矢島(1976)による〔『世界の銅鉛亜鉛鉱床の規模について−定量的鉱床成因論の試み−(その1)(その2)』(221-222、301,305p)から〕


はじめに
 この解説は、Pelissonnier,H.(1972):Les dimensions des gisements de cuivre du monde−Essai de metallogenie quantitative−(Memoir du B.R.G.M. No.57)およびBauchau,C.(1971):Essai de typologie quantitative des gisements de plomb et zinc avec la repartition de l'argent(Bull. du B.R.G.M. Ser2, Sec. II. No.3. No.4)の2論文の内容をまとめて紹介すべくとりかかったものであるが、執筆途上の昨年末、Pelissonnierは、その後の銅鉱床開発の飛躍的発展の成果を盛込んだ新資料を Les dimensions des gisements de cuivre du monde “Nouvel inventaire”(B.R.G.M. 1975)として発表したため、この内容も含めざるを得なくなった。以下、文中では1972年のものを「初版」、1975年のものを「新資料」と呼ぶ。また「著者は」Pelissonnierをさすものとする。
 新資料をまとめた動機については、仏政府の銅プランのために最新の資料が必要だったこと、この間多くの新鉱床が発見され、重要な銅生産の中心が出現したこと*1、2つの統計の比較から発展の傾向性をさぐること、初版のタイプ分類について寄せられた意見や批判を検討し新たな分類を提唱すること、などが述べられている。
*1 初版は1963年末まで、新資料は1972年末までの記録を各々まとめたものであるが、この9年間の生産量は、有史以来、1963年までの総生産量の40%にも達している。
 De Launayが1913年に鉱床区の概念を提唱して以来、フランスでは、鉱床の規模を定量的に捉えようとする考え方が発展してきた。とくに1930年代にBlondelがこの課題に積極的に取組んで以来、地域毎、鉱種毎に具体的な成果が積重ねられてきている(Allais, 1955, Blondel et Ventura, 1956 など)。また1964年には Laffitte et Rouveyrol により地質構造と濃集元素量を表現した2,000万分の1世界鉱山図が発表された。同じ頃、Laffitteと協力して作業をすすめていた Michel, Pelissonnier は、鉱化単位の区分や鉱物濃集指数などの考え方を提案している(Michel et Pelissonnier 1964, Michel et al., 1964)。
 ここに取上げたPelissonnierの論文は、このような伝統の上にミッシェルの絶大な協力を得て世界の銅鉱床をまとめたもので、鉱床の規模、形態と地質学的要素との相関を解析し、そこから世界の銅鉱床区を設定し、副題の示すように定量的鉱床成因論を目指した大作である。前文をよせたProf. Raguinは、その冒頭で、これを“重大な事件”であるとまで述べている。
 1966年の末からミッシェルの後を継いでペリソニエの仕事に協力を始めたC.Bauchauは、翌年から銅と密接に伴う鉛亜鉛についてまとめを開始し、その成果は、1970年、ローザンヌ大学に学位論文として提出された。これがここに併せて紹介するものであるが、銅に対するペリソニエの取扱い方をそのまま鉛亜鉛に敷衍したものである。初版は400頁、90図、49表、折込付図5葉、新資料は、50頁、9図、13表の他に図表の付録2冊、Bauchauの論文は120頁、1図、33表と、その量が多く、図表には重要なものが少なくないので、限られた紙数の中に要約することは容易でなかったが、考え方の紹介だけでなく、世界の銅鉛亜鉛鉱床に関する資料としても役立つものとなるよう努めた心算である。なお、Bauchauの論文については金属鉱業事業団(1974)が抄訳を出しており、そこには全ての図表が採録されているので、鉛亜鉛に関する詳細はそちらを参照していただきたい。
 この解説では、ほぼ原著の構成に従って、次の6つの章に分けて記述することにする。1.基本概念、2.銅鉱床の分類と規模、3.世界の銅鉱床区、4.銅鉱床に関する結論、5.鉛亜鉛鉱床の分類と規模、6.鉛亜鉛鉱床に関する結論。紙数の都合で2回に分けることとし、基本概念と銅鉱床の分類と規模の2つの章を(その1)としてここに紹介し、残りを(その2)として次回に解説する。引用文献は(その2)の末尾にまとめて載せることにした。』

1.基本概念
 1.1 濃度指数の定義
 1.2 鉱床の空間的規模の定義
 1.3 地質学的要因の検討
 1.4 作業の内容と信頼度
2.銅鉱床の分類と規模
 2.1 初版のタイプ分類
 2.2 改訂されたタイプ分類
 2.3 銅鉱床の規模の解析
  2.3.1 全体的統計
  2.3.2 タイプ別分布
  2.3.3 形態による分配
3.世界の銅鉱床区
 3.1 鉱床区の概念
 3.2 鉱化密度の定義
 3.3 銅鉱床区の設定
 3.4 銅富化要因の統計的解析の試み
 3.5 主断裂線について
 3.6 銅鉱床区の改訂
 3.7 各鉱床区の概要

  (1) 北米西部コーディレラ区
  (2) アンデス区
  (3) 南アフリカ区
  (4) ユーロリエント区
  (5) 北米スペリオル湖区
  (6) ウラル・カザフスタン区
  (7) 西南太平洋区
  (8) 中米・カリブ海区
  (9) モンゴル区
  (10) 東オーストラリア区
  (11) フェルバ区
  (12) 日本区
  (13) 北ヨーロッパ区
4.銅鉱床に関する結論
 4.1 量的な総括
 4.2 銅の起源について
 4.3 探査への指針

  (1) タイプ1について
  (2) タイプ4について
  (3) タイプ6について
5.鉛亜鉛鉱床の分類と規模
 5.1 鉛亜鉛鉱床のタイプ分類
 5.2 鉛亜鉛鉱床の規模
6.鉛亜鉛鉱床に関する結論
 6.1 各タイプ間の関係
 6.2 鉛亜鉛鉱床区

あとがき
 フランスでは古くからこのような類型学的分類が行なわれていたが、我々にはなじみが薄いため、初めは戸惑いを感じるかもしれない。しかし、それが、共生関係と形態、関連火成岩という客観的な、しかも数少ない規準で簡明に分類されている点にまず注目させられる。これに造構運動における位置を対応させ、成因的関連を考察してまとめた3つの主要なタイプが、世界の銅量の大部分を包括するばかりでなく、探査上の大方針にまで結びついていくところまで見ると、やはり、これは学問的にも実際的にも。非常に重要な貢献であると言えよう。この新しい分類についても、決してこれが最終案という訳ではなく、より現実に適合したものを作り上げていくための一里塚であることが巻末で述べられている。あまり良い成果の得られなかった統計解析についても同じ態度であり、著者は現在も、資料の蓄積、結果の改善に意欲を燃やしている。なお、ここでは文中に引用した文献しか掲げていないが、初版の巻末には、内容別にコードを記した750の文献(1970年まで)があり、大変便利である。
 Bauchauの論文については、抄訳にオンブして雑な紹介になってしまった。信頼できる資料を集約することは銅の場合以上に困難であることは容易に想像されるが、定量的鉱床成因論というにはあと一歩の感じで、Cuと対等には扱えなかった。同じ作業グループの成果には、他に、Wissink(1972)がMnについてまとめたものがある。
 一方、我国では、関根(1962)が鉱物濃集に関する定量的検討の必要性を述べていたことが注目される。
 国外の銅鉛亜鉛鉱床については知識も見聞も乏しい筆者のことまので、気のつかぬ誤りが多いかと思う。御教示いただければ幸いである。初版に基いてほぼ完成していた原稿に、新資料の内容を加えて書き直したため、大変まとまりの悪い記事になってしまったことを御寛容いただきたい。』



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