鹿園(1996)による〔『地球環境論』(11-17,20-33p)から〕


2.1 資源とは何か
 人間圏が地球システムから主体的に摂取する物質またはエネルギーを地球資源(earth resources)とよぶ。資源の意味を考えるときに重要な点は、資源をとり入れる主体が何であり、何をとり入れるかということである。資源というと、一般的には、経済学的資源(economical resources)が話題となることが多い。その定義としては、「自然より得られる有用物で、人間による何らかの労働が加わることによって、生産力の一要素となり得るもの」「人間の欲求を充足するために加工あるいは未加工状態で消費される生物または無生物、あるいは生産活動を組織し、潜在的価値を顕在化する人工物または文化」とされている(森、1992)。この定義では資源が人間にとって「有用なもの」「役に立つもの」と考えられている。しかし近年では、「役に立つもの」と思われ利用してきた資源から、処理しきれないほどの廃棄物が生まれ、人間圏や生物圏に悪い影響を与えたり、また資源開発にともなう環境破壊が深刻になってきており、資源には人間活動に資するポジティブな面もあれば、それに負荷を与えるネガティブな面もあることが認識されるようになった。資源とは、一概に「役に立つもの」とばかりはいえないのである。
 では、人間にとって「有用なもの」「役に立つもの」という観点から以外に、資源とは何かを考えるよい手立てはないものだろうか。その場合、地球をひとつの「システム」としてとらえる視点が有効となる。地球システムを駆動する物質循環・エネルギー循環系の中に人間を位置づけて考えるのである。資源をとり入れる主体は人間であり、これに何ら変わるところはない。しかし、この場合の人間とは正確にいえば、地球システムの中の一構成要素である「人間圏」のことである。地球システムの構成要素である物質圏(サブシステム)は互いに物質やエネルギーのやりとりをしている(第2巻参照)。人間圏もこうした地球の物質循環・エネルギー循環系の一部である。そうした観点から見ると、資源とは何か、とくに人間は「何をとり入れているか」を考えるに当たって、さきのような「有用なもの」という性質は必ずしも必要ないことになる。つまり冒頭で述べたように、資源とは人間圏が他のサブシステムからとり入れている物質およびエネルギーであると考えればよいのである。
 ところで地球システムはさまざまな物質から構成されるが、その構成物質はどれも空間的に平均して存在しているわけではない。多いところや少ないところがあり、不均一に分布している。この資源の不均一性は、太陽エネルギーや地球内部エネルギーのはたらきにより、地球システム内を物質・エネルギーが移動してつくり出される。例えば、地球表層付近では、太陽エネルギー、地球内部エネルギー、循環する水の作用などによって元素が移動し、濃集して鉱床がつくり出される。このように濃集した物質やエネルギーを人間は資源として利用しているのである*1(*1人間はすべての鉱物をとり入れるのではなく、ある濃集度以上の鉱物をとり入れる。すべての鉱物やその集合体が地球資源であるわけではない。)

2.2 資源の分類
 それでは次に、地球資源にはどのようなものがあるのか見てみよう。

(a) 物質とエネルギーの種類による分類
 地球資源には、図2.1にしめすように、
 ・エネルギー資源
 ・鉱物資源
 ・生物資源
 ・水資源
 ・土壌資源
などがある。以下、簡単にこれらについてみていこう。
エネルギー資源 化石燃料(石油石炭天然ガス、オイルシェール)
放射性物質
地熱
太陽熱・太陽光
水(水力
風(風力)
バイオマス(燃料木、林産加工廃棄物、都市ゴミ)
鉱物資源 金属
非金属
生物資源 食糧(農作物、畜産物、水産物)
森林(森林生態系も含む)
水資源
土壌資源

図2.1 地球資源の分類

エネルギー資源
 エネルギー資源とは、電力利用などに供される資源のことである。化石燃料、放射性物質、地熱、太陽熱・太陽光、水、風、バイオマスなどがある。ここで化石燃料とは、石油、石炭、天然ガス、オイルシェール、タール、オイルサンドなどのことである。これらは、動植物の遺骸が地中で微生物などにより分解され、生成される。地球にはさまざまな放射性物質があるが、その中でもウラン(その他、天然では存在しないプルトニウム)などは原子力発電に利用されている。地熱とは、地球内部から地表に向かって運搬される熱のことで、主としてマグマの熱によって暖められた熱水・蒸気を発電に利用する。天然に存在している熱水・蒸気を利用した地熱発電は多いが、最近では人工的な高温岩体発電やマグマ発電の利用計画もある。太陽熱は太陽熱発電、温水の製造、植物栽培に使われる。太陽電池を用いて太陽光を直接電力の形に変換し利用する太陽光発電もある。水は、水力発電、海洋エネルギー(波力、潮流、潮位差、海流、海流温度差、塩分濃度差など)発電に利用される。風力発電という利用形態もある。
 農作物や用材、薪炭材を含む木や草などの植物体、畜糞、下水汚泥などの廃棄物はすべて生物由来の有機物であり、これを総称してバイオマス(biomass)とよぶ。これからとり出されるエネルギーがバイオマスエネルギーである。バイオマスには栽培原料(燃料木など)と廃棄物原料(林産加工廃棄物、都市ゴミなど)がある。
 図2.2(略)は、上に述べたエネルギー資源の利用形態の変遷をみたものである。1875年以前では木材の利用が多く、次第に石炭にとってかわられたが、1960年代以降には石油の利用が増え、石炭の割合は少なくなっていった。2000年以降は太陽エネルギーの利用が増えるといわれている。その他のエネルギー(地熱、風力、水力、バイオマス)の利用も増大するであろうが、全体の中で占める割合は小さいと考えられている。
鉱物資源
 鉱物資源とは有用鉱物の集まった地質体のことである。鉱物そのものを利用する場合もあるが、鉱物中に濃集した特定の元素を利用する場合が多い。鉱物資源は鉱物中に濃集した元素の化学的性質に基づいて、金属資源と非金属資源に分類される。
 金属資源は金属鉱床からとられる。金属鉱床とは、有用金属元素(例えば、鉄、銅、亜鉛、金、銀)、または有用金属元素を多く含む鉱物が濃集した地質体をいう。金属鉱床はさまざまな地質現象(火成、変成、堆積、続成作用など)にともなって濃集し生み出される。この濃集過程の違いによって、マグマ性、熱水性、堆積性、風化、二次鉱床に分類される。一方、工業用の鉱物資源は、特定の非金属鉱物の濃集した非金属鉱床からとられる。その他、建築用に多く用いられる土石資源のように、岩石を採掘・破砕したまま特定の鉱物を分離しないで利用される非金属鉱物資源がある。
生物資源
 生物資源とは、人間の生存あるいは活動に必要な生物の総体をさす。食糧と森林とがある。食糧には、農作物、畜産物、水産物などがある。農作物としては特に穀物(麦、トウモロコシなど)、いも類、大豆が重要である。畜産物としては各種家畜からとられる食肉、乳製品、卵がある。水産物としては圧倒的に魚類が多く、この他に貝類、海藻がある。農作物の多くは天然にもともと存在しているものではなく、多くは人工的につくり出されたものであるので、地球資源とはいえないかもしれない。しかし、その成立のためには、水や土壌など天然に存在する他の資源に大きく依存をするために、ここでは地球資源とみなすことにする。
 森林とは、樹木そのものだけだはなく、その存在によって特徴づけられる生態系全体をさす。この生態系によってさまざまな資源が生み出される。例えば、植物が主で、その各種林産物、薪炭、果実などがある。樹木の木材利用などは森林の経済的資源価値を利用したものであるが、森林にはこの他に森林が成立し存在していること自体による環境資源価値(水の涵養、土地保全、人間の保健休養、野生鳥獣の保護増殖などの機能)がある。
 また、近年話題になっている生物多様性(bio-diversity)にも、地球資源としての側面がある。種の絶滅が深刻さを増してきている現在、DNA環境(遺伝子プール)を資源としてとらえることの必要性・重要性がさかんに強調されている。
水資源
 地球上には海水、雨水、河川水、湖沼水、地下水、土壌水、熱水など、さまざまな水が存在している。地球表層環境において、水はその条件によって気体、液体、固体と状態を変え、絶えず循環している。人間はそれをさまざまな用途として利用している。例えば、生活用、農業用、工業用、発電用として使われている。こうした陸水に比べて、海水や熱水の利用は少ない。その大きな理由は、海水、熱水中には多くの成分が溶解しているために腐食、溶食を与えられるということである。海水の主な利用法として冷却用水、海洋の表深層水間の温度差による発電、淡水化があげられる。熱水は地熱発電、温室栽培、溶存成分(リチウムなど)の回収などに利用されている。
土壌資源
 土壌とは地表に存在する岩石の風化生成物、動植物の遺骸から生じた有機物、および微生物の集合体をさす(第7章参照)。土壌資源には、農業、林業に用いられる土地の生産力、および土壌そのものを採取し利用するという2つの側面がある。資源的価値は前者の方が圧倒的に大きい。土地の生産力は、土壌成分(有機物、鉱物成分、酸性度、微生物)、貯留水分量、降水量、温度、地形、太陽放射エネルギー量など多くの要因によっている。土壌そのもの(正確には岩石の風化生成物)の利用の例として、ボーキサイトがあげられる。雨水と岩石との反応でアルミニウム以外の元素が岩石から溶脱し、アルミニウムがとくに濃集する。ボーキサイト(鉱床)とはこのアルミニウムの濃集体をさす。世界のアルミニウムのほとんどは、このボーキサイトからとられている。

(b) 再生資源と非再生資源
 以上述べたように、一般的には地球資源を物質とエネルギーの違いに基づいて分類するが、それとは異なる基準で分類することがある。それは非再生資源(非更新性、枯渇性:non-renewable resources)と再生資源(更新性、非枯渇性:ewnewable resources)に二分することである。
 非再生資源とは、一般的に次の特徴を持つといわれる。
 (1)天然に存在するもので、その性質、分布、量を人為的に変えることができない
 (2)一度でも採取したら、二度と同じものを得ることができない
再生資源はこれら(1)、(2)の性質を持っていない資源である。
 再生資源としては、一般的には、生物、水、土壌などが挙げられる。一方、非再生資源には化石燃料、鉱物資源などがある。
 生物資源の場合、人間が採取してもすぐに同じものが再生される。水資源をとり入れても水循環速度(再生速度)は速く、次々にとり入れることができる。ところが、化石燃料や鉱物資源の場合、これらの再生速度は非常に遅いので、とり入れればその分だけ減少していく。したがって、資源を再生資源と非再生資源とに分ける基準は、その再生速度にある。いいかえれば、地球システムにおける物質・エネルギーの循環速度の違いによって分けられている。
 従来は、再生資源は枯渇することなく、非再生資源hその心配があると考えられてきた(このことから、枯渇性資源、非枯渇性資源というよび方もあった)。しかし現在ではこうした分け方には問題のあることが明らかになっている(2.4節参照)。』

2.4 地球資源問題の諸相
 資源問題というと、石油の枯渇に代表される「非再生資源の枯渇問題」をさすことが多い。この場合、その根本には、資源を「人間にとって有用なもの」としてみる見方があると思われる。しかしながら、近年では資源開発にともなう環境破壊により、人間圏、生物圏が多大な影響を受けており、これらの問題も「資源問題」としてとらえなければいけないようになってきている。
 したがって資源問題とは、単に「枯渇」ということのみならず、生態系をも含めた地球システムにおける物質循環・エネルギー循環に関わる問題としてとらえなければならない。従来よりも幅広い観点からのとらえ方が必要になってきているのである。
 ここではまずその詳細にふれる前に、資源問題の背景をなす人口増加の問題について簡単に解説しておこう。
 資源の生産量・消費量は人口と密接な関係があるので、まずその変化について見ておく必要がある。図2.4(a)(略)に示すように世界の人口は、産業革命以降、指数関数的に増えている。1991年の時点で世界人口の増加率は、1.7%と推定されており、この割合でいくと、今後約40年間で世界人口は倍増することになる。その間に人口増加率の低下があるかもしれないが、21世紀の前半には100億人に達すると推定されている。人口増加にともなう工業発展により、エネルギー生産量・消費量も増加をつづけ、とくに1950年代〜1960年代には急激な増加がみられた。図2.4(b)(略)は、人口増加率とエネルギー増加率の関係をみたものである。これらの関係から明らかなとおり、傾向は年代によって異なる。例えば、1950年代〜1970年代では、エネルギー増加率の方が人口増加率よりかなり大きい。このことは、近年になればなるほど、1人当たりのエネルギー消費量が増えていることを意味している。
 資源問題は人口との関わりで議論されることが多いので、上のデータをあらかじめ記憶しておいていただきたい。

(a)資源の枯渇とその有限性
 資源の枯渇と有限性については、1931年のホテリング(H. Hoteling)の『枯渇性資源の経済学』での指摘以来、多くの人によって議論されている。その後、1970年代になって、ボールディング(K. Bolding)の「宇宙船地球号」、ウォード(B. Word)らによる「かけがえのない地球」の考えが出されている。1972年にはローマクラブによる『成長の限界』が発表され、世界的な反響をよんだ。それによると、「世界人口、工業化、汚染、食糧生産、資源消費が現在のままつづくと、今後100年のうちに人間社会の成長は限界に達するであろう。その結果、人口、工業力が突然制御不可能となり減退する」という。現在のままでいくと、人間活動は大きな制約を受けることになるだろうという予測だが、ここでまず「枯渇」という言葉の意味をはっきりさせておこう。
 「枯渇」というと、「資源がまたくなくなってしまうこと」と考えられるかも知れないが、そういうわけではない。人間の技術力には限りがあり、地球表層のごく限られた部分に存在する資源だけしかとり入れることはできない。そして、この「地球表層のごく限られた部分」とは、人間の技術力がどの程度(範囲)までおよぶのかという問題と大いに関係がある。地下深部にある鉱床を開発するためには多大なコストがかかり、たとえその存在が知られていたとしても経済性に見合わなければ実際に採掘することは難しくなる。したがって、「枯渇」の意味を考える際には、資源の存在量そのものが重要であることはもちろんだが、技術力、経済性といった問題も非常に重要なのである。このように、資源の枯渇とは主として経済学的立場から指摘されるケースが多いのだが、ここでは存在量そのものの減少という観点からこれをとらえてみたい。地球環境問題にともなう昨今の、そして将来の地球資源問題は、もはやこうした観点からの考察を促さずにはいられないほどの状況を呈しているからである。
 以下ではまず、最近の資源量(生産量、消費量)の時間的変化に関するデータ、とくに鉱物資源、エネルギー資源のそれに注目してみる。そして、食糧問題について見てみる。
鉱物資源・エネルギー資源の枯渇
 図2.5(略)は、世界全体の金属消費量の変化を示したものである。第二次世界大戦後からはじまって、1960年代の終わりから1970年代半ばまで増大の一途をたどっている。1980年代初期の景気の後退時にわずかに減少したが、その後再び増大に転じている。70年代半ばまでの増大の仕方は「指数関数的」といわれてきたが、80年代の転機を境に「直線的」になり、生産量・消費量は以前ほどの伸びを示さなくなった。その主な原因としては
  ・リサイクリングが行われるようになってきた
  ・プラスティック、セラミックスなど非金属代替物の使用量が増えた
  ・1980年代の景気後退で、原料に対する需要が減った
  ・主要消費国で重工業からサービス業、ハイテク産業へのシフトが進行した
などが指摘されている(メドウズほか、1992)。
 金属資源の地下埋蔵量はそのおおよそについては推定されている(ただし、地下埋蔵量の推定は難しく、しかもかなりの誤差が含まれる)。この推定埋蔵量を現在の生産量で割ると、各資源の耐用年数(正確にいうと静態的耐用年数)が求まる(表2.1:略)。この耐用年数は資源が枯渇するまでの時間とは異なるが、ある程度の目安にはなる。
 表2.1をみると、耐用年数は各資源によってかなり異なり、20年〜50年という非常に短いものもあれば、800年という長いものもある。例えば、鉛、亜鉛、金、銀、銅といった金属の耐用年数は短い。この耐用年数の短い資源こそが枯渇問題に直面することになる*3(*3  ただし、この耐用年数の時間的変化をみてみると、実際はあまり変化していない。すなわち、新しい鉱床が発見されることから確認埋蔵鉱量が増え、しかも生産可能量が増大しているのである。このことより資源の枯渇問題などないという議論があるが、そのようなことはない。新鉱床の発見は次第に難しくなっており、さらに開発される鉱山の深部化、遠隔地化が起こってきている。例えば、1970年代後半に海嶺付近で熱水性鉱床が発見されたが、いまだに鉱石は採掘されていない。こうした条件下での鉱山開発には膨大なコストがかかるのである。鉱床が発見されたといって、即それが耐用年数の増加になるわけではないのである。)
 金属資源は、地殻中に0.1%以上存在している豊富金属、0.1%以下の希金属に分けられる(Skinner, 1982)。豊富金属には鉄、アルミニウム、マンガン、マグネシウム、クロムおよびチタンがある。これら以外の金属元素はすべて希金属である。豊富金属の埋蔵量は多く、しかも高濃度で存在しているために少しでも濃縮すれば鉱石となり、利用しやすい。しかし、豊富金属でもとくにアルミニウムは、近年、生産量・消費量ともに著しく増えており、その枯渇が懸念されている。
 非金属資源の生産量・消費量も近年急速に増えているが、埋蔵量は非常に多く、将来に資源の枯渇が起こる心配はあまりない。例えば、塩化カリウムの埋蔵量は莫大であり、ロシアに24億トン、モロッコに83億トンもの量が存在しているといわれる。ただし、種類によっては枯渇が心配されているものがある(ダイヤモンド、ガラスなど)。
 エネルギー資源の枯渇はもっとも深刻な問題であり、仮に金属資源が十分にあり枯渇の心配がないとしても、エネルギー資源が枯渇すれば、金属を生産したり、リサイクリングをしたりすることもできなくなる。
 化石燃料の耐用年数は、石油は45年、天然ガスは53年、石炭は148年である。これらの推定された耐用年数も時代によってあまり変化をしていないが、このことは必ずしもこれらの資源の枯渇が将来生じないということを意味しない。事情は鉱物資源と何ら変わるところはない。石油などは、今後も中東で発見された程度の大規模な油田が発見されるという保証はまったくなく、また発見されたとしてもその採掘に見合うだけのコストを実現できるかどうかはわからないのである。
食糧の不足
 食糧問題を議論するときには、通常、食糧の「不足」ということはあっても「枯渇」とはいわない。その点にまず注意しよう。すなわち、食糧は再生資源であり、次々と生み出すことができる。しかし、消費速度が生産速度を上まわれば、あるいは経済状況や社会情勢の悪化から、たとえあっても人間の生存にとって最低限必要な食糧が手に入らなくなるという非常に深刻な状態になってしまうことがある。それは、地球上から食糧がまったくなくなるという状態とは違うのである。
 食糧の不足は、われわれ人間の生存に関わる基本的な問題であるが、その原因としては主に
 ・人口の増大
 ・農業、漁業、牧畜業といった食糧を生み出す産業自体の問題
が挙げられる。
 1950年から1985年にかけては、世界の年間穀物生産量は、6億トンから18億トンに増加し、その平均年間成長率は2.8%で、人口の増加率を上まわれば食糧は不足しないはずなのだが、実際はそう単純ではない。生産された食糧の分配は、先進国と開発途上国の間とでは非常に不平等であり、世界全体でみて5億人から10億人は慢性的な飢餓状態にある。もしも世界中で均等に分配されるならば、人口増加率が少々上まわったところで、これほどの人たちが飢餓に陥ることはないだろう(人口増加率が食糧生産増加率に比べて大幅に大きくなれば、食糧は明らかに不足する)。食糧の不足は南北問題をはじめ、深く政治に関わる問題でもある。
 一方、食糧とくに穀物を生み出す土地自体に関わる問題がある。土壌劣化、砂漠化などによる耕作面積の減少である(図2.6(a):略)。これは1980年代以降に見られるようになった傾向である。この問題はとくに人口増加率の著しいところで深刻で、例えば第三世界の国々においては、土壌の侵食によって生産力を失う土地は1年に600〜700万haにものぼり、浸水、塩化、アルカリ化による被害は150万haにおよぶ(メドウズほか、1992)。また、単位面積当りの穀物生産量の減少も認められる(図2.6(b):略)。
 畜産では食肉、乳製品、鶏卵などが重要産品であるが、これらの生産量は近年、急激に増加している。その生産のためには飼料用穀物の生産量が増加しなければならないのだが、耕作地は限られているために人間の主食用穀物耕作地を減らさなくてはならないことになってしまう。とくに、急増する人口を抱える開発途上国では、それは死活問題ともなりかねず、開発の必要性との間で非常な困難を強いられている。そのほか、土地自体の荒廃や過放牧による砂漠化という深刻な問題もあり、畜産物の生産量を現在以上に増やすことは非常に難しい。
 漁獲量に関しては、今後増加する見通しがほとんどない。むしろ、こえまでの乱獲による影響で、魚の種の数、個体数が激減しており、漁獲量の増加のためには、人工養殖に頼らざるをえないのが現状である。しかし、そのためには水質汚染などの環境に関わる問題、投資や技術面での諸問題が絡み、問題の難しさを増している。

(b)資源問題としての廃棄物と自然破壊
 資源の枯渇は、資源問題の重要な側面であることに間違いないが、近年では地球環境問題との関連で、そうした側面以外に資源から生み出された廃棄物の問題、資源開発にともなう自然破壊の問題も、資源問題として考える必要が出てきた。
資源問題としての廃棄物
 この問題の一例を図2.7(略)に示した。化石燃料の燃焼により生じたガス、および有害化学物質を廃棄したときに生じる地球システムの変動である。このように人間圏から急激な物質供給があると、地球システムではそれ本来の規模・時間スケールをこえた環境変動が生じることになる。人間圏との関わりからはとくに、土壌生成、森林規模、水循環に変化が生じる。廃棄物自体が直接の問題となるというより、それが地球のシステムに擾乱を与えることが問題を引き起こしている例である。
 廃棄物自体の存在が直接に問題となる例としては、金属鉱山から採取された重金属や、原子炉などから出る放射性廃棄物がある。金属鉱山から廃液などが未処理のまま廃棄されると、付近の土壌や河川中では鉱石から溶け出された重金属元素濃度が高くなる。重金属を含む硫化物が酸化すると水が酸性化し、土壌からはさまざまな元素が溶脱され、土壌劣化の原因にもなる。この他に、鉱石の製錬にともなって排出される二酸化硫黄ガスにより鉱山付近の植物が枯れることもある。硫黄鉱山から廃棄された強酸性水が河川に流れ込むと河川は酸性化する。原子力発電所で生じる放射性廃棄物などは、その存在自体が人間をはじめ環境に対して問題をはらんでいる。
資源問題としての自然破壊
 食糧増産は人類にとってはもはや死活問題であるが、その一方では土壌劣化、水質汚染、森林の減少、さらには各種生物の絶滅などの自然破壊をもたらしている。森林について見てみよう。現在、森林の減少が急速かつ地球規模で進んでいるが、そのほとんどは開発途上国で起こっている。例えば、アジアの熱帯林は、毎年約180万haが消滅している。これは四国の面積に相当する。その他、アフリカで133万ha、南アメリカでは412万haの熱帯雨林が消滅している(表2.2:略)。
 図2.8(略)は、コスタリカにおける熱帯雨林の消滅の様子である。コスタリカでは、1940年には国土面積の67%を森林が占めていたが、1983年には17%までに激減している。
 熱帯雨林の消滅の主な原因は、焼畑あるいは過放牧である。熱帯アフリカでは、焼畑移動耕作による減少が70%を占める。熱帯アメリカでは、焼畑移動耕作は35%、過放牧による減少分も多い。これは究極的には、開発途上国における人口爆発と貧困による問題である。
 焼畑による森林の減少は、食糧生産というその目的を介して、土地の生産力の低下に関連している。土地の生産力の低下、すなわち土壌劣化は、人口増加の急速だった過去35年間に認められるようになった現象である。図2.9(略)には将来の土地利用可能性が示されている。将来的に現在と同じ収穫率であるとするならば、可能耕地面積は不足する。土壌の荒廃・劣化は大きな問題であり、このことによって耕作可能用地がさらに急速に失われるということも考えられる。
 土壌の荒廃の態様については、
 ・表土流出
 ・塩類集積
 ・汚染
 ・酸性雨による養分の溶脱
などが挙げられる。くわしくは第7章を参照していただきたい。
 ところでここで注意すべきは、以下に示す水の場合も同様だが、こうした問題はそもそもすべて「資源(食糧、水…)を得る」という目的から発している点である。食糧を増産しようという営みが、まさにそのゆえに逆に自然破壊という形で食糧の増産を阻む方向に作用し、人間の生存には欠かせない飲料水を得ようとすると、あるいは各種の経済活動を行おうとするまさにそのことが、安全で質のよい食糧や水の供給を阻害しているのである。さきに紹介した漁獲量の減少も、乱獲による魚の個体数の減少がはね返ってきての結果である。自然破壊を資源問題のひとつとしてとらえるべき理由はここにある。
 ところで、水の需要量も近年では急増している(図2.10:略)。重要な水使用部門(農業、工業、都市)のいずれでも水需要は他の資源と同様に人口増加率を上まわるペースで増加している。
 水は一般的に再生資源といわれるが、近年は再生資源でなくなりつつある。例えば、地下水の揚水量が急激に増え、地下水量が減ってきている。地下水は、貯留層中に存在しており、その存在量は限られている。地表から水が地下に入り、これが地下水になる。涵養量を揚水量が上まわれば、貯留層中の地下水が減少する。地下水量が減少すれば、河川水、湖沼水などの表面流水を多く利用することになる。そのことで自然破壊が進む。たとえば、ロシアの河川の年流出量を見てみると、1955年ころになって減少しはじめ、1971〜1975年には1955年以前の17〜40%にまで減少している。これは農業用水への取水が主な原因と考えられている。
 河川水、湖沼水の汚染、酸性化の問題も深刻である。これらの多くは、工場排水、生活排水、鉱山排水あるいは煤煙などによってもたらされたものである。汚染は、溶存酸素量の減少、重金属濃度、各種有害有機物濃度の増加として現れる。こうした汚染により水生生物は死滅し、人間はこれらの水を利用することができなくなる。この問題は一国だけの問題でなく、国境をこえた多国にわたる問題になる例も多い。ヨーロッパではいくつもの国にわたって流れる川がある。このような川の上流域が汚染されると、下流域の国々も多大な影響を受けてしまう。その例としてライン川の汚染の例を示した(図2.11:略)。
 その他、ダム開発にともなう水生生物の死滅、それが引き金となって土壌侵食、土壌の塩化、砂漠化などが生じることもある。例えば、ナイル川をせきとめてできたアスワンハイダムの建設により、ナイル川の下流の肥沃な土壌を形づくっていた沖積物の搬入が減少した(地球環境工学ハンドブック、1991)。
 陸水だけでなく、海水汚染も進んでいる。海水汚染は、汚染された河川水が流入すること以外に、大型タンカーからの石油流出、各種産業廃棄物の投棄、船の塗料(有機すず)も海水への溶解などによって起こる。大型タンカーからの石油流出は多くの海生生物に打撃を与える。閉鎖的であり、外洋との海水の出入りがあまりない水域では、人為的有機物質、重金属類が海底堆積物に混入し、それを取り込んだ海生生物の体中で濃縮され、これを食糧として口にした人間の体中でさらに濃縮される。水俣病がまさにこの典型例である。こうなるともはや、資源問題は市民の健康問題である。
 表面水だけでなく地下水の汚染も深刻である。水質が悪化することで、利用可能な水量が減少している。地下水汚染は、工場などからの廃棄物によって起こる。地下水の質的変化は、地球規模のグローバルな変動に関わる点がある。例えば、温暖化により海水準が上昇し、海岸線近くでの淡水/海水境界が移動し、地下水が塩水化することもあるのである。水循環についての詳細は第3章を参照していただきたい。
 従来、再生資源と考えられてきた森林、水、土壌には、このようにその採取によって質的変化が起こっている。すなわち、それらはもはや再生資源とはいえなくなってきている状況がある。したがって、地球資源を「再生資源」と「非再生資源」の2つに明確に分けることが難しくなってきている。

(c)持続可能な社会と資源問題
 これらの問題に関する議論を経て、人間社会の将来にわたる「持続的成長・発展」を実現するための考え方が、「環境と開発に関する世界委員会(1987)」によって提唱された。すなわち、「開発と環境の両立」「環境保全をともなう開発可能性の追求」「将来世代の利益を損じない形での現世代の充足」である。
 しかし、ここでいう「持続的成長・発展」では将来に必ずや破綻を招くとの警告も出されている。そして同時に、「持続的成長・発展」ではなく、「持続可能な社会」実現の重要性が指摘されている(メドウズほか、1992)。「持続可能な社会」とは、人間社会を維持している物理的・社会的システムを侵害しないだけの先見の明と柔軟性、知恵を備えた社会のことをいう。それは人間社会における質的転換を要求する一方で、その実現には以下のような資源の利用に関する量的転換も迫るものである。
 ・再生資源(非再生資源)の消費ペースは、それに替わりうる持続可能な再生資源開発のペースを上まわってはならない
 ・汚染の排出量は環境の吸収能力を上まわってはならない
 この場合、市民ひとりひとりの生活上の心がまえが基本となるが、一方では社会的な取り決めも必要となる。たとえば、環境汚染に対しては、汚染者負担の原則(Polluter Pays Principle)などの社会規範の普及が重要である。また、炭素税(carbon tax)などの環境税(environmental tax)の設定もその一例である。今後は、こうした「持続可能な社会」を実現するという観点からの、経済活動に対する何らかの社会的規制が必要となろう。ただ、民間の自由な経済活動に対してどの程度の規制ならば許されるのかについて、いまのところ国際的にも一致した見解は示されていない。
 人間社会の持続、世代をこえた公平性といった問題は、社会と社会、人間と人間との間の問題である。そして、それは資源問題の根底に位置する問題であるともいえるであろう。』



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