市川(1999)による〔『環境学』(232-235p)から〕


目次

『■なぜ濃縮するのか
 この節の冒頭で触れた原子力の二つの間違った前提のうち、第二の前提、つまり「人工放射性核種も自然放射性核種も、生物や人体に対する影響は同じである」との前提も、この節で述べてきたように、やはり間違ったものであることが、ムラサキツユクサを用いた私たちの実験をきっかけに証明された。人工放射性核種には、生体内で著しく濃縮されるものが多く、それゆえ大きな体内被曝をもたらすという、自然放射性核種には見られない特質があったのである。したがって、問題は、当初考えられていた放出放射線の同異にではなく、環境中や生体内での放射性核種の挙動の差異にあった。
 それではなぜ、自然放射性核種と人工放射性核種が異なる挙動を示すのであろうか。それは、生物の進化と適応の過程と密接な関係をもっている(第1章の4参照)
 この地球上には、生物が現れる以前から、自然放射性各種が存在していた。その代表的なものがカリウム40(カリウム40の放射能半減期は12億5,000万年であり、地球誕生時には、現在の16倍近く存在した)である。
 私たちは、常に自然放射線を浴びており、その内訳は、宇宙から飛来する宇宙線が年間ほぼ300マイクロシーベルト(100マイクロシーベルトが10ミリレムに当たる)、地殻中(コンクリートなど、地殻中の資源を材料とした建材などを含む)の自然放射性核種からの放射線が年間300マイクロシーベルト前後、そして食物などを通じて体内に入った自然放射性核種から受ける分が年間ほぼ250マイクロシーベルトで、年間合計850マイクロシーベルト前後の被曝を受けている。つまり、1年間に体外被曝と体内被曝が、それぞれ600および250マイクロシーベルトということになる。
 ただし、地殻からの体外被曝は、地域の地質によってかなりの差異がある(通常は、150-500マイクロシーベルトの範囲内である)。一方、宇宙線の量は、平地であるかぎりあまり変わらない(コンクリート建物の場合は、宇宙線を遮蔽するが、コンクリート材からの放射線が加わる)し、食物を通じての体内被曝も、食品が広域に流通している現在では、あまり大差がない。
 自然放射線のうち、体内被曝と、地殻からの体外被曝は、自然放射性核種からのものであるが、その大部分がカリウム40によるものである。カリウム40は、天然に存在するカリウムのうちの1万分の1強を占めており、この元素が環境中に多量存在し、生物にとって重要な元素であるから、カリウム40が否応なしに体内に入ってくる。しかし、カリウムの代謝は早く、どんな生物もカリウム濃度をほぼ一定に保つ機能をもっているため、カリウム40が体内に蓄積することはない。
 カリウムを早く代謝し、その体内濃度を一定に保つこうした生物の機能は、カリウム40が常に存在していたこの地球上で、生物が、その進化の過程で獲得してきた適応の結果なのである(カリウムを蓄積するような生物がかりに現れたとしても、蓄積部位の体内被曝が大きくなり、そのような生物は大きな不利を負うことになるから、進化の途上で淘汰されたであろう)
 カリウム40に次ぐ被曝をもたらしている自然放射性核種は、ラドンの核種(ウラン238の崩壊系列で生じるラドン222と、トリウム232の崩壊系列で生じるラドン220がある)である。ラドンは、いわゆるラジウム温泉が出る地域に多く存在し(ウラン系列ではラジウム226からラドン222が、トリウム系列ではラジウム224からラドン220が生じる)、こうした温泉に入ると、湯気とともに出てくるラドンが肺内まで入るが、ラドンが希ガスであるため、体内に取り込まれたり濃縮されたりすることはなく、すぐ肺内から出て行く(ラドンは、通常の地域でもわずかながら地中から出ており、とくに降雨のあと多い。最近、問題となっているのは、室内ラドンによる被曝である。これは、アルミサッシなどにより建物の気密性が高くなっていることと、非換気式の冷暖房が増えているためである)
 これらカリウム40やラドンなど自然放射性核種と異なり、著しい生体濃縮を示す人工放射性核種は、いずれも自然界には放射性核種が存在しない元素のものである。
 たとえば、ヨウ素がそうである。天然のヨウ素は、その100%が非放射性であり、生物は、この非放射性のヨウ素に適応して、哺乳動物なら、それを甲状腺に選択的に集めて成長ホルモンをつくるのに活用する性質を獲得している(成長ホルモンをより多く必要とする若い個体ほど、甲状腺にヨウ素を速く集める)。また、ヨウ素は、海には豊富に存在するが、陸上には乏しいため、進化の途上で陸上に生息するようになった植物は、ヨウ素を効率よく高濃縮する性質を獲得してきている。つまり、現在の高等植物がヨウ素を空気中から体内に何百万倍にも濃縮したり、哺乳動物がヨウ素を甲状腺に集めるのは、いずれも天然の非放射性ヨウ素に適応した、みごとな能力なのである。
 ところが、人類が原子力によって、放射性ヨウ素をつくり出すと、進化の途上で獲得した、こうした貴重な適応が、たちまち悲しい宿命に一変し、その放射性ヨウ素をどんどん濃縮して、体内から大きな被曝を受けることになってしまうのである。
 ストロンチウムも同じである。この元素の自然界での存在量はわずかであるが、この元素と化学的性質が同じ(元素周期律表の同じ縦の列に属する元素は、共通の化学的性質をもち、同族元素と呼ばれる)カルシウムが大量に存在し、生物にとって重要な元素の一つとなっている。天然のカルシウムには放射性のものが存在せず、それゆえ生物は、この元素を積極的に取り込んで、骨、歯、鳥の卵殻、貝殻、エビやカニの甲羅などをつくっている。つまり、カルシウムをこれら組織に蓄積、濃縮するのである。このカルシウムと化学的性質が同じストロンチウムも、これら組織に沈着、濃縮される。したがって、原子力によってストロンチウム90をつくり出すと、28年という長い放射能半減期をもつこの人工放射性核種がこれら組織に沈着、濃縮されることになる。
 しかも、ストロンチウム90には、さらに3つの深刻な問題がある。その1つは、カルシウムやストロンチウムを蓄積、濃縮するこれら骨や歯などの組織の代謝が極めて遅いことであり、そのため、物理的半減期が長いだけでなく、生物学的半減期も長くなるのである。第2に、ストロンチウム90が放出する放射線がベータ線のみであり、そのため、骨に沈着、濃縮されると、骨髄などその近辺の組織に集中的な被曝をもたらすことになる。第3の問題は、この核種が崩壊するとイットリウム90という、この核種よりもはるかに強力なベータ線を放出する核種が生まれることであり、その放射能半減期が短い(2.69日(64.5時間))にもかかわらず、ストロンチウム90以上の吸収線量を与えるから、生物学的影響が大きく増幅されることになる。
 このように、人工放射性核種は、自然界になかったものであるため、生物をあざむき、生物が長大な進化の過程で築き上げてきた貴重な性質が、たちまち悲しい宿命に一変するのである。そして、このことこそが、原子力の最大の問題であった。』