吉村(1969)による〔『日本のマンガン鉱床補遺 後編 日本のマンガン鉱山』(487p)から〕



目次

第1章 緒言
 旧著175頁。今回も旧著と同様の方針により、順序も旧著にしたがって、わが国のマンガン鉱山を記述する。
 旧著以後は多数の人々によってマンガン鉱床の研究が行われ、一時は学界にもマンガンブームの語ができるまでになり、多数の文献が発表された。本書においても、できるだけこれ等を紹介するに努めたが、紙面の都合で単に表題を掲げるに止める場合も多かった。
 旧著にも言及した“日本鉱産誌”は、その後工業技術院地質調査所において改訂版の編集を完了し、そのBI-C巻“鉄・鉄合金および軽金属”の中に“マンガン鉱”の項が含まれて刊行された。
 日本鉱産誌BI-C巻、Uマンガン鉱、p.56-102。鉱山別の表、Uマンガン鉱床、p.70-209(1954)。
 本書においては旧著と同様に各地域別に鉱山表を掲げたが、筆者の調査できなかった鉱山については、日本鉱産誌の鉱山別の表に負うところが多い。
 昭和37年から5年間にわたって実施された国内鉄鋼原料調査によって、多数のマンガン鉱山が調査された。その報告書は、第1報(1963)から第4報(1966)まで、本書にその項目だけでも紹介することができた。盛業中のマンガン鉱山が非常に少数であった期間の調査であるから、本書に筆者が記述したような盛大に稼行されている時期の見聞とは、多少の差があるのは当然のことであろう。』



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