木下(1981)による〔『理科系の作文技術』(2-9p)から〕
目次
『1 序章
1.1 チャーチルのメモ
1940年、壊滅の危機に瀕した英国の宰相の座についたウィンストン・チャーチルは、政府各部局の長に次のようなメモを送った*。
*文献1のp.21から引用。〔1) R.Barrass: Scientists Must
Write - A guide to better writing for scientists, engineers and
students, (Chapman & Hall, London, 1978).〕
われわれの職務を遂行するには大量の書類を読まねばならぬ。その書類のほとんどすべてが長すぎる。時間が無駄だし、要点をみつけるのに手間がかかる。
同僚諸兄とその部下の方々に、報告書をもっと短くするようにご配意ねがいたい。
(i)報告書は、要点をそれぞれ短い、歯切れのいいパラグラフにまとめて書け。
(ii)複雑な要因の分析にもとづく報告や、統計にもとづく報告では、要因の分析や統計は付録とせよ。
(iii)正式の報告書でなく見出しだけを並べたメモを用意し、必要に応じて口頭でおぎなったほうがいい場合が多い。
(iv)次のような言い方はやめよう:「次の諸点を心に留めておくことも重要である」、「……を実行する可能性も考慮すべきである」。この種のもってまわった言い廻しは埋草にすぎない。省くか、一語で言い切れ。
思い切って、短い、パッと意味の通じる言い方を使え。くだけすぎた言い方でもかまわない。
私のいうように書いた報告書は、一見、官庁用語をならべ立てた文書とくらべて荒っぽいかもしれない。しかし、時間はうんと節約できるし、真の要点だけを簡潔に述べる訓練は考えを明確にするにも役立つ。
私の筆は“To do our work, we all have to read a mass of papers……”とはじまる簡にして要をえた文章の味を十分につたえていないが、大意はおわかり頂けると思う。<簡潔>はやがて第8章の主題の一つとなるはずである。
1.2 この書物の目標
私がこの書物の読者と想定するのは、ひろい意味での理科系の、わかい研究者・技術者と学生諸君だ。これらの人たちが仕事でものを書くとき−学生ならば勉学のためにものを書くとき−に役立つような表現技術のテキストを提供したい、と私は考えている。主眼は作文技術にあるが、最後の章で口頭発表の要領にも触れる予定である。
仕事でものを書くとき−と書いた。理科系の人が仕事のために書くものとして私の念頭に浮かぶのは、表1.1のようなものである。これをA、Bの2種類にわける。Aは自分専用で他人には通じなくていい記録やおぼえ書き、Bは他人に読んでもらうことを前提として書くものだ。Bのなかにも特定の個人にだけ通じればいいもの、特定のグループにだけ通じればいいもの、不特定多数の公衆に通じなければならないものの別がある。表の番号はおよそこの順に従ってつけたつもりである。
表1.1 理科系の人が仕事のために書くもの.
A類−自分だけが読むもの |
A-1.メモ、手帳の類
A-2.実験ノート、野帳(野外観察用の記録帳)、仕事日記の類
A-3.講義や講演を聞いてつくるノート、文献のぬき書き
A-4.カード類
A-5.講義や講演をするためのノート |
B類−他人に読んでもらうもの(仕事の文書) |
B-1.用件の手紙やメモの類
B-2.(所属機関内の)調査報告、出張報告、技術報告の類
B-3.仕様書の類
B-4.答案、レポート
B-5.研究計画などの申請書
B-6.(学会誌などへの)原著論文、総合報告
B-7.その他の論説、解説、著書の類
B-8.構造説明書、使用の手引 |
A類のものはどんな書き方をしてもいい。自分自身が読みかえすときに誤解するおそれがなければ、「この分析法は精度が十分でない」と書く代りに「△」としても差支えないし、文法を無視したことば遣いをしてもかまわない。しかし、B類のものは、相手が正しく理解してくれなければ役に立たないのだから、間違いなく相手に通じるように表現しなければならない。
「間違いなく相手に通じさせる」ための表現上の制約は、B-1、B-2、……と番号が進むに従って強くなる。個人あての手紙(B-1)ではその特定の相手だけに通じる隠語を使っても差支えない。社内報告(B-2)ではその会社の中だけで通じる符号や略名をことわりなく使ってもいい。しかし、学会誌に投稿する論文(B-6)では「圧力をp、体積をVとすると……」ということわりなしに記号p、Vを使うことは許されず−これはB-4の答案やレポートに関しても同様−、B-8に属するトースターの使用の手引では
つぎつぎにパンを焼くときには、移動ツマミがすぐ下方にロックされない場合がありますので……
などと書いてはいけないのである(トースターを買う人の何割が「下方にロック」の意味を即座に理解できるだろうか)。
この書物では、表1.1のB類−理科系の人が仕事のために書く文書で、他人に読んでもらうことを目的とするもの−だけを対象として取り上げる。それらを一括して理科系の仕事の文書と呼ぶことにしよう。
他人に読んでもらうことを目的として書くものは、ここでいう仕事の文書にかぎらない。その代表は詩、小説、戯曲などの文学作品である。用件以外の、ひとと心を通わせるための手紙もその例だ。これらと対比して理科系の仕事の文書の特徴はどこにあるか。それは、読者につたえるべき内容が事実(状況をふくむ)と意見(判断や予測をふくむ)にかぎられていて、心情的要素をふくまないことである。今後、事実や状況について人につたえる知識、または人からつたえられる知識を情報ということにするが、このことばを使えば、理科系の仕事の文書は情報と意見だけの伝達を使命とするといってもいい。
この書物の中では情報ということばを上記の意味、または「伝達、研究、教育などによって与えられる知識」の意味にかぎって使う。したがって、情報の伝達というときには、気持をつたえることや意見をつたえることはふくまれない。
私の考えでは、以上のような性格をもった理科系の仕事の文書を書くときの心得は
(a)主題について述べるべき事実と意見を十分に精選し、
(b)それらを、事実と意見とを峻別しながら、順序よく、明快・簡潔に記述する
ことであると要約できる。この書物のおもな使命はそのやり方を実際的に解説することだが、具体的な解説にかかる前に、(a)、(b)の内容のイメージを与えておく必要があろう。
内容の精選 必要なことは洩れなく記述し、必要でないことは一つも書かないのが仕事の文書を書くときの第一の原則である。何が必要かは目的(用件)により、また相手(読者)の要求や予備知識による。その判断に、書く人の力量があらわれる。
<必要なことは洩れなく>の意味はユネスコ*が自然科学の原著論文(オリジナルな研究論文)に対して要求している次の条件(くわしくは10.3.2節参照)を見れば実感的にわかるだろう:
原著論文は、その分野の専門の研究者が読めば、論文の中に与えてある情報だけにもとづいて (i)著者の実験を追試して、著者の示した実験誤差の範囲内で、同じ結果に到達することができるように、または (ii)著者の観察、計算または演繹をくりかえして著者の発見の当否を判定できるように、書かなければならない。
*United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization.
事実と意見の区別 仕事の文書を書くときには、事実と意見(判断)との区別を明確にすることがとくに重要である。これは、何でもなさそうにみえるが実はそれほど容易なことでない。たとえば、
近頃の学生は整った文書を書く能力がないという声をよく聞くが、私はこれは主に理科系の学生に関していわれていることだと思う。理科系の学生がきちんとした文章を書けないことにふしぎはない。彼らの本領は文学ではないからである。
という文章では、第1文で意見として書かれていることが、第2文では事実として扱われている。技術報告や科学論文のなかでこの種のスリカエがおこなわれると、論理の組立てがぐらぐらになってしまう。不当な結論がみちびきだされることも稀でない。
念のためにことわっておくが、上の用例にみられるように、この書物では文(センテンス)ということばと、文をならべてつくる文章ということばとを区別して使う。
記述の順序 記述の順序に関しては、二つの面からの要求がある。
一つは、文章ぜんたいが論理的な順序にしたがって組み立てられていなければならないということだ。一つの文と次の文とがきちんと連結されていて、その流れをたどっていくと自然に結論に導かれるように書くのが理想である。
もう一つは、相手(読者)はまっさきに何を知りたがるか、情報をどういう順序にならべれば読者の期待にそえるか、ということに対する配慮だ。気短かな上司はまっさきに結論を知りたがるだろう。カメラの使用説明書は、新しいカメラを手にした人は最初にどんなことをしてみるかを調べた上で書かなければならない。
明快・簡潔な文章 明快な文章の第一の要件は、論理の流れがはっきりしていること、一つの文と次の文との結びつき方が明瞭なことだが、これについてはすでに述べた。明快に書くためのその他の心得として、ここでは次の三つをあげておこう。
(a)一文を書くたびに、その表現が一義的に読めるかどうか−ほかの意味にとられる心配はないか−を吟味すること、
(b)はっきり言えることはズバリと言い切り、ぼかした表現(……といったふうな、月曜日ぐらいに、……ではないかと思われる、等々)を避けること、
(c)できるだけ普通の用語、日常用語を使い、またなるべく短い文で文章を構成すること。
簡潔な表現は、忙しい現代生活の要求にこたえるためだけに必要なのではない。チャーチルも言っているが(1.1節参照)、不要なことばは一語でも削ろうと努力するうちに、言いたいことが明確に浮彫りになってくるのである。
私が理科系の仕事の文書の文章をかくあるべきだと考えている姿をスケッチすると、およそ以上のようになる。その著しい特徴は、<いい文章>というときに多くの人がまっさきに期待するのではないかと思われるもの、すなわち「人の心を打つ」、「琴線にふれる」、「心を高揚させる」、「うっとりさせる」というような性格がいっさい無視されていることである。これは、先に述べた理科系の仕事の文書の内容の特性、すなわち、情報と意見の伝達だけを使命として心情的要素をふくまないことと対応する。これらの文書のなかには、原則として<感想>を混入させてはいけないのである。
この種の文章表現のもう一つの特徴として、「やわらかさ」が無視されていることも挙げておくべきだろう。理科系の仕事の文書では、「やわらかさ」を顧慮するために「あいまいさ」が導入されることをきらう。やわらかさの欠如は政治的考慮の欠如に通じる。』