川名(2001)による〔『ディーゼル車公害』(20-27p)から〕


目次

ディーゼル微粒子とは何か
 ディーゼル微粒子とは、どのようなものなのか。
 ディーゼル微粒子はディーゼル自動車が窒素酸化物とともに排出する黒煙中に含まれている。この黒煙はディーゼル車の燃料である軽油が高温で燃焼した時にエンジンの排気筒から噴き出る一種の煤で、この中に人の健康に被害を与える恐れのある多環芳香族炭化水素、すなわちディーゼル微粒子(略称・DEP)が含まれている。ディーゼル車が排出する黒煙の量はガソリン車の出す黒煙の十倍から百倍も多い。
 次に浮遊粒子状物質(略称・SPM)とは何か。ディーゼル微粒子は浮遊粒子状物質とどう違うのか。
 大気汚染物質には生産活動や人間生活によって排出された煤塵、粉塵、有毒ガスなどがある。大気汚染防止法ではこれらの大気汚染物質を@煤煙、A粉塵−の二つに大別し、煤煙をさらに物の燃焼に伴って発生する硫黄酸化物、煤煙、窒素酸化物・カドミウムとカドミウム化合物・塩素・塩化水素・フッ素とフッ素化合物・鉛と鉛化合物と法定している。
 大気汚染防止法でいう粉塵は物の破砕や選別などの機械的処理、堆積にともなって発生し、飛散する物質をさし、大気中に浮遊する固体状の微粒子のことをとくに浮遊粉塵という。浮遊粉塵は金属の切削や製鋼の過程などで生ずるほか、石油・石炭などの燃焼、自動車の排出ガス、工場のボイラー・炉などの燃焼施設からの排出物質、ビル暖房の排煙などに含まれる。
 この浮遊粉塵のうち、直径が10マイクロメートル(1マイクロメートルは1ミリメートルの千分の1)以下のものを浮遊粒子状物質と名づけている。
 浮遊粒子状物質の粒子は8割までが直径1マイクロメートル以下、大きい粒子でも2.5マイクロメートルまでと比較的小さい。ちなみに火力発電所や各種工場などから排出される窒素酸化物や硫酸イオン、揮発性有機化合物などの粒子も、ほとんどが直径2.5マイクロメートル以下の微細な粒子である。
 浮遊粒子状物質はその発生状況によって工場や火力発電所、焼却炉などの煙突、自動車のエンジンの排気筒の中ですでに粒子状になっているもの、煙突や排気筒から大気中に放出された高温のガス状物質が急速に冷やされて生成されるもの、大気中のガス状物質から二次的に生成されるものなどに分けられる。煙突の中から大気中に放出され、急速に冷やされてできる粒子状物質は「凝縮性ダスト」と呼ばれる。この「凝縮性ダスト」は環境庁の検討会や川崎市公害研究所などによる実態調査の結果、浮遊粒子状物質排出総量の半分を占めていることが分かったという。
 大気中には軽油が燃えた時に出る発がん性物質をはじめさまざまな有害物質が煤塵や直径10マイクロメートル以下の微細な粒子状物質に付着して放出され、漂っている。放出される物質は1000種類以上とみられる。これらの物質の中には発がん性を持つ化学物質が何種類も入っている。それらの発がん性物質はベンツピレン、1-ニトロピレン、1,3-ジニトロピレン、1,6-ジニトロピレン、1,8-ジニトロピレン、3-ニトロフルオランテン、アルデヒド、放射性物質、クロム、アスベスト、ベンジン、ニッケル、タールなど、強力な変異原性を持ち、がんを引き起こす可能性の大きい物質としては3-ニトロベンズアントロン、そのほかの有害化学物質としてはカドミウム、鉛、バナジウムなどがある。ディーゼル車の排出ガスに含まれるアルデヒドの量はガソリン車の排出ガスと比べて約200倍も多い。
 浮遊粒子状物質の濃度が24時間平均値で大気1立方メートル当たり0.12ミリグラムにまで増えると、学童の呼吸器疾患が増加し、0.20ミリグラムを超えると、労働者の病気欠勤率が目立つ。さらに0.30ミリグラムから0.40ミリグラムに増大すると、慢性気管支炎などの病状が悪化するとされている。
 こうした微細な有害物質はフィルターとも言うべき鼻毛や喉を通り抜けて肺組織にまで吸い込まれ、それ自体か他の発がん物質や有害なガス状物質、喫煙などとの相乗作用により、ぜん息性気管支炎、気管支ぜん息、慢性気管支炎、肺気腫、肺がんなどの呼吸器疾患を引き起こす原因となる。
 浮遊粒子状物質、浮遊粉塵の発生源は1973年10月の石油危機ごろまでは、大まかに工場やビルのボイラー、金属加工の工場などから6、7割、自動車から3、4割と見られていた。だが、多量のディーゼル微粒子を排出するディーゼル車が急増した1970年代後半以降、年々自動車の排出する割合が増え、1994年度の関東地方自動車排出局平均では自動車が43.0パーセント、工場・事業場が18パーセント、自然界からの発生が17.7パーセント、不明分・予測も出る誤差が13.1パーセント、その他7.3パーセントである。
 自動車の排出する浮遊粒子状物質のうち、ガソリン自動車の排出する割合はごくわずかで、ほぼ100パーセントがディーゼル車からの排出物である。平均的なディーゼル大型トラックが1キロ走った時に出る粒子状物質の量は約1グラム。100キロ走れば、多くの発がん物質を含んだ粒子状物質が100グラム出る。
 工場が少なく、自動車の多い東京都の場合、浮遊粒子状物質の総排出量に占めるディーゼル車の割合は、かなり大きい。1992年4月、東京都が測定したディーゼル微粒子の割合は47.7パーセントで、1987〜88年からの4〜5年間にディーゼル微粒子が6.4パーセントも増加した。
 一般に窒素酸化物の濃度が高いところは浮遊粒子状物質濃度も高い。これはガソリン車に比べて多量の窒素酸化物(小型貨物車は5.2倍、普通貨物車は21.2倍)と浮遊粒子状物質を排出するディーゼル車が自動車の大半を占めているためである。環境庁の調査によると、自動車排出ガスから出る二酸化窒素の量は全国で年間約55万トン。このうちの75パーセント、つまり4分の3までがディーゼル車から発生している。
 ところで、微小な浮遊粒子状物質(微粒子)は自動車や工場で、どんなメカニズムで発生するのだろうか。埼玉大学工学研究科の坂本研究室で窒素酸化物(NOx)と炭化水素を袋に入れて30度に保ち、紫外線に当てる実験をしたところ、約30分後に粒子が発生し、粒子はやがて1立方センチ当たり1000個以上に増えた。この粒子は、まず窒素酸化物が紫外線によって分解され、これによってできた不安定な酸素原子が空気中の酸素と結びついて、オゾンになり、次にこのオゾンが炭化水素と結合してできたものである。
 この実験から明らかなように、粒子の生成には炭化水素が関わっている。炭化水素は炭素(C)と水素(H)からなる有機化合物の総称で、種類は極めて多い。主な炭化水素化合物を挙げると、メタン、ブタン、プロパン、エチレン、アセチレンなどだが、化学的な性質・状態からは芳香族、パラフィンなども炭化水素化合物に含まれる。炭化水素の主な発生源は自動車排出ガス工場などの燃焼施設、石油の製造・処理過程、ペンキや油性塗料、インクなどの蒸発である。ちなみに自動車排出ガス中に含まれている主要な汚染物質は窒素酸化物、炭化水素、一酸化炭素の3物質で、炭化水素は自動車のエンジン内で不完全燃焼の際に発生する。
 炭化水素はオゾンと結合して微小な浮遊粒子状物質を発生させるだけでなく、二酸化窒素と光化学反応を起こし、光化学スモッグ生成の原因となる。
 ディーゼル微粒子に発がん性があり、人の健康に悪影響を及ぼすことは明らかになっているが、ディーゼル排出ガスやディーゼル微粒子をどれだけ吸い込めば呼吸器などに影響が出るかというデータは不足している。また東京都環境科学研究所が実際に車を走らせて測定したところ、ディーゼル微粒子でも窒素酸化物でも、頻繁に発進・停止を繰り返すと、排出量が増加すること、その排出量は実際に走行中の自動車の方が実験室の中でエンジンを動かすだけの場合よりも多いことが分かってる。このため今後この面の調査・検討を進め、そのうえでディーゼル排出ガス対策強化のための具体的な規制値を設定することが必要であろう。
 関東地方では夏、内陸部の群馬県南部などで浮遊粒子状物質の濃度が高くなる不思議な現象が起こっている。環境庁が東京都心から北または北西方角へ風向きに沿って都内、浦和市、群馬県高崎市の3地域を選んで浮遊粒子状物質を採取、その成分を分析したところ、自動車や工場などから直接排出された浮遊粒子状物質の割合は内陸部では非常に少なくなり、代わって大気中で二次的に発生した粒子が増加、東京都心や横浜・川崎市などと同じくらいの高い濃度になっていることが分かった。
 たとえば東京都心から北西約100キロの距離にある群馬県藤岡市でスギ林のスギが枯死・衰弱しているが、これは東京や横浜・川崎の京浜工業地帯や千葉・市原・君津市などの京葉工業地帯から風に乗り、約5時間がかりで運ばれてきた窒素酸化物や浮遊粒子状物質によるものとみられている。
 このようにして発生する浮遊粒子状物質はどのように体内に取り込まれるのだろうか。
 降下煤塵は大きいために、たとえ呼吸の際、吸入されても鼻やのど、気道の粘膜に付着し、その繊毛運動によって体の外に出され、呼吸器官の深部には入らない。しかし極めて微細な浮遊粒子状物質は吸入され、気管・気管支を経て肺の奥にまで達して気管・気管支、肺胞に沈着して蓄積される。その結果、長期にわたり人体に有害な影響を及ぼし、慢性的な呼吸器疾患の原因となったり、がんを引き起こしたりする恐れがあることが様々な動物実験の結果、明らかになっている。
 環境庁の「浮遊粒子状物質総合対策検討会」(座長・芳住邦雄共立女子大学教授)が1999年6月、同庁に提出した報告書によると、同じ工場・事業所の煙突から出た窒素酸化物や硫黄酸化物が大気中で光化学反応を起こして新たな浮遊粒子状物質を生成すること、およびそれがかなりの量にのぼっていることが分かったという。「検討会」はその低減対策として、ボイラーなど煤塵発生施設の大幅な規制強化、炭化水素の規制、規制対象外の小型廃棄物(焼却炉1時間当たりの焼却量が200キロ未満)の規制、汚染の激しい首都圏と近畿圏での工場・事業所から発生する煤塵などの総量規制の実施などを提言している。
 ディーゼル微粒子は大気中に排出された後、汚染物質同士が化学反応を起こして、さらに新しい浮遊粒子状物質を生成するというのだから、ディーゼル微粒子の発生量をできるだけ少なくするための規制策が必要である。』