田近(1996)による〔『地球システム科学』(27-32p)から〕


2.2 地球表層における物質循環
(a) 物質循環とはどのようなものか?

 物質循環とはどのようなものかを知るために、ここでは炭素循環(carbon cycle)を例にして考えてみよう。炭素は元素の宇宙存在度(第1巻『地球惑星科学入門』参照)からみて、水素、ヘリウム、酸素に次いで第4番目に多い元素であり、揮発性成分の物質循環システムとしては水循環とならび最大級のリザーバーサイズとフラックスを持っている。炭素循環が非常に注目される理由として、二酸化炭素が持つ温室効果のために、その大気中の濃度が地球環境に大きな影響をおよぼしているということが挙げられる。われわれ人類を含むすべての生物は有機化合物(=炭素化合物)からなることから予想されるように、炭素循環において生物圏が果たしている役割は大きい。
 前述のように、炭素循環システムもまた、注目する時間スケールによってそれに関与する主要なサブシステムが異なる。数年〜数百年スケールでの炭素循環の概要を図2.3(略)に示す。この時間スケールで重要となるサブシステムは、大気、海洋、生物圏などである。二酸化炭素は、これらサブシステムの間で常にやりとりされている。たとえば、二酸化炭素の水に対する溶解度は、温度が低いほど大きい(0℃における溶解度は24℃の場合と比べて、約2.2倍大きい)。このため、場所や季節によって二酸化炭素は海水中により多く溶け込んだり海水中からより多く放出されたりしている。海水中には大気中の約50倍もの二酸化炭素が含まれているため(表2.1参照)、大気−海洋間における二酸化炭素の交換は、大気中の二酸化炭素濃度に大きく影響する。大気−海洋間における二酸化炭素の交換は、地理的要因(緯度や気候など)や時間的要因(季節変化など)に加えて海洋大循環の影響を受けるために複雑ではあるが、全体としてみればおおよそバランスしていると考えられる。
表2.1 地球システムにおける炭素の存在量(Ronov and Yaroshevsky, 1976; Holland, 1978; Moore and Bolin, 1986; Berner, 1989; Abe, 1988)。

リザーバー
主な存在形態 存在量(mol)
大気 CO2 6.2×1016
海洋 HCO3-、CO32- 3.0×1018
生物圏 (生存) CH2O 4.7×1016
(死骸) CH2O 3.3×1017
地殻 (有機炭素) CH2O 1.8×1021
(炭酸塩) CaCO3、CaMg(CO3)2 9.3×1021
マントル・コア (炭酸塩、グラファイトなど) 5.6×1023(?)
 一方、緑色植物(陸上植物や海洋表層に生息する植物プランクトンなど)は、光合成活動によって水と二酸化炭素から有機物を合成し、副産物として酸素を放出している。
   CO2+H2O→CH2O+O2     (2.6)
これは二酸化炭素の大気からの除去プロセスになっている。しかし、生物は呼吸やその死骸の腐敗に際しては、
   CH2O+O2→CO2+H2O     (2.7)
というように、逆に酸素を消費し二酸化炭素を放出している(式(2.6)の逆反応に相当する)。これは二酸化炭素の大気への供給プロセスということになる。このようにして、大気中の二酸化炭素は生物圏との間でも常に交換されている(図2.3参照)。大気と生物圏との間における二酸化炭素の交換も、全体としてはおおよそバランスしているものと考えられている。海洋および生物圏とのやりとりを考慮した二酸化炭素の大気中における平均滞留時間は、約4年程度と見積られている。
 ところで、大気中の二酸化炭素濃度は最終氷期以降の約1万年前の間、280ppm程度で安定していた。ところが18世紀末に起こった産業革命以降、人類が化石燃料を大量消費したり森林を伐採することによって大量の二酸化炭素が大気中に放出された結果、大気中の二酸化炭素濃度は加速的に上昇し、現在では350ppmを越えるまでに至っている。人類活動による二酸化炭素の放出率は、6×1014mol/年程度と見積もられている(Moore and Bolin, 1986)。現代の地球温暖化は人類活動によって物質循環システムにおけるフラックスバランスが崩れた結果であると考えることができる。地球環境問題において注目されていることは、放出された二酸化炭素のゆくえが数年〜数十年スケールでみた場合にどうなるのかということである(つまり、われわれが対応を迫られる時間スケールにおいて、実際に大気中に蓄積される二酸化炭素量はどのくらいになるかということ)。観測によると、人間活動によって放出された二酸化炭素のうち大気に蓄積しているのは、実はその半分程度であって、残りの半分はどこか別のリザーバーに蓄積されているらしいことがわかっている。この残りの半分のゆくえとしては、海洋に吸収されたか、あるいは陸上植物や海洋植物によって固定されたものと考えられているが、まだはっきりとわかってはいない。海洋大循環に生物化学過程を考慮した海洋炭素循環の理解が重要であると考えられている(Broecker and Peng, 1982;角皆、1989などを参照)。数年〜数百年スケールでの炭素循環の解明は、地球温暖化問題における中心課題のひとつである。
 一方、さらに長い時間スケールにおける炭素循環は、上述のものとは考慮すべきリザーバーやフラックスの大きさが異なる(図2.4参照:略)。たとえば、数十万年〜数百万年にわたる気候変動要因としての二酸化炭素濃度の変動を問題にする場合、大気や海洋だけでなく、堆積岩や地殻まで含めたシステムを考える必要がある(Berner et al., 1983)。また、地球史的な時間スケール(数億年〜数十億年スケール)における地球環境の安定性や大気の進化、元素としての炭素の分布・挙動などを問題にする場合には、この上さらにマントルまで含めたシステムを考える必要がある(Tajika and Matsui, 1990, 1992)。実際、地球上における炭素の分布をみると、大気や海洋、生物圏における炭素量は地殻における炭素存在量と比べて圧倒的に小さい(表2.1参照)。地球内部(マントル、コア)における炭素の存在量はよくわかっていないが、地球の材料物質に近いと考えられている炭素質コンドライト隕石中の炭素存在度などから判断すると、地殻に比べて数倍から数十倍程度の炭素が存在していると考えられる(Abe, 1988)。
 大気と海洋は短い時間スケールで常に物質交換を行っているため、このように十分長い時間スケールにおいては、「大気−海洋系」という単一のリザーバー(結合系)とみなすことができる(第4章参照)。数十万年以上の時間スケールにおける大気−海洋系に対する炭素の供給プロセスとしては、堆積岩中の炭酸塩岩(石灰岩など)や有機炭素が化学的風化作用や変成作用を受けて分解し、大気−海洋系へ二酸化炭素が放出されることや、マグマ生成にともなって地球内部から二酸化炭素が脱ガスされることなどが重要となる。大気−海洋系からの炭素の除去プロセスとしては、主として海洋における生物活動によって生成された炭酸塩および有機炭素が大陸棚や深海底堆積物中へ埋没するというプロセスが重要となる。ところで、深海底に埋没された炭酸塩や有機炭素は、プレート運動によってやがて大陸の下へ運ばれるが、この際に一部は大陸側へ付加され、一部は高温高圧条件下で変成作用を受け、二酸化炭素に分解されて、島弧火山活動によって大気中へ脱ガスし、残りはマントル深部へもたらされると考えられる。地殻の隆起や海底堆積物の付加などによって陸上へもたらされた炭酸塩や有機炭素は、やがて風化作用を受けることによって再び炭素循環に加わることになる。このように、炭素循環によって大気中の二酸化炭素量が変動するだけでなく、長い時間スケールでみれば、マントルから脱ガスしてきた二酸化炭素が深海底堆積物として固定され、海洋プレートの沈み込みに伴って再びマントルへリサイクルしていることが考えられる(プレート運動が関与するような地球表層・内部間のグローバルな物質循環については次節で扱う)。』



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