浦島(1975)による〔『日本の金銀鉱石 第一集』(1-3、13-15p)から〕


日本の金銀鉱床

浦島幸世

1.はじめに
 金や銀という名の金属は華やかさをまとってはいるが、金銀鉱床やその鉱物はむしろ地味な研究対象である。
 そうはいうものの、1965年ごろから、日本の金鉱床をもっと探し出せという声が強くなると、その方面の研究をする人が多くなって、業績も目立つようになってきたことは否めない。この機会に、関係者がそれぞれの成果をもちよって、日本の金銀鉱床、鉱石、鉱物の研究をまとめる企ては大いに望ましいものであろう。日本の金銀鉱床はきわめて多様であるから、その研究成果は広い分野に貴重な資料を提供するにちがいないからである。
 この小文がそのような目的に副う内容をもつことはたいそう困難であるけれども、いくつかの研究分野のほんの一部を紹介するとともに、できれば、問題点にも触れることになるならば、まことに幸いである。
 “東邦見聞録”はマルコポーロ(1254−1324)が元を通じて得た知識をもとにして、ルスティケロが著わしたものである。これは、外国が古くから日本の産金に興味をもっていたことを示す例として、よくとりあげられる。また、これに影響されたコロンブス(1446?−1506)が発見したアメリカ大陸に、1776年、アメリカ合衆国が樹立されたが、その国が1945年以降の日本の金価格を1gあたり405円に規制していたことは因縁めいている。
 日本では、すでに、7世紀はじめの飛鳥時代に、金をたくさん用いた芸術が盛んであった。しかし、対馬の銀鉱の発見は674年で、陸奥の砂金の発見は749年といわれている。701年の対馬産金は虚報であった。有名な佐渡金山が発展したのは、コロンブスよりあとの1624−1634年である。
 19世紀後半、北アメリカとオーストラリア、それに、南アフリカでも、相前後して、ゴールドラッシュを迎えた。そして、日本の産金量は、世界のそれにくらべると、あまり目立たないものとなっている。
 近年の世界の産金量は、ごく大まかにいって、約1,500t/年である。そのうち、南アフリカ共和国が約3分の2を産している。日本は1年に6〜10t程度に過ぎない。たとえば、1971年の国内鉱による金量は約7.5tで、海外鉱によるものを合わせると、約20tとなっている(通産省資料による)。なお、同じ年の日本の産銀量は約371tで、海外鉱を含めると約859tになっている。いずれも、日本で消費する金銀の量にはほど遠い数字である。
 鉱床の研究分野のなかで、金銀鉱床が占めている位置と重みは、金や銀そのものの美しさと、高価なそれらを探しあてる魅力によっても、ある程度は支えられているかもしれない。しかし、けっしてそれだけではない。金も銀も、地殻中の平均存在量が小さくて、金は0.0000002%程度、また、銀でも、0.00008%程度といわれている。こういう元素がさまざまな自然条件に支配されて、数千倍から数万倍もの異常濃集を示す鉱床をつくっていること、それらの鉱物が、一般に、直径数μから数百μという微粒であるために、特別な手段による研究を必要とすること、などが、研究者の興味を強く惹きつけている理由になっているにちがいない。
 明治以降、日本の金銀鉱床は諸先覚によって研究され、たとえば、岩崎重三の著作(1913、1936)はその道標の一つである。長い間には、もちろん盛衰はあって、もっとも盛んであった時期としては、多くの記載が行なわれたという点で、1930年代をあげることができよう。とくに、金銀鉱石の研究は渡辺万次郎によって集大成(1936、1939)され、顕微鏡的性質に関する業績は現在も充分に価値あるものであろう。
 その後、1953年に金山が閉じられてから、この方面の研究は乏しくなったが、嵯峨一郎(1953)が日本と朝鮮の金銀関係文献集をまとめた。それは20世紀前半の研究史をよくものがたっている。
 1950年頃から、金山再開とともに、研究の波が高まった。松隈寿紀による一連の鉱石鉱物の研究(たとえば、1953a、1953b、1962など)はその成果の一つである。また、研究調査機関と鉱業組織が協力して、金銀鉱床の調査に当る傾向が見られるようになっている。しかし、続いて寄せてきた層状硫化鉄鉱鉱床、接触交代鉱床、黒鉱鉱床などの開発の波が高まるにつれて、金銀鉱石を主な対象とする研究者の数は、うねりに沈むように、少なくなった。
 しかし、これらの鉱床から産する鉱石が多くなると、金銀含有量も無視できなくなるために、これらの鉱石に対して、金銀の面からも、注意が払われるようになったのは、皮肉なめぐり合せである。筆者ら(1968)の黒鉱鉱石中の金の研究はその初期の一例である。
 1968年から、国の金鉱山対策として、各地の主要金銀鉱床付近の調査が行なわれている。
 このように、砂鉱石を除く広い範囲の鉱床にわたって、金銀鉱石としての検討が行なわれているという意味では、日本の金銀鉱床の研究史が新しい時期を迎えているものと考えられる。金銀鉱床関係者の間では、1968年に金銀鉱床研究会、1969年に日本鉱業会金銀鉱石研究委員会、さらに、1971年に金銀鉱石研究会がそれぞれ設けられるという動きがあった。
 一般に、日本の鉱業界は振わないけれども、この時期に、日本の各種金銀鉱石を記載しておくことは、関係者の義務であろう。』

2.金鉱床と銀鉱床の分布
2.1 北海道北東部
2.2 北海道南西部
2.3 東北地方西部
2.4 東北地方東部
2.5 秩父・甲州地域
2.6 伊豆半島
2.7 中部地方高地
2.8 近畿西部−山陽地域
2.9 島根県北部
2.10 中国地方南西部−九州北部
2.11 国東半島−肥前地域
2.12 四国−九州南東部
2.13 九州南西部

3.金鉱床と銀鉱床の生成時期
 前の章で、金銀鉱床の生成時期に触れたこともあるが、一般に、鉱床の生成時期は各方面の研究の総合判断によらなければならない。鉱床が時代の確定した地層岩石と同時代に生成した同生鉱床である場合は別として、後生鉱床の生成時期が精確にわかっている例はあまりない。しばしば、研究者によって推定される時代が大きくことなっている。表1は日本の金銀鉱床の生成時期をおおまかにまとめてみた案を示したものである。
表1 日本の金銀鉱床の生成時期
地質時代 地質環境
(火成活動)
鉱床の種類 鉱床の一例
( ):主要鉱種
石炭紀 海底、塩基性岩 含銅硫化鉄鉱鉱床 別子 (Cu)
ジュラ紀 下川 (Cu)
白亜紀 酸性岩 接触交代鉱床 大峯 (Cu)
白亜〜古第三紀 熱水鉱床 大身谷 (Au・Ag)
新第三紀 接触交代〜熱水鉱床 秩父 (Zn)
熱水鉱脈 松尾 (Sn、Bi)
海底、酸性岩 黒鉱鉱床 小坂 (Cu、Zn、Pb)
中性〜酸性岩 熱水鉱脈 串木野 (Au・Ag)
陸地、中性岩 塊状熱水鉱床 春日 (Au、SiO2
第四紀 河床、海浜 漂砂鉱床 枝幸 (Au)

 愛媛県別子鉱床で代表されるような秩父系中にある含銅硫化鉄鉱鉱床は、まわりの岩石である地向斜性塩基性の海底火成物質と同時代に堆積した同生鉱床を起源とする変成鉱床であるという説が強い。この原堆積期は石炭紀ではないかと考えられている。
 含銅硫化鉄鉱鉱床には、北海道下川鉱床のように、中生層中のものもある。これも、同生と後生の議論があるが、いずれにしても、別子鉱床よりも新しい鉱床で、もし同生鉱床とすれば、これはジュラ紀の塩基性海底火山活動に伴う鉱床になる(Tatsumi, T. et al., 1970)。
 岩手県大峯鉱床の金、あるいは、岐阜県神岡鉱床の銀などのように、接触交代鉱床の金銀は、関係する酸性火成岩の年代測定(河野義礼・植田良夫、1965〜1966)によって、白亜紀に濃集したものであると推定される。
 山陽型金銀鉱床と仮称した兵庫県大身谷、旭日、岡山県日笠などの各鉱床は新第三紀生成の鉱床と類似しているけれども、地質環境や鉱石の性質は必ずしも同格ではない。それらに隣接する兵庫県生野鉱床が白亜紀生成ではないかという説(たとえば、今井秀喜、1970)が強くなっている。これらを考慮し、また、旭日鉱床付近の最近の調査結果(岸田孝蔵ほか、1970)にもとづいて、ここではさきに述べたように(Nishiwaki, C. et al., 1971)、このタイプの鉱床は先新第三紀、おそらく白亜紀〜古第三紀に生成した鉱床としておきたい。
 中新世の石英閃緑岩による接触交代〜熱水鉱床で金を伴う例として埼玉県秩父鉱床があげられる。(宮沢俊弥、1953)。
 尾平鉱床区のように、西南日本外帯の中新世酸性火成岩による鉱床には、しばしば金が含まれている(木下亀城、1961;宮久三千年、1958、1960、1961)。その火成岩の年代は、たとえば、鹿児島県紫尾山では15±4m.y.で、向江山では12±2m.y.となっている(野沢保、1968)。
 金銀に富むことが多い黒鉱鉱床は中新世の海底酸性火成活動に伴って生成されたものであるとする成因論が強い(Matsukuma, T. and Horikoshi, E., 1970)。
 金銀だけを稼行対象にする鉱脈や、雑鉱型で金銀を伴う鉱脈は、中新世に生成したといわれている。ただし、九州では、かねて、金銀鉱床の生成時期は鮮新世ではないかという意見が出ている(木下亀城、1961)し、伊豆半島の金銀鉱床についても、鉱化作用は鮮新世溶岩に及んでいることが記されている(Nishiwaki, C. et al., 1970)。中新〜鮮新世には、鹿児島県春日鉱床のような南薩型塊状金銀鉱床も生成している。
 尾平型鉱床と近縁の鹿児島県錫山鉱床(高坂晴男・新井勝男、1972)から鉱脈型の金銀鉱床を経て南薩型鉱床までを同時代の一連の鉱化作用によるものとする考え方(宮久三千年、1960)に対して、一部には、順に時代を追ってこれらの鉱床が生成したのではないかとの説も残っている。南薩型鉱床と類似する鉱物組合せを示す台湾の金爪石鉱床が第四紀に生成されたという発表(Huan, C. K., 1966)もあるが、これは南薩型鉱床にはあまり適用されていない。
 洪積層の砂金鉱床はまれに知られている(福富忠男、1949)が、たいていの砂金は現世の砂・礫質堆積物中のものである。その金粒はどういう時代に晶出したかという問題がなお残る場合が多い。
 世界的に見れば、先カンブリヤ紀生成といわれる南アフリカの含金礫岩層が世界の産金量の約3分の2を占めているのに対し、日本では、新第三紀生成の熱水鉱脈と黒鉱鉱床が産金上重要な位置を占めているのである。』

4.金と銀の鉱石
4.1 含銅硫化鉄鉱鉱床の金銀鉱石
4.2 接触鉱床の金銀鉱石
4.3 “山陽型”の金銀鉱石
4.4 黒鉱鉱床の金銀鉱石
4.5 新第三紀浅熱水鉱床の金銀鉱石
4.6 粘土鉱物を伴う金銀鉱石
4.7 二次堆積性金鉱石
5.金の鉱物と銀の鉱物
5.1 自然金
5.2 銀の鉱物
5.3 金銀鉱物同定のエピソード
5.4 生成条件
6.あとがき
文献