『日本の金銀鉱床
浦島幸世
1.はじめに
金や銀という名の金属は華やかさをまとってはいるが、金銀鉱床やその鉱物はむしろ地味な研究対象である。
そうはいうものの、1965年ごろから、日本の金鉱床をもっと探し出せという声が強くなると、その方面の研究をする人が多くなって、業績も目立つようになってきたことは否めない。この機会に、関係者がそれぞれの成果をもちよって、日本の金銀鉱床、鉱石、鉱物の研究をまとめる企ては大いに望ましいものであろう。日本の金銀鉱床はきわめて多様であるから、その研究成果は広い分野に貴重な資料を提供するにちがいないからである。
この小文がそのような目的に副う内容をもつことはたいそう困難であるけれども、いくつかの研究分野のほんの一部を紹介するとともに、できれば、問題点にも触れることになるならば、まことに幸いである。
“東邦見聞録”はマルコポーロ(1254−1324)が元を通じて得た知識をもとにして、ルスティケロが著わしたものである。これは、外国が古くから日本の産金に興味をもっていたことを示す例として、よくとりあげられる。また、これに影響されたコロンブス(1446?−1506)が発見したアメリカ大陸に、1776年、アメリカ合衆国が樹立されたが、その国が1945年以降の日本の金価格を1gあたり405円に規制していたことは因縁めいている。
日本では、すでに、7世紀はじめの飛鳥時代に、金をたくさん用いた芸術が盛んであった。しかし、対馬の銀鉱の発見は674年で、陸奥の砂金の発見は749年といわれている。701年の対馬産金は虚報であった。有名な佐渡金山が発展したのは、コロンブスよりあとの1624−1634年である。
19世紀後半、北アメリカとオーストラリア、それに、南アフリカでも、相前後して、ゴールドラッシュを迎えた。そして、日本の産金量は、世界のそれにくらべると、あまり目立たないものとなっている。
近年の世界の産金量は、ごく大まかにいって、約1,500t/年である。そのうち、南アフリカ共和国が約3分の2を産している。日本は1年に6〜10t程度に過ぎない。たとえば、1971年の国内鉱による金量は約7.5tで、海外鉱によるものを合わせると、約20tとなっている(通産省資料による)。なお、同じ年の日本の産銀量は約371tで、海外鉱を含めると約859tになっている。いずれも、日本で消費する金銀の量にはほど遠い数字である。
鉱床の研究分野のなかで、金銀鉱床が占めている位置と重みは、金や銀そのものの美しさと、高価なそれらを探しあてる魅力によっても、ある程度は支えられているかもしれない。しかし、けっしてそれだけではない。金も銀も、地殻中の平均存在量が小さくて、金は0.0000002%程度、また、銀でも、0.00008%程度といわれている。こういう元素がさまざまな自然条件に支配されて、数千倍から数万倍もの異常濃集を示す鉱床をつくっていること、それらの鉱物が、一般に、直径数μから数百μという微粒であるために、特別な手段による研究を必要とすること、などが、研究者の興味を強く惹きつけている理由になっているにちがいない。
明治以降、日本の金銀鉱床は諸先覚によって研究され、たとえば、岩崎重三の著作(1913、1936)はその道標の一つである。長い間には、もちろん盛衰はあって、もっとも盛んであった時期としては、多くの記載が行なわれたという点で、1930年代をあげることができよう。とくに、金銀鉱石の研究は渡辺万次郎によって集大成(1936、1939)され、顕微鏡的性質に関する業績は現在も充分に価値あるものであろう。
その後、1953年に金山が閉じられてから、この方面の研究は乏しくなったが、嵯峨一郎(1953)が日本と朝鮮の金銀関係文献集をまとめた。それは20世紀前半の研究史をよくものがたっている。
1950年頃から、金山再開とともに、研究の波が高まった。松隈寿紀による一連の鉱石鉱物の研究(たとえば、1953a、1953b、1962など)はその成果の一つである。また、研究調査機関と鉱業組織が協力して、金銀鉱床の調査に当る傾向が見られるようになっている。しかし、続いて寄せてきた層状硫化鉄鉱鉱床、接触交代鉱床、黒鉱鉱床などの開発の波が高まるにつれて、金銀鉱石を主な対象とする研究者の数は、うねりに沈むように、少なくなった。
しかし、これらの鉱床から産する鉱石が多くなると、金銀含有量も無視できなくなるために、これらの鉱石に対して、金銀の面からも、注意が払われるようになったのは、皮肉なめぐり合せである。筆者ら(1968)の黒鉱鉱石中の金の研究はその初期の一例である。
1968年から、国の金鉱山対策として、各地の主要金銀鉱床付近の調査が行なわれている。
このように、砂鉱石を除く広い範囲の鉱床にわたって、金銀鉱石としての検討が行なわれているという意味では、日本の金銀鉱床の研究史が新しい時期を迎えているものと考えられる。金銀鉱床関係者の間では、1968年に金銀鉱床研究会、1969年に日本鉱業会金銀鉱石研究委員会、さらに、1971年に金銀鉱石研究会がそれぞれ設けられるという動きがあった。
一般に、日本の鉱業界は振わないけれども、この時期に、日本の各種金銀鉱石を記載しておくことは、関係者の義務であろう。』
2.金鉱床と銀鉱床の分布
2.1 北海道北東部
2.2 北海道南西部
2.3 東北地方西部
2.4 東北地方東部
2.5 秩父・甲州地域
2.6 伊豆半島
2.7 中部地方高地
2.8 近畿西部−山陽地域
2.9 島根県北部
2.10 中国地方南西部−九州北部
2.11 国東半島−肥前地域
2.12 四国−九州南東部
2.13 九州南西部
『3.金鉱床と銀鉱床の生成時期
前の章で、金銀鉱床の生成時期に触れたこともあるが、一般に、鉱床の生成時期は各方面の研究の総合判断によらなければならない。鉱床が時代の確定した地層岩石と同時代に生成した同生鉱床である場合は別として、後生鉱床の生成時期が精確にわかっている例はあまりない。しばしば、研究者によって推定される時代が大きくことなっている。表1は日本の金銀鉱床の生成時期をおおまかにまとめてみた案を示したものである。
地質時代 |
地質環境 (火成活動) |
鉱床の種類 |
鉱床の一例 ( ):主要鉱種 |
石炭紀 | 海底、塩基性岩 | 含銅硫化鉄鉱鉱床 | 別子 (Cu) |
ジュラ紀 | 下川 (Cu) | ||
白亜紀 | 酸性岩 | 接触交代鉱床 | 大峯 (Cu) |
白亜〜古第三紀 | 熱水鉱床 | 大身谷 (Au・Ag) | |
新第三紀 | 接触交代〜熱水鉱床 | 秩父 (Zn) | |
熱水鉱脈 | 松尾 (Sn、Bi) | ||
海底、酸性岩 | 黒鉱鉱床 | 小坂 (Cu、Zn、Pb) | |
中性〜酸性岩 | 熱水鉱脈 | 串木野 (Au・Ag) | |
陸地、中性岩 | 塊状熱水鉱床 | 春日 (Au、SiO2) | |
第四紀 | 河床、海浜 | 漂砂鉱床 | 枝幸 (Au) |
4.金と銀の鉱石
4.1 含銅硫化鉄鉱鉱床の金銀鉱石
4.2 接触鉱床の金銀鉱石
4.3 “山陽型”の金銀鉱石
4.4 黒鉱鉱床の金銀鉱石
4.5 新第三紀浅熱水鉱床の金銀鉱石
4.6 粘土鉱物を伴う金銀鉱石
4.7 二次堆積性金鉱石
5.金の鉱物と銀の鉱物
5.1 自然金
5.2 銀の鉱物
5.3 金銀鉱物同定のエピソード
5.4 生成条件
6.あとがき
文献