限界を超えて 生きるための選択


監訳者あとがき
 私とローマ・クラブの出会いは1970年の春にさかのぼる。世界各国から諸分野の専門家を集め、地球規模の問題に総合的に取り組み、警鐘を鳴らすことを趣旨とする同会への参加をよびかけられたのが始まりだった。同年7月末、マサチューセッチ工科大学(MIT)で具体的な研究活動方針を討議するための会合が開かれ、日本から私が出席することになったのである。
 この会合で、MITのジェイ・W・フォレスター教授が開発したシステム・ダイナミクスを駆使した世界モデル構想が発表され、研究の方針が決定した。その成果が、1972年3月に出版された、The Limits to Growth(邦訳『成長の限界』ダイヤモンド社)である。29もの言語で出版され、世界全体で900万部も売れたこの本は、大きな影響を世界に与えた。
 経済成長が絶対的価値であった当時の社会において、『成長の限界』は賛否両論さまざまな反響をよんだ。成長を絶対視する社会への警告の書であるという好意的な評価もあれば、終末の日を予言していたずらに人心を騒がせる書であるという批判もあった。また、多様な世界を均一のシステムとして扱っているという弱点を、より理論的な立場から指摘する向きもあった。
 限りあるものを使い続ければいつか限界にぶつかるというのは当然のことだが、資源量や技術力などさまざまな仮定に基づいたモデル分析を通して、グローバルな問題は各要因が相互に関連しあった複雑な問題群であることを指摘した点において、『成長の限界』は高く評価されるべきである。

 『成長の限界』が世界に与えたインパクトの一端を紹介したい。先に述べた1970年7月末のMITでの会合で、私はジェラルド・バーニーという化学工学者に出会ったのだが、彼はその後、80年に出されたアメリカ政府大統領諮問委員会報告書Global 2000(邦訳『西暦2000年の地球』家の光協会)の実質上のリーダーとして重要な役割を果たした。
 この『西暦2000年の地球』に触発されて、日本の環境庁内に「地球的規模の環境問題に関する懇談会」(座長:大来佐武郎元外務大臣)が発足した。1982年、同懇談会の報告を受けた当時の原文兵衛環境庁長官は、国連環境計画(UNEP)に対し、21世紀における地球環境の理想の模索とその実現に向けた戦略の策定を任務とする特別委員会の設置を提案した。こうして84年、国連総会の承認を得て「環境と開発に関する世界委員会」(通称ブルントラント委員会)が発足した。この委員会が、後にOur Common Future(邦訳『地球の未来を守るために』福武書店)を発表し、「持続可能な開発」という重要な概念を打ち出すのである。
 つまり、この『成長の限界』ならびにローマ・クラブの活動が、ある意味で、現在の地球環境に関する国際的な取り組みの出発点になっているのである。

 その『成長の限界』から20年を経た今日、地球の限界はさらに近づいたのか、あるいは遠ざかったのか。それを検証する目的で書かれたのがBeyond the Limits(Chelsea Green Publishing Company, 1992)であり、本書はその日本語完全訳である。
 本書の著者は『成長の限界』と同じで、ドネラ・H・メドウズ、デニス・L・メドウズ、ヨルゲン・ランダースの3人である(ただし本書はローマ・クラブの委託を受けた研究ではない)。
 簡単に著者の紹介をしておこう。ドネラ・H・メドウズはダートマス大学環境研究プログラムの助教授で、コンピュータ・モデルを用いて社会、環境、エネルギーなど、さまざまなシステムを研究している。そのかたわら彼女は、新聞・雑誌への執筆、テレビ番組の制作など、マスメディアを通じても盛んに活動している。明るく気さくな人柄で、私も好きな人物の一人である。
 主著者のデニス・L・メドウズは、現在ニューハンプシャー大学の経営学教授だが、社会システムのモデル設計においては世界的権威として知られ、アメリカ政府のみならずイタリア政府、世界保健機関(WHO)の顧問として活躍している。また、国際システム・ダイナミクス学会および国際シミュレーション/ゲーム協会の会長も務めた。1991年にはそのシステム・ダイナミクス分野への貢献が認められ、J・W・フォレスター賞を受賞している。
 ヨルゲン・ランダースは未来研究と政策分析が専門で、『成長の限界』発表後、母国のノルウェー経営大学院で学長を務めた。その後、実業の世界に戻り、現在はS. Sejersted Bodtker社という海運会社やノルウェー工業銀行、ノルウェー・マーケット・リサーチ研究所の会長を務めている。
 20年という歳月のなかで、それぞれの専門分野で別個に活動する3人が、1つのテーマの研究に再び力を結集したということは非常に意義深いことだと思う(なお、ドネラ・H・メドウズとデニス・L・メドウズは現在は結婚関係を解消している)。

 本書の研究のベースになっているのが、MITのフォレスター教授が開発したシステム・ダイナミクス理論であることはすでに述べたが、この手法のもとをただせば、フィードバック・システムを利用して1つの工学システムを構築するという制御工学に起源をもつ。この工学的メカニズムと同じものが生物や社会にも存在するのではないかということで、経営における意思決定の機構を模擬する手法として開発されたのがインダストリアル・ダイナミクスであり、それをさらに発展させたのがシステム・ダイナミクスである。
 システム・ダイナミクスの手法は、統計処理をしたデータを用いるのではなく、主観確率を使って問題を考えるファジー・アプローチに近い。そのため、はたして経営以外の分野にもち込むことが適当かどうかという議論もないわけではない。つまり、たとえば汚染とその人間への影響の関係は、科学的データによって判断されるべきものであって、主観的に線引きをすべきものではない、というような議論である。
 しかし私は、このシステム・ダイナミクスという手法は、合理的な推論のための1つの手段として、それなりの意味をもっていると考えている。とくに今回は著者たち自身、「4つのレンズ」を用いたと述べているように、コンピュータ・モデルは、地球システムに関する標準的な科学的・経済的理論や統計資料、パラダイムとともに、さまざまなファクターを総合して考える合理的思考の手段の1つとして限定的に位置づけられている。

 本書は『成長の限界』と違って、世界モデルの議論は1部分にすぎず、大部分は「成長」の性格や、資源・環境などの鍵となる要素の議論に向けられており、世界モデルというツールを詳しく知らなくても内容が十分理解できるように書かれている。この点は、著者らの20年の経験によるのであろうが、本書を『成長の限界』よりはるかに説得的にしているように思う。
 コンピュータ・モデルから導かれた結論も、『成長の限界』よりも慎重に提示され、運命の宣告ではなく選択肢の提示であることが強調されている。
 さらに、本書は、かつての「悲観論者の警告」といった批判を意識してか、人間の経済活動は地球のソース(供給源)でもシンク(吸収源)でも限界を超えてしまった部分があることを指摘しながらも、努めて前向きな展望を示そうとしている。タイトルBeyond the Limitsのbeyondは、「限界を超えてしまった」という意味であると同時に、人類社会は直面する「限界を乗り越えることができる」という意味にとるべきであろう。
 ただしその際、従来の価値観で、従来の型の技術革新に頼っていたのではいけない、というのが著者たちの主張である。本書のなかで指摘されているように、成長(growth)と発展(development)は異なるということ、つまり、物質的増大と、科学技術の進歩や生活の充実、人間の進歩とは分離することが可能であるという認識に基づき、産業構造システムそのものを改造する必要に迫られているのである。こうした、単なる技術革新のみでなく、構造変革が必要だという主張は、監訳者が常に述べてきた考えと合致するものである。
 そうしたシステム構造自体の変革を実現させるうえで、一般市民には何ができるのか。それを著者たちは第8章で、5つの手法としてまとめている。ただ、市民の意識の変革や情報の流れの変化などが構造変革をもたらす力となりうるという主張は、理解はできるが、やや抽象に過ぎる。今後、こういった対応方策について、著者たちがさらに議論を煮詰めていくことを期待したい。

 この20年を振り返ると、確かに地球規模の問題への意識は高まりつつある。また具体的に問題に取り組む機関や団体が増えていることも事実である。にもかかわらず、多くの分野で人間の活動は環境と資源の限界をすでに超え、さらに超えようとしている。いま、私たちは問題を根本的にとらえなおす必要がある。
 つまり、地球規模の問題は個別的な問題ではなく、多くの要素が相互に複雑に絡み合った問題であり、一部の解決は決して全体の解決にはつながらない。むしろ一部の改善がバリアを取り除くかたちで他の部分の成長を加速し、かえって問題の深刻化を早めることすらありうる。ローマ・クラブがかつて提唱した「世界問題集合」(world problematique)という概念は、まさにこのような問題群の性格を反映したものであり、今後ますます重要な意味をもってくる。
 ひとつ環境に限らず、資源や土地といった地球の有限性に根ざす要素と、人類の人口と経済の発展が相剋する事態が現実化しつつある今日、その場しのぎの対策は決して解決にはならない。問題を総合的にとらえ、根本的に解決する道をいまこそ人類は模索すべきではないか。そういった基本的なよびかけの重大さを本書はあらためて感じさせてくれる。
 なお、本書の翻訳にあたっては、村井昌子さんが基本の作業を行ない、しかるのちに東京大学の松橋隆治助手が専門家の立場から第1次のチェックを行ない、最終的に茅が詰めの修正を行なうという方法をとった。村井、松橋ご両人の努力に深く感謝の意を表したい。また、ダイヤモンド社の御立英史氏にはそうした全作業の遂行のためにひとかたならぬお世話をいただいた。お礼申し上げたい。

  1992年11月                                   茅 陽一』