます. 産業技術総合研究所の地質調査総合センターによる『世界遺産登録記念「石見銀山の地質と鉱床」』から |
Fig. 2 Geological map and cross sections around the Ohmori mine (simplified from MMAJ , 1993). Fig. 2 Cross sections 迫田ほか(2000)による『島根県大森鉱山(石見銀山)のAu-Cu-Ag鉱化作用とK-Ar年代』から |
明治日本の産業革命遺産 |
九州・山口の近代化産業遺産群は、2009年にユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストに記載された九州・山口地方にある近代化遺産、産業遺産の総称であった。当初の正式な名称は「九州・山口の近代化産業遺産群-非西洋世界における近代化の先駆け-」であったが、2013年の構成資産見直しの結果、山口・福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島・岩手・静岡の8県に点在することとなり、「明治日本の産業革命遺産
九州・山口と関連地域」の名称で推薦書が世界遺産センターに提出された。これに対し、世界遺産委員会の諮問機関のひとつであるイコモスは「登録」を勧告するとともに、登録名は「明治日本の産業革命遺産
製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」に変更することを求めた。2015年7月の第39回世界遺産委員会にて登録が決定した。実際の登録名は勧告通り、「明治日本の産業革命遺産
製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」となった。 西洋から非西洋世界への技術移転と日本の伝統文化を融合させ、1850年代から1910年(幕末 - 明治時代)までに急速な発展をとげた炭鉱、鉄鋼業、造船業に関する文化遺産であり、稼働遺産を含む資産の世界遺産への推薦は日本では初めてである。 |
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構成資産 九州 |
構成資産 本州 |
ウィキペディア(HP/2015/7)による『九州・山口の近代化産業遺産群』から |
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(財)産業遺産国民会議による『明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域』から 『「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の概要について』(10p)も参照。 |
世界農業遺産 |
農林水産省(HP/2015/12)による『世界農業遺産(GIAHS)』から |