水村(1998)による〔『水圏水文学』(1-2p)から〕


第1章 序

 本章では、水文学とはどんな学問なのか、どのように進歩してきたか、水文学的水循環(hydrologic cycle)とは何か、我々を取り囲む水資源の状況はどうなっているのか等を学ぶ。

1.1 水文学とは

 水文学(すいもんがく、hydrology、これの形容詞はhydrologicまたはhydrological)とは地球上の水の発生、分布、移動、性質、環境関係を論ずる学問である。これを学問的に厳密に定義するとつぎのようになる。
「Hydrology is the science that treats of waters of the Earth, their occurrence, circulation, distribution, their chemical and physical properties, and their reaction with their environment, including their relation with living things.」
 これは、気候学、気象学、地質学、土科学、土壌学、地理学、水理学、流体力学、河川学、湖沼学、海洋学、地下水工学、統計学、確率過程、オペレーションズ・リサーチ、システム工学等を含み、水資源工学、ダム工学、衛生工学、さらに、政治学、経済学、社会学とも密接に関連する非常に幅広く奥が深い学問である。アメリカ土木学会(ASCE)では最近(1996年)になって水文学を水工学(Hydraulic Engineering)部門より独立させてHydrologic Engineeringとしている。本学問は具体的には次のような工学問題に応用される。

等、数え上げればきりがない。我々周辺の土木工学における水の問題で水理学、河川工学、海岸工学、地下水工学、衛生工学等を取り去った残りすべての学際的分野が対応する。したがって、これらの分野と重なり合う部分も少なくない。水文学(文学)の日本語は水理学(理学)に対応させて付けられたといわれている。日本語訳には惑わされないでほしい。本書で扱う範囲はHydrologic Engineeringに相当しており、河川水文学ではない。本分野に関連した世界レベルの雑誌としては前述したJour. of Hydrologic Engineeringの他にJour. of HydrologyやWater Resources Researchがある。

1.2 水文学の歴史

 前述したように、水文学は他の水の分野の学問といっしょに発達してきたために、どこまでを水文学の領域とするかによって、その歴史は変わるであろう。しかし、現代の水文学の影響範囲から考えると、つぎのようになるであろう。
1. 1856年 ダルシー則(Darcy) …フランス
2. 1889年 合理式(Kuichling)とマニング式(Manning) …アメリカとアイルランド
3. 1931年 浸透能理論(Horton) …アメリカ
4. 1932年 単位図法(Sherman) …アメリカ
5. 1938年 総合単位図法(Snyder)とマスキンガム法(McCarthy) …アメリカ

 ここまでが、水文学の基本であろう。1960年代後半、YevjevichやMatalasらにより電子計算機を使って水文データを時系列的、確率統計的、またはシステム工学的に解析する確率統計水文学(stochastic hydrology)が成立してきた。これが、もっぱら数値の適合性に興味の主体を置いたのに対して、力学の観点から水文学を見ていくとして、Eagleson、Woolhiserらのdynamic hydrologyが浸透した。
 同時期、洪水流出に際して地中流の流れが重要な役割を演じ、主として地表流は流域の一部でしか発生しないことが、欧米の地質学者によって報告された。これが、流出過程の見直しを求め、野外観測が再確認された山腹斜面水文学(hillslope hydrology)の登場である。しかし、日本では物理水文学という。こう呼ぶのは物理という単語好きまたは新しもの好きの日本人だからかもしれない。むしろ、実証水文学(actual hydrology)といった方がよいかもしれない。確率統計水文学はさらに複雑な計算を可能にし、測量シミュレーション等の水資源工学(water resources engineering)の問題解決や発展に貢献した。どの分野が優り劣るとかいう問題ではなく、多くの分野が刺激し合って発展するのである。このためには水文学を広い観点から眺める能力を持つことが必要となる。』


戻る