熊澤・丸山(編)(2002)による〔『プルームテクトニクスと全地球史解読』(i-viip)から〕


まえがき
新たなパラダイムをどのように生み出したのか

プレートテクトニクスの誕生
 1960年代のなかば、固体地球の変動を理解する研究の中に、“異なる現象の相互関連の記述にもとづいて変動を予測できる”という意味で、理論といえる体系(1)が現れた。これはプレートテクトニクスと呼ばれる(2)。この理論の核は次のようにきわめて単純である。(1)地球表層はプレートという10枚程度の剛体的な板(厚さ平均60km程度)で覆われている、(2)プレートの運動は球面上の相対的水平運動である、(3)各プレートの境界は、“近づく”“離れる”“すれちがう”、の3種類だけで、“近づく”境界ではプレートの消滅が、“離れる”境界ではプレートの生成がおこる(図1:略)。ここで“テクトニクス”とは、力学系としての記述(ダイナミクス)の前段階として、ものの動きと変化をモデル化して記述することをさす地球科学の用語で、運動論と呼ばれることもある(テクトニクスとダイナミクスの違いについては後述しよう)。
 さて、このように一見単純なプレート理論が、多様な地学現象の相互関係の理解を革命的に促した。固体地球のほとんどの変動がおこるところはプレートの境界である。そして日本列島は、一つのプレートが別のプレートに近づいてその下に沈降消滅する場所である。プレート理論によって、なぜ地震がおこるのか、なぜ火山ができるのか、どのような運動によって日本列島の形や大構造が作られるのか、などといった本質的な問いに、定性的にはもっともらしく答えられるようになった。
 しかしこれはプレートテクトニクスによる素晴らしい功績の一例にすぎない。その意義は、地球科学とともに科学史の研究者でもある都城秋穂が解説しているように(1)、地球科学における科学革命と位置づけられる。
 こうして1980年代の終わりまでに、固体地球の変動の第一近似的な描像がプレート理論に基づいて与えられた。以来、プレートテクトニクス近似の精度をあげる研究が進み、体系の大枠はほぼ整えられた。つまり研究は1990年代に入って、局所的な問題や細部にまで及んで詳しくなってきた。そこには研究すべきことがまだ沢山あるにもかかわらず、意外性や驚愕感動する要素が少なくなって閉塞感のようなものが漂い始めた。
 一方、大規模数値計算をもちいたプレート運動の“ダイナミクス”の研究、すなわち力学系としてとらえる研究が組織的に始められた。しかし、未知のパラメータを含む多自由度系の現象を、一つのアプローチのみで解明できると期待することはもともと無理である。プレート理論による革命を越えて、固体地球変動の理解をさらに進めるためには、プレート理論を補完するさまざまなアプローチを必要としたのである。しかし、一体何が必要なのか、それを具体的に示すことは簡単に見えて意外にむずかしいし、そうしたアプローチを確たるものにすることは、さらにむずかしく感じられてきた。

ポストプレートテクトニクスへの模索
 ここで、地球科学の用語である“テクトニクス”と、物理学の用語である“ダイナミクス”の、二つの術語について言及しておきたい。なぜかというと、これらの用語の背景には、いままでの地球科学の研究とその次世代への発展に関わる重要な問題が、そしてそれを解決するヒントが含まれているからである。
 この合本の編者二人は、戦後誕生した地球科学の同じ大学院で学んだ。分野の枠を超えて地球を丸ごと理解したいという共通の目標をもちながらも、地球物理系(熊澤)と地質系(丸山)という、当時としては“水と油”のように混ざることがむずかしい、異分野のバックグラウンドをもって育った。共通の目標をもてるようになったのは、地球科学の意味を深く洞察し、地質学研究で世界的に指導的な役割を果たした都城秋穂と、地球物理出身者として、日本ではじめて地球科学教室を誕生させた理念−地質学と地球物理学の統合−を具体的に追及してきた島津康男の哲学に学んだことが大きい。
 地球科学内部の“水と油”は、なぜ混ざることができなかったのだろうか。1960年ごろ、こんな象徴的なことがあった。“造山運動”という地質用語がある。それに“エネルギー”という物理用語を繋いだ“造山運動のエネルギー”という地質用語が小さな論争の種になったのである。造山帯ができあがるためには何らかの大きな力や巨大なエネルギーを必要とするから、地質学では、それを概念的に“造山運動のエネルギー”と表現して誰も困らなかった。地球物理出身者は、その用語を山を造る運動のエネルギーとみて、(山体の質量)×(それが移動する速度の2乗)に比例するエネルギーをジュールで概算し、1杯のコーヒーを沸かすエネルギーにも及ばないから無視できると主張したのだ。
 プレートテクトニクス出現以前には、例えばこういった具合で、両者は互いに理解し会えずに情緒的な反応を引き起こして、議論が単なる争うごとになり、学問的交流は一次停滞してしまった。昨今、物理学者のAlan Sokalがきっかけを作った“サイエンスウオーズ”(3)と似ている(そこでは、科学の専門用語の誤用や濫用が問われた)。1967年、島津康男が‘地球の進化’という先駆的な本(4)を出版したが、当時、進化という言葉は、地球科学の多くの人にアレルギー反応をおこすに十分だった。1971年、プレートテクトニクスを解説紹介した上田誠也の‘新しい地球観’(2)も同じだった。その間の事情は、当時の学会の状況を紹介した松田のエッセイ(5)に詳しい。プレートテクトニクスが常識になった1980年代でも似たようなことは決して少なくなかった。その一例がテクトニクスとダイナミクスである。
 ダイナミクスという言葉は、日常語では“力強く活発な”という意味でダイナミックという形容詞で使われる。物理系の諸分野でもいろいろな意味で使われるが、基本的には、ある定義されたシステムについて、初期条件を与えれば、時間発展が原理的には一義的に定まる論理式(フォーミュラ)を記述し、それを使って数値的量的解析を通じて、起こってしまった現象だけでなく原理的な側面までの理解を深めるアプローチを意味する。お手本の典型例が古典力学なので“力学系としての問題”とも呼ばれる。このようなアプローチは、地球科学でも必要不可欠の手段の一つであるが、一つにすぎない。複雑で未知の対象に対しては、システムの設定や過程の捉え方の選択には非常に莫大多数の試行錯誤を要するので、ダイナミクスとしての厳密性を重んじれば、仕事は非常にむずかしく、何らかの段階を踏む別のアプローチを必要とするはずだ。そこで、ダイナミクスは無力な計算遊びだ、あるいは逆に、これでないと科学でない、などという勘違いもおこるのである。
 地球科学分野では、質的な法則性を定性的に論じるテクトニクスと、量と物理法則を基盤にするダイナミクスとをあまり区別しないであいまいに使うことが多い。もちろん、両方の意味と役割の本質的な違いを承知した上で使い分けるのが望ましい。だが、場合によっては混用することもやむをえず許されるだろう。例えば、複雑な系を扱う場合、部分的にはダイナミクスだが、全体はそうでない。あるいはその逆もある。このようなことは、科学が進展する場ではいつもおこることだ。読者もそういうつもりでみていただきたい。
 さて、プレートテクトニクスの閉塞感を抜け出して、地球の総合的理解へ向けて活き活きと進むのに必要な方法を論じよう。1990年代に入ったころ、われわれ編者二人は新しい道を模索して議論に議論を重ねていた。地球の動態についてに考察、個別分野を相補的に統合するなどという課題に加えて、科学運動としての側面も考慮せざるをえないことがわかってきた。そして、プレートテクトニクスが、革命の前夜から誕生、普及と成熟へと向かってきた、その生々しい歴史にわれわれは学んだのだ。
 われわれが目指す全地球のダイナミクスの前段階として、まず、地球の動態の“本質的な姿を洞察”し、できるだけ単純に描き出すことが第一歩となるはずだ。そこでは、教科書における物理学のような厳密さはひとまずおき、定性的でもよい。無理に物理学用語と物理学的厳密さを持ち込んで複雑にしないことがかえって大事である。これは一見ずるいようにみえよう。しかし、洞察を効かせるところにむずかしさがあるものの、科学の方法としては常識的なアプローチの一つにすぎない。つまり、まず、目指す厳密な意味でのダイナミクスと、定性的だが固体地球の変動をもっともらしくわかった気になれるテクトニクスとを、観念と論理の上で峻別する。そうして、プレートテクトニクスの次の時代に求められるテクトニクスを創り、その試行錯誤の成長に必要な栄養と資源を確保する、ということだ。

プルームテクトニクスから全地球テクトニクスへ
 薄い板状のプレートの運動とその構造が確認される領域は、地球半径6400kmのほんの10分の1程度の表層(ほぼ上部マントルに相当、地球の体積の3%)に限られる。地球全体積のほとんどを占める下部マントル(体積は81%)の対流がプレートの運動に大きな効果を与えないはずはないのに、それを描き出せていなかった。
 編者らは、1990年代に入ってからその探求を本格的にはじめ、“プルームテクトニクス”という新しい見方を提案した。プルームとは、密度が小さくて上昇する、あるいは密度が大きくて沈降する物の塊を表現する言葉である。要するに、マントル対流は物理化学反応をともなう複雑な流れ場であるが、その多様な特徴をいったんすべてそぎ落とし、“重力場における塊の浮沈”というわかりやすい形で表現し直したのである。このようなことができるようになった直接的要因は、地震波を使った地球内部の“透視”(トモグラフィー)の解像度が上がったことにある。(註:雑誌‘科学’では、1995年半ばまで“プリューム”という表記を使っていたが、その後の検討で原音に近い“プルーム”に統一した。そのため本書では、もともとの執筆時期が早いものには“プリューム”という表記が用いられている。)
 1990年代に格段に進んだ、マントル内部の“透視”の結果、下部マントル中には地表から消えて沈降するプレート状の構造は認められないのに、上部マントルの底と下部マントルの底には何か密度の高い塊があり、マントル中にはスーパープルームと呼ぶべき直径1000km程度に及ぶ巨大な浮上するプルームの存在がみてとれたのである。みてとれた、というのは、物理過程についてのいくつかのモデルと重ねてみて、マントル対流のもっともらしい姿が“観察されかけた”ということである。そこで、マントルの動きと変化をプルームの概念を用いて再構成する作業をおこない、プルームの発生、進化、変遷から地表地質への効果までをかなり具体的に記述するテクトニックモデルとして提示した。さらに、地球の中心核のこれまでの理解(“地球中心核”;1991年〜1993年の文部省重点領域研究)と、惑星科学や地球の形成成長過程の研究成果など、その時点までの知見を総合して、“全地球テクトニクス”という新しい地球観を構成することになったのである(6)(図2:略)。非常に単純化すれば、“地球浅部で板の水平移動を記述するプレートテクトニクス”と“地球深部で塊の鉛直移動を記述するプルームテクトニクス”とが補完し合って全地球の動的描像“全地球テクトニクス”を与える、ということである。
 全球的な規模で個体地球の変動をもっともらしく説明できる新しい見方の“全地球テクトニクス”は、1990年代半ばから興奮を伴って“全地球ダイナミクス”へ向けた進化を始めた。それは、混ざらなかった‘水と油’が融合しつつ、研究動向のかなり大きな変革になっているように見える。それには、(1)地震波による“透視”がさらに進み、(2)地球中心に相当する超高圧−高温下の実験技術が向上し地球深部でおこる物理化学的現象の理解が深まり、(3)マントル対流やプルームの運動の大規模数値計算実験が可能になったことが寄与している。加えてとくに、(4)固体地球深部の運動だけでなく、地球の歴史すべてを記録した、地質体という地表に残されている物証の超高精度分析とその解読計画が果たした役割も大きいと考えている。

全地球史解読計画の起動
 新しい地球の歴史像をつくりあげていく組織的な研究は、1990年代に日本から始まった。それは、数値計算実験と超高圧実験による、地球内部のダイナミクスについての研究から導かれる物理的予測を推論の根拠として、地球上の岩石や地層の中に記録された地球の歴史を解読しようというものである。
 まず、解読に適したどのような物証がどこにあるかを突き止め、資料を確保しなければならない。新しい技術を確かなものにしつつ、地球の歴史を組織的に解読していく、それが“全地球史解読”計画(1995年〜1998年の文部省の重点領域研究)である。
 たった1回しかおこらなかった地球の進化・変動を理解するには、物質的証拠を組織的に活用するアプローチが必要である。地表で入手できる古い時代の岩石や地層には、固体地球内部の動的過程だけでなく、隕石の落下や、月の軌道変化、太陽活動のような地球外のできごとから、生命活動と地球環境の変遷まで、さまざまな情報が記録されているはずだ。これを組織的に解読するには、相応の戦略と技術を必要とする。
 この研究は、地球の形成時期から現在へ(そしてできれば将来まで)、あるいは、中心の核から地球外要因まで、さらに生命の発生・進化はもちろん大気海洋の変遷までという広範な学際領域にまたがる。したがって地球科学の諸分野だけではなく、本書にもみられるとおり、宇宙物理学、物性科学、生命科学、計算科学などのさまざまな分野の研究者の共同研究として、全地球史解読計画は継続的に発展している。
 プルームの地球全史的変遷は、全地球史の解読によって読み取れる。例えば、プルームのうちで超巨大なもの(スーパープルーム)は、地球表面の大陸が全部つながった超大陸の形成やその分裂をもたらした。その痕跡から、スーパープルームの活動の時期や規模、様態がわかる。また、超大陸の分裂や形成によって地球環境は変化し、生命の進化に影響を及ぼしたであろう。その状況も読み取れる。地層から昔の地球磁場を推定し、地球中心の核の状態の推移も読める。まだ現時点では明快に解明、あるいは証明できなくても、これまで想像もできなかったさまざまなメカニズムやプロセスが、地球の動的な変動進化に関わる候補としていくつも登場してきた。
 例えば、生命を育んでいる海の水は、地表だけでなく深いマントルまでを含めた領域を大循環していて、地球の大きな変動に決定的な役割をもっているらしい。これは一例にすぎない。このように斬新な作業仮説がつぎつぎと生まれはじめ、それらを検証するために、超高圧実験、新規の諸観測、数値計算実験などが企画実行され、高度な分析技術の開発が行われはじめた。こうして、地球科学は国際的にも興奮の引き続く新時代にはいりつつある。

全地球ダイナミクスの解明へ向けて
 “プルームテクトニクス”と“全地球史解読”、この二つは相補的な役割を担って、ポストプレートテクトニクスの時代において“全地球ダイナミクス”を解明する基盤になるであろう。これは日本が世界に先駆けて作り出した、地球科学における新しいアプローチである。このアプローチは、さまざまな新しい仮説とその検証研究を誘発しながら、各国、関連分野の研究に指針を与え、広がりを見せている。本書では、この新しい潮流が黎明期にどのような紆余曲折、試行錯誤を経ながら発展してきたのか、関連する研究もあわせて振り返ることにした。
 本書は雑誌‘科学’の1993年以降の関連論文に一部訂正を加え収録し、さらにいくつかの書き下ろしを加えて編集したものである。目次を一読するだけで、地球科学が扱う現象が多彩でありその切り口も多様であることがわかるだろう。もちろん、‘科学’で紹介されなかったが大事な研究もある。したがって、いくら大部となったとはいえ、本書に再録した研究だけでは、新しい地球観の構築過程のすべてを体系的に描くには命脈に欠けよう。また、現代の地球観、新しい地球史、全地球ダイナミクスの3部構成のうち、第3部のダイナミクスはまだ発展の初期段階にあり、各論文のつながりは明快ではなく、紹介しきれないが意見が激しく対立する部分も多い。
 生命を生み育て宿しているこの地球の謎は深く、まだ問われてさえいないこともかぎりなくあるはずだ。現在の地球科学は、差し当たって、“小賢しくも地球のダイナミクスをめざして、しかしダイナミックに動いている”ということはこの合本で読み取ってもらえるのではなかろうか。
 ‘われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこに行くのか’、というのはフランスの画家、ゴーギャンがタヒチ島で描いた絵(1897)のタイトルである(図3:略)。これは自殺を覚悟したゴーギャンという偉大な芸術家の感性で表現した遺言であり、科学者に投げた論理的な問いではないだろう。しかし、それをわれわれへの究極の問いと見て、それに科学として答えようとしようではないか。
 なお、地球科学の今後の発展の方向や展望について、編者の考えを“あとがき”で述べることにした。本書がこれから研究のフロンティアに立つ若い研究者の刺激になれば幸いである。

熊澤峰夫
丸山茂徳

文献
(1) 都城秋穂:科学革命とは何か、岩波書店(1998)
(2) 上田誠也:新しい地球観、岩波新書(1971)
(3) A.ソーカル・J.ブリクモン:「知」の欺瞞−ポストモダン思想における科学の濫用、田崎晴明・大野克嗣・堀茂樹訳、岩波書店(2000)
(4) 島津康男:地球の進化、岩波書店(1967)
(5) 松田時彦:新しい地球観−日本における1970年代.月刊地球、号外3(1991)
(6) 特集:地質学雑誌、100巻1号(1994)』


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