2−2 明らかになった太古代の地球の姿
太古代研究の重要な第一歩は、地質体の解釈から始まる。野外地質学者はほとんど全員が太古代地質体は現地性堆積物と火成岩から構成され、付加体ではないと伝統的に考えてきた。付加体というのは、海底でプレートが形成されるときに生まれた特徴的な溶岩や堆積物をのせたプレートが、大陸と衝突するとき、地球深部に沈み込まないで大陸の縁に付加された地質体のことである。太古代付加体の有無に関する論争は、太古代の造山帯のほとんどすべてが付加体であるとの着想から始まった日本人研究者によって、提起され、かつ決着がつけられた。ここでは、太古代研究の実例が紹介されている(椛島・寺林論文)。これはプレートテクトニクスが始まった時期が太古代であることを証明した重要な成果であった。
この付加体地質学の原理を適用すると、付加した緑色岩の起源がわかる。38、35、26、19億年前の中央海嶺玄武岩を各地から採集してきて、その岩石学的研究から、各時代の起源マントルの温度とその変化を推定できる(小宮論文)。結果は、太古代のマントルは現在のものよりも約150℃高温であったことを示した。
昔の火山岩は一般に変質と変成作用を強く受けているために、現在の全岩化学組成がもとのマグマの性質を残しているのかどうか自明ではない。しかし、スピネルという堅牢な鉱物の中にガラスが残っていることがあり、それが、太古のマントルから生じた初生的なマグマの情報を保存していることが清水論文によって示される。この岩石は実に27億年も前の深部マントル起源マグマである。
世界最古の微生物化石はオーストラリア西部ピルバラ地塊ノースポール地域の35億年前の地層にあるが、その産状を詳しく調査した結果、それが中央海嶺熱水変成作用と直接関係したものであることが判明した(北島論文)。変成鉱物の組合せと流体包有物から推定された熱水の化学組成は、現在の海水の組成とは異なって、二酸化炭素分圧や水素イオン濃度が高く初期地球に期待されたものであった。これは、生命発生時期が、35億年以前であり、かつその場所が高温度の地下の熱水環境にあったことを示す物証の発見であろう。
さて、マントル対流の数値実験は20年前に比べずいぶんと進歩して、マントルの物性に近い数値を使った現実的な計算ができるようになった。瀬野・本多は、マントル対流の形態の変化をもとに、現在のようなプレートテクトニクスが始まったのは20億年前くらいであると推論した。これは、プレートテクトニクスが39億年前にさかのぼるとする、地質学的研究にもとづく推論と対立する。一方、小河は、組成分化の効果を考慮した対流モデルを発展させて、大規模なマントルオーバーターンが20億年前くらいにおこったと推論している。19億年前あるいは27億年前は地球史上、最大規模のプルームによる火成活動がおこった時期である。これらの数値実験と地質学的物証から推論されるイベントとの対応はどのように理解すべきなのか、今後の課題となっている。
地球中心にある鉄でできた核(コア)の動態についての解説は浜野・隅田論文にある。核の熱史の評価に基づいて内核の地震波速度の観測データと整合する内核の成長と構造のモデルが導かれた。また、太古代の付加体を組織的に調べて、そこに記録されている地球の古磁場を推定解読して比較したのである。35億年前のダイナモは活発で、地球磁場は27億年前以降の10〜20倍も大きいが、地球磁場の逆転現象は、太古代でも現在の地球のようにしばしばあったことがわかってきた。このような結果と、熱史モデル、内核成長モデルから期待されるダイナモと地球磁場の変動との対比は、マントルと内核に挟まれた流体核の動態に大きな制約を与えている。
そもそも地球の層構造の形成は、形成期に全地球がほぼ融解してマグマの海「マグマオーシャン」に覆われていた時に重力による化学分化によってなされたと考えられている。この考えには現在でも大きな疑いを挟む資料はない。しかし、この時期のマグマとは一体何かということになると、再検討を必要とする。H2Oを含むケイ酸塩の溶融物質をマグマとよぶが、氷の溶融物質である水が高温高圧下で実現する超臨界状態ではケイ酸塩を多量に融解する。両者は水と油のように不混和な流体で、一方を「メルト」他方を「ベイパー」と呼んで区別し、「メルトがマグマ」「ベイパーは水のガス相」という固定観念がある。しかし気体と液体の区別はなく、非常に高い圧力と温度のもとでは、両者の不混和領域は減少し、場合によると完全に混合するかもしれない。その具体的な解明は初期地球内部の理解に大きな変革を求めることになろう。このような問題のある段階での認識が藤井らによって紹介されている。』