『2 環境問題とその構造
公害問題から環境問題へ
地球環境の問題が議論され始めたのは、ごく最近のことである。
日本でも、環境問題は、最初、ある一定範囲の地域にわたって健康障害や生活困難を引き起こす公害問題として意識された。公害がとくにひどくなったのは、高度経済成長が始まってからの1960年前後のことで、有名な「阿賀野川水銀中毒(新潟水俣病)」、「四日市ぜんそく」、「イタイイタイ病(神通川カドミウム中毒」、「水俣病」の四大公害訴訟が起こされたのも、いずれも60年代後半であった。これらは、いずれも、その加害企業を特定できるという特徴があったが、その後、モータリゼーションの進行にともなう排ガス、騒音、光化学スモッグ、家庭で用いる合成洗剤や農家が散布する農薬による河川、湖沼の水質悪化など、環境汚染が広範にわたる段階になると、加害者も被害者も特定しにくい状況が出て来て、問題はむしろ一般的な環境問題としてとらえられるほかなくなってきた。
加えて、80年頃から、酸性雨、熱帯林の減少、砂漠化、オゾン層の破壊、気候温暖化、海洋汚染など、地球規模での環境の変化の進行状況が明らかになるにつれ、80年代の末には、環境問題への具体的な対処はついに国際政治上の主要問題になるに至った。その動きは、つぎのように急ピッチである。
87年 | オゾン層保護のための国連環境計画(UNEP)の議定書(モントリオール)に24カ国が署名。99年までに消費量半減を規定。 |
89年 |
モントリオール議定書締約国会議(80カ国)で今世紀中の「フロン全廃」を採択(5月)。 国連環境計画、地球温暖化防止条約作りを合意(5月)。 世界環境相会議、「CO2凍結宣言」(ハーグ、11月)。 |
90年 | 世界気候会議(第2回、11月、ジュネーヴ)。 |
91年 | 地球温暖化防止条約交渉始まる(ワシントン、2月)。 |
92年 | 「地球サミット=環境と開発に関する国連会議」(183カ国、リオデジャネイロ、6月)で、「環境と開発に関するリオ宣言」など。同時に「地球温暖化防止条約」「生物多様性条約」に156カ国が調印。 |