高木(1994)による〔『プルトニウムの未来』(7-11、16-19p)から〕


核兵器級と原子炉級
 プルトニウムは、ウラン238の中性子捕獲によって生成する。ウラン238というのは天然ウランの99.3%までを占める物質だが、非核分裂性で、通常原子炉の燃料となるのはウラン235である。これは天然に0.7%しか含まれておらず、利用しにくい。
 天然ウランのままの状態でも原子炉燃料とすることはできる(日本の東海1号炉や北朝鮮のIRT炉)が、日本などで一般的な軽水炉(ふつうの水を冷却・減速材とする原子炉)は、ウラン235を2%程度まで濃縮して使っている。それでも通常のウラン燃料の97%は、燃えないウラン238から成り立っている。ところが、原子炉でウランを燃やすとウラン238の一部は、炉内の中性子を捕獲してプルトニウム239(厳密にはウラン239、ネプツニウム239を経由)に変わる。
 このようにして原子力発電のいわば副産物的にできるプルトニウムを、その核分裂性という性質を利用して核燃料として再利用することができれば(これを「核燃料リサイクル」とも呼ぶ)、ウラン資源の利用効率が増し、原子力に新しい可能性が開けるかもしれない。これがプルトニウム利用計画のねらいであり、プルトニウムの強い毒性、核兵器材料としての利用可能性という2つの大きな問題点を承知のうえで、なおこのプルトニウム利用を目指そうという人たちが出てくるゆえんである。
 ところで、このプルトニウムの核兵器利用可能性だが、通常、アメリカやロシアの核弾頭に組みこまれているのは、核兵器級といって、プルトニウムのなかでも核分裂しやすいプルトニウム239の含有量が非常に高い。93ないし94%ぐらいである。
 このようなプルトニウムは、特別な軍事用の生産炉を用いれば生産できる。あるいは、「もんじゅ」のような高速増殖炉の外周燃料(ブランケットと呼ぶ)では、もっと高純度(プルトニウム239が98%以上)のプルトニウムができる。そんな特殊な原子炉を使わなくても、通常の原子力発電所で、短期間(たとえば1ヵ月)燃料を照射しても高純度プルトニウムができる。
 もっとも、高純度プルトニウムでないと、核兵器ができないということではない。たしかに、日本では、原発からの「純度の低い」プルトニウムは核兵器にならない、あるいは核兵器物質としての実用性はない、と主張する「専門家」が多い。
 日本で一般に用いられるプルトニウムは、原発の使用済み燃料を再処理(化学処理)してつくられるもので、表序-1に示すように、たしかにプルトニウム239の濃度は低い。同じく核分裂性のプルトニウム241を加えても、核分裂性成分は70%ぐらいだ。こういうプルトニウムを「原子炉級のプルトニウム」というが、「原子炉級のプルトニウムは実質的には核兵器にならない」から、「日本のプルトニウムは平和利用にしかならない」と称する、もっともらしい「専門的意見」がまかり通っている。
表序-1 原子炉級プルトニウムの組成*
同位体 組成(%) 半減期(年) 主な壊変形式+ 熱中性子による
核分裂性
プルトニウム238 2以下 87.7 α ×
プルトニウム239 55〜65 24100 α
プルトニウム240 20〜25 6560 α ×
プルトニウム241 10〜15 14.4 β
プルトニウム242 4〜8以下 373000 α ×
*通常の軽水炉の燃焼度(33MW日/kg)のとき。
+αは、アルファ粒子(ヘリウムの原子核)を放出して原子核が崩壊する現象、βは電子を放出して崩壊する現象を指す。

 しかし、こんな言い分は、いまや世界のどこでも通用しない。アメリカの政府の公式見解といってよい全米科学アカデミー(NAS)報告(1994年2月)では、「実質的に、いかなる組成のプルトニウムも核兵器製造のために利用できる」と述べている。
 たしかに、原子炉級のプルトニウムには若干の問題がある。それはプルトニウム240が20〜25%含まれているからで、これは核分裂そのものには何の障害にもならないが、中性子を発生するので、ねずみ算的な核分裂連鎖反応(核爆発)の引き金を早く引きすぎてしまう「早期誘発」(早燃え)の可能性がある。そのために、やや性能が落ちることもあると考えられている。
 しかし前に述べたNAS報告では、原子炉級のプルトニウムを用いて長崎原爆と同種の簡単な装置を作れば、最低(早燃えが生じても)1〜数キロトンの核爆発を起こし、十分に核兵器としての威力をもつ、としている。
 つい最近まで、なかなか詳しいことが公表されなかったが、じつはアメリカは、実際に原子炉級のプルトニウムを用いて核実験をおこなっており、きちんとした核爆発を起こさせるのに成功している。最近の発表によれば、その威力は「20キロトン以下」程度という。広島原爆(15キロトン)以上ということかもしれない。
 その道では定評のあるアメリカのRAND研究所の報告書(1993年12月)によると、原子炉級のプルトニウムを使った場合の(核爆発を起こさせるために必要な)臨界質量は、適当な反射材(核分裂の連鎖反応を効率よくおこなわせるために、プルトニウムをとり囲むように配置する金属材。ベリリウムなどが用いられる)を用いるとき、6.6キログラムと推定され、核兵器級のそれの4割増し程度にしかならず、核兵器をつくるうえで、とくに問題はない。本書は、このような最近の知見のうえに立って、すべてのプルトニウムは核兵器に転用されうる危険性をもった物質である、という認識にもとづいて書かれている。』

ポスト冷戦の最大の課題
 プルトニウムの問題が最近の世情をにぎわすのは、主に核拡散とのからみである。とくに、米ソ対立の冷戦構造が崩壊し、大量の高濃縮ウランとプルトニウムが解体核兵器から取り出されることになった(表序-3参照)これら核物質が、ふたたび核兵器に使われるようなことがあってはならない。
表序-3 軍事用核兵器級核物質の保有量
(1990年末、単位:トン)
 

プルトニウム

高濃縮ウラン
アメリカ 97 550
独立国家共同体(旧ソ連) 125 720
イギリス 2.8 10
フランス 6.0 15
中国 2.5 15
イスラエル 0.33
インド 0.29

234 1310
出典:D.Albright et al, World Inventory of Plutonium and Highly Enriched Uranium, SIPRI, 1992, Oxford Univ. Press (1993).
 高濃縮ウランは、天然ウランと混合し低濃縮とすることで、核兵器への再利用は困難となるが、前に述べたように、「いかなる組成のプルトニウムも核兵器となる」ので、プルトニウムにはそのような品質劣化の手段がない。今後、米ロの戦略核削減交渉(STARTT、U、V?)が進み、140トンともいわれるプルトニウムが解放されてくると、その核拡散や軍事転用、環境汚染をいかに防ぐかは、冷戦後世界の最大の問題といってもよいのである。
 アメリカでは、このプルトニウムを燃料として利用するというような計画を立てれば、その一部が核拡散・軍事転用されてしまう可能性が否定できない、という見方が強い。しかも、これまでの世界的な経験に照らしても、プルトニウムの利用がエネルギー的にも経済的にもけっして利益を生まないことは明らかだ、として、プルトニウムを廃棄すべきだという議論が圧倒的だ。
 1993年来、エネルギー省(DOE)、米議会技術評価局(OTA)、先に述べたRAND、NASなど主な機関が次つぎと報告書を出して、解体核兵器からのプルトニウムをどう安全に処分できるかを検討した。
 そのなかでも、もっとも権威があるとされるNAS報告は、「(現在手もちの)プルトニウムは財産ではなく負債であると認識しなくてはならない」と強く主張している。これは、きわめて印象的なことだ。というのは、プルトニウムというものの価値について、冷戦後のいま、180度の認識の転換が生じたことを意味しているからだ。
 これまでは、軍事的にも商業的にも、プルトニウムは人知・資力を結集してつくる、プラスの価値をもつものだと考えられてきた。それゆえに、巨大な経費をかけてプルトニウムを増殖する高速増殖炉計画のようなことが、志向されたのである。
 ところが、プルトニウムは、いまや軍事的にも世界にとって脅威でしかないし、民事利用(商業利用)も経済・環境・社会にとって負担でしかない。すなわち、これはマイナスの価値をもつ負債であり、この負債をなんとか減らしていく、つまりプルトニウムを廃棄することが、世界、とくに米・ロの課題である、というのである。
 しかし、いったん生まれてしまったプルトニウムを廃棄するのは容易なことでない。図序-1(略)に示すように、さまざまな廃棄法が考えられているが、これらのどの道をとるべきか、あるいはまったく別の道があるかは、今後の議論・研究の煮つまり方にかかっている。
 ところが、もう一方のプルトニウム大国ロシアは、核兵器の解体には合意したものの、プルトニウムの廃棄にはなかなか同意しない。ロシア政府内には、「核兵器のプルトニウムは、長いあいだかかってつくり出した国家の財産」(ないしは宝物という言葉が使われる)という考えが強く、燃料に加工して、たとえば日本のようにプルトニウムをほしがる国に輸出して外貨を獲得しよう、という意見が強いのである。
 しかし、ロシアの軍事プルトニウムが大量に商業ルートに流れるというようなことがあったら、現在でさえとかく核物質の流出が問題になっているような状況だから、それこそ核拡散問題に手がつけようがなくなるだろう。ロシアがプルトニウムを廃棄するという方向で、アメリカや他の国々が説得できるのか。そして、そうなったとして、はたして人類はこの長い寿命をもつ核物質にほんとうに安全な墓場をみつけられるのか。ここから先のストーリーは、われわれが知力を結集して構想していかねばならないのである。』