熊澤・丸山(編)(2002)による〔『プルームテクトニクスと全地球史解読』(1p)から〕


第1部 現代の地球観

 いままで日本列島の地域地質学や日本列島周辺の地震を中心に研究を進めてきた日本の地球科学のなかに、地球を丸ごと考えて、地球変動原理を解明しようという、新しい野心的な研究が1990年代に始まった(それまでの日本の地球科学の実状は、欧米で生まれた新しい概念−プレートテクトニクスがその代表的な例である−を誰が日本にいち早く適用するかという競争にほとんど終始してきたといえるかもしれない)。
 まず、深尾良夫たちは、地域地震学的な研究から全地球規模の固体地球内部の速度構造の解明へと進んだ。その成果を、日本で発展した超高圧実験によるマントル遷移層の物理化学的研究、および世界の地質に残されたプレート沈み込みの歴史6億年と結びつけつつ提案されたのが、プルームテクトニクスの体系である(丸山ほか論文)。
 それと平行して全地球史解読計画が始まった。惑星形成や地球創成期から現在までを含む、より包括的・総合的な地球の理解へ進んだ研究は、まさに地球全史を扱うまでに広がったのである。研究対象地域は、地球全域に拡大した。熊澤は、科学史における、そのことの意味と研究の手法を解説し、伊東敬祐は複雑系の科学の代表例の一つである地球科学のもつ特質を例をあげて解説している。
 水平運動を特徴とするプレートテクトニクスが関与する領域は、大きく見積もっても地球の半径の10分の1程度でしかない。その下のプルームの役割が明らかになったきっかけは、全マントルトモグラフィーである。P波による全マントルトモグラフィーが深尾グループによって世界に先駆けておこなわれた。その後、世界のさまざまな場所で試みられ、使うデータが共通なのに解釈が違うので、ある意味の不信感が生まれ、真相がどうなのかについて多くの研究者の興味を引いていた。1999年のアメリカ地球物理連合での結果解釈から判断すると、深尾グループによる1994年のP波速度構造にほぼ収束したといえよう。これの簡単な解説を、大林に短く紹介していただき、最後に加えた。』


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