平野(1993)による〔『繰り返す大量絶滅』(70-75p、124-131p)から〕



大量絶滅のとらえ方
 これまでに地質時代を通じて見出されている主要な絶滅の内訳と、それに伴う環境変動を表2に示した。これを見ながら絶滅のとらえ方の歴史をたどってみよう。
 ニューエルは地質時代を通覧して次の六つの絶滅事変を識別した(1967年)。それらはカンブリア紀、オルドビス紀、デボン紀、ペルム紀、三畳紀、そして白亜紀の後期または終わりである。カンブリア紀末およびオルドビス紀末は三葉虫の絶滅で特徴づけられ、デボン紀後期は造礁性生物の絶滅で、ペルム紀、三畳紀、白亜紀の末はいずれもアンモナイト類の絶滅で特徴づけられるとした。また、このときニューエルは、これらの大量絶滅の時期が海水準の低下の時期とよい相関を示すことをはじめて指摘している。彼は、浅い海の生息域の減少により環境的ストレスが増大して特定の動物群が絶滅したと考えたのである。この発想が後になって、ショプフとシンバーロフによって種面積仮説として発展した(1974年)。
 これに対し、ジャブロンスキーは1986年、海生無脊椎動物の化石記録に基づいて、オルドビス紀、デボン紀、ペルム紀、三畳紀、白亜紀の後期または終わりの絶滅が五大絶滅であるとし、絶滅原因としてよく言及される海水準の低下、地球規模の気候変動、地殻変動のサイクルのいずれもが五事変に一貫して関与しているわけではないこと、つまりそのつど違う原因が考えられることを指摘した。しかし、同年に出版されたラウプとジャブロンスキーの論文では、やはりカンブリア紀末は顕著な大量絶滅から除かれているが、他の点ではニューエルの主張を支持している。
 スタンレーは前述のように11回の絶滅を主要なものとしてとらえ、そのうち、先カンブリア時代、オルドビス紀、デボン紀、白亜紀、始新世のいずれも後期または紀末に起こった絶滅は、気候の寒冷化によるものであったと考えている。
 また、ラウプとセプコスキー(1988年)は、ペルム紀以降の大量絶滅として、ペルム紀後期(グアダルピアン期)、三畳紀後期(後期ノーリアン期)、ジュラ紀前期(プリーンスバキアン期)、ジュラ紀末(後期チトニアン期)、白亜紀前期(アプチアン期)、同じく後期(セノマニアン期とマーストリヒチアン期の2回)、そして新生代第三紀の始新世後期、中新世中期の九つの事変がバックグラウンドの絶滅(通常起こっている絶滅)と識別できるものとし、これらの間に周期性が見られるかどうかを検定している。その結果は、大量絶滅が2600万年周期で起こったという説を裏付けるものであった。セプコスキーとラウプの1986年の論文では絶滅事変は八つであるとしていた(図21:略)が、その後の研究で白亜紀前期のアプチアン期が加わっている。これによって、チトニアン期とセノマニアン期の間約5300万年の中ほど(アプチアン期は両期のほぼ中ほど)にも絶滅事変があったことになり、周期説は一層確からしくなったのである(第9章参照)。
 何度か述べたように、地質時代の区分は標準化石の消滅、つまり繁栄していた古動物の絶滅か、もしくは、その結果空白となった生態的地位(生息空間、もしくは食物連鎖上の位置)に急速に適応した新しい古動物の出現、つまり新しい標準化石の出現によりなされている。したがって、紀のような高い時代区分レベルの時代の終わりが主要大量絶滅事変として取り上げられるのは、きわめて当然である。しかし、このレベルの地質時代区分は1800年代に大枠が形成されたため、現在の化石記録データに基づいて主要大量絶滅を取り上げると、これらは必ずしも一致しない。たとえばラウプとセプコスキー(1988年)の九事変は、紀境界以外の事変を含んでいるのである。そこで本章から第8章では、紀レベルの境界のほか、新しく主要な大量絶滅に加えられた期レベルの境界の絶滅についてどのようなことがわかっているのか、近年の研究結果を通覧してみよう。
表2 地史を通じてみられる主要な絶滅と環境変動。@〜Jが古生代以降の11大絶滅、下線がジャブロンスキーの5大絶滅。

地質時代(×100万年前)

絶滅動物

環境変動

絶滅率

科数
J中新世中期 (15) 軟体動物 気候寒冷化 25.0(0.43) 12
I始新世後期 (36.5) 軟体動物 海水準低下 45.8(0.50) 15
H白亜紀末 (65) 浮遊性有孔虫、斧足類、アンモナイト、ベレムナイト、鳥盤類、竜盤類 海水準低下+
気候寒冷化+
隕石衝突
66.3(1.74) 90
G白亜紀後期CT (91) アンモナイト、斧足類 無酸素事変 18.9(0.93) 36
F白亜紀前期AA (107) 斧足類 無酸素事変 12.0(0.22) 18
Eジュラ紀末 (135) 斧足類、アンモナイト、竜脚類恐竜、剣竜 海水準低下+
気候変動
19.5(1.09) 30
Dジュラ紀前期PT (188) 斧足類 無酸素事変 15.2(0.86) 17
C三畳紀後期 (205) コノドントアンモナイト(セラタイト亜目)、腕足類、腹足類、斧足類、両生類(迷歯類)、哺乳類型爬虫類、槽歯類 海水準低下 38.6(1.94) 36
Bペルム紀末 (250) サンゴ、フズリナ、腕足類、海百合、コケムシ、アンモナイト(ゴニアタイト亜目)、哺乳類型爬虫類 海水準低下+
気候寒冷化
D:52.5(5.61)
G: - (7.12)
81
154
 石炭紀末 (290)   −      
Aデボン紀後期FF (360) 造礁性生物(サンゴ、海綿)、腕足類、三葉虫、アンモナイト、コノドント、板皮類 海水準低下+
氷河発達
21**、50*  
 シルル紀末 (410)   − 海水準低下    
@オルドビス紀末 (438) 造礁性生物(サンゴ、海綿)、筆石、コケムシ、腕足類、オウムガイ、三葉虫 氷河発達+
海水準低下
22**  
 カンブリア紀後期 (510) 三葉虫、コノドント、腕足類 海水準低下?+
気候寒冷化?
15〜20*  
 先カンブリア時代後期 (650) 藻類(アクリタークス) 氷河発達    
古生代以降の11大絶滅は、ジャブロンスキー、スタンレー、ラウプ、セプコスキーのいう大量絶滅をカウントしたもの。先カンブリア時代については情報が乏しく、まだ十分に議論されていないのでカウントから除いた。ペルム紀以降の絶滅率はラウプとセプコスキー(1984)による。( )内の絶滅率は、セプコスキーとラウプ(1986)による(絶滅科数)÷(全科数)を100万年あたりで表示した値。科数は絶滅事変のあった期の間の絶滅科数。すべて海生動物に基づく。*:セプコスキー(1986)による海生動物の属の絶滅率(%)。**:セプコスキー(1982)による海生動物の科の絶滅率(%)。地質時代は紀単位で表示してあるが、紀末の絶滅率は、その紀の最後の期の絶滅率である。CT:セノマニアン期とチューロニアン期の境界、AA:アプチアン期とアルビアン期の境界、PT:プリーンスバキアン期とトアルシアン期の境界、FF:フラスニアン期とファメニアン期の境界、D:ズルフィアン期、G:グアダルピアン期。


9 大量絶滅の周期性
 周期性の提唱

 地質時代の大量絶滅が周期的に起こったのだとする「絶滅事変の周期性」に関する研究は、アルバレスらや、スミットとヘルトゲンが「隕石衝突が白亜紀末の大量絶滅の原因である」と提唱した1980年以前にもあった。しかし後述するような1000万年のオーダーの周期性は、天体の軌道周期に関連づけないと説明できないと多くの人は思っていた。そしてこれまでに述べてきたように、大量絶滅は突然の出来事でも一瞬の出来事でもないことを古生物学者・地質学者は知っていたので、積極的に隕石の衝突を考える人もいなかった。ところが、次に述べるような研究の展開によって、改めて大量絶滅の周期性が提唱されたのである。
 最初にアルバレスら、そしてスミットとヘルトゲンにより、隕石の衝突がK/T境界で起こったものとされた。しかし、いずれもイリジウムのピークは海成層中にあり、これは白亜紀の海洋中で隕石以外の起源から沈澱したものに由来するおそれがあった。イリジウムはバクテリアの働きによって濃集することがあるし、またマントル起源の超塩基性岩が侵食・運搬を経て堆積すると、やはり濃集することがあるからである。したがって、イリジウムのピークが隕石起源であることを証明するためには、海成層だけでなく陸成層にもそのピークが発見されねばならなかった。まもなくオールスらやボホールらによって、、北アメリカの陸成層中のK/T境界にイリジウムのピークがあることが確認された。
 その後、K/T境界以外で絶滅の見られる地層におけるイリジウムのピークがガナパシーによって、新生代の始新世と漸新世の境界において、マイクロテクタイト(一瞬の高温高圧で形成された鉱物)の存在とともに報告された。これにより、地質時代の古動物の大量絶滅はみな同じ原因で生じ、すべてこれら二例に見られるように地球外物体の衝突に由来するかもしれないと考える根拠が提供されたのであった。
 このような雰囲気の中で、古生物学者のラウプとセプコスキーによって1984年、絶滅の2600万年周期説が提唱されたというわけである。
 彼らは、古生代後期のペルム紀から現在までの2億5000万年間にわたる海生動物の生存期間を、化石記録に基づいて属や科のレベルで詳しく集計した。(こう書くと誰でもできそうな作業に思えるかもしれないが、まず普通の人は決してやらない、おそろしく大変な作業である。そのデータファイルの厚さは、ニューヨーク市のアルファベット順の電話帳を全部積み重ねたよりも』厚いとさえいわれている。)彼らは各時代ごとの絶滅率を求め、絶滅率のピークである大量絶滅とふだんの(バックグラウンドの)絶滅を識別し、大量絶滅事変の地質時代における分布に周期性があるか否か、さまざまな方法で検討した。その結果として絶滅の2600万年周期説を提唱したのである。
 この反応は広くかつ大きかった。ただちに天体物理学者たちが反応したのである。

 周期性がもたらすもの
 1984年4月19日号の『ネイチャー』誌に、先のラウプとセプコスキーの周期的絶滅の原因を説明しようとする天体物理学の論文が同時に複数発表された。そのうちランピーノとストーザースは、周期性の原因を太陽系が銀河系の中で周期的摂動をすることに求めている。その中身は次のようなものである。銀河系の形は円盤状で、太陽系はその中を6700万年から6200万年の周期で上下に運動しているため、その半分の長さ、すなわち3350万年から3100万年ごとに銀河面を横断することになる。太陽系が銀河面に接近すると、銀河系にある彗星の巣(オールト雲)の彗星群と太陽系の間に引力が働き、いくつかの彗星群が地球軌道と交わることになって地球上に彗星雨が降るというのである。
 これと同じ趣旨の論文は、シュワルツとジェイムスによっても書かれた。しかしラウプとセプコスキーの周期からいくと、最近の大量絶滅は1100万年〜1200万年前にあったから、今は絶滅周期の中ほどにあることになるが、実際には太陽系は現在、銀河面にきわめて接近しているとのことである。したがって、この説は事実に合わない。
 『ネイチャー』の同じ号に掲載されたもう一つの論文はホイットマイアーとジャクソン四世によるもので、太陽には未知の伴星(連星ともいう)があり、この軌道周期にもとづいて周期的に彗星が雨あられと地上に降り注ぎ、周期的絶滅をもたらすというものである。同じ趣旨の論文をデイビス、ハット、マラーも投稿しており、彼らはこの未知の伴星をネメシスと命名した。マラーは、著書の中で、この未知の伴星ネメシスはすぐに見つかるといっていたが、まだ見つかってはいない。
 ちなみにネメシスとは、ギリシア神話に出てくる虚栄と権力を攻撃する女神である。この命名に対してハーバードの古生物学者グールドは、大量絶滅の実際を考えてみると、ネメシスという命名は妥当ではなく、ヒンズー教の破壊の神であるシバのほうが適切であろうと指摘した。というのも、中生代末の大量絶滅は、無差別的な絶滅の可能性があるからである。確かに、核戦争のような被害を地上にもたらす大隕石の衝突が絶滅の原因だとすれば、絶滅するかしないかは、そのときの環境に適していたか否かよりも、個体数や地理的分布、あるいはこれらに関連した確率的事象として取り扱われるべき現象となることが予測される。
 さらに、1985年になって、ホイットマイアーとマティーゼは『ネイチャー』に、太陽系には海王星の近くに軌道をもった未知の惑星Xがあり、その歳差運動のため2800万年ごとに彗星群の近くを通過し、引力でいくつかの彗星を地球軌道と交差させるという原因論を発表した。残念ながら、この原稿の執筆時点では惑星Xは未確認である。

 天体諸学説の崩壊
 上記のような天体物理学からの提言は大変に面白く、ただちに議論が白熱した。ラウプは1987年のイギリスの古生物学協会の講演で、この問題は物理学、天体物理学、核化学、地球物理学、地質学、古生物学、海洋学などの多岐にわたる学際領域の問題となったため、今や世界の一人としてこの現状を正しく理解できる科学者は存在しなくなったと述べている。
 議論が一段落した1989年、ドノバンによって編集された『大量絶滅』誌上で、ポーランドのホフマンは次のような趣旨の論評をしている。一連の物理学者、天体物理学者による仮説の提示は、@化石記録にみられる大量絶滅は周期的であるという推定、A一回か二回かの絶滅が隕石などの地球外物体の衝突によるのだから、全部がそうだろうという仮定、にもとづいて、このような長い周期性をもたらすことができるものは天体の運動以外にはない、という発想のもとに成り立っている。したがって、@、Aが否定されれば、太陽系の摂動も、ネメシスも、惑星Xもすべて存立の基盤を失うことになる。
 はじめの絶滅事変の周期性について、ポーランドの理論古生物学者ホフマンは、得られたパターンはランダム・バリエーションである、つまり厳密な周期性からは隔たっており、無作為性をより強く示しているとした。キッチェルとピーナは、時間間隔だけでなく絶滅規模まで考慮すると、周期説は適切ではないことを報告した。このように、周期性の議論に関しては、ラウプとセプコスキーのデータに基づいて、統計学・推計学の分野からさまざまな方法を用いて周期性の有意性を批判する研究がなされている。ラウプとセプコスキーはその後も工夫を繰り返し、そのつど発言してきた。
 現状は、周期性の有意性については賛否両説が存在するといえよう。この問題に深くかかわってきたホフマンによれば、「絶滅の周期性という仮説は、データによって明確に支持されてはいない。大量絶滅の時期のランダム分布という対抗仮説は完全に生きている」ということになる。
 他方、機械的な統計処理にもいくつかの批判がなされた。一つは絶滅事変の年代である。どの絶滅事変もある期間継続しており、今から何年前といっても幅がある。そのうちどの数字を取るかによって、周期的にもランダムにもなりうるのである。もう一つは、絶滅したと思われていた種でも、実は絶滅したのではなく別の種に進化していたという偽絶滅の現象であり、この可能性も、それぞれの分類の専門家から指摘されている。あわせて、一時イリジウムの存在が指摘されたいくつかの絶滅事変について、隕石起源ではないとの結論が出された。そして多くの絶滅事変について、個別の原因がかなり詳しく示されるようになっている。
 もはやこのような状況下で、まだ見ぬ天体の存在を仮定し、あるかどうかわからない周期性を与え、絶滅事変の原因をすべて天体衝突と決めつけて一気に片づけようとする主張は姿を消したといってよい。
 今から6500万年前に直径10キロメートル程度の大きさの隕石の衝突があったこと自体は、年々その確かさを増してきた。これが事実であるとする研究はほとんど終了した状態ともいえる。そして、この隕石衝突に起因する気温の低下、暗黒、酸性雨、オゾン層の破壊などの環境変動が、当時すでに衰退し、あるいは絶滅しつつあった生物に打撃を与えたということはきっと正しいであろう。しかし、この打撃の正しい評価はまだ残された課題である。
 他方、地質時代に繰り返し起こった大量絶滅の原因として、気候の寒冷化、海水準の低下、海洋無酸素水塊の発生(その結果が海洋無酸素事変)などがそれぞれの事変の直接の原因として少しずつ詳しく明らかにされてきている。次の課題は、このような地球起源の個別的原因に「地球の構造に由来する共通の原因」があるかということと、このような大量絶滅が生物の進化30数億年の歴史に果たした役割は一体何であったかを的確に評価することとなっているのである。』



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