吉村(1967)による〔『日本のマンガン鉱床補遺 前編 マンガン鉱床総説』(1p)から〕


Abstract

目次

第1章 マンガンとマンガン鉱業
第1節 マンガン
(1)マンガンの起源

 紀元前のエヂプト文化のころから、ガラスに色をつける目的で、黒い鉱石が用いられた。Plinyはこれを“マグネの石”(lapis magnes)と呼んでいる。磁鉄鉱・クローム鉄鉱・酸化コバルト・赤鉄鉱・酸化マンガン鉱などがこれに含まれる。ことにマンガン鉱は、少量用いるとガラスの色を消し、多量に用いると紫・赤・褐・黒などの色をつけるので、非常に重宝がられた。
 V.Biringuccio(1540)は、この種のガラス着色原料鉱石で、“黒マグネシア”(magnesia nigra)と呼ばれるものの1種をTuscany地方で見出し、“manganese”と命名した。
 この頃“白マグネシア”(magnesia alba)と呼ばれていたものは、酸化マグネシウムで、今日の苦土(マグネシア、magnesia)MgOである。
 その後ドイツでは、Braunstein・Schwarzbraunsteinerzなどの名で呼ばれ、酸化マンガン鉱は鉄鉱から区別された。鉄とは異なる金属の酸化物であることが認められていた。C.W.Scheeleは、この金属が鉄とカルシウムの中間の性質を持つと予言した。
 1774年になって、J.G.Gahnが、Braunsteinの1種を還元して、“白い鉄”(ferri alba)を得た。T.Bergmanがこれを“manganese”と呼んだ。M.H.Klaprothは、1807年、これを元素(element)の名として採用した。』



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