宮本(1989)による〔『環境経済学』(97-102p)から〕


1 環境問題とはなにか
素材面からみた環境問題の定義

 環境問題は体制をこえた人類史をつらぬく社会問題である。環境問題は、自然、人口(その規模と都市などへの人口の地理的配置)、生産力(とくに人間の安全と環境保全の技術の水準と技術体系)を基底的条件としている。たとえば、山にかこまれた盆地の大都市に工場や自動車などを集積させれば、深刻な大気汚染が発生する可能性がある。だが、このような大気汚染が現実化するかどうか、また現実化するとしてもその発生原因、具体的な被害の状況、防止対策は政治経済制度に規定されている。
 環境問題を素材的に検討する仕事は、自然・生態系については理学、生産と環境保全の技術については工学、都市の国土計画については都市工学(土木・建築学あるいは美学)、環境汚染の人間・健康影響については医学などの諸分野が関係している。これらの分野の諸研究は専門化し縦割りになっているので、相互に情報が交流し、あるいは総合化されることはむつかしい。たとえば、水俣病は人間に発生する前に、植物や動物(たとえば、魚介類、そしてそれを食べた鳥や猫)に影響が発生した。もしも、このエコロジーの変化の情報のいみが生物学者によって十分に解明され、それがやがて人間にあらわれる危険について医学者に情報が流れておれば、水俣病の発生は防げたのではないかといわれている。他の公害問題についても、エコロジーと医学との協力があれば、公害対策は画期的にすすむのではないかといわれている。
 しかし、現実には環境問題の研究者はその領域の広さと深刻さにくらべてきわめて少ない。日本の場合、各地域のエコロジカルな変化を経年的定点的に的確に調査をしている例は、琵琶湖の研究などを除けばきわめて少ない。ましてや、学際的な研究は全くおくれているし、そのための方法論や習慣も確立していない。したがって、水俣病のみならず、公害問題についての素材面の研究の総合化はこれからである。後述の水俣病やアスベスト災害のように同じ医学の中ですら、労災・職業病の研究の情報が公害の研究者に流れていない。
 このような素材面の研究の交流や総合化がおくれているのは、学問それ自体の専門分化のゆきすぎにあるが、それ以上に政治経済の問題である。公害の研究、とくに人体への影響などの被害についての研究には、汚染の工学的制御の研究などにくらべて、企業も国家も研究費を十分にまわさず、研究組織が維持しにくいのである。それはともかくとして、環境問題の素材面からの研究を土台として、政治経済体制の研究は始まるのである。
 それでは、まず環境問題を素材面から定義をしてみよう。
 環境問題は人間の経済活動とりわけ企業活動にともなって、直接間接に生ずる環境汚染あるいは環境の形状・質の変化などによる社会的損失である。それは人間の健康障害や生活環境侵害などの公害をふくむ広義の概念である。環境問題として政府や学界が対象としている範囲はきわめて広い。すなわち、それには大気汚染・水汚染のような公害問題から、原生林・野生生物の死滅、自然景観や歴史的街並みなどの歴史的ストックの破壊をふくみ、さらには、炭酸ガスやフロンガスの増大にともなう地球の温度上昇やオゾン層破壊など、すぐには社会的損失とならぬが、将来の人間生活に重大な障害をもたらす要因となるような環境の変化をふくんでいる。
 そこで、環境問題を人間の広義の健康(公衆衛生)と直接に関係する公害と、環境の質あるいはアメニティを悪化させる問題(アメニティ問題とよんでおく)とに区別をすることができる。この両者の損失の状況や原因にはちがいがあり、環境政策の上でも、異なる方法や手段をとらねばならぬが、重要なことは両者が連続していることであろう。

環境問題の全体像−公害からアメニティへ−
 図3-1の被害のピラミッドのように公害とアメニティ問題は対立し、あるいは別個のものというのではなく、環境破壊として連続している。アメニティ問題は環境問題の基底にあり、それらが悪化していくと、終極には人間の死亡や健康障害の公害が生みだされる。つまり、ある地域で環境の変化=汚染がはじまると全地域の住民になんらかの影響がでるのであって、この中で公害病患者は生物的弱者であるか、毒物を大量に摂取する条件にあったものである。そして事件がおこった場合、公害病患者が発見されて対策がとられるために、他の住民は病気をまぬかれたといってもよい。そのいみでは汚染地域の住民はすべて被害をうけ公害病にかかる危険性をもっているのだが、患者が犠牲となることによって救われたといえぬこともない。たとえば、水俣病を例にとろう。さいきんまで、水俣市の美しい自然や資源はチッソによって独占され、都市計画はチッソを中心にしてつくられ、市財政はチッソの受益を目的とした港湾事業や住宅建設などの公共事業を中心に経営されてきた。このため、用水や用地はチッソが占有した分の残りを他の企業や市民が利用するという生活をしてきた。市民の海水浴場はチッソによって埋立てられた。「企業城下町」として、市民は人権や地方自治よりもチッソへの忠誠心の方に重きをおく精神状況であり、市民の生活向上は企業の発展以外にないという思想をもっていた。このようにチッソの地域独占によってアメニティを喪失した地域であったがゆえに、有機水銀の長期大量流出が黙認され、その影響の最終局面として多数の水俣病患者をだしたのである。市民の中には第一次水俣病裁判の原告にたいして、チッソに不当な賠償を要求しているという冷酷な態度をとる者がいた。患者はいまもなお孤立しているといってよい。しかし、当時魚介類を摂取していた水俣市民は多かれ少なかれ水銀中毒におかされているのであって、患者のおかげで規制がおこなわれ、魚介類の摂取が少なかったのである。水俣病は白木博次の指摘するように、判定基準のような末梢神経の麻痺にとどまらず臓器や血管の損傷などの全身症状を示すので患者の範囲は広くなるが、もっと広くとらえれば健康問題だけでなく、地域社会全体の破壊としてとらえるべきなのである。
図3-1 環境問題の全体像(注:原著はピラミッド形)
自然災害← 認定患者(死亡) 公害問題

公害病
健康障害
ill-health

生活環境の侵害
アメニティ・環境の質の悪化(アメニティ問題)
地域社会、文化の破壊と停滞
(景観、歴史的街並みなどの喪失)
自然環境の破壊
地球生態系の変化

 もしも、この被害のピラミッドの全容と、その連続性が医学的に解明され、また社会科学もふくめて総合的に明らかにされていたならば、水俣病問題は被害を最小限にして早期に解決できたであろうし、その後の発生は予防できたであろう。このことは、カナダの北西オンタリオ州の二つのインディアンの居留地の水俣病問題を研究したときに痛感した。カナダの水俣病の発生した居留地のひとつグラッシイナロウは、かねてダムや工場の建設のために原住民のインディアンは移動させられ、狩猟地を失い古い風俗習慣がこわされて居留地内の住民の連帯がなくなっている地域であった。1960年代から70年代にかけて水銀中毒がはじまると、漁獲が禁止され、観光が制限されたので、住民は失業し絶望的になり、自殺やアルコール中毒が増大した。比較的に軽い水銀中毒症状が水俣病としてみとめられず、アルコール中毒と誤認されることによって、水俣病が政治的にかくされようとしていたのである。もしも日本で、重症の典型的水俣病のみならず水銀中毒症の全容が明らかにされていたならば、カナダの水銀中毒事件は未然に防ぐか、またはもっと軽度な損害で防止できたであろう。またケベック周辺の水銀中毒事件の隠蔽も防げたにちがいない。一方、対策の面では患者の救済はもとより絶望的な状況におちいった居留地の雇用や生活の再建など、つまり被害のピラミッド全体の救済が同時にもとめられている。水俣市やインディアンの被災地の公害問題をみると、患者を救済するだけでなく、地域の経済・社会や文化の再生、つまりアメニティの復元なくしては、最終的な解決はないことがわかる。このように環境問題には総合対策が必要であるといういみでも、公害とアメニティ問題は連続しているようである。
 公害とアメニティ問題を分断するためにおこる混乱の例をもうひとつあげよう。中国の青島市は、七つの海水浴場をもち、ドイツ居留地時代の赤い屋根の街並みを生かして、その後も建築物の高さや色を規制した美しい観光地である。同時に、ここは日本の植民地時代からの繊維工業をはじめとする工業都市である。この都市の南東部の海岸には200メートルの巨大な発電所の煙突がある。これはおそらく、それ自体としては環境保護法の規準に適正なのであろうが、観光地の景観としてはまことに不適合である。これは日本の各地の発電所の高煙突と同様で、公害対策だけを考えて、周辺の自然や街並みの調和というアメニティをまったく考えていないためである。高煙突は次章にのべるように「転位効果」があり、公害対策としても不十分である。この点では後述のフィンランドの石油コンビナートが、高煙突による拡散という対策に疑問をもって、松林の高さにマッチした低い煙突をたてていたのが印象的であった。これは工場の責任者にいわせれば、四日市の公害に学んだことによるといっているが、周辺のアメニティを考えれば正しい対策である。
 公害とアメニティ問題は連続して把握し、対策も総合的にたてねばならないことは明らかであろう。』



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