高橋・石田(1993)による〔『環境学を学ぶ人のために』(9-16p)から〕


2 環境問題とその構造
公害問題から環境問題へ

 地球環境の問題が議論され始めたのは、ごく最近のことである。
 日本でも、環境問題は、最初、ある一定範囲の地域にわたって健康障害や生活困難を引き起こす公害問題として意識された。公害がとくにひどくなったのは、高度経済成長が始まってからの1960年前後のことで、有名な「阿賀野川水銀中毒(新潟水俣病)」、「四日市ぜんそく」、「イタイイタイ病(神通川カドミウム中毒」、「水俣病」の四大公害訴訟が起こされたのも、いずれも60年代後半であった。これらは、いずれも、その加害企業を特定できるという特徴があったが、その後、モータリゼーションの進行にともなう排ガス、騒音、光化学スモッグ、家庭で用いる合成洗剤や農家が散布する農薬による河川、湖沼の水質悪化など、環境汚染が広範にわたる段階になると、加害者も被害者も特定しにくい状況が出て来て、問題はむしろ一般的な環境問題としてとらえられるほかなくなってきた。
 加えて、80年頃から、酸性雨、熱帯林の減少、砂漠化、オゾン層の破壊、気候温暖化、海洋汚染など、地球規模での環境の変化の進行状況が明らかになるにつれ、80年代の末には、環境問題への具体的な対処はついに国際政治上の主要問題になるに至った。その動きは、つぎのように急ピッチである。
87年 オゾン層保護のための国連環境計画(UNEP)の議定書(モントリオール)に24国が署名。99年までに消費量半減を規定。
89年
モントリオール議定書締約国会議(80国)で今世紀中の「フロン全廃」を採択(5月)。
国連環境計画、地球温暖化防止条約作りを合意(5月)。
世界環境相会議、「CO2凍結宣言」(ハーグ、11月)。
90年 世界気候会議(第2回、11月、ジュネーヴ)。
91年 地球温暖化防止条約交渉始まる(ワシントン、2月)。
92年 「地球サミット=環境と開発に関する国連会議」(183国、リオデジャネイロ、6月)で、「環境と開発に関するリオ宣言」など。同時に「地球温暖化防止条約」「生物多様性条約」に156国が調印。


環境破壊の諸相
 ここで簡単に、いま問題になっている環境破壊の諸相を整理しておこう。環境問題はそれこそ多面的なので、一定の視角を定めてこれを整理することは難しいが、ここではとりあえず、人びとによって意識されている姿で整理することにしよう。
(1)人の健康や生命に危害を及ぼす有害物質の拡散。
 さきの四大公害は、工場から大気中に放出された亜硫酸ガスが、あるいは川や海に排出されたカドミウム、水銀などの重金属が、人体に吸収されたものであり、いずれもこのカテゴリーに入る。
 自動車の排ガスからの窒素酸化物や、PCB、ダイオキシン、農薬などといった化学物質、漁網や舟の塗料からの有機スズ、原発関連の放射性物質が、大気、水、土壌の中に拡散していき、これらを汚染する。それらは、呼気、飲料水、食べものを通って人体に入り込む。
(2)人間にはともかく、他の生物に悪い影響を与える有害物質の拡散。
 農薬、化学肥料などは、昆虫、鳥、魚、その他の動物にも、人間にたいすると同様、あるいはもっと深刻に悪い影響を与える。また、工場や自動車から大気中に放出された硫黄酸化物、窒素酸化物は、酸性雨、酸性霧となって、森林を枯らし、湖沼の生物を死滅させる。これらは、いずれも生態系の攪乱ないしは破壊につながる。
(3)生態系の攪乱、破壊(「生態系」については、第5章を参照:略)。
 森林、海、湖沼、河川、土壌の中では、多数の種類の生物が、おたがいにさまざまな関係を結びながら、また一定のバランスを保って、生活をしている。おおがかりな森林の伐採や道路建設、ゴルフ場・ホテルの建設などの開発、広範な農薬の散布、無神経な河川改修などは、こうした生態系を直接に破壊してしまうし、生物資源の乱獲、工場廃水による汚染、家庭排水による水質の富栄養化なども、生態系のバランスを崩すものである。生態系の攪乱、破壊の結果は、特定の生物資源の枯渇や、「貴重な」野生種の絶滅として現われることが多い。
(4)国土の荒廃。
 大規模で無秩序な森林伐採や、人口増加の圧力から来る森林の耕地化は、山地部の保水能力を著しく低下させ、山崩れや洪水を発生させやすくする。近年、フィリピン、インド、パキスタン、バングラデシュ、中南米では、こうした災害の例が多く報告されている。
 また、アフリカやアジアでは、これまた人口圧力のもとで、過剰な農耕や放牧のため、農地や牧草地が砂漠と化したり、不毛の地に変わりつつある。
 日本でも、山を削ったり、海岸線を埋め立てたりで、国土の美しさが損なわれることが問題になっている。
(5)地球規模での変化。
 最近とくに問題になっているのは、フロンによる成層圏のオゾン層の破壊と、大気中のCO2濃度の増大による地球の温暖化とである。フロンのばあいは、代用物質の開発をすすめるなどで、一応の対策を立てることができるにしても、すでに大気中に放出されているフロンの影響は、なお数十年は続くだろうと考えられている。しかし、CO2のばあいは、対策は困難である。CO2は、石油や石炭などの燃料からエネルギーを取り出そうとするばあい必ず発生するもので、これを減らそうとすれば、生産活動を抑えなければならなくなるからである。また、森林の減少も、大気中のCO2を増やしたり、局地的には乾燥化をすすめ、ひいては気候にも影響を与えることが懸念されている。

「環境」と人間との関係−三つのステップ
 人類の歴史において、人間と環境との関係はおおまかに三つの段階に分けることができるだろう。
 最初の段階では、人間は自然環境を与えられたものとして受けとり、もっぱら自然に合わせて生活を営んでいたと、考えられる。ここでは、自然は、昼夜の繰り返し、四季の繰り返しなどの周期的な変化はあるにしても、基本的には、不変のものとして人間の前にあった。地震とか、長く続く日照り、大雨・長雨、猛暑・酷寒など、自然の「異常」は、天変地異と受けとられ、人びとはその災厄から何とかして逃げようとするほかは、自然の猛威の前にただ怖れ戦くのほかなかったはずである。
 食べ物は、自然の産物をそのまま手に入れる、狩猟・採集に頼っていた。
 やがて、人間は農業を発明した。農業によって食糧がより安定的に確保されることになった。それは、人間による「環境」の意識的な改変を意味するものであった。これが、第二の段階である。この時から、徐々にではあるが、人間は自然と対立し、これを飼い馴らし、征服する道を歩み始めた。文明の始まりである。およそ1万年ほど前のことと考えられている。しかし、自然の力はずっと大きく、そのふところも深かった。人間のあらゆる営みも、地球全体から見れば、シミか虫食いの程度にしか過ぎなかったであろう。
 それでも、人間は自然を支配する力、つまり生産力をしだいしだいに高めてきた。やがて、18世紀から19世紀にかけて西ヨーロッパを中心に産業革命が起こると、この生産力は猛烈なスピードで大きくなり始めた。第三段階が始まる。第二次大戦後にはそれがさらに加速されるに至った。
 以上の三つの段階において世界人口の増加も生産力の増大と軌を一にした。図-3(略)で分かるように、人類史全体から見れば、ここ200年ほどの間の人口の増え方は、まさに爆発的である。そして当分は、少なくとも年1億人以上の割合で増え続けるものと見られている。

ふくれあがった人口・巨大になった生産力・肥大する欲望・資本主義のシステム
 こうして、現在は、量的にも巨大にふくれあがった人類が、飛躍的に発展した自然支配力(生産力)を用いて、物質的な豊かさ、快適さ、便利さを飽くことなく求めて、大量生産、大量消費を行なっている段階である。日本の経験をとって見ても、各種の家庭電化器具、テレビ、冷暖房器具、自動車、バイク等の普及、食生活における畜産製品の割合の増大などの現象は、いずれもここ2、30年の間にわれわれの生活の中に新しく入り込んで来たものである。それは、たしかに物質的な豊かさをもたらし、国民にある種の充足感を与えていることは事実である。こうした状況を見ると、人間の欲望は際限のないものだと思えるかもしれない。しかし、そのばあい、必ずしも、欲望が勝手にどんどん肥大化していったわけではない。問題は、むしろ資本主義のシステムにある。
 資本主義は、景気が悪くてはうまくいかないシステムである。企業が倒れ、失業者が出る。それを避けるために、企業も政府も、何とかして需要を作り出そうとする。つぎつぎと新しい商品を開発して、テレビ、新聞、雑誌、看板等を通じてすさまじい宣伝を行なう。それによって人びとの欲望も作り出され、商品にたいする需要も創出される。こうして、経済成長が経済システムの健全に機能していることのバロメーターだとされる。
 といって、地球上の人類のすべてが同じような豊かさを実現しているわけではない。むしろ、地球上の人類55億人(1992年)のうち8割以上はまだ貧しい開発途上の国に属しており、たくさんの人びとが飢餓にさらされている。しかし、2割の先進国の人びとの享受しているこの目に見える物質的な豊かさ、便利さは、当然、社会主義の国の人びとや、開発途上国の人びとの間にも、それにたいする強い欲望を引き起こし、それぞれの国の政府をして強い開発への意欲をもたせる方向で作用している。

地球環境の有限性とブーメラン現象
 地球は広い、と言っても、人間が利用し、そこで生活している部分は、地球を1個のリンゴにたとえれば、せいぜいその表皮の部分に過ぎない。いまや、膨大な人口をかかえ、巨大な生産力を操る人類にとって、この地球環境は、相対的に狭くなり過ぎた。人類の一挙手一投足が、スプレーの一吹きさえもが、すぐさま自然環境に大きな影響を与えるようになって来ている。それが自然を変化させる規模も大きくなり、変化させる速度も速くなったため、自然がもとの状態に帰る時間的なゆとりもなくなって来た。人間を取り巻く環境の変化がだんだんピッチを上げながら進行している。環境問題の深刻化である。
 このように、いまや巨人となった人間の活動は、何であれ、環境に大きな影響・変化を与えると考えた方がいい。次いで、その変化は、あたかもブーメランのように、環境問題として人間の側に返って来ている、というのがいまの状況である。』



戻る