桃井(1991)による〔『層状マンガン鉱床の地質学』(759-760p)から〕


Abstract
Chert-hosted bedded manganese ore deposits in the Chichibu composite terrane and similar terranes of the inner zone of Southwest Japan are characterized by numerous small deposits composed of rhodochrosite and manganese silicate ores. They are Triassic to Middle Jurassic in age. The deposits in Japan are, together with those of Coast Ranges, California, typical in the mobil belts of the world. On the other hand, giant bedded manganese deposits represented by Nikopol, South Ukraine and Groote Eylandt, Australia, occur in stable continents or in platforms and consist of manganese oxides and rhodochrosite. The deposits in mobile belts and those in stable continents are very contrasting in the scale of deposits, distribution, ore, age, depositional environment and other relevant features. These contrasting characteristics are considered to be the most important problem in the geology of bedded manganese ore deposits.

Key words : manganese deposit, manganese ore, bedded chert, mobile belt, stable continent

はしがき
 日本のマンガン鉱床の組織的な研究は吉村(1938)の加蘇鉱山の研究から始まったと考えられる。その後、吉村(1952)、渡辺(1957)の研究が発表され、日本のマンガン鉱床の成因論は吉村の後生説と渡辺の同生説に二分され激烈な討論が繰り返され、Takabatake(1956)のマンガン鉄鉱についての海底噴気堆積鉱床成因説も加わり、京都における討論会(1960)で頂点に達した(広渡、1980)。これらは特に日本の秩父帯の層状マンガン鉱床の成因についての見解であった。主としてチャートを母岩とする層状マンガン鉱床の成因が交代説か堆積説のいずれによって説明されるのかは当時の関係者の目を見張るような興奮と興味をもたせた。その後、鉱床学者は次第に堆積性成因説に傾いていった。その間、吉村、渡辺によるマンガン鉱床の研究対象はマンガン鉱物の記載に向けられ、層状マンガン鉱床についての成因論争は一時休止の状態に見えた。やがて、吉村(1967、1969)とWatanabe et al.(1970)がそれぞれの説を総括して日本における層状マンガン鉱床の成因論争は終わりをむかえる。その後、南部(1980)は堆積説に基づいて北上山地のマンガン鉱床を総括し、その成因を議論した。1970年代からプレート・テクトニクスの登場とともに世界の層状マンガン鉱床も広く見直されるようになり、その成因も堆積性のものであるとされ、議論の中心はもっぱらその堆積環境におかれるようになってきた。由井(1977)とNakamura(1990)は日本の層状マンガン鉱床全体について優れた紹介を行った。本文中で層状というのはbedded、strata-bound、sediment-hostedという意味で用いている。

日本の層状マンガン鉱床とその地質時代
 従来広く秩父古生層といわれてきた地層は普遍的に層状マンガン鉱床を胚胎している。また、三波川帯および領家帯の変成岩類の中にも一部層状マンガン鉱床がある。広渡(1967)による戦後15年間の生産統計をTable 1(略)に示す。この統計は日本の鉱業史上最も盛んに採掘された時のものであり、これを日本の層状マンガン鉱床の規模とみなしても大きな誤りはないであろう。我が国のこの間の生産量は264万tであり鉱山数は1098なので、1鉱山あたり約2500tとなる。しかし、この中で5000t以下の鉱山が1010を占めていたことを考慮すれば平均800tの極めて小さい鉱床と考えてよい。このように小規模な鉱床が数多く存在するところが日本の鉱床の一つの特徴といえる。近年、特に1980年代に入りコノドントと放散虫の微化石による生層序学的研究が極めて多くなされ、これらの地層が古生代というよりは大部分が中生代の地層であることが明らかになった。従来古生代の化石を産出した石灰岩はいずれも異地性岩体とされ、さらにチャートも異地性岩体とされるようになった。したがって、チャート層に含まれる層状マンガン鉱床も異地性岩体とされ、その地質時代は周囲の砕屑岩類より古い石炭紀後期からジュラ紀中期のいずれかの時代のものとされるようになった。秩父系相当層は近年すべてプレートによる付加体とする考えがあり、異地性岩体のそれぞれの地質年代が決められるようになってきた。Fig.1(略)に日本の層状マンガン鉱床の分布とともに地質時代の決められたマンガン鉱床の位置を示す。
 北海道南西部の渡島半島には秩父系に似た地層が点々と分布し、この中に層状マンガン鉱床が存在する。最近、Ishiga & Ishiyama(1987)はコノドントによる層序学的研究をこの地方で行い、上の国地方の平野鉱山のマンガン鉱床および桧山鉱山のマンガン鉄鉱床を含むチャート層の地質時代が後期石炭紀ないし前期二畳紀であることを明らかにした。このチャート層を含む周辺の泥岩および珪質泥岩層の時代は中期および後期ジュラ紀であり、砂岩層は後期ジュラ紀である。
 北部北上山地にもチャート層中に野田玉川鉱山をはじめとする多くの層状マンガン鉱床が存在する(Yoshii, 1978)。この地域のマンガン鉱床を総括した南部(1980)は北部の岩泉帯マンガン鉱床の時代は後期三畳紀から中期ジュラ紀とした(杉本、1974;吉井・吉田、1974)。南部の釜石−葛巻帯については近年、大上(1990)が大谷山鉱山についてコノドント化石による生層序学的研究を行い、鉱床に直接する上下盤のチャートが後期三畳紀であり、このチャート層を含む砂岩の多い砂岩泥岩互層の中の化石は示さなかったが、ジュラ紀-前期白亜紀のものと考えた。
 関東地方の足尾山地には加蘇鉱山をはじめとする多くのマンガン鉱山が分布し、吉村(1938)や渡辺ほか(1957)によるマンガン鉱床研究の最も古典的な地域であるが、マンガン鉱床を胚胎するチャートの時代論は明らかになっていない。しかし、近年の微化石による層序学的研究から古生代と三畳紀のチャートの存在が明らかにされた(Aono, 1985)。本地域が西南日本内帯の美濃帯や丹波帯と対比されるところから、Nakamura(1990)は上部ユニットと下部ユニットに分け、マンガン鉱床を含むチャート層は下部ユニットの三畳紀のものと推定した。
 美濃帯の中古生層のチャートも多くの層状マンガン鉱床を伴う、木曽山地の浜横川鉱山が著名である。美濃帯については、Yao(1972)により放散虫化石の研究が開始され、三畳紀からジュラ紀にわたる標準層序が確立された(Yao, 1982)。特に犬山付近の木曽川河岸のチャートに菱マンガン鉱の団塊が含まれており、その団塊は多くの菱マンガン鉱の球果を含み、その球果には保存の良い中期ジュラ紀の放散虫化石を含む(Takemura & Nakaseko, 1982)。このマンガン団塊は堆積学者の注目をあび、菱マンガン鉱の炭素と酸素の同位体比の研究により海洋底堆積物中の比較的浅い所で、常温に近い環境で生成したことが明らかにされた(箕浦ほか、1983;Matsumoto, 1987)。
 丹波層群は多くのチャートを伴い、この中に層状マンガン鉱床を多数胚胎している。Isozaki Matsuda(1980)は三畳紀からジュラ紀に至る一連のチャートの存在を明らかにし、石賀(1983、1985)は丹波層群を二つの地層群に分類し、保津川背斜を構成する三畳紀ないし前期ジュラ紀のチャートと後期ジュラ紀の珪質および黒色頁岩からなるものをT型、周山向斜を構成する石炭紀から二畳紀のチャートを含み、中期ジュラ紀の砂岩泥岩層からなるものをU型とした。マンガン鉱床はT型のチャートに伴い、U型のチャートはマンガン鉱床を伴わない(Imoto, 1984;井本ほか、1989;Nakamura, 1990)。井本ほか(1982)は弓山鉱山のマンガン鉱床の下盤チャートから放散虫化石を抽出し、その時代を前期ジュラ紀とした。
 山口県東部には玖珂層群と呼ばれる地層が分布し、この中のチャート層に多数のマンガン鉱床が存在する。玖珂層群は北部と南部ユニットに分けられる。北部ユニットは緑色岩を含み、チャートの年代上限は後期三畳紀で、黒色泥岩は中期ジュラ紀であり、南部ユニットではチャートは前期三畳紀-前期ジュラ紀で泥岩は前期-中期ジュラ紀である(東元ほか、1986;高田、1987)。マンガン鉱床の時代は直接研究されていないが、南部ユニットに含まれ、三畳紀ないし前期ジュラ紀と考えられる。
 西南日本外帯の秩父帯はチャート層を多く含み、その中に層状マンガン鉱床を多数胚胎している。なかでも関東山地、中西部四国、九州に多い。秩父帯は北帯、中帯、南帯の3帯に分けられるが、マンガン鉱床は北帯と南帯に分布し、中帯には見られない。
 秩父帯北帯は須鎗ほか(1983)により特に四国中東部で生層序学的に詳細に研究されている。それによれば、北部には二畳紀および三畳紀のチャートと前期-中期ジュラ紀の砂岩泥岩が分布し、南部には中期-後期二畳紀の砂岩泥岩と異地性岩体としての中期石炭紀-後期二畳紀の石灰岩とチャートが分布する。さらに、北帯の南縁にある穴内鉱山のマンガン鉱床について、母岩の赤色チャートより放散虫化石を分離し、その時代を後期二畳紀とした。
 秩父帯南帯については、北部は後期古生代石灰岩体を含むオリストストロームで、砕屑岩の時代は前期-中期ジュラ紀である。また、南部は鳥巣石灰岩を含むオリストストロームで時代は前期ジュラ紀から前期白亜紀に及ぶという(八尾、1985)。南帯マンガン鉱床を含むチャートの時代は九州西部の佐伯地域のものについて立石(1986)が放散虫化石により明らかにした。マンガン鉱床は彦岳層のチャートに最も集中して分布し、チャートの時代は中期三畳紀から中期ジュラ紀を示す。さらに、マンガン鉱床に直接する母岩チャートの地質年代は大部分が前期-中期ジュラ紀であった。そして、二畳紀のチャートはマンガン鉱床を伴わないことを指摘した。
 チャートに伴う層状マンガン鉱床のほかに、緑色岩に伴った層状の含マンガン鉄鉱床が知られている(Takabatake, 1956)。代表的な鉱山は高知県の国見山鉱山で、秩父帯北帯の南縁に位置する(高畠、1958;Shimazaki, 1970)。Mn 16%、Fe 35%の品位の鉱石からなり、構成鉱物は赤鉄鉱、磁鉄鉱、カリオピライトである。下盤は赤鉄鉱化をうけた緑色岩で、上盤はチャートである。鉱床の正確な地質年代はまだよく分かっていない。
 同じような層状マンガン鉄鉱床は北海道常呂帯にも知られており、赤鉄鉱を主とするMn 10%、Fe 30%の鉱石を数鉱山から約50万t産出した。鉱床は緑色岩の枕状溶岩からなる仁頃層群中にある。その時代は放散虫化石や大型化石により後期ジュラ紀から前期白亜紀とされている(Bamba, 1984;榊原ほか、1986)。その南方20kmには同じ層群中に鉄を含まない層状マンガン鉱床があり、母岩のチャート中の放散虫による時代は前期白亜紀である(Iwata et al., 1990)。これは地層の時代と鉱床の時代が同じであることを示している。Choi & Hariya(1990)は主成分元素および微量成分元素の地球化学的考察から本地域の層状マンガン鉱床が海洋底熱水起源で、一部に水成起源(hydrogenous)の要素も含まれることを示唆した。
 千葉県房総半島の嶺岡層群に伴う層状マンガン鉄鉱床がアンバー(umber)として知られている。鉱床と呼べるほどの規模はないが、鉱石は褐鉄鉱と二酸化マンガン鉱よりなり、枕状溶岩の上に堆積し、チョコレート色頁岩に覆われている(田崎ほか、1980)。アンバーというのはRobertson & Hudson(1973)により地中海のキプロス島で緑色岩上に堆積したマンガン鉄堆積物につけられた名称である。最近、Iijima et al.(1990)は酸素と炭素の同位体比および稀土類元素の化学分析を行い、嶺岡アンバーが始新世中期の火成活動に伴う熱水起源の鉱床であることを明らかにした。
 青森県北部には新第三紀中新世の台島層ないし西黒沢層相当層である大戸瀬層中に層状マンガン鉱床が知られているが、品位も低く、規模も小さい。鉱石は二酸化マンガン鉱で母岩は砂岩、泥岩、凝灰岩で鉱床の下盤側に虎石と呼ばれる玉髄質石英を伴う。これらのことから、火山活動後の海底温泉作用によって形成されたとされている(盛谷・上村、1964;南部、1988)。
 以上のように、日本の層状マンガン鉱床の大部分は秩父系相当層に産し、いずれもチャートを母岩としている。しかし、そのチャートは層状とか千枚珪岩と呼ばれている数cm程度の厚さのチャートと1cm以下の泥質岩との互層である。このようなチャートをribbon chertと呼ぶ場合もある(Hein & Karl, 1983)。このような層状チャートを上盤とし、塊状チャートを下盤母岩とするのが日本の層状マンガン鉱床の特徴であり(広渡、1968;由井、1977;南部、1980)、層状チャートを上盤にし緑色岩を下盤母岩とする場合はマンガンを含んだ層状鉄鉱床であることが多い。日本の層状マンガン鉱床の地質時代については、大部分のものが三畳紀後期からジュラ紀中期に属し、鉱床を含む砕屑岩はジュラ紀中期から白亜紀前期である。北海道南西部の平野鉱山と高知県穴内鉱山の母岩の時代が二畳紀というが、丹波帯および九州秩父帯南帯の二畳紀のチャートはマンガン鉱床を伴っていない。本当に二畳紀のチャートに伴うマンガン鉱床があるのかどうかは今後さらに検討する必要があると思われる。』

マンガン鉱床の初生鉱石
世界の層状マンガン鉱床
(1)変動帯の層状マンガン鉱床
(2)安定大陸の層状マンガン鉱床

 (a) 陸源物質を母岩とする鉱床
 (b) 炭酸塩岩を母岩とする鉱床
 (c) Gonditeに伴う鉱床
 (d) 縞状鉄鉱に伴う鉱床
考察
おわりに
文献



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