中西(1994)による〔『水の環境戦略』(36-40p)から〕


4 水利権の移転を阻むもの
首都圏渇水の特徴

 これまでの議論は、現在認められている水利権を前提にしたものだった。ここでは、少し別の視点から首都圏の渇水問題を考えてみたい。まず、この渇水の特徴を簡単に列挙しておく。
 第1に、首都圏での渇水は、雨の多い夏に起きるのが大きな特色である。この現象を、外国の専門家はとても不思議がる。夏は水田に多量に水が引かれ、それと水道水や工業用水が競合するから水不足が生ずるのである。冬期は雨の量は非常に少ないが、水田に使われないので、利根川水系では別に水不足にはならない。
 第2に、この時期に使われる用水の量は圧倒的に農業用が多く、利根川では農業用の取水量は水道用の7.5倍にもなる。
 第3に、東京近県での水道水の使用量が増加するのは、そこへの人口の増加と都市的な生活スタイルへの変化のためであるが、それらはそれだけで進行しているわけではなく、この地域での水田の作付面積の減少と並行して進行している。
 第4に、住宅地の使う水量は、同じ面積の水田に比べきわめて少ない。実は3年前に出した本にも同じことを書いたんだが(『東海道 水の旅』)、もう一度ここで繰り返すことにする。というのは、あまり知られていないからである。

都市は水を使わない
 私は大学生に小学生でもできる簡単な算術をしてもらうことにしている。1ヘクタールの水田が使う水の量と、そこに人が住んだときに使う水の量を比較せよと。1ヘクタールの水田に設定される水利権は1日約200トン、一方東京近県の多くの市の居住地の人口密度は1ヘクタール50人ほどで、その人たちの使う水道水の量は、多く見積っても1日15〜20トンにすぎない、つまり農業用水の10分の1程度でしかない。これは実にたわいない算術であるが、ここに首都圏の水問題を解く鍵がある。多くの人が、都市が水を多く使うと勘違いしている。だから、首都圏に人口が増えれば、多くのダムを作って水資源開発をしなければならないと思い込んでいる。しかし現実には、同じ面積の水田は都市よりはるかに多量の水を使うのである。
 昭和30年代から進んだ首都圏の膨張は、水田をつぶすかたちで進んだ。関東全体で、この間、水田の作付面積は4分の1減少し、埼玉県では35%も減少している。したがって、これに伴って減少するはずの農業用水の水利権を水道用水に転換すれば、暫定水利権などといわなくとも、安定的に水道水を送ることができるのである。
 しかし、この水利権の転換がなかなか進まない。最近は少しずつ進行しているが、水路を3面張りにしなければ駄目だとか、あるいは、農業用水は夏だけの水利権だから、冬用に新しいダムを作らねば認めないなど、信じられないような条件をつけている。
 埼玉県が、利根川・荒川でもっている水道水の水利権は、1日136万トンで、そのうち3分の1は暫定水利権である。しかし、同じ流域での農業用水の水利権は890万トンであるから、1割を農業から水道へ移すだけで、埼玉県の水道水の問題は、地下水の取水による地盤沈下も含めて解決してしまうのである。
 では、耕作面積が減少した水田に、農業用水は従来どおり引かれているのであろうか? そのとおり、渇水の夏がきたら、ぜひ埼玉県の農業用水の実態を見に行ってほしい。周囲の家庭には制限給水が行われているのに、この先は水田がないという所でも、農業用水はとうとうと流れ、どこへともなく消えていくのであるから。
 これに対して農業関係者はどう考えているのか、聞いてみてもいつもはっきりした答えが返ってこない。ところが最近、農業水利の専門家の志村博康さん(東京大学農学部名誉教授)が、このことに触れている文章を目にした(志村博康「日本農業の水問題」『水−その学際的アプローチ』日本学術振興会、1992年)。農業関係者の考え方が分かるので、ここに一部引用させていただく。
 「では、余裕が生じたとき、すぐほかに回すことができるのだろうか。これが問題である。農業用水では、一般に水田の減少が用水内の一部地区で進行したとしても、取水量はほとんど減少しないし、したがって水利権流量を減らそうという動きは出ない。都市用水の側から強い働きかけがある場合には、後に述べるような対応があるが、それがない限り、自ら減少に向かうことがない。」
 「都市側からそのような働きかけがない限り、農業用水は従来どおりの水量を取り続けるのである。農業用水では、実際の水使用量よりもはるかに多い取水をしたとしても、特に困ることはない。」
 なるほど都市側の働きかけが弱いことは確かだ。しかし、一方で断水まで行われているときにしては、実にのんびりとした話ではある。

行政起因渇水
 ここにいまの日本がかかえる、最も悪い面が露呈している。つまり、社会の構造が変化しても、それに伴って権利の移行ができないのである。移行の阻害要因は、行政機関の縄張り争いと、管轄の工事量を増やしたいという意識である。そのために、真っ先に水道水のための取水を止めるというようなことをしている。水道水は、ダムつくりのための人質にされているのかとも、疑いたくなる。無駄なお金が使われるのは大問題だが、そのことが原因で、残せるはずの自然も壊されるとすれば、二重に残念だし、恥ずかしい。
 渇水に関しては、首都圏のことだけを述べたが、それは、その他の地域では、首都圏以上に水は十分あり、全く問題がないからである。淀川しかり、木曾川しかりである。ただ一つ、かなり難しいなと思えるのは、沖縄だけである。沖縄については、また別の機会に調べておきたい。』