リフキン(1990)による〔『エントロピーの法則』(302-307p)から〕


エントロピーの七大原理
 人類は、今や温室世界に足を踏み入れつつある。浮かび出てきたエネルギー危機と地球温暖化傾向は、人類の生き残りをかけた有史以来最大の課題である。この課題に有効に対処するために、人類は新たな世界観を開拓する必要があるだろう。熱力学の法則、とりわけ「エントロピーの法則」の基礎となる原理を重視した世界観である。そこで、エネルギーの法則について考察する際には、すべての読者が、次の七つを心に留めておいていただきたいと思う。
 第一に、地球は事実上ひとつの閉じた系である。熱力学で考慮される系には、次の三つの型がある。孤立した系−これは外部の世界との間で、物質もエネルギーも交換しない。閉じた系−これはエネルギーは交換するが物質は交換しない。開いた系−これは外部の環境と物質もエネルギーも交換する。太陽系とのつながりでは、地球は事実上閉じた系である。太陽との間でエネルギーを交換するが、実際上は太陽系の別の部分と物質を交換することはない。ときどき隕石が地球に落ちてきたり、少量の宇宙塵がふりかかったり、ときには人工衛星が宇宙へ送り出されたりするほかは、大量の物質が地球に入ることも地球から離れることもない。
 第二に、短期的に、またこの惑星上の各地の孤立した地理学的小地域では、エントロピーの限界点は経験されている。すなわち、ある人間社会の用いる物質・エネルギー基盤が枯渇しかけている。これは自然の力が働くか、人間が自然の再生能力より速く資源を消費した結果である。このために、新しい物質・エネルギー基盤への転換がどうしても必要になる。本書は、この惑星の最終的なヒート・デスが差し迫っていることを示唆するものでは、まったくない。この本で私が示唆した事実は、化石燃料と特性金属の組合わせとからなる現在の物質・エネルギー基盤が枯渇しかけており、新たな物質・エネルギー基盤への移行が必要だ、ということである。
 第三に、新しい物質・エネルギー基盤というものはみな、一連の新たな技術を開発するためのシナリオとなりうるということだ。固有の物質・エネルギー環境の中で収集し、交換し、廃棄するための技術である。新しい形の技術とともに、新しい制度、価値、世界観が生まれる。しかし、物質・エネルギー基盤はシナリオを設定はするものの、環境を生活上の経済的有用物に変換するうえで、社会が利用することを選ぶ特定の命令過程を厳密に規定することはない。技術、制度、価値、世界観は、かなり多様なものになると考えられるが、こうしたものは、処理しようとする物質・エネルギー基盤と、少なくとも矛盾しないものでなくてはならない。
 第四に、世界経済は、化石燃料とまばらな金属の抽出型エネルギー基盤から、再生可能な資源を主なエネルギー源とする太陽時代への、歴史的移行の初期段階にあるという点だ。すでに二つの対立的な方法論が展開されつつある。双方が、来るべき太陽時代において、生物資源を有用化するうえでひじょうに異なった取り組みをしている。最初の方法は、大まかに生態学的技術という見出しで定義される。この方法は、自然の生産過程の速度との両立性を重んじている。最重要な原則は、われわれの経済予算を自然と均衡させることである。言い換えれば、自然の生産能力より早く消費しないという努力がなされなくてはならない。強調されるのは、機関の分散、労働集約型の技術、多様性の拡大、地域的な自足性であり、自然の資源をつつましく、理にかなったやり方で使うことである。生態学的技術を使った取組みと経済基盤は、ばらばらな形ながら、アメリカ全土の市町村で進展しつつある。
 一方、太陽時代の入り口にあって、再生可能な資源を有用化するうえで、まったく別の方法も生まれてきている。いわゆる遺伝子工学というものである。企業では、遺伝子工学の開発に何十億ドルもの金を注ぎ込んでいる。化石燃料から、太陽エネルギーと再生可能エネルギーへの歴史的な移行が避けられないことに気づき出したからだ。再生可能な資源を有用化するためには、生態学的方法では既存の「成長」パターンを維持するには、ゆっくりすぎて効率も悪すぎるということで、こんな主張がなされている。地球の動植物相を光学的に処理し、生きた物を、自然自体のテンポよりも速く変換していかなければ、太陽時代に入っていく中で、拡大を続ける成長曲線は維持できないというのである。
 あと20年のうちには、重大な決定が下され、再生可能な資源を有用化するうえで、この二つのひじょうに異なる方法のどちらが、ゆくゆくは優位に立つかということが決るであろう。
 遺伝子工学に支配される太陽時代という愚行を避けようと思うならば、エントロピーの法則と熱力学の法則を理解することが欠かせない。遺伝子工学に支配される太陽時代が、いかに危険かのさらに詳しい分析については拙著、『エントロピーの法則(U)』(祥伝社刊)を参照されたい。この本では、遺伝子工学と人工的な生命創造によって持ち上がる生態学的、経済的、政治的、道徳的な諸問題について考察されている。
 第五に、ひじょうに長期的に見れば、太陽がついに燃え尽きたとき、地球は冷たい、不毛の惑星となり、最後には宇宙の舞台をぐるぐると回るただの塵になるという点だ。過去において学者たちは、エントロピーを太陽系の最終的なヒート・デスと同一視し、そんな結末は、はるか遠い未来のことなのだから、人類の生命にとってそれほど心配することではないと結論づけてきた。それとは対照的に、この本では、最終状態としてではなく、プロセスとしてのエントロピーに注目している。この地球上の物質・エネルギー環境の大きな変化を、熱力学の法則とエントロピー的流れに対する人類の関係を考察している。この本の目的は、分析のための枠組みを提供することである。人間と文明が資源環境の激しい変化に適応していくなかで展開する、政治的、文化的、経済的なあがきも考察されるが、深く探究されてはいない。明らかになりつつある「熱力学の法則」を基礎とした概念の枠組みが、現代の政治的、文化的、経済的な側面を、新たな観点から考えていただくきっかけになれば幸いである。
 第六に、エントロピーの法則など、まるで気を滅入らせるだけだと思う人もいるであろう。しかし物理的な法則にすぎないものを、そんなふうに思うのは、まったくおかしな話だ。
 コペルニクスが、宇宙は地球の周りを回っているのではないと唱えたとき、同じように気を滅入らせた人が多かったが、人間は、それ以後、ともかくもうまく現実に適応した。物理法則は、物理的世界がどう動いているかを教えているにすぎない。こうした法則とのかかわりをどう決めるかが、われわれの思考の枠組みを決定する。
 だから、人々が次のように嘆くのを聞くと不思議な気がする。物理的世界が本当に有限なら、瞬間・瞬間に死に向かって進んでいるのなら、何かやってみたところで何になるというのだ。どうして諦めてしまわないのだ。
 −しかし、われわれ一人一人の生命もエントロピーの法則に従っている。われわれは誕生から死に向かって進む。われわれの物理的滞在は有限で、どんなにあがこうとも、その現実に打ち勝つすべはない。自らが有限な存在であることに初めて気がついたときに、もしも、ずっと(誕生から死への)下り坂なら、何かやってみてもしかたがないではないか、とは考えないのが一般だ。自らの、いつかは死ぬという運命を深く認識すれば、大半の人間は少なくとも短い時間、人生のすべての経験を思慮深く、尊敬と敬愛の念をもって生活しようという気になる。自分が人生ですることすべてに、代用品も、代替物も、逆戻りもないと気づくからだ。
 残念なことに、日常生活で、いつかは死ぬという運命を深く認識するという瞬間はまれだし、そのほかの時間は、エントロピーの法則に打ち勝とうと、忙しくもがくことで過ぎてしまう。われわれの個人の経験にとって真実であるものは、われわれを取り巻く物理的世界にとっても真実である。自分たちは物理的にいつかは死ぬし、人生の経験は逆戻りが利かない、という真実を受け入れることに心理的な抵抗がある場合が多いのと同じように、われわれを取り巻くこの宇宙が、逆戻りもきかず有限であるという性質も、なかなか受け入れ難いものである。
 エントロピー・プロセスは、楽観的でも悲劇的でもない。物理的世界がどう展開していくかを述べたものにすぎない。だが、このプロセスを哲学的にどう納得して受け入れるかを決めることが、個人として、また社会としての見解を決定する。誰もが納得して受け入れざるをえない点は、エントロピーそのものは善でも悪でもないと理解することである。エントロピーが衰退と無秩序を象徴することは事実だが、一方で、生命そのものの展開をも象徴するのである。価値が働きはじめるのは、われわれがエントロピー的流れと、どうかかわるかを決めたときである。
 第七に、科学上のあらゆる構成概念と同じように、エントロピーと熱力学の法則には、宿命的に人間中心の性格が横たわっているという点である。あらゆる科学的法則は、物理的世界の働きをできるかぎりよく理解しようとするために、われわれが象徴的な抽象概念を使った結果であることを示している。
 エントロピーの法則について知ることは、われわれは、たしかに小さいが、重要な宇宙的真理の一部である「物理的空間と時間」と「人間」との関係について、根本的に理解する助けとなる。重力と同じように、エントロピーは厳然たる「物理法則」であり、そのことは、この法則の妥当性を頭から否定しようとする人も、これを、何もかも包み込むイデオロギーに変えようとする人も、理解しておくべきことなのである。
 人間中心の概念として、エントロピーは「生命ゲームの展開」を左右する物理法則を定義する役には立つ。しかし、そのゲームをどうプレーするかを決定するものは価値観と想像力、移り気と気まぐれ、イデオロギーと「主義」であり、こうしたものは人々がお互いにかかわり合い、環境とかかわり合うなかで、人間の心から生まれてくるのである。』