B・J・Skinner(1982)による〔『地球資源学入門 第2版』(1-3p)から〕


序章

 われわれの全社会は、われわれ自身の水、土地、森林、および鉱物に基礎を置き、そして依存している。これらの資源をいかに利用するかということは、われわれの健康、安全、経済そして安寧に影響を及ぼす。(John F. Kennedy, Message on National Resources; 米国議会、1961年2月23日より)

 資源(resource)とは多くの、少しずつ異なった意味合いをもつ言葉である。辞書の定義には“保存されている物”から“必要時にはすぐに取り出せる付加的な貯蔵物”までの幅がある。しかし定義はそれらの“物”が何であるかをはっきりさせはしない。それらは、個人的な危機を乗り切る勇気であっても、一冬を通して暖炉にくべる薪であっても、あるいは医療費を支払う財源であってもよい。本書で論ぜられる資源はすべて、一つの共通の因子でつながっている。それらはすべて天然資源(natural resources)なのである。つまり天然資源は食料、住宅・衣料の材料、鉱物、水、エネルギーといったような、豊饒なる地球からわれわれが引き出す貯蔵物質を意味するのである。
 すべての生命は天然資源を必要としかつ利用している。人類のみが自然界の分布や生産性を変えてきた。そしてそれを組織的に行なうことによって、文明と呼ばれる統制ある生き方という形態をつくり出してきた。人類は極端な気候と何とか闘い、そして天然の成育に加えて、おいしい食物の生産高を大きく増加させてきた。その結果、人類は地球上の占領区域を手の届く限りに拡大し、そしてかつては手の加えられていない自然と安定な平衡を保っていた数をはるか越えて増殖した。地球のこの巨大な人口を保つということは、今や、天然資源−収穫を増加させるための肥料、飲料および灌漑のための水、機械をつくるための金属、機械を動かすための燃料、そして無数の他のもろもろの物−を継続的に供給するということに完全に依存している。この継続的な供給なしでは文明社会は崩壊し、人口は減少するに違いない。
 天然資源は二つの明らかに異なるカテゴリーに分かれる。食料、衣料そして木材のように生きているから引き出される資源は更新性資源(renewable resources)である。これらは成長季節ごとに補充されるからである。たとえ一つの季節の収穫が消費されたとしても、次の季節には再び貯蔵庫を満たすことができる。しかし、石炭、石油、原子力、銅、鉄そして肥料といった鉱物資源(mineral resources)は季節ごとに更新されることはない。これらは非更新性で一度だけしか収穫できない資源であり、地球からの供給量は固定されている。鉱物資源の種類、分布、量、人間の使用量、そしてわれわれ人間の資源に対する益々増加していく依存度といった事柄が本書のトピックスである。もちろん、鉱物資源の利用ということに含まれる他の問題もある。工業先進国はますます非先進国からの供給に依存しているので、政治上の問題点もある。生産国内では採鉱期間中、切り開かれた土地の利用および誤用に関する問題点がある。廃棄物の過度の分散、すなわち汚染という問題もまた、人類による鉱物資源の極度な利用の必然的な結果であろう。これらの経済的、社会的、政治的諸問題がどんなに魅力的で重要であるとしても、それらはここでは簡単に述べられるだけで、本書のような小さな本では、それらが当然受けてよい待遇を与えられることは無理な相談である。
 鉱物資源は今や生活の本質的な成分、すなわち社会の構成要素になってしまった。しかしそれらは健全な未来のためにも十分であろうか、そしてそれらは十分手近にあって、容易に開発できるであろうか。大帝国は長い歴史を通じて、豊かで簡単に採掘される鉱物資源を支配したがゆえに、繰り返し栄華をきわめてきたが、しかし富が尽きると、同じ頻度で衰退した。資源の入手のしやすさに対すとる権力の依存という歴史的なパターンが、今や過去のものであると言えるほどに、世界の残された資源は分布しているであろうか。それともそれはいまだに未来に対する鍵であろうか。このような問題は非常にあやふやで、まだ明確には解答されえないだろう。しかし、問題は提出され、それらは本書を読むであろう世代の青少年によって解答されなければならない。鉱物資源が一様でなく分布しているということをわれわれは知っている。石油のようなある種の物質は限りがあるので、現在の割合で長くは消費されえない。必ずや、調整と変化が生じるであろうし、それはわれわれすべてに影響を及ぼす。変化はすでに始まりつつある。しかし多くの選択の余地があり、われわれは誰しも、直接的にせよ間接的にせよ、自分の言い分を持つであろう。これらの将来の選択に対して、われわれはできるだけ多くの理解を持って対処すべきである。本書はすべての解答を提供するものではないが、将来のわれわれの決定に到達する際の一助となりうるものである。
 地球資源の存在度と分布の研究は、そのより基本的な面において地質学の一部であり、本書が地球科学のシリーズに組み込まれていることは正にまとを得ている。しかし資源の研究は単に地質学の一部だけではないのである。それはわれわれの誰しもを、そして一人一人を熱中させる話題である。それは文明の創造と歴史の研究および地球上に人類が居住しているということの研究の出発点なのである。それゆえ、本書のページを進むにつれて、人文学者も科学者同様、面白いと感じるであろうことを願うものである。』



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