西脇(1982)による〔『鉱物資源小論』(10、24-26p)から〕



 この鉱物資源小論では、鉱物経済論(ミネラル エコノミックス)の面からと、鉱床地質学の面からの両側から鉱物資源の今の問題点の幾つかを見る事にした。鉱物の種類は非常に多いので、代表的な鉱種について述べた。経済論の統計数字は、主に、国連統計、World Metal Statistics、US鉱山局Mineral commodity summaries 1982、通産省鉄鉱統計月報、によった。』

1 鉱物経済小論
2 鉱種各論
 2-A 鉄
 2-B ニッケル
  (1) Dunite迸入体に伴う鉱床
  (2) Peridotite Lavaに伴う鉱体
  (3) 塩基性(時に超塩基性を伴う)迸入岩体の鉱床
  (4) 巨大な層状迸入体
  (5) Sadburuのnickel Irruptive
 2-C 銅
  (1) 斑岩銅鉱床
  (2) 塊状硫化鉱床
  (3) 堆積性銅鉱床
 2-D 亜鉛・鉛鉱床
  (1) ミシシッピー型(アルパイン型も含んだ広義のもの)
  (2) アイルランド型の亜鉛・鉛鉱床
  (3) 頁岩中の層状亜鉛・鉛鉱床
 2-E チタン
 2-F ニオブ(米ではコロンビウム)とタンタル

3 総論
 (1)品位考

 本論を依頼された時に、鉱石の品位の問題についても書いてくれとの注文があった。ただ幾つかの鉱種の品位の数値を表示するだけでは面白くないので、それぞれの鉱種の現在の各国の実績品位の低い部分の平均的数値を使った、筆者自身の品位考を、極めて簡単に紹介する事にした。
 鉱山の経営の中では、品位とは、日本式経営特意のQC、即ち品質管理、経営のかなめ、制御に骨の折れる部分、である。探査の場合にしても、その仕上げ作業の評価の段階で、品位のコンピュテーションがまたそのかなめであるのは周知の通りである。
 鉱床の品位というものは、如何にして自然がそれを作って、そしてそれが鉱山の品位として経済的に合意されきめられるのであろうか。
 ほく大ざっぱに考えると、地殻の平均の含有量なり、岩石の中の含有量としてはもともと極めて少ない、ある元素が、ある場所に、様々な地質的、物理的、化学的プロセスによって濃集してその元素に特別に富んだ岩石−経済的に採掘に堪える可能性あれば鉱床−を作る。即ち、
  品位(%又はppm)÷もとの含有量(ppm)=濃集率(倍率)
但し式の右端の品位が採掘、精錬、経費等のすべてのコストを支払い得るだけの価値を持っていなければ、経済的な品位とはいえない。またコストが同じであってもその元素(あるいは金属)の価格が上昇すれば、品位を低くしても経済的に成立つ。即ち品位を落すことができる。故にこの経済がきめる人為的な、鉱山の品位は、一定の条件は付いてはいるが価格と逆比例の関係にある。一方価格を決定する大きな因子は勿論需要と供給である。需要は、その元素が持っている物理、化学的特性を、その時の社会が如何に評価し、欲しいと思うかにかかっている。昔はアルミやチタンは評価しなかったが、今は我々はそれを評価し、欲しいと思うだけの技術と資本を持っている。供給の方は、人間の技術と資本との及ぶ範囲内で、しかも、ある場所にその元素がまとまって存在しているのが発見され、人の労力で開発され、運ばれなくてはできない。価格は需要とは正の関係に、供給とは負の相関関係にあるが、人間の技術、能力、資本等以外に、需要はその元素の物理化学的性質(例えばよい電導体であるとか錆ないとか)、供給は地質的に、手の届くところに鉱床としてまとまったものが賦存しているかどうか、の自然の条件に支配される。
 前置はこれ位にして第12図(略)の両対数グラフを見て頂こう。この図は横軸に色々な元素の地殻の中の含有量(Crustal abundance)をppmでとり、縦軸にそれらの元素が経済的に採掘出来る品位になる迄濃集するのには何倍にしたらよいか、その濃集率を取ってある。尚この品位は前述の様に低い方の部分の平均値を採ってある。ニッケルと銅については、中と低の両方を鉄亜鈴型に示してある。元素即ちここでは鉱種は現在の社会生活に重要なものを一応入れてある。金は地殻中の平均量があまり低く(0.003ppm)欄外になるので外した。
 全体として右上りのゾーンの中に点が納まるが、それぞれの点の上に述べた様な品位の数値を普通使う表現で附記してある。まず左下のはじの5元素はすべて地殻のいわゆるabundant elementといわれる多量元素である。これ等は、所詮何十倍にも濃集する事は有り得ないからこのあたりにかたまるのは当然である。次に少し右上にゆくとP.F.Sの非金属有用元素が集まっているのが目立つ。地殻の中の含有量がこの辺にかたまっているところに、燐鉱石や蛍石の濃集度がちょうどこの辺にあってくれたわけであろう。その次は非鉄金属のグループである。大体クラークナンバーが30-100のあたりで、通常の塩化物錯体を溶媒として運搬され濃集するものはこの辺に集まっているのだろうか。濃集度が低ければ、現在の需要供給では稼行品位に到達しないから当然亜鈴の足は下に延びない。
 鉛だけはクラークナンバーが低い、即ち存在が少ないのに値段が低い(鉛は錆びたり腐ったりしないので何時迄も残る)のでちょっと仲間外れとなった。最後の一番右上のグループは花崗岩固結末期のいわゆる気化作用やペグマタイト等の一連のステージの鉱化に関係のあるものが集まっている。
 結局、このゾーンの右上りの傾斜は、これより高い濃集率を持つ確率は低いし、このゾーンより低い所は経済的に引き合いはないから鉱床にならない、という理由で出来たのであろう。そうとすればこれを経済的に見ると品位問題として示唆的である。試みに、このゾーンの下の線に近い元素を見ると、Ti,Ni,Cu,Co,Uなど現代の売れっ子ばかりである。最近の機械文明に欲しいもの、その地殻中の存在量の割には値段の高いものばかりである。品位が相対的に低い鉱床でも掘れる、掘る必要のあるものなのであろう。
 今から30年後に、段々資源が少なくなり、供給が逼迫してきた時に、どの元素が下、即ち品位の低い方に向ってどれだけ経済的に引き下げられるであろうか。それとも代替品に取って替わられるであろうか。これ等の元素の黒い点を下に押し下げるという事は、それ等の元素の鉱量の三角形の底辺を下に押し拡げて、三角形の面積を増大する即ち鉱量を増す事である。そのそれぞれの元素の持っている固有の三角形の頂点の角度が鈍角か鋭角かは、それぞれの濃集の物理化学的なメカニズムによるであろう。鈍角なら少し品位を下げると鉱量が非常に増える。ここに今後の資源の永続性を解く一つの鍵が有りそうである。鉱床学とミネラル・エコノミックスを一つの頭で考える事の重要さの一例になるかも知れない。

 (2)日本の資源問題と鉱床学
 筆者は50余年、様々な境遇、地位にあって、探鉱家として常に日本の資源問題とつき合ってきた。そして今ひとり書斎でこの問題を思うとき、頭の中を去来する事の幾つかを、備忘録の様に書き留めて、この小論のむすびとしたいと思う。
 第1は鉱床生成の物理的規制についてである。戦前からの中国や東南アジアの長い探鉱生活のため、筆者は大陸や島弧の大構造が鉱床の分布にどうかかわっているか、今様にいえば、テクトニクスと鉱床の生成の関係、に興味を持ち、それを探鉱の広域選択の指針にして来た。フィリピンのモビルベルトに斑岩銅鉱床の存在を想像し、実際に現地にゆき、多くの人の批判を浴びながら探鉱を押し進めて事は前にも述べた通りである。その後その夢はニューギニア、ソロモン諸島のモビルベルトへと延び、その探鉱の一翼を担い始めた頃、プレートテクトニクスの学説を学んだのであった。西太平洋島弧群でモビルベルトといわれていたところの大部分は弧の衝突の所で、それが斑岩銅鉱床の生成に好条件を提供しているのではないかと考える様になった。地殻の横圧力、水平応力が鉱床の生成にどう関係するかを考え始めた。
 地球の大構造が、地球の物理的パラメーター、即ち力や熱によって支配されるなら、鉱床の生成もそれと一緒に支配されるにちがいない。一方鉱床生成の地化学的支配は、鉱床学の最近の最も大きなテーマであったし、その成果は真に素晴らしいものであった。また今後も素晴らしいであろう。しかしその化学的条件を決定したり支配したりする、鉱床生成の場所でのその時の、物理的条件(あるいはphysical parameter)を解明しておかないと、その化学的成果が、実際の鉱床からかけ離れてゆくのではないだろうか。
 筆者は探鉱屋仲間には、「物理が鉱床の位置や大きさをきめ、化学が鉱物や鉱床の品位をきめる」という乱暴な言葉を、ここ数年来、折にふれて吐いている。勿論自然はそんな簡単なものでない事は承知しているが、一種の刺激剤として用いる事にしている。過日ペンステート大のH.L.Barnes教授来日の際、この鉱床の物理規制の意見と共にこの乱暴な標語を述べたら教授は一瞬真剣な顔をして考えた後「百パーセント賛成、これからは物理的パラメーターをはっきり検討してゆかなければ地球化学が進められなくなる」と述べていた。この事は、独学の探鉱屋の筆者にとっては非常に大きなはげましであった。
 第2の筆者の興味はStrataboundの鉱床から離れる事がない。その一つは、同時堆積性の鉱床その物にあるが、もう一つは続成あるいは後成の鉱床でも乾燥堆積環境、即ち蒸発岩とかサブカとかいった層や、礁性石灰質岩層や浅い還元質泥岩の堆積盆とか、そういうものとの組合せである。
 筆者は曽て各地のレーク・スペリア型の化学沈澱の巨大な縞状鉄鉱層を専門に見て歩く機会を得、またザイール、ザンビアの銅鉱層を歴訪したが、同じ同時堆積でも時代による大きな差、生物の鉱床生成とのかかわり合いの多様性に深く印象づけられた。またカッパーベルトの偽層を持った砂岩のその偽層の一層一層に銅分の入っている層を見た後で、南アの金の化石砂金層坑内を見て歩いて、機械的な鉱粒の運搬もまた見落さない様にしなければいけないと感じた。この古い20億年前という砂金層のおどろきべき自然金の富鉱部はしばしばほとんど石墨化した石炭素のうすい層にうまっているのを見て、その時の河の底の石英の砂利の上に原始的な藻類が、マットの様に生えていたのを、深さ2,000m以上の、暑くしかも狭い坑内を這って歩きながら想像したのを今でもよく憶えている。
 あの年輪を思わせる様なミリメートル単位の、全く平行で広くひろがった、堆積層は、完全な化学沈澱のチャート質の鉄鉱層にも、またマウント・アイサの黄鉄鉱層や鉛・亜鉛の硫化物の細かな縞状の層を持った有機質泥岩にも、ザンビアの黄銅鉱、黄鉄鉱などの縞を持った有機質泥岩にも、同じ様に存在する。続成作用は当然有ったとしても、根本は石英や泥質粘土や有機物と同時の化学沈澱を考えざるを得なかった。ところがミシシッピー型の鉱床になると、後の時代に他所から来たものが殆ど全部であろうと考えざるを得ない。前の場所より一層乾燥環境や、頁岩と礁性の石灰岩相とのFacies Frontという様な様々な特殊環境の組合せを考えなくてはならない。しかも石油と共に動いた鉱液を考え、有機塩類の金属に及ぼす化学的影響等、よくわからないだけに尽きない好奇心がわいてくる。石油の移動と鉱液の移動とはどんな関係にあったのであろうか。石油の移動の機構が石油地質学の方で、よく研究されているだけに、それに学ぶ所も多いであろう。
 火山弧の島国に住む我々にとって、この様な古い大陸のベーズンの堆積鉱床は身近とはいえない。しかし日本は所詮これ等の資源を輸入し、精錬し、加工して、輸出する形で、我々の知能を売って生きてゆく国であろう。筆者は日本のジオロジストが一人でも多く、そして若いうちに、これ等の日本に無い型の鉱床をよく見て好奇心を湧かして、彼等の問題点を本質的に理解して欲しいと思うのである。敵を知り、己を知れば、百戦空しからず、とは孫子の言である。
 地質調査所は今迄100年の間地質や地下資源の研究に尽力してきた。これから次の世紀に向って踏み出すにあたって以上述べた点をふまえて、世界の地質調査所として、グローバルな観点に立ち、活発な基礎的研究によって資源開発に大きく貢献されん事を期待するものである。
 この小論には多くの人の意見を引用したが、文献は終りに付ける暇も無く、省略した。何かの機会に補遺させて頂きたい。
 地質調査所の百周年記念は、又筆者にとっては、若き頃神岡鉱山で、円山鉱床を発見した時から、ちょうど50周年になる。長い探鉱生活の一つの区切りにと、予定よりやや長くなったが、近来の考えの幾つかを述べた。この機会を与えられた事を感謝する次第である。』



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