慶伊(2001)による〔『反応速度論(第3版)』(1-3p)から〕


1 反応速度論の性格

1・1 反応速度論とは
 反応速度論は化学反応の速度を取扱う分野の名称である。英文では20世紀初頭から chemical kinetics である。
 kinetics というのはつぎのように力学の一分科である。
kinetics (動力学) dynamics (動力学) mechanics(力学)または dynamics
kinematics (運動学)
statics (静力学)
 kinetics は運動を起こす力の作用を、kinematics は運動それ自体を取扱う。反応速度を取扱う分野に kinetics が最適であるとする理由は必ずしも明確ではない。歴史的にみると、Berthollet(ベルトレー)の statique chimique(chemical statics 化学静力学)(1803)、Berthelot(ベルテロー)の mecanique(最初のeの頭に´) chimique(chemical mechanics 化学力学)(1879)、van't Hoff(ファント・ホッフ)の dynamique chimique(chemical dynamics 化学動力学)(1884)、そして気体反応の速度研究の道を開いた Bodenstein(ボーデンシュタイン)が1898年に使用して以来 chemische Kinetik(chemical kinetics)に固定した。1960年代から chemical dynamics も使われるようになった。特に1990年辺りからは chemical kinetics and molecular dynamics と表記する傾向が強くなってきた。こういった名称の変化は、学問の発展に対応している。特に近年の傾向は、反応速度を分子の衝突とみる気体運動論(kinetic theory of gases)の立場から、原子分子のミクロな状態変化としてとらえようとする立場の台頭を反映している。科学における定義や名称というものは学問の発展とともに変わるものである。
 わが国では本書の冒頭に引用した桜井錠二博士の文章にみるように、化学運動学が最初に使用されていた様子である。発表の時期からみて van't Hoff の chemical dynamics に対応させたものと思われる。その後化学動力学とよばれていたが、1950年伊学術用語統一の努力によって反応速度論と変わったものである。
 反応速度論の目的は、反応の速度が反応によって異なり、また条件によって変わるのはなぜであるか、を明らかにすることである。最終目標は、化学反応に関与している分子、原子の性質から実際に起こる反応速度を予言できるようになることである。現在の反応速度論は簡単な原子・分子間の反応については最終段階に近づいているが、全般的にはまだかなり手前の発展段階にあるといわなければならない。しかしながら現在までに確立された体系から、つぎのような発言をすることはできるのである。すなわち、
 現在の反応速度論によれば、
1) 多くの反応の速度は少数のルール(速度則)で表すことができる。(速度記述の方法)。
2) 速度則を利用して、未知の反応速度を測定する有効な方針をたてることができる(速度測定の方法)。
3) 速度則を利用して、速度をコントロールする有効な方針をたてることができる(速度制御の方法)。
4) 速度則に基づいて、化学反応の実際の進行状態を推定することができる(速度解釈の理論)。 
1)、2)は反応速度の記述や測定の方法であり、基礎である。3)は応用であり、工業反応速度論あるいは反応工学(chemical reaction engineering)といった化学工学分野の化学的基礎をなしている。4)は、いわゆる反応機構反応メカニズム(reaction mechanism)を明らかにするために最も重要なものであり、基礎化学における反応速度論の学問的意義を示すものである。
 最近はピコ秒(10-12s)以内に終わってしまうような超高速反応を実験的に観測できるようになった。ピコ秒の千分の一、すなわちフェムト秒(10-15s)刻みでの反応観測に先鞭をつけた Zewail(1999年度ノーベル化学賞受賞)は、“フェムト秒化学”の時代に入ったと主張している。しかし、現在のところ、化学反応速度論の基礎の枠組みに変化は起こっていない。
 反応速度論は反応速度を対象とする方法である。したがって、反応が有機化学に属するものであれ無機化学に属するものであれ、溶液中で起こるものであれ、大気圏内で起こるものであれ、その速度を取扱うときには反応速度論を用いなければならない。さらに反応速度論は、原子核反応(核反応)や拡散・結晶成長などにも適用されてきたし、経済成長の議論にも影響を与えてきた。本書は有効な体系としての反応速度論を、理工系大学教育に必須な基礎として概説したものであるが、人文・社会科学系大学院教育の教養としても役立つように記述した。』

1・2 反応速度をどう表すか
1・3 反応式から速度式を予測できるか
1・4 逆反応の速度式



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