長沼(1995)による〔『地球の水圏−海洋と陸水』(116-118p)から〕


目次

3章 陸水
1.陸水と水文
(1)陸水と陸水学

 陸水とは、河川水・湖沼水・地下水・雪氷などのことをいい、海洋以外の陸地に囲まれた地表およびその付近の水体を総称してよんでいる。これらの水体はそれぞれ独立して自然界に存在しているばかりでなく、相互に関連し合っており、場合によっては海水(塩水)も考慮に入れる必要がある。地球上における陸水の量は、1章で記したように総量の2.5%にすぎない。われわれが地表で見ている河川や湖沼の水量は、陸水の1%以下である。しかし、河川水は常に流動しており、さらに循環する速度は陸水の中でもっともはやく、水資源的価値も高いといえる。
 陸水、すなわち陸地上の水に関する自然科学を陸水学という。陸水学という用語は、1931年6月、日本における陸地の水に関連する学会の創立発起人会で命名されたといわれている。その発案や提案の趣旨は、海水という用語があるなら、それに対して内陸水あるいは内陸水域を簡略化した陸水(inland water)が適当であろうとなって、陸水学(limnology)の用語が生まれた。その際、日本陸水学会が創立(1931年)され、欧文名にlimnologyの語をあてて現在に至っている。
 ヨーロッパにおける陸水学は、19世紀後半まで湖沼に関する研究が中心であり、陸水学にあたるlimnologyの語は、本来の語義である湖沼学として用いられてきた。現在、その用語はそのまま使用されているものの、陸水学は20世紀に入ってから、陸水全般にかかわる科学であることが広く認められ、現在に至っている。
 陸水学という科学は、河川、湖沼、地下水などの水体における地理・地学的記載、物理・化学・生物的な性状の究明などを目的とする自然科学とされてきた。しかし現在では、人間生活やその活動にともなう陸水環境の変化がいちじるしく、自然界に存在する水の調和はくずれている。こうした諸問題は、当然ながら無視することができないため、陸水についての幅広い研究がますます盛んになっている。したがって、現在の陸水学は、純粋あるいは基礎科学であると同時に、実用的な側面をかね備えた陸水研究の総合的な科学である、ということができる。

(2)陸水と水文学
 陸水は陸地に液体として存在する以外に、固体として氷や雪、さらに気体の形で地下や大気中にも存在し、これらの水体は海水とともに地球上をつねに循環している。このような水の循環現象は水文循環とよばれ、その循環を中心概念として発達した科学を水文学(すいもんがく)(hydrology)という。水文学は、陸水学と同じく内陸水域を対象にした科学であるが、個々の水現象を取り扱う場合には、常に水循環(水文循環)や出入りする水の量(水収支)を考えたり、考慮する科学ということができる。
 ヨーロッパでは、降水、蒸発、河川流量などの水文的な諸量を測定しだした17世紀後半から、今日みるような科学的な水文学がスタートしたといえる。しかし、水文学の対象領域は20世紀に入るまで、現在よりもせまく考えられており、たとえばドイツでは水文学を地下水の科学と同義に用いていた。20世紀前半には、アメリカ合衆国のミード(D.W.Mead)が『水文学ノート』(1904)、『水文学』(1919)をあらわした。彼は近代水文学の発展に努力し、世界の水文学界の指導者として果した役割も大きい。日本で初めて水文学の名称を用いて刊行された書は、1933年の阿部謙夫(しずお)(岩波講座23)である。
 水文学における研究課題は、世界共通の諸問題をかかえていることもあって、20世紀中ごろ以降にユネスコ活動の一環として、国際水文学10年計画が1965年に発足した。その前年には、ユネスコによって世界共通の立場から水文学の定義が次のように定められ、現在ではこの定義が広く世界で受け入れられている。
 「水文学は地球の水を取り扱う科学であり、地球上の水のあり方、循環、分布、およびその物理的ならびに化学的特性、さらに物理的ならびに生物的環境と水との相互関係を取り扱う科学であり、この場合、人間活動への応答が含まれる。
 水文学は地球上の水循環すべての歴史を包括する一分野である。」
 水文学の主な研究対象は、降水・地表水・土壌水・地下水・蒸発散、水質、水資源などで、広義には水の利用や法律なども含まれる。さらに水文学は純粋科学であると同時に、それ自体がきわめて実用的であり、応用的な性格を有している。このようにみると、水文学は陸水学と表裏一体の関係にあることがうかがえる。そこで、両科学における根本的ちがいやその特徴を概括すると次のようになる。
 陸水学では、主に水体個々の存在の場に焦点をあてて取り扱うことが一般的であり、水文学のそれでは水の現象を総体的、あるいは水文循環をひとつの体系としてとらえていくことが、科学的立場からの考え方とみることができる。』