森永(1997)による〔『原子炉を眠らせ、太陽を呼び覚ませ』(131-139p)から〕


第3章 核融合計画の重大な誤り
核融合とは何か

 「核融合反応をエネルギー源に使おう」というアイデアは、実はそう新しいものではない。敗戦直後、日本が貧しいながら核物理を再開したころからすでにあった話だ。当時、ある先輩などは、原爆の開発とともに、もう核分裂反応の研究はあらかたすんでしまっているから(当時はまだ、その物理的データは米国の国家機密だった)、これからの核物理の本命はむしろ核融合反応の研究だとして、核融合のための基礎になる軽い原子核の研究をやりたいと語っていた。実際、戦後10年もたたないうちに、核物理学者のあいだにも本気になって核融合連鎖反応の実現の研究をテーマとする者が現れてきて、社会のほうもそれまでになく早くこの話に飛びついた。
 私は第1章に記したような研究生活を送ってきたが、その間、核融合はつねに隣接分野だった。同じ物理学の分野から出てきたものだから、その進歩の状況はいつも個人的に知っている研究者から直接聞いていたし、新聞などで見聞きしてきた。また私の教え子がその分野へ進んだり、あるいは核融合装置の放射能の問題について相談を受けて、調べたことなどもあった。
 だから原子核物理学の一節としての核融合反応の基本的原理に関しては、私は十分な自信をもって講義をしたり、説明したりできるが、その実現法に関しては、自分でやったことはないので正確なことは言えない。ただ、ずっとその発展を外からではあるが、ごく近くから見てきた者として考えたことを述べうるのみである。したがってこの章では、核融合研究の具体的な歴史とか、推移とか、これから解決すべき点などではなく、むしろ学問、技術、社会の中の核融合といったものを述べたい。核融合の技術的な展開について詳しいことを知りたい方は、すでに多くの本が書かれているので、それらの文献を参照されたい。
 普通、核エネルギーの利用とは、いままで述べた原子炉にしても原爆にしても、ウランあるいはそれから誘導されるプルトニウム、あるいは能率は悪いが、ウランに近い超重元素トリウムが核分裂を起こすときに放出するエネルギーを利用することをいう。
 なぜ、、ウランのような不安定な超重元素が地上に存在するのかということを考えるのは、原子核物理学や宇宙物理学にたずさわるものにとってたいへん面白い問題だ。現在ほとんど確立している元素生成の理論によれば、かつてわれわれを含む全宇宙か、あるいは宇宙の部分が−この点は、正確にはまだ議論の余地があるが−短時間、高密度の中性子に曝されたことがあり、そのさい、それ以前には存在しなかった原子番号の多い元素、つまり陽子の数の多い重元素ができたということになっている。
 このような陽子を過剰に抱えた重元素−たとえばウランなら原子番号が92にもなる−は非常に不安定で、主にアルファ粒子の放出による放射性崩壊によって、より軽い元素へと変わっていく。その過程の最後は、安定で一番重い鉛(原子番号82)で、その道の途中が原子番号88の元素ラジウムである。ところがこれら超重元素の中には、ときにこのゆっくりしたアルファ崩壊の道程をはずれて、いきなり分裂してしまうものがある。この現象は、アルファ粒子崩壊よりはるかに稀にしか起こらないが、いったんこの分裂が起きると、その分裂片は猛烈なエネルギーで飛散し、膨大なエネルギーを放出する。これが「核分裂」である。
 ウランなどでは、核分裂は中性子(ウラン235の場合はスピードの遅いもの、238の場合は速いもの)が核に衝突することによって誘発させられる。こうして核が分裂すると、その内部に抱えていた中性子が放出され、その数は1回の核分裂あたり1を越える(ウラン235なら2.4)。そのため中性子を媒介とした連鎖反応が可能で、巨視量のウランの連鎖反応を制御下に置けば、原子炉となり、あるいは制御なしで爆発的に反応させれば、原爆となる。これが第1章にも述べた、核エネルギー放出のシナリオである。
 ところが自然界には、核分裂など特殊ケースだといわんばかりに、まったく別の行き方の、超大スケールの核エネルギー放出が存在する。それは太陽をはじめとする、おおかたの恒星のエネルギー源である恒星内部での核反応だ。超高温、超高圧の恒星の内部では、原子番号1の水素核(陽子)同士が融合して、原子番号2のヘリウム核に合成される核反応が起きている。太陽の中心で起こっているこのような核反応を「熱核反応」と呼ぶ。熱核反応は莫大なエネルギーを放出する。太陽をはじめとする恒星はこのエネルギーで輝いているのである。
 核分裂のエネルギーが重い核の分裂にともなうエネルギー放出であるのに対し、このエネルギーは、軽い核同士が融合して重い核になっていくときに出されるエネルギーである。
 絶えることなく輝きつづける太陽がいかなるエネルギー源を持っているのかということは、古くは宗教界の問題であった。これについて早くから考えたのは哲学者で、カントもその一人である。ニュートン力学が完成してからは、太陽のエネルギーは水素を主とする星間物質が電磁放射(光や熱を放出すること)をしながら凝縮するときの凝縮エネルギーと考えられた。実はいまでも生まれたばかりの新しい星は、多分にこのエネルギーで輝いている。
 ところがこの凝縮理論には重大な難点があった。なぜなら、太陽は恐竜が活躍していた時代よりはるかに昔から、ほとんど同じ温度で地球を照らしながら、熱と光を恵みつづけているからだ。太陽のエネルギー源が、重力エネルギーが変換された凝縮エネルギーだけだというのなら、とうの昔にそれは放射されつくして太陽は冷えきってしまっているはずだ。
 この難点を解決し、ごく細かい点を除いて、いま確立している太陽理論の基礎をつくったのは、量子力学をフルに使って原子核理論を打ち立てた学者の一人、H・A・ベーテ博士である。ベーテ博士はオットー・ハーンによる核分裂の発見の前年、1938年に著した論文で、太陽のエネルギー源が熱核反応による核融合であると予測した。
 ベーテ博士の理論によれば、凝縮により温度が上昇していった太陽の中心部が、だいたい1000万度程度に達すると、水素核同士が反応し合って、ヘリウムの生成と同時にエネルギー放出がおこなわれる。このエネルギーは熱伝導で太陽表面まで伝わっていき、宇宙に放射される。これが現在、私たちが享受している太陽の光と熱である。そして、いま太陽の内部では定常状態が現出し、太陽の温度は一定に保たれている。もちろん水素はだんだん減り、ヘリウムが増えてゆくが、やがて水素がなくなると、急速に温度が上がり、太陽はヘリウム燃焼をする別のタイプの恒星に変わってしまう。しかし、これは人類が心配する必要のない。気の遠くなるほど先の話である。
 熱核反応は、中性子を媒介とする核分裂の核反応とはまったく性質の異なったもので、この地上ではそんな温度(1000万度)の現出など、とうてい考えられないものであった。ところが、20世紀にはこれがまた二つの方向で実現しているのである。一つはビキニ環礁で初めて実験された水素爆弾である。これは水素の同位元素で、太陽の中心にあるものよりはるかに反応しやすい超重水素(原子番号3のリチウムも使いうる)を、原爆の超高温によって連鎖熱核反応に誘導するというものだ。これは、すでに現在の大型核兵器の主流となっている。もう一つの道が、この熱核反応をありとあらゆる可能な技術的努力により制御しながら、実用エネルギー源として開発しようとする努力、すなわちこれが「核融合」である。

核融合にまつわる問題
 将来、実用の核融合炉ができるとすれば、それは以下のようなものだ。
 何らかの形で重水素を封入した容器のある部分に超高温を発生させると、そこで重水素核(デューテロン、dあるいは2H〔注:2は左肩に書かれ、質量数を示す〕という略号が用いられる)同士の衝突による熱核反応が起こり、それは次のように記述される。
 d+d→t+p+0.04MeV→3He〔注:3は左肩で、質量数〕+n+3.47MeV
 この熱核反応により、まずエネルギーがトリチウム(t、3H〔注:3は左肩で、質量数〕とも書く超重水素核)と陽子(p)の運動エネルギー、あるいはヘリウム3(3He〔注:3は左肩で、質量数〕)と中性子(n)の運動エネルギーになり、それがやがて燃料の温度上昇をもたらし、上記の反応を持続させる(MeVはエネルギーの単位)。そこで同時にこの熱を取り出して発電に用いるという方式が考えられている。
 実験段階では、これより点火温度(使える程度の核融合が起きる温度)が低い、
 d+t→4He〔注:4は左肩で、質量数(普通のヘリウム核)〕+n+17.6MeV
という反応を利用することが考えられている。トリチウムはリチウムからもつくられるが、これはもともと資源が少ないし、また水爆材料という戦略物質であるということ、環境に対してたいへんに有害な物質であるという理由から、かりに実用炉ができることになってもあまり使われないであろう。
 核融合の燃料は、核分裂のそれがウランであったのに対して、重水(dOまたは2H〔注:2は左肩で、質量数〕O)である。重水はふつうの水に、5000分の1ほど含まれていて、水の電気分解の副産物として生産されている。すなわちほとんど無限に近い資源というわけで、それが核融合の一つの利点ということになっている。しかし、重水を普通の水から分離するためには、きわめて多量のエネルギーを消耗する過程が必要であり、これが画期的に改善される可能性はいまのところ理論的にはありえない。たんに地球上の重水の量のみ計算して、核融合なら無限に近いエネルギー資源があるなどというのはもってのほかの与太話である。それに、資源問題が考えられていたほどエネルギー問題のネックにならないことがわかってきた今日、資源問題を核融合の利点とみることはできまい。
 資源よりも現在重要なポイントは、むしろ環境に対する負荷である。この意味合いについてはあとでもう少し詳しく述べるが、この点は、新種のエネルギー源を求めるときには、いまなら必ず考えなければならない問題である。
 核融合のもうひとつのキャッチフレーズで、現在、以前より強くアピールされているのは、放射性廃棄物のない「クリーンエネルギー」であるということだ。
 しかし、実は核融合も絶対的にクリーンというわけではない。同じ量のエネルギーを生産するのであれば、核分裂による従来のウラン炉(プルトニウムでも同じ)よりも、放射性廃棄物の生成量が少ないというのに過ぎない。やはり核融合炉でも、放射性物質は中性子によって生成されてしまうのである。ただウランと少し異なるのは、ウランでは、だいたい同じ量のエネルギー生産に対して、各種の有害放射能の生成量はほぼ一定しているが、核融合炉では、その構造や材料を工夫することにより、これをより少ないほうに向ける努力はできるということだ。しかし、だからといって劇的に減らすことはできない相談である。
 そこにもってきて、さらにいやな問題がある。それは前述のトリチウムが生成されることで、これは最も嫌われている放射性物質の一つである。核融合はその実験段階で、多量のトリチウムを使用する。その量は前章に述べたトリトン加速に必要なトリチウムの量にくらべて、数桁以上違うわけで、文字通りケタ違いに多い。
 さて、次に大事なのはその経済性だ。核融合発電のコストの問題は、実はまださして真剣に議論されていないようだ。それは開発にあたっている当事者のあいだにも、それ以前の解決すべき問題があるからだろう。しかし、私に言わせてもらえれば、いままで原理的に議論してきた資源や環境の問題からみても、核融合発電の利点など、作り話にすぎない。百歩譲って、かりにその利点が認められたにしても、核融合はこのコストの点だけを考えても、生き残ることはできまい。現在の試験機では、ほとんどエネルギーの出てこないものでさえ、数百億円かかる。すでに1兆円を使ったという研究費に対して、総合的な成果というのもほとんど聞かれない。やがて実用的になるものであるというのならば、もう少々、その兆しがあってもよさそうである。
 核融合炉はいかにもエリートのオモチャらしくひどく複雑である。しかも肝心の炉心の材料問題が、10年もかけたというのにいまだに解決できていない。この材料問題を未解決のまま、見切り発車で操業を始めれば、放射化されて材料損傷をうけた本体から、次から次へと重大な故障が起こるであろう。高速中性子を放出する核融合炉の材料損傷は、核分裂を用いた普通の炉にくらべて10倍以上ひどいことが知られている。強く放射化されて、もはや近くに人が近づくことの不可能な機械のサーヴィスには、ロボットが使われるのであろうが、いくら優秀な日本製ロボットといえども、こんな複雑な機械のサーヴィスはとてもできるものではあるまい。
 そこへもってきてなお心配なのは、すでにもう数十年来、核融合の指導権は科学者の手を離れてしまっているということだ。核融合の研究所では「どうせこんなことはできっこないが、他に行くアテもないし、いい給料になるから」と言って働いている人に会うことがある。
 かつて巡洋艦が一隻建造されると、心血を注いだ技師が一人死ぬと言われていたが、そういう話はここではもう聞かれない。』