植田(1991)〔『環境経済学』(9-26p)から〕


1.2 経済学と環境問題−環境経済学の誕生

 現代の環境破壊をめぐる問題は、資本主義か社会主義かといったいわゆる経済体制の如何を問わず、かつまた、富裕国においても貧困国においても、無視できない重大な社会問題となるにいたっている。その意味では、環境破壊は現代の経済社会が普遍的に直面している重要問題であるといってよかろう。

 かつての一時期には、環境破壊は資本主義経済体制だけに固有な問題であると考えた経済学者もいたが、バイカル湖の汚染を例にもちだすまでもなく、今日の社会主義経済に見る環境破壊もきわめて深刻である。またメキシコ市やアジアNIESの代表ともいえる台湾の高雄市など、いわゆる発展途上国の大都市における大気汚染にも凄まじいものがあり、そこに住む人々の健康は確実に蝕まれている。さらに貧困国に目を移せば、そこでは貧困に伴う過剰人口問題を抱え、土壌喪失による砂漠化の進行とも相まって、まさに貧困と環境破壊の悪循環ともいえる“経済と環境の同時的破綻”の悲劇が深刻化している。

 他方、今日では、人類の生産力(対自然支配力)はかつてない巨大な水準に到達している。そのため自然環境の状態は、自然生態系によって決まるというよりは、人間活動のあり方如何によって大きく規定されるという歴史的段階に突入している。それゆえ人間活動の設計を一歩誤るならば、人間活動の基盤そのものを崩壊させてしまうような環境破壊を招く危険性もかつてなく飛躍的に高まっているといわなければならない。
 こうした現代の環境破壊をめぐる現実とその危険性の一層の高まりは、実は現代の経済学に対する大きな挑戦でもある。ここに新しい学問としての環境経済学が誕生せざるを得ない強い現実的要請がある。果たして現代の経済学は、こうした環境破壊の現実を解決し、その危険性を回避していく上で、どこまで有効な分析と政策提言を示し得るような理論的枠組みを備えているだろうか。

 従来、経済学にとっては、環境問題は必ずしも主要な研究対象ないし分析対象とはされてこなかった。「環境経済学」(Environmental Economics)、「環境の経済学」(Economics of the Environment)、「経済学と環境」(Economics and the Environment)と題する一定の体系的な理論的枠組みを備えた書物が現われ始めるのはようやく1970年代以降のことである。もちろんそれまでに、今日でいう環境問題を論じた経済学者が全くいなかったわけではない。少し経済学の歴史を順々に遡れば、一般には制度学派経済学に属するとみなされているカップ(Kapp,K.W.)、彼が批判的に継承した厚生経済学の創始者であるピグー(Pigou,A.C.)、さらにその前ではイギリス古典派経済学のマルサス(Malthus,T.R.)、そしてマルサスを批判したいわゆるマルクス経済学派の創始者たるエンゲルス(Engels,F.)やマルクス(Marx,K.)自身など、今日の環境問題と何らかの形で係わるような議論を展開した経済学者が全く皆無だったというわけではない。

 しかし、彼らの議論はその後必ずしも十分に発展させられることはなかった。基本的にいって1960年代後半からの先進工業国におけるいわゆる公害問題の噴出まで、あくまで環境問題は経済学の主要な研究対象ないし分析対象の外に置かれたままであったといってよい。それは、一面では、それまで環境問題そのものが必ずしも重大な社会問題として認識されてこなかったということにもよるが、他面では、経済学あるいは経済学者の側のあり方にも問題があったというべきだろう。

 1970年に『経済学と環境』を著わしたクネーゼ(Kneese,A.V.)は、経済学が環境問題と密接な関係にある市場外部性の問題を、経済における全く特例のごとく扱う傾向がある、と指摘している。また、前出のカップは1950年の著作の中で次のように述べている。すなわち、「経済学者たちは、その注意を、彼らが経済過程に付した目的に役立つことが証明されうるような現象だけに集中させた。……18世紀の合理主義的前提の影響のもとに、理論的な経済分析、とりわけ価値理論は、市場現象の研究にますます局限されるようになった。そして実際、政治経済学(political economy)は『経済学(economics)』となった。後者は、交換価値をもってその重要度が測定されうるような諸目的(及び諸手段)のみを取り扱うと称してきた。すなわち、市場価値をもって表現されえないような諸目的や諸手段は『非経済的(noneconomic)』であるとみなされ、そのゆえをもって経済分析の本来の領域外にあるとされるようになってきたのである」と。

 確かに、歴史的にみて市場経済(あるいは商品経済)を主要な研究対象ないし分析対象としてきた経済学にとっては、環境問題はどちらかといえば苦手な領域ないし副次的な領域だったといえるだろう。しかし、現実の環境問題が産業活動や人間生活という広い意味での経済活動の結果として発生しており、またその環境問題が経済活動自身を大きく制約してくるような今日の段階では、環境問題や環境政策を論じる上で、経済学からのアプローチ、すなわち環境経済学は、社会にとっても、経済学自身にとっても、もはや不可欠かつ主要な学問領域になってきているといわねばならない。

 では、環境経済学とは一体どのような学問なのであろうか。

 まず環境経済学は、まだ新しい学問であり、まさにこれからの学問である。この新しい学問の体系について、すでに日本でも何人かの先駆者による定式化が示されている。たとえば工藤和久は、『経済学大辞典』の中で、「環境の経済学(environmental economics)は、いわゆる環境問題(environmental problems)を経済学的に分析する。……これら(環境−引用者注)の問題の経済学的分析というとき、その視点は、第1に、資源配分ないし資源利用上の効率性であり、第2に、環境問題とそれへの対処が、所得分配に対してもつ含蓄如何ということである」と述べている。また宮本憲一の『環境経済学』では、「経済(主として資本主義経済)の発展にともなう『環境』の変化、それから生まれる公害やアメニティ(良好な居住環境)の破壊という『環境問題』、そして公害を防止しアメニティを保全・創出しようとする『環境政策』の3局面を政治経済学の方法によって体系的に明らかにしようとするもの」であると定式化されている。

 いずれにせよ、環境経済学とは、現実の環境問題に対して経済学あるいは政治経済学の方法を用いてアプローチするものといってよいが、そこには、大別して、2つの基本方向でのアプローチがあるように思われる。

 1つは、すでにある程度確立してきた経済学のディシプリンを現実の環境問題に適用しようとする立場であり、いわば応用経済学の一分野として経済学を定立しようとするものである。もう1つは、従来の経済学のディシプリンを適用するしないとにかかわらず、そのディシプリンとは異なる原理を新たに導入する、あるいは環境問題の現実から従来の理論的枠組みそのものを改めて問い直そうとする立場である。これは、いわば経済学方法論の再検討を進めることを通じて環境経済学の定立を図ろうとするものである。

 本書では、後に述べるように、そのいずれの立場もそれぞれに重要な理論的意義をもつものと考え、これまでに環境経済学を定立しようとしてきた先人たちのさまざまな試みを環境経済論におけるいくつかのタイプとして類型化している。そしてその上で、それらの基本的な概要を紹介しながら、それぞれの到達段階と今後の理論課題を明らかにしようとしている。おそらく新しい学問としての環境経済学は、それらさまざまなタイプの環境経済論のさらなる発展とそれにもとづく現実の環境問題の具体的な分析と考察、そしてその上に立つ環境政策論の展開という、環境経済、環境問題、環境政策の3局面の総合的体系化として確立されていくべきものであろう。今、環境経済学は、その本格的な誕生の時代を迎えている。』

2.1 環境経済論の諸系譜

 前節では、現代の環境問題とそれに対応すべき新しい学問としての環境経済学確立の重要性を中心に述べたが、新しい学問の確立に向けての努力は、同時に、これまでの学問的系譜を無視するものであってはならない。そこでは従来の歴史的遺産の継承が必要とされる。それが学問の発展ということであろう。

 すでに述べたように、現代の環境破壊をめぐる現実とその危険性の一層の高まりは、現代の経済学に対する大きな挑戦を意味している。現代の経済学は、今日の環境破壊の現実を解決し、その危険性を回避していくために有効な分析と具体的な政策提言を示し得るような理論的枠組みを今ほど強く求められている時代はない。では、経済学のこれまでの歴史的発展の中に、そのような理論的枠組み、ないしそのための理論的手がかりとして、一体どのようなものがあるのだろうか。本節では、経済学の発展史をまず概括して、環境経済学確立のための環境経済論の諸系譜を振り返ってみることにしよう。以下では、ピアースらの議論も参考としながら、いわば環境経済学の歴史的ルーツを簡単に探ってみることにしたい。

 さて、一般には、これまでの経済学の主要な流れは、たとえば図1.2(略)のような形でとらえられてきたといってよいだろう。これに対して、ピアースらは、図1.3(略)に示されるような形で、これまでの経済学のパラダイムと環境経済学との関係を図式化している。しかし環境経済学の歴史的ルーツとしてみた場合の環境経済論の初期の系譜は、それらの中で示されている古典派経済学が成立する以前の段階、すなわち、いわば経済学前史の段階からその萌芽を見出すことができる。それが、まず17世紀後半のグラント(Graunt, J.)ペティ(Petty, W.)にみる議論であった。

 たとえばグラントは、有名な『死亡表に関する自然的並びに政治的諸観察』(1662年、初版)の中で、当時のロンドン市における大気汚染の問題と係わって、「死亡表(bills of mortality)」をつぶさに分析・検討し、都市における公衆衛生環境や大気環境など、人間の社会生活を取り巻く環境的諸条件の改善をめぐる政策課題の重要性を先駆的に提起していた。また、このグラントの議論を受けて、ペティは、当時のロンドンにみる都市衛生環境の劣悪さに起因していた黒死病(ペスト)の流行という社会的厄災による人的被害の問題を論じ、それを国家的見地からみた経済的損失として受け止め、しかもその損失の大きさを貨幣単位に換算して評価するという、当時としてはきわめてユニークな試みを行っていた。これは、断片的な論説ではあったが、その後、20世紀の経済学が公害や環境破壊の問題に直面した際に、その経済的損失の評価に取り組もうとした試みの歴史的な先駆をなすものといってよかろう。

 次に、それから約100年後の18世紀後半にはスミス(Smith, A.)による『国富論』(1776年)が登場することによって、イギリス古典派経済学が成立してくることになるが、この古典派経済学の展開の中にも、今日の環境問題をめぐる議論の歴史的ルーツとなっているような考え方がいくつか含まれていた。たとえばスミスの場合、上記の『国富論』の中で、ある国の豊かさを決める上で第1義的に重要なことは、地理的・自然的条件ではなく、人間の側、すなわち自然を支配しそれを活用していく人間の労働生産力であると主張していたが、これは、自然に対する人間の支配の優位性が労働生産力の無限の発展によって保証されるという点での楽観主義と結びついていた。そのためスミスは、労働生産力の向上をもたらすような自由な私益の追求が社会の豊かさを増進させ、ひいては公益をもたらすとして、自由競争的な市場経済の発展による自然支配の展開過程を基本的に賛美している。スミスのこうした考え方自体は、その後、19世紀にかけての産業革命の進展を通じた労働生産力の大きな発展によって見事に現実化していった。しかしその実際の過程は、他方で、農村と都市との新たな対立の激化、それを背景とした今日でいう自然破壊や産業公害・都市公害の各地での深刻化がもたらされていく過程でもあった。また農村から大量の過剰人口が押し出され、それが都市に流入し、都市の底辺部には、パンを求める大量の貧困者が生み出されていくことになった。歴史的背景や問題の次元は異なるとはいえ、同じような光景は、その後、2世紀近く経た今日でも、いくつかの発展途上国において再現している。

 さて、そうした現実の中で、同じ古典派経済学に属するマルサスは、スミスとは正反対に、人間の対自然支配力自体に大きな限界があるとする悲観主義的見解を打ち出している。それが、有名な『人口論』(1798年、初版)であった。マルサスは、よく知られているように、「人口は制限されなければ等比級数的に増加し、他方、生活資料は等差級数的にしか増加しない」、「この人口と土地の生産力との2つの自然的不均等、およびそれらの結果をつねに等しくしておかねばならぬという自然に関する大法則は、社会の完成の途上において、克服が不可能と思われる大きな困難をなすものだ」と述べている。またマルサスは、「土地の生産物」である食糧の生産の特殊性を指摘し、人口増加による食糧需要の増加が既存の土地の改良によってまかなわれるようになった時、その補給力は次第に減少していくだろうといういわゆる収穫逓減の法則にも言及していた。1973年に『経済と環境』を著わしたエデル(Edel, M.)が指摘しているように、「経済システム」と「環境システム」の境界あるいは2つのシステムの相互作用について論じることに環境経済論の課題の1つがあるとするならば、上記のマルサスの問題提起や指摘はその先駆だといいうるであろう。こうしたマルサスの見解は、いわば“資源・環境制約の考え方”とでも表現できるものであり、類似の考え方はマルサス以後にも繰り返し現われている。

 さらに、イギリス古典派経済学に属するミル(Mill, J.S.)も、『経済学原理』(1848年)の中で、人口の増加→食料需要の増加→収穫逓減の法則による食糧価格の上昇→労賃の上昇→利潤率の低下というリカード(Ricard, D.)的な利潤率低下論を展開した上で、利潤率が最低限にまで低下してしまった停止状態(stationary state)の社会について論じている。このミルの議論において特徴的なのは、彼が、スミス以来の多くの経済学者とは異なって、その停止状態をむしろ社会的に好ましい状態と考え、積極的に評価したことである。ミルはいう。「もし富と人口との無制限な増加のために地球がその楽しさの大部分を失ってしまわねばならないとすれば、しかもその目的が、ただたんに地球をして、より大いなる人口−しかしけっしてよりすぐれた、あるいはより幸福な人口ではない−を養うことを得しめることだけだとすれば、私は後世の人々のために切望する。彼らが必要に強いられて停止状態に入るはるか以前に、みずからすすんで停止状態に入ることを」。

 さらにミルは、次のようにも述べている。「資本および人口の停止状態なるものが、必ずしも人間的進歩の停止状態を意味するものではないということは、ほとんど改めて言う必要はなかろう。停止状態においても、あらゆる種類の精神的文化や道徳的・社会的進歩の余地があることは、従来とかわることはなく、また『生活の技術』を改善する余地も従来とかわることはあるまい。そして技術改善の可能性は、人間の心が立身栄達の術のためにうばわれることを止めるために、はるかに大きくなるであろう」と。ここで述べられているミルの主張には、今日の経済成長至上主義や物質的豊かさのみを追求することに対する批判的な問題提起が含まれている。

 他方、マルクス経済学派の創始者たちは、産業革命期以降における今日でいう産業公害や都市公害の深刻化という現実を、単に公衆衛生行政の問題としてだけではなく、資本主義がもたらす社会問題として取り上げた。たとえば、エンゲルスは、『イギリスにおける労働者階級の状態』(1845年)の中で、公害のような労働者の生活環境の悪化による非作為の被害は「社会による緩慢なる殺人」にほかならないとし、それを「社会的傷害・殺人」と名づけ、その解決の責任を資本主義社会の支配者であるブルジョア階級に求めた。またマルクスは、『資本論』(第1巻、1867年、初版)の中で、公害のような労働者の居住環境の悪化の問題を資本制蓄積に伴う貧困化の一現象として位置づけて、その原因の経済学的解明を行っていた。

 さらにマルクスやエンゲルスは、人間と自然との物質代謝の過程に注目し、それが資本主義という独自な生産関係によって担われる場合には、自然破壊と人間破壊が生じ、資本主義的な生産関係の変革がなければ、結果的には自然からの“復讐”を受けることにならざるを得ないだろうと論じていた。ここには、本来、自然を制御するものとしての生産という人間の経済行為をさらに制御する必要があるとする、いわば「制御の制御」という考え方とそれを可能にする経済体制とは一体何かを明らかにしようとする視角がふくまれていたといえよう。しかし、このマルクス経済学派も、他の学派と同様に、その後、資本主義の市場経済(商品経済)制度の研究が主流となり、市場での価格(交換価値)をもたない環境の問題は、一部の経済学者を除いて、次第に経済学研究の視野から欠落していくことになった。

 これに対して、今日の主流派経済学における環境問題への経済学的アプローチの理論的基礎は、ピグーが『厚生経済学』(1920年、初版)の中で論じた外部不経済論によって与えられている。ピグーは、ある種の産業活動は企業がその私的費用しか負担しないことによって最適水準を越えて拡張されてしまうため、政府がその産業活動がもたらす社会的費用と企業が負担している私的費用の乖離を埋めるべく課税すべきだと主張した。いわゆる市場の失敗論である。ただしピグーの場合、それはあくまで市場経済における例外的事象と考えられていた。しかしこのピグーの議論は、市場経済制度に固有な欠陥を外部不経済に伴う社会的費用の発生の問題として明確に認識したことを意味しており、この認識はその後の経済学において大きな発展を遂げていく出発点をなしている。ピグーの議論に対する批判として展開されたカップの社会的費用論も、ピグーの問題提起なしには生まれ得なかった議論であった。

 なお、以上の諸系譜のほかにも、たとえばイギリス古典派経済学に対抗して独自な学派を形成したリスト(List, F.)らに代表されるドイツの旧歴史学派の経済学やその後ドイツの社会改良主義を生み出した新歴史学派の経済学などの中にも、今日の環境経済論の論点と重要な係わりをもつと思われる議論を展開していた経済学者がいる。

 いずれにしろ環境経済学の歴史的ルーツをたどる本格的な作業は、なおこれからの課題として残されているといえるだろう。』

2.2 環境経済論の5類型−それぞれの意義と課題

 さて、上で概括したような経済学の発展史の中にみるさまざまな環境経済論の諸系譜と、さらにはその後の経済学者の新たな試みや努力の展開の中から、今日では、環境経済学の確立に向けたいくつかの代表的なアプローチの発展を見出すことができるようになっている。本書では、それらを類型化し、物質代謝論アプローチ、環境資源論アプローチ、外部不経済論アプローチ、社会的費用論アプローチ、経済体制論アプローチという5つのタイプとして整理している。それぞれのアプローチに関する具体的な紹介と検討については、以下の第2章〜第6章の各章を読んでいただくとして、ここでは、それぞれのアプローチがもつ意義と問題点および今後の課題について、ごく簡潔なスケッチを与えておくことにしたい。

 最初の物質代謝論アプローチには、エコロジー経済学やエントロピー経済学と呼ばれているものが含まれる。このアプローチは、現代の環境問題を「人間と自然との間の物質代謝」過程のあり方の問題としてとらえることから出発する点で共通している。現代のエコロジー的危機はいわば人間と自然との間の物質代謝機構の崩壊の問題であり、この問題を解決していくためには、その物質代謝機構を担っている経済システムとそれに対応した経済学のあり方が根本的に再検討される必要があると考える立場である。この代表的論者の1人として、たとえば玉野井芳郎が挙げられるが、彼は、これまでの経済学が「狭義の経済学」であったのに対して、その分析視座の根本的転換を図り、「広義の経済学」を新たに構築する必要があると説く。

 ここで「狭義の経済学」として批判されている内容は、一方では、市場経済学としての近代経済学の体系であり、他方では、マルクス経済学における生産力の概念である。玉野井自身は、@「生命系」対「非生命系」という分析視座の重要性、それにもとづく、A「現代工業文明」への批判、B地域主義の復権、を論じている。その根本には、「工業生産の原理」(非生命系)と「農業生産の原理」(生命系)との間にはきわめて重要な本質的差異があるにもかかわらず、それが無視され、後者が前者によって支配・包摂されてしまっているところに現代における物質代謝機構の崩壊という危機の根源がある、とするとらえ方がある。これは、現代の物質代謝機構にみる問題性をえぐりだし、従来の経済学の理論的枠組みに対してもその再検討を鋭く迫っているという点では、現代経済学批判として無視できない議論だといえよう。しかしこの議論には、いくつかの問題点あるいは今後さらに展開されるべき課題が残っている。

 第1は、現代における人間と自然との間の物質代謝が担われている社会経済システム、すなわち現代の社会的物質代謝機構の現実が必ずしも十分には分析されていないことである。今日、人間と自然との間の物質代謝が攪乱されている状態は、まさに現代の社会経済システムのもとで作り出されている生産物と代謝機構の問題性を体現したものであって、環境経済学はその社会経済システムの具体的分析を基本的な課題としなければならないだろう。

 第2は、“自然”と“社会”の関係についての理解をめぐる問題である。たとえばエントロピー経済学にみるように、自然科学的法則を社会経済現象に適用する場合、まずその適用の妥当性とそのあり方が検討されなければならない。と同時に、いわゆるエントロピー論などが含意していることは、人間と自然との関係において、人間の側から制御可能な自然と少なくとも現段階では制御不可能な自然とがあることを認識しなければならないこと、そしてその前提のもとで、自然との関係において不可逆的なダメージを最小にしうるような意思決定は、一体いかなる社会経済システムのもとで可能となりうるのかという問いの重要性である。この点は、今後さらに展開されなければならない課題であろう。

 第3には、人間と自然との間の物質代謝という場合、生産、流通(分配)、消費、廃棄という物質循環全体のあり方が問題となるが、そこでは現代の都市と農村との関係が一体どうあるべきかという問題も必然的に提起されてくる。この場合、これまでの都市と農村との対立的な関係を共生的な関係に組み替えていくことが必要となるが、この点ではエコロジー論が提起しているいわゆる近代化批判はきわめて重要な意義をもっている。しかしその際のいわゆる近代化批判のあり方には2つの方法がありうる。1つは、かつてエコロジカルなバランスの枠内で成立し得ていた農村型社会の原理をもって近代以降の都市型社会を批判するという方法と、もう1つは、今日の新しい時代条件のもとで都市と農村との共生的関係おいかにして現代的に再建すべきであるか、あるいは、再建しうるのかを理論的に検討することによって近代以降の都市型社会を批判的に超克していく道筋を示すという方法である。確かにエコロジー論からの批判には、きわめて鋭い近代化批判も少なくないが、他方では、そうした批判と今日の都市型社会の現実との間のギャップもまた大きいように思われる。その理由の一端は、エコロジー論からの近代化批判の多くが、主として前者の方法によっているためではなかろうか。今後、このギャップを克服していけるような理論的展開が必要であろう。

 次の環境資源論アプローチは、現代の環境問題を“環境資源”をめぐる経済問題としてとらえようとするものである。ここで“環境資源”とは一体何かがまず問題となるが、たとえばヘブマン(Haveman, R.H.)は、環境を「再生産不可能な資本資産(capital asset)」としてとらえる見方を提示している。この場合、資本資産というのは、一般にサービスの源泉であるから、単位時間内に人間にとって利用可能なサービスを生み出すものとみなされるが、環境という資本資産からのサービスには、たとえば自然河川からの取水量といった定量化可能(tangible)なものと、廃棄物の同化能力や自然景観サービスの提供といった定量化不可能(intangible)なものが含まれる。また、ペスキン(Peskin, H.M.)は、「環境資本(environmental capital)」あるいは「環境資本サービス」という用語を使い、これによって国民所得概念の新しい展開を試みている。こうしたヘブマンやペスキンらのとらえ方に環境資源論アプローチの意義と特徴が示されているといってよい。

 こうした“環境資源”の代表的なものとしては、森林資源、水資源、水産資源などが挙げられるが、そこではいずれも、ストックとしての“環境資源”の持続可能な合理的利用とそこから生み出されるフローとしての環境サービスの最大化との関係をどうするかが重要な環境経済学上の問題となっている。たとえば再生産可能な“環境資源”の持続可能な合理的管理において自然的要因と経済的要因とをどう統一的にとらえるか、また、環境サービス間の相互作用に起因する外部効果の問題や環境サービスの利用者間での非分割性の問題などをどう経済学的に取り扱うか、などが理論的な重要課題となっている。

 第3のアプローチは、外部不経済論アプローチである。これは、今日の経済学が公害現象や各種の環境破壊の問題に取り組む場合の主流的なアプローチをなしているものといってよい。すでに環境経済論の諸系譜でも簡単に触れたように、このアプローチは、ピグーによる外部不経済としての社会的費用の理論的認識に端を発している。すなわち、いわゆる「市場の失敗」として、市場経済がもつ固有の欠陥を社会が認識し、その限りにおいて、その是正のための公共介入を正当化する論理を組み立てたものである。これは、今日、厚生経済学、あるいはさらに公共経済学として独自の発展を遂げてきている。そこでは、発生する外部不経済を何らかの公共的政策手段を用いて市場に内部化すべきだとする考え方が確立されているが、これは現代の環境問題への経済学的アプローチにおいてきわめて重要な意義を有するものといってよかろう。しかし、このアプローチにもいくつかの問題点がある。

 1つは、このアプローチには厚生経済学特有の規範分析としての特徴があるが、これは市場の完全競争モデルと消費者主権を理論的な前提とする議論であるため、そこでの規範分析の結論が実際の市場経済社会においてどこまで現実的妥当性をもちうるかという問題が残ることである。たとえばガルブレイスが指摘しているように、実際の市場経済社会が巨大企業の支配する社会であり、そこでは消費者主権ではなく生産者主権が支配しているとすれば、このアプローチの理論的前提そのものに疑問が出てくることになろう。

 もう1点は、外部不経済の社会的帰属をめぐる問題である。現実の公害や環境破壊の被害は、多くの場合、生物的弱者や社会的弱者に集中している。すなわち外部不経済の社会的帰属は一般的にいって逆進的な性格がある。この点をどう理論的に考えるかが問われるであろう。またこの点は、外部不経済を市場に内部化するという場合におけるコストの最終負担者(社会的費用の最終負担者)が一体誰になるのかという問題とも密接に関連している。そこでのコスト負担の現実的なメカニズムについての検討が必要であろう。もちろんこうした論点については、厚生経済学では市場メカニズムがもつ分配機能とその公正をめぐる問題として理論的に取り扱うことが可能であるが、環境問題での具体的展開はまだ不十分だといえよう。

 さらにまた、このアプローチの理論的出発点となっている「市場の失敗」論からでてくる公共介入の論理は、今日では逆に「政府の失敗」という事態に直面しており、その点にどう理論的に応えていくかという課題も抱えている。この場合、「政府の失敗」を克服すべく単純に公共規制の緩和を行えば、再度「市場の失敗」に直面してしまう。そこでは、「市場の失敗」と「政府の失敗」を同時に克服しうる道が理論的に問われている。

 とはいえ、この外部不経済論アプローチは、あくまで規範分析という制約をもちながらも、現実の環境問題に対するさまざまな政策手段の提言という点では注目すべき点が多い。この点に着目するならば、今後、現実の経済社会において市場メカニズムが環境保全の上でも有効に機能しうるような制度的諸条件についての検討をさらに進めていくことがきわめて重要となろう。その際、情報の公開や住民参加の制度化のような消費者主権を真の意味で実質化していくような条件整備のあり方についても検討していく必要があろう。

 第4は、社会的費用論アプローチであるが、これは、特にカップのアプローチを意識したものである。このアプローチは、社会的費用という用語に示されているように、一方では、前述の外部不経済論アプローチと同じく厚生経済学の流れを継ぐものであるが、ミハルスキー(Michalski, W.)との論争で明らかになったように、カップにみる議論は、社会的費用の発生は私企業体制のもとでは不可避であるとする政治経済学的な志向をもっているという点で、独自なアプローチとしての意義を有している。

 またこのカップは、「社会的価値」という概念を示し、環境のような貨幣的(金銭的)評価ができない財がもつ固有の潜在的価値を評価することの重要性を「環境の社会的評価」の問題として提起した。これは、環境の価値とは何かをめぐる議論への1つの視点を示したものとして注目される点である。その際、特にカップは、人間の歴史を“社会的費用に対する認識の発展史”として把握したことにみられるように、「環境の社会的評価」の問題を人間社会における民主主義の発展の度合と係わらせて論じていた。この点は、環境評価と環境制御のシステムの確立を考える上ではきわめて重要な観点であり、この点をどう発展させるかが今後の課題とされるべきであろう。もちろんカップの議論にもいくつかの理論的難点が含まれている。たとえば社会的費用と社会的損失を等置したことや、社会的費用が公共政策の対象となる契機を一面的に把握しすぎているといった問題などがある。

 最後は、経済体制論アプローチである。これは、「経済体制が違うと公害の発生やそれに対する対応の効果が体制的理由により、異なりうるとみなす」立場からのアプローチであり、この観点から社会経済体制のあり方がもつ重要性を強調する政治経済学的な方法論にもとづくものである。日本では、都留重人や宮本憲一がこの方法論的立場から公害や環境破壊の問題に取り組んできた。特に宮本は、この方法論に拠りつつ、さらに環境(ないし環境問題)を規定する「中間システム」のあり方の問題に着目している。この「中間システム」論は、公害や環境破壊を引き起こす素材面での要因と体制面での要因を単に二元論的に分析するのではなく、その中間に位置する政治経済構造(@資本形成の構造、A産業構造、B地域構造、C交通体系、D生活様式、E国家の公共的介入の態様等)のあり方を解明しなければならないとするものであり、宮本は、ここに環境経済学の主要な課題があるとしている。

 これは、現代の環境問題の原因を単に資本制蓄積との関係だけに還元してとらえるきらいがあった従来の経済体制論アプローチの方法論的な弱点を克服しようとしたものといってよい。特にそこでは、戦後40年間の経験からみる限り、資本主義経済であるか社会主義経済であるかを問わず、公害や環境破壊の問題が共通して深刻な問題となってきたという現実が踏まえられている。しかし他方、この「中間システム」論の提起は、従来からの経済体制論アプローチが重視してきた資本主義、社会主義という社会の生産関係における体制的差異がもはや全く意味をもたなくなったとしているわけではない。だとすれば、上記のような「中間システム」が社会の生産関係のあり方と一体どのような関連にあるのかが、このアプローチのもともとの理論的前提との係わりで改めて問われるべき今後の論点となるだろう。

 以上、5つに整理したアプローチのそれぞれについて、その理論的な意義と問題点および今後の課題を簡単に明らかにしたが、これらの環境経済論はいずれも、まだまだ多くの未開拓な理論的展開の余地を残しているといってよい。とはいえ、それらは、21世紀を目前に控えた現代の経済社会が今切実に求めている環境経済学の本格的な確立に向けての重要な理論的手がかりを与えているものであることだけは間違いない。それらのさらなる継承・発展とその統合化の仕事は、今、環境問題への経済学的アプローチを志している者、あるいは、これから新たに環境経済学を志そうとしている者に与えられたきわめて重要な歴史的責務になっているといえるのではなかろうか。』



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