広渡文利(1964):マンガン鉱物と鉱石(2)地質ニュース、1964年9月号、121、16-27.



注:原著では、句点には『.』、読点には『 』(スペース)が、用いられているが、ここではそれぞれに『。』と『、』を用いた。
注:写真類は省略。

X.珪酸塩鉱物・含水珪酸塩鉱物
 Mnを主成分、あるいは副成分とする珪酸塩鉱物・含水珪酸塩鉱物は、実に多種類におよんでいる。たとえば、輝石族、角閃石族、かんらん石族をはじめ、ざくろ石族、ヒューム石族、雲母族、緑泥石族、緑れん石族、蛇紋石族、フリーデル石族、スチルプノメレーン族等といったように、大部分の造岩鉱物の中に、Mnが含まれている。第3表(略)に、一応今日までに知られているマンガン鉱物のおもなものをあげる。これらの中で、本邦に産出する鉱物は、おおよそ35種類であろう。以下にそれぞれの鉱物について説明するが、紙数の関係で、詳しい鉱物学的な性質については、それぞれの教科書を見ていただくことにして、ここでは、本邦におけるマンガン鉱物について、説明することにする。

(1)輝石族(Pyroxene group)
 一応輝石族とされているものの中で、Mnを含む鉱物は第3表(略)に示すように、約7種類が知られている。化学成分からいって、マンガン鉱石として用いられるのは、バラ輝石、ピロックスマンガン石である。バスタム石、ヨハンゼナイトは、Mn分が不足である。ウルバン石、マンガン灰鉄輝石、シェファル石等は、マンガン鉱石にはならないが、学術的には興味ある鉱物である。結晶構造からいえば、バラ輝石、ピロックスマンガン石、バスタム石は、三斜晶系であるが、その他のものは、単斜晶系に属する。

 バラ輝石(Rhodonite)
 化学成分はMnSiO3とされているが、つねにCaOを数%含むことからCaMn4Si5O15と書く人もある。肉眼的には、色が淡紅色から濃紅色、さらに血紅色のものまであり、きれいな鉱物の1種である。結晶粒の大きさは、細粒で、ち密なものから、かなり粗粒なものまである。大きいものでは、結晶の大きさが数cmに達し、斧状の結晶を示すことがある。細粒、ち密で、淡紅色のものは、後述の菱マンガン鉱に類似し、見誤ることがある。また、ピロックスマンガン石、バスタム石とは、肉眼では、非常によく類似しており識別は容易でない。これらを識別するには、顕微鏡か、X線によらねばならない。すなわち、光軸角の大きさが、第4表(略)に示すように、バラ輝石では(+)70゜前後、ピロックスマンガン石では(+)40゜、バスタム石では(−)40゜である。また、X線粉末回折線によれば、容易に区別することができる。鏡下では、輝石特有の劈開があるが、複屈折が低いので、ふつうの輝石類とは様子が違う。また、双晶が見られる場合がある。共存する鉱物は、マンガンざくろ石、ピロファン石、ダンネモル角閃石、テフロ石、アラバンド鉱、ブラウン鉱等がふつうである。
 本邦ではじめて発見されたのは、1879年であるが、詳しい記載がされたのは、1933年で、原田準平によって、北海道、岩手県、栃木県、大分県産のものが報告されている。その後、わが国の古生層中のマンガン鉱床には普遍的に産出し、シリコマンガン用原料の主成分鉱物となっている。おもな産地は、岩手県久慈、宮古、釜石地域、茨城県笠間地域、栃木県鹿沼地域、群馬県沢入地域、愛知県段戸地域、滋賀県西南部、京都府東北部、鳥取県八頭地域、山口県玖珂地域、宮崎県岩戸地域等である。また、最近北海道の第三紀菱マンガン鉱脈中にも1・2産出が報告されている。

 ピロックスマンガン石(Pyroxmangite)
 化学成分は(Ca,Mg)(Mn,Fe)6Si7O21と書かれるが、大きく2種類に分けられる。その1つは、Feを多量に含むものであり、他の1つは、ほとんど含まないものである。ピロックスマンガン石として、最初に記載されたのは、前者のもので、1913年に、Ford,W.E.とBradley,W.M.によって、北米のペグマタイト中から発見され、新鉱物として報告されたものである。これはFeO=28.34%も含むもので、化学組成として(Fe,Mn,Ca)SiO3が与えられた。本邦でも、1940年、田久保実太郎によって、京都府大呂のペグマタイト中のもの、および1954〜1955年、桜井欽一ら、および大森啓一らによって、岩手県岩泉町上乙茂産のペグマタイト中のものが報告されている。これらは、いずれもペグマタイト中に産出し、鉄の多い種類のものである。
 一方、1955年になって、アメリカ地質調査所のLee,D.が、日本のマンガン鉱床から、Feをほとんど含まない種類のピロックスマンガン石を発見しX線粉末試験の結果、上述の鉄の多い種類のものと構造的には全く一致することを見出した。その後、本邦でも各地のマンガン鉱床産の、いわゆるバラ輝石とされていたものを検討した結果、かなり、この鉄の少ない種類のピロックスマンガン石が存在することが判明してきた。このピロックスマンガン石の化学成分は、前述のバラ輝石と同様にMnSiO3に近い。このように、ピロックスマンガン石には、2種類(さらにX線粉末回折線によればピロックスマンガン石の中で、バラ輝石とピロックスマンガン石の中間的性質のものがある)のものが存在するのである。
 本鉱物は、いずれも、肉眼的にはバラ輝石とほとんど区別が困難である。色は一般に淡紅色であるが、やや灰褐色のものが多いようである。結晶系、色等で区別することは、まず困難であるが、産状によっては区別できる場合がある。たとえば、マンガン鉱石を切る後期の細脈として産出する場合は、たいていピロックスマンガン石である。本邦で最初に記載されたのは、1955年でLee,D.によって、山口県錦光、久杉、蓮華鉱山、および岐阜県網代鉱山等から報告されている。その後各地のマンガン鉱床から発見されているが、愛知県田口鉱山産のものは、紫赤色のきれいな結晶で径数cmの大晶を産出する。

 バスタム石(Bustamite)
 化学成分はMnCaSi2O6。肉眼では、バラ輝石、ピロックスマンガン石と類似しており、識別は容易でない。強いていえば、バスタム石は、前2者に比べて色が淡灰色から灰褐色の場合が多く、やや繊維状である。また、鏡下で光軸角が(−)40゜前後である点と、X線粉末回折線によって識別することができる。化学成分からわかるように、MnとCaの比が、ほぼ1:1である。品位は、Mn 15〜16%、CaO 18〜22%前後で、今日では鉱石にならない。わが国で最初に発見されたのは、1956年で、岩手県野田玉川鉱山および宮古市猿壁山から、渡辺武男、加藤 昭によって報告された。その後は栃木県鹿入、東加蘇鉱山のマンガン鉱床からも発見されている。また、1961年には、新第三紀層の層状亜鉛・銅鉱床である大堀鉱山から発見され、大津秀夫・嶋崎吉彦・その他によって報告されている。その他、埼玉県秩父鉱山六助鉱床、新潟県赤谷鉱山等の鉛・亜鉛・銅の接触交代鉱床からも発見されている。マンガン鉱床の場合は、その産出量が少なく、経済的には価値はないが、学術的にはおもしろい鉱物である。

 ヨハンゼナイト(Johannsenite)

 化学成分は、バスタム石と同じでCaMnSi2O6である。バスタム石は三斜晶系であるが、本鉱物は単斜晶系である。ヨハンゼナイトが最初に記載されたのは、1938年で、Schallerによって命名された。肉眼では、色が青緑色から黄緑色ないし黄褐色である。結晶は柱状ないし放射状で、一見灰鉄輝石に類似する。ヨハンゼナイトの中には、鉄の多いものがあり、灰鉄輝石とヨハンゼナイトの中間的成分をもつものとしてferroan johannseniteと呼ばれている。つまり、ヨハンゼナイト〔(CaMn)Si2O6〕と灰鉄輝石〔(CaFe)Si2O6〕との間には、固溶関係があるのかも知れない。鏡下では、複屈折高く、光学的分散が著しい。本邦で初めて記載されたのは、1960年で、桃井 斉によって、岡山県真庭郡寺河内から発見され報告されている。その後、筆者は1963年に秩父鉱山六助鉱床から発見している。

 ウルバン石(Urbanite)

 化学成分はNa(Mn,Fe)Si2O6である。マンガンを含むエジリン輝石の1種である。はじめスウェーデンのLangbanから発見され、鉄シェファー石と呼ばれていた。1892年、Sjogren(oの頭に¨)は、鉄シェファー石の中で褐色のものをUrbaniteと命名した。その後、本鉱物はアルカリを含むことがわかり、アルカリ輝石の1種であるとされている。
 肉眼では、褐色から黒褐色であるが、鏡下では、きれいな黄褐色から淡黄色の多色性を示す。また、光学的分散が著しいのが特長である。本邦で最初に記載されたのは、岩手県野田玉川鉱山で、1937年、よす村豊文によって報告されている。その後、福島県小平鉱山、愛知県田口鉱山、および福岡県河内鉱山等から発見されている。いずれも花崗岩類による熱変成作用を受けている地域で、野田玉川、田口、河内鉱山は、マンガン鉱山であり、小平鉱山は鉄マン鉱床である。マンガンの含有量は、だいたいMnO 5〜8%で、マンガン鉱石にはならないが、Naを含むマンガン輝石として学術的には興味ある鉱物である。

 シェファー石(Schefferite)
 化学成分はCa(Mg,Fe,Mn)Si2O6。マンガンを含む透輝石の1種で、いわば、マンガン透輝石と呼ぶべきである。1862年に、MichaelsonがLangbanから発見して命名した。肉眼では、色は黄褐色から赤褐色であるが、時には黒色に近いものがあり、鉄シェファー石と呼ばれている。本邦では、1926年に、愛媛県四阪島から佐藤才止により褐黒色輝石が発見され、マンガン透輝石として報告されている。マンガンの含有量はMnO 6〜8%で、マンガン鉱石にはならないが、本邦のマンガン鉱床からは、まだ産出することを聞かない。

(2)角閃石族(Amphibole group)
 マンガンを含む悪戦石には、Fe-Mg角閃石として、ダンネモル閃石、マンガンカミングトン石、Ca角閃石として、マンガン陽起石、マンガン透角閃石、マンガン角閃石、さらにNa-角閃石として、リヒター石がある。これらは、いずれもマンガン鉱石としてはあまり重要ではないが、学術的には興味ある鉱物である。

 ダンネモル閃石(Dannemorite)−ティローダイト(Tirodite)
 化学成分は(Fe,Mg,Mn)7Si8O22(OH)2である。ダンネモル閃石は、1851年に、Erdmannによって、スウェーデンのDannemoraのマンガン鉱床から発見され、Dannemoriteと命名された。これは、FeおよびMnを主成分とし、Ca、アルカリの少ない単斜角閃石であり、いわばManganoan gruneriteである。一方、Mg、Mnを主成分とする単斜角閃石が、DunnとRoyによって、1938年に、インドのTirodiから発見され、Tiroditeとして報告されている。これは、いわばManganoan cummingtoniteである。つまり、ダンネモル閃石は、Fe、Mnを主成分とし、少量のMgを含み、ティローダイトは、Mg、Mnを主成分とし、少量のFeを含む単斜角閃石の1種であるということができる。
 ダンネモル閃石は、肉眼的には、長柱状ないし針状であるが、時には、繊維状または放射状の集合体である。
 色は淡緑色、灰白色、緑色、黄緑色等を示す。繊維状のものは絹糸光沢が著しい。鏡下では無色針状ないし長柱状で、双晶が見られる場合がある。本邦で最初に発見されたのは、1947年で、山口県蓮華鉱山から、吉村豊文・白水晴雄によって報告されている。その後、花崗岩類による熱変成作用をうけた地域のマンガン鉱床から、数多く発見されている。
 ティローダイトは、ダンネモル閃石に類似するが、時には色が淡紅色を示すものがある。本邦では典型的なティローダイトはいまだ産出しないが、桃井 斉によって発見された。山口県蔵目喜鉱山産のものは、ややティローダイトに近い成分のものと思われる。

 リヒター石(Richterite)
 化学成分はNa2Ca(Mg,Fe,Mn)5Si8O22(OH)2で、Mnを含むアルカリ角閃石の1種である。さらに詳しくいえば、Mn-tremolite(マンガン透角閃石)、Ca2(Mg,Fe,Mn)5Si8O22(OH)2のCa2+2をNa1+2Ca2+でおきかえたものと考えればよい。1865年にBreithauptがスウェーデンのLangbanから発見したといわれる。肉眼的には、色が黄褐色から緑褐色、紅色のものまである。鏡下では、多色性が著しく、光学的分散が強い。本邦で最初に発見されたのは、野田玉川鉱山で、1952年に、吉村豊文によって報告されている。本鉱物はMgに比べてFeが多かったので、Riebeckite〔Na2(Mg,Fe)3Fe3+2Si8O22(OH)2〕とリヒター石の中間のものとして、リーベックリヒター石(Riebeck-richterite)と呼ばれている。その後、1960年に愛知県田口鉱山から、筆者によって報告されている。いずれも、バラ輝石中に産出し、アルカリ長石、黄色輝石、吉村石等のアルカリを含む鉱物と共存するのが特長である。

(3)かんらん石族
 かんらん石族のなかで、Mnを主成分とするものをテフロ石(Tephroite、Mn2SiO4)、Feを主成分とするものを、鉄かんらん石(Fayalite、Fe2SiO4)と呼んでいる。しかも両者は、連続固溶系をなすといわれ、第5表(略)のような分類がなされている。つまり、両者の中間成分にあたるものが、クネーベル石(Knebelite、MnFeSiO4)である。
 その他、Glaucochroite (Mn,Ca)2SiO4、Troostite (Mn,Zn)2SiO4、Hortnolite (Fe,Mn,Mg)2SiO4等があるが、本邦では、まだ産出しない。

 テフロ石(Tephroite)
 化学成分はMn2SiO4であるが、ふつう少量のFe分を含む場合が多い。肉眼的に見て2種類に分けられる。1つは細粒で淡青緑色のもの、他の1つは、粗粒で緑青色から灰緑色のものである。前者は、本邦古生層のマンガン鉱床の中で、未変成地域に産出し、主として炭マン中に見られる。後者は花崗岩類による熱変成作用をうけた地域に産出し、バラ輝石等の珪マン中に見られる。
 本鉱物は、純すいなものではMn 54%で高品位マンガン鉱石の主成分鉱物である。マンガン鉱物の中でももっとも広範囲に産出する鉱物の1つで、経済的にも学術的にも重要な鉱物である。鏡下では、無色で、屈折率が高く、ふつうのかんらん石と大差ない。鏡下で注意を要することは、後述のアレガニー石、ソノ石、および神保石等と類似することである。本邦で最初に記載されたのは、鉄テフロ石で、1936年に、吉村豊文によって、加蘇鉱山から報告されている。その後、純すいに近いテフロ石は、栃木県大芦鉱山から報告されている。今日では、わが国の各地のマンガン鉱床から産出することが知られているが、外国では割合いに珍しい鉱物とされている。

 クネーベル石(Knebelite)
 化学成分は(Mn,Fe)2SiO4である。本鉱物は、1818年に、Ilmenauの花崗岩体から発見されたといわれるが詳細は不明であった。その後、1851年に、スウェーデンのDannemora鉱山からErdmanによって発見され記載された。肉眼でも、鏡下でも、テフロ石と識別困難である。両者を区別するには、詳細な化学成分、光学的性質の検討を行なわねばならない。本邦でこの系について報告されたのは、マンガン鉄かんらん石で、1925年に、柴田秀賢によって、岐阜県苗木のペグマタイトから報告されている。その後、1938年になって、クネーベル石、鉄クネーベル石、マンガンクネーベル石、ピクロクネーベル石等が、吉村豊文によって、栃木県加蘇鉱山から発表されている。また、1950年に、鉄クネーベル石が、長谷川修三、大森啓一、石井瑞郎によって福島県飯坂村のペグマタイトから発見され報告されている。しかし量的には、テフロ石に比べて非常に少ない。

(4)ヒューム石族(Humite group)
 ヒューム石族の中で、Mnを主成分とするものに、アレガニー石(alleghanyite 2Mn2SiO4・Mn(OH・F)2)とソノ石(sonolite 4Mn2SiO4・Mn(OH・F)2)がある。アレガニー石は、コンドロ石(Chondrodite 2Mg2SiO4・Mg(OH・F)2)のMgをMnでおきかえたものであり、ソノ石は、斜ヒューム石(Clinohumite  4Mg2SiO4・Mg(OH・F)2)のMgをMnでおきかえたものである。Norbergite(Mg2SiO4・Mg(OH・F)2)とHumite(3Mg2SiO4・Mg(OH・F)2)に相当するマンガン鉱物は、いまだ発見されていない。Leucophenciteは3Mn2SiO4・Mn(OH・F)2とされているが、結晶系が斜方晶系でなく単斜晶系であることから、Humiteに相当するMnの端成分ではないといわれている。斜方晶系のものが発見されれば、Humiteに相当するマンガン鉱物ということになる。

 アレガニー石(Alleghanyite)
 化学成分は2Mn2SiO4・Mn(OH・F)2あるいはMn5〔(OH)2|(SiO44〕と書かれる。本鉱物は、ノースカロライナのAkkeghanyから発見され、1932年、RossとKerrによって5MnO・2SiO2とされた。その後1935年に、Rogerによってヒューム石族の鉱物であることがわかり、現在の化学式が与えられた。肉眼では、色が淡紅色、鮮紅色のものから灰色、灰褐色のものまである。ほとんど結晶は見られないが、テフロ石、菱マンガン鉱からなる鉱石中に見られる。鏡下では、テフロ石と類似するが、双晶があることで区別されていた。ところが、最近になって、アレガニー石としていた鉱物の中に、後述のソノ石にあたるものが発見されてから、今日までアレガニー石として記載された鉱物についても、再検討を必要とするにいたっている。
 本邦で、アレガニー石が最初に発見されたのは、1938年で、吉村豊文によって加蘇鉱山から報告されている。
 その後、各地のマンガン鉱床から発見されているが、再検討を要する鉱物であろう。

 ソノ石(Sonolite)
 化学成分は4Mn2SiO4・Mn(OH・F)2。本鉱物は、1963年に、吉永真弓によって発見された新鉱物である。すなわち、斜ヒューム石に相当するマンガンの端成分である。肉眼では、色は暗赤褐色から淡赤褐色で、アレガニー石に非常によく似ている。花崗岩類による熱変成作用をうけた地域のマンガン鉱床中に見られ、テフロ石、菱マンガン鉱からなる鉱石中に産出するようである。
 共生する鉱物は、菱マンガン鉱、テフロ石、ガラクス石、アラバンド鉱、アレガニー石、パイロクロイット、緑マンガン鉱等である。アレガニー石との識別は、肉眼ではもちろん困難であるが、鏡下でもなかなかむずかしい。つまり、ユニバーサルステージで、消光角を測るのである。吉永真弓によればアレガニー石では(001)^Xが22〜35゜であるが、ソノ石では8〜15゜でやや小さい事が唯一の決め手である。なおX線粉末回折線によれば、確実である。わが国で最初に発見されたのは、京都府園鉱山で、鉱山名にちなんでソノ石と命名されたものである。その他吉永によって、岩手県花輪、京都府向山、栃木県加蘇、滋賀県五百井、愛知県田口、茨城県鷹峰、山口県高森、和木、久杉鉱山から発見されているが、今後はさらに産地が増すことであろう。

(5)ざくろ石族(Garnet group)
 これらの中で、Mnを主成分とするものは、マンばんざくろ石(Spessartite Mn3Al2Si3O12)、マン鉄ざくろ石(Calderite Mn3Fe2Si3O12)、およびブリサイト(Blythite Mn2+3Mn3+2Si3O12)が知られている。なお、最近(1964)吉村豊文・桃井 斉によって、Mn3V2Si3O12分子(大和石 Yamatoite)の存在が提唱されている。

 マンばんざくろ石(Spessartite)
 化学成分はMn3Al2Si3O12である。肉眼では、色は黄、褐、緑、赤、橙、黒色等いろいろのものがある。
 一般には黄色から褐色のものがもっとも多い。結晶を示す場合は12面体か24面体である。花崗岩類による熱変成作用をうけた地域のマンガン鉱床中に産出する。本邦で最初に記載されたのは、1935年で、吉村豊文によって、加蘇鉱山から報告されている。今日では各地の古生層中のマンガン鉱床から産出することが知られている。

 マン鉄ざくろ石(Calderite)
 化学成分はMn3Fe3+2Si3O12である。本鉱物は、1927年に、Fermorによって提唱された鉱物名であるが、普通の教科書には採用されていない。その後、1952年、Vermaasが南西アフリカのマンガン鉱床から発見し、ふたたび、マン鉄ざくろ石の存在を提唱している。
 筆者は、本邦産の2、3のマンガンざくろ石について検討を行なったが、Calderiteの存在は認められなかった。今後検討すべき問題である。

 大和石(Yamatoite)
 1964年、吉村豊文、桃井 斉によって提唱された鉱物名で、化学式としてMn3V2Si3O12を与えている。しかし、純すいなMn3V2Si3O12はまだ発見されていない。1962年に鹿児島県大和鉱山からMn3V2Si3O12とCa3V2Si3O12の中間成分として(Ca,Mn)3V2Si3O12が発見されたが、後者のCa3V2Si3O12は1964年にGoldmanniteと命名されている。そこで、大和鉱山産の(Ca,Mn)3V2Si3O12をManganoan goldmanniteと呼び、Mn3V2Si3O12の存在を予想して、大和石という新鉱物名を提唱している。本鉱物は、バナジンを含む新鉱物原田石(SrVSi2O7)、マンガンロスコー石等と共生する。

(6)パイロスマル石族(Pyrosmalite group)
 この中で、Mnを主成分とする鉱物は、パイロスマル石(Pyrosmalite)、フリーデル石(Friedelite)、マンガンパイロスマル石(Manganpyrosmalite)等が知られている。いずれも、六方晶系に属し、連続固溶系をなす。しかし一般に産出まれな鉱物である。また、後述するベメント石の1部を、このグループに入れる人もあるが、ここでは、ベメント石については、つぎの項で説明することになる。

 パイロスマル石(Pyrosmalite)
 化学成分は(Mn,Fe)8Si6O15(OH,Cl)10で、Mn:Fe≒1:1である。今まで報告されているものはMnO 21〜27%、FeO 23〜30%である。本鉱物は、1808年にHausmannによって発見され、はじめPyrodmalitと呼ばれていた。スウェーデンのNordmark、Dannemoraの鉄鉱山から発見されたものである。肉眼では、色は灰色、淡緑色、褐色、黒緑色で、劈開著しく、やや真珠光沢を示す。鏡下では、1軸性で、複屈折が0.035〜0.040でやや高い。本邦では1959年に、渡辺武男・加藤 昭によって、栃木県久良沢鉱山から報告されているにすぎない。

 フリーデル石(Friedelite)
 化学成分はMn8Si6O15(OH・Cl)10で、パイロスマル石のMnの端成分である。しかし、少量のFeを含むのがふつうである。理論的には、MnO 51.7%で、高品位である。本鉱物は、1876年にBertrandにより、ピレーネのAdervielleのマンガン鉱山から発見されたものである。その後1891年にLindstrom(oの頭に¨)、Flinkらによって、スウェーデンのPajsbergのHarstig鉱山から報告されている。本鉱物は、パイロスマル石に類似するが、肉眼では、色が一般に紅色である。本邦では、まだ産出しない。

 マンガンパイロスマル石(Manganpyrosmalite)
 化学成分は(Mn,Fe)8Si6O15(OH・Cl)10で、パイロスマル石と、フリーデル石との中間の成分である。本鉱物が、最初に報告されたのは、1953年で、New JerseyのSterling HillからFrondelとBauerによって記載されている。その後、1956年に、HuttonによりNew South WalesのBroken Hillから報告されている。肉眼では、色は紅色、淡褐色で、真珠光沢を示す。本邦では、1961年に、パイロスマル石を発見した久良沢鉱山から、渡辺武男・加藤 昭・伊藤 順によって、記載されている。

(7)いわゆるベメント石
 ベメント石≠ヘ、わが国のマンガン鉱石の主成分鉱物として重要な鉱物であるので、少し詳しく説明することにする。最近、加藤敏郎は、今日までベメント石≠ニして記載されたものの中に、結晶構造的に2つの型がある事を見出している。1つは“Franklin”型ベメント石と呼ばれ、フリーデル石類似の鉱物である。他の1つは“Chamosite”型ベメント石と呼ばれ、Mn-蛇紋石に相当するものである。鉱物名については、なお問題が残されているが一応是前者を狭義のBementiteと呼び、後者をCaryopiliteと呼ぶことが提唱されている。なお、Ectropiteという鉱物名はCaryopiliteと同義語である。
 ところで、今日までベメント石≠ニされていたものは、実は大部分が、後者のCaryopilite(“Chamosite”型ベメント石)であり、一方、OriginalなBementite(“Franklin”型ベメント石)に相当するものは、非常に産出の少ない鉱物であることがわかった。

 ベメント石(Bementite=“Franklin”型ベメント石)
 化学成分については、まだ問題があるが、一応Mn5Si4O10(OH)6またはMn6Si4O10(OH)8と書くことができる。本鉱物は、1887年に、Konig(oの頭に¨),G.A.によって、Franklin FurnaceのTrotter Zn鉱山から、はじめて記載されたものである。その後、1897年にはCaryopilite、1917年にはEctropiteが記載されたが、1925年にLarsenがBementite−Caryopilite−Ectropiteは、いずれも同一の鉱物であって、鉱物名としてはBementiteを用うべきであるとしてから、ほとんど最近まで、この名が用いられていたのである。しかぢ今後は、“Chamosite”型ベメント石とは、明らかに区別して用うべきであろう。さて、“Franklin”型ベメント石は、肉眼では、色は灰褐色、灰白色で、真珠光沢を示し、劈開が顕著である。また、放射状、束状の集合をなし、一見白雲母に類似する。産状としては、一般にマンガン鉱石を切る細脈として産出する。鏡下でも、無色で、白雲母・絹雲母に類似する。本鉱物に相当するものは、わが国では高知県国見山鉱山から産出するのみである。

 カリオピライト(Caryopilite=“Chamosite”型ベメント石)
 化学成分は、ベメント石の項で述べたとおりである。
 本鉱物は、1889年に、Hamberg,A.によって、スウェーデンのLangbanからCaryopiliteに類似の鉱物を発見したが結晶系が異なることから、これに対してEctropiteという鉱物名を与えた。その後、前述したようにLarsenが、Caryopilite、Ectropiteは、いずれもBementiteと同一の鉱物であるとしてから、今日まで、ほとんど用いられなかったようである。
 ところで、“Chamosite”型ベメント石は、わが国の古生層中のマンガン鉱床中には、かなり広範囲に産出するのである。本鉱物は、肉眼では、後述の鉱石の項で述べるが鰹節鉱≠フ主成分鉱物で、色は灰褐色から黒褐色まで変化する。隠微晶質で一見チャートに類似する。貝殻状断口を示し、個々の結晶粒は見られない。鏡下では、無色から淡黄褐色で、非常に細粒である。複屈折は0.002〜0.03まで変化する。本邦で最初に発見されたのは、1955年で、福島県徳沢鉱山から、白水晴雄・筆者によって報告されたが、これはいわゆるベメント石≠ニして記載している。その後、熊本県市俣鉱山、京都府吉兆鉱山、埼玉県大蔵鉱山をはじめ、岐阜県、長野県、大分県、高知県、岩手県のマンガン鉱山から産出している。

(8)スティルプノメレーン族(Stilpnomelane group)
 この中で、Mnを主成分とするものは、ガノヒル石(Ganophyllite)、エクマンナイト(Ekmannite=Manganoan stilpnomelane)、およびパルセテンサイト(Parsettensite)等が知られている。ガノヒル石は1890年に、スウェーデンのPajsbergからHambergによって発見された鉱物で、スティルプノメレーン(Fe-member)のMn-memberに相当し、エクマンナイトは、1865年に、スウェーデンのGrythytteの磁鉄鉱々床から発見された鉱物で、スティルプノメレーンとガノヒル石の中間の成分のものであるといわれ、スティルプノメレーンの変種としてManganoan stilpnomelaneと呼ぶ人もある。またパルセテンサイトは、1923年にJacobによって命名されたもので、成分的にはガノヒル石とほぼ同じ意味で使用されているようである。
 *ガノヒル石とパルセテンサイトとはPolymorphismの関係があるかも知れない

 ガノヒル石(Ganophyllite)
 化学成分は、まだ詳細に分っていないが、一応Mn7Al2(Si4O102(OH)12あるいは(K,Na,H2O)(Fe2+,Fe3+,Al,Mn,Ca)3〔(OH)2|(Si,Al)4O10〕と書かれる。肉眼では灰白色、帯褐黒色で、りん片状ないし繊維状の束状集合をなす。鏡下では、無色、淡黄色で、微細な場合は絹雲母に類似する。産状としては一般にマンガン鉱石および鉄マン鉱石を切る細脈として産出する。だいたい幅数cm前後で、マンガン方解石、マンガン斧石および重晶石等を伴う。本邦で最初に記載されたのは、1952年で、吉村豊文によって高知県穴内鉱山松株鉱床から報告されている。その後、1955年に、穴内鉱山長川原鉱床、愛媛県大洲鉱山からも報告されているが、そのほかには産出していない。

 エクマンナイト(Ekmannite=manganoan stilpnomelane)
 化学成分は、ガノヒル石の項で述べたとおりであるが、スティルプノメレーンとガノヒル石との中間の成分のものである。1865年に、Igelstrom(oの頭に¨)により命名された鉱物で、はじめは雲母あるいは緑泥石様鉱物とされていた。その後、1936年に、Foshagによって、スティルプノメレーンと同形であることが分った。本鉱物は肉眼では褐黒色で、ガノヒル石と類似する。鉄マン鉱石を切る細脈として産出する。本邦で初めて記載されたのは、高知県松尾鉱山で、1964年に白水晴雄によって報告されている。そのほか愛媛県三宝鉱山からも産出するといわれている。

(9)雲母族(Mica group)
 この中で、Mnを含む鉱物は、マンガノヒライト(manganophyllite)、マンガン白雲母、マンガンロスコー石(manganroscoellite)、マンガン絹雲母等である。マンガノヒライト以外は、あまり重要でないので省略する。

 マンガノヒライト(Manganophyllite)
 化学成分はK(Mn,Mg,Al)2-3(Si,Al)4O10(OH)2で、MnOは6〜21%まで知られている。本鉱物は、1872年にIgelstrom(oの頭に¨)によって発見されたものである。肉眼では、普通の黒雲母に類似し、色は褐色から灰褐色で、鱗片状で絹糸光沢を示す。鏡下では、淡黄褐色から淡黄色の多色性を示すが、黒雲母に比べて、やや弱い。
 産状としては、花崗岩類による熱変成作用をうけた地域のマンガン鉱床中に見られ、テフロ石、バラ輝石、菱マンガン鉱、マンガンざくろ石、ピロファン石等と共生する。本邦で最初に記載されたのは、1938年で、吉村豊文によって、加蘇鉱山から発見されている。その後、岩手県野田玉川、田野畑、本郷、三根鉱山、滋賀県五百井鉱山、愛知県田口鉱山から発見されている。

(10)マンガン緑泥石族
 緑泥石族の中で、Mnを主成分とするものは、Pennantite(Mn9Al6Si5O20(OH)16)、Gonyerite((Mn,Mg,Fe)3[(OH)2|(Si,Fe)Si3O10](Mn,Mg,Fe)3(O,OH)6)、Grovesite((Mn,Mg,Al)6[(OH)2|(Si,Al)Si3O16)](Mn,Al)6(Si,Al)4(O,OH)18)、およびManganese-Pennine等が知られている。Pennantiteは、1946年に、Smith、Bannister、Heyによって記載された鉱物である。Gonyeriteは、1955年に、Frondelによって、また、Grovesiteも、1955年に、Banister、Hey、Smithらによって、初めて記載された新鉱物である。また、Manganese-pennineは、1931年に、Aminoffによって記載された鉱物で、pennineのMn-richのものである。これらは、いずれも本邦では、その産出が報告されていないので省略する。

(11)緑れん石族(Epidote group)
 この中で、Mnを含む鉱物は、紅れん石(Piemontite)と呼ばれるが、緑れん石の中で、Mnを少量含むものに、つぎのような変種が知られている。Mn緑れん石、ウイザマイト(Withamite)、桃れん石(Thulite)等である。Mn-緑れん石は、数%のMnを含む緑れん石であり、ウイザマイトは、Mnの少ない紅れん石に相当する。また、桃れん石は、少量のMnを含むゆうれん石(Zoisite)である。紅れん石は、わが国の三波川、三郡変成岩中に豊富に産出する鉱物であるが、マンガン鉱床の中にも、ブラウン鉱と密接に共生し、重要な副成分鉱物である。

 紅れん石(Piemontite)
 化学成分は、Ca2(Al,Fe,Mn3+3Si3O12(OH)である。本鉱物は、Mn2O3として5〜22%を含んでいる。1853年に、PiedmontのSt. MarcelからKenngottによって発見された鉱物である。肉眼では、色が特徴的で、紅色から紫紅色で針状ないし柱状の結晶である。また鏡下では、実にきれいな黄色、橙色、紅紫色の多色性を示すので、容易に識別できる。本邦における紅れん石の産状については2つに分けられる。その1つは、第三紀の火山岩類に伴うものであり、他の1つは変成岩類に伴うものである。前者の例として初めて記載されたのは、1895年で、山崎直方によって軽井沢の流紋岩から報告されている。また、1964年に、兵庫県山中鉱山(マンガン鉱床)の母岩から、吉村豊文。桃井 斉によって紅色の緑れん石が発見され、これをウイザマイトとして報告している。一方後者の例としては、1887年に小藤文次郎によって徳島県大滝山の三波川変成岩から報告されている。その後、北九州の三郡変成岩類、北海道の神居古潭変成岩類、丹沢の御阪層変成岩類および長崎の彼杵変成岩類から報告されている。また、四国の三波川変成岩類、彼杵変成岩類、および三郡変成岩類中に胚胎するマンガン鉱床の中には、つねにブラウン鉱とともに紅れん石を伴うのが特長である。なお、1958年に南部松夫は、岩手県舟子沢鉱山から紅れん石を産出することを報告している。

(12)ヘルバイト族(Helvite group)
 このグループの一般式は、(Mn,Fe,Zn)4Be3(SiO43Sで表わされる。この中で、Mnの端成分をヘルバイト(Helvite)、Feの端成分をダナライト(Danalite)、Znの端成分をゲントヘルバイト(Genthelvite)と呼ぶ。

 ヘルバイト(Helvite)
 化学成分は、Mn4Be3(SiO43Sであるが、ふつう多少のFeを含む。Beを含む鉱物で、理論的にはBeO=13.5%を含む。1817年に、Wernerによって発見された。肉眼では黄褐色〜黄緑色で、一見マンばんざくろ石に類似する。本鉱物を簡単に識別するには、1部をとり出してすりつぶして見れば、特有のイオウ臭を発するので区別できる。また本鉱物はと等軸晶系で、一般に四面体の結晶をなすので、注意すれば見分けられる。 共生する鉱物は、バラ輝石、テフロ石、ダンネモル閃石、マンガン重石、石英、蛍石、磁硫鉄鉱等である。一般に古生層中のマンガン鉱床の中で、花崗岩類による熱変成作用をうけた地域に産出するようである。本邦で最初に発見されたのは長野県八木沢鉱山で、1959年に吉村豊文・吉永真弓によって報告されている。その後、長野県瀬戸川・山口県柳ケ宗・栃木県のマンガン鉱山等から発見されている。

(筆者は鉱床部)

用語説明(略)
 光軸角、複屈折、多色性、光学的分散、消光角、X線粉末回折線


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