福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)が調査・検証報告書を発表

(財)日本再建イニシアティブ  http://rebuildjpn.org/
 民間事故調(福島原発事故独立検証委員会)の親組織。2012/2/28に報告書を公表。


 一般財団法人・日本再建イニシアティブ(東京都港区、理事長:船橋洋一)は昨年9月から開始した「福島原発事故独立検証委員会 (民間事故調)」の半年にわたる調査・検証活動を終え、北澤宏一委員長ら検証委員会の委員が28日、日本記者クラブで400ページを超える詳細な報告書を発表した。
 民間事故調は東京電力・福島第一原子力発電所における事故の原因や被害の状況、事故の直接的な原因だけでなく、その背景や構造的な問題点を民間の純粋に独立した立場かつ国民の一人という目線で検証してきた。政府や国会の事故調査委員会とは異なり、既存の組織や.組みにとらわれない自由な立場を生かして、今なお避難を続ける10万人を超える被災者をはじめ、日本国民、世界の市民に向けた検証報告書を作成した。福島原発事故の原因や被害の経緯を包括的に検証した報告書の発表は、これが世界初となる。
 この夏までには海外に向けた英語版報告書も発行される。海外の有識者からも広く意見を求める他、海外シンクタンクとも提携して、報告書がまとめた事故の検証結果や再発防止の提言を世界と共有していく予定である。

【検証手続き】
 ワーキング・グループは月2回のペースで隔週末に丸一日の会合を開き、調査の進捗状況や進め方について綿密な議論を重ねたほか、毎回、今回の事故に関わる政治家や官僚など事故対応の当事者を招いて約2時間から3時間にわたるロングインタビューを行った。会合に出席したゲストは菅直人前首相、枝野幸男経産相(前官房長官)、海江田万里元経産相、細野豪志環境・原発事故担当相、福山哲郎前官房副長官など事故対応時に政務中枢にいた政治家と、班目春樹原子力安全委員長、深野弘行原子力安全・保安院長など事故収拾に当たった当事者である。
 さらに近藤駿介原子力委員長、久木田豊原子力安全委員長代理ら事情を詳しく知るキーパーソンにも、メンバー有志が参加するラウンドテーブル形式で長時間話を聞いた。調査の過程でヒアリングをした関係者は300人を超えている。なお、東京電力には勝俣恒久会長、清水正孝前社長ら経営陣トップや吉田昌郎前所長ら現場責任者へのインタビューを正式に申し入れたが、協力は得られなかった。そのため、元社長や元原子力担当副社長ら元経営幹部、非公式な社内関係者へのインタビューを通して可能な限りの情報を集めた。

【報告書の構成】
 報告書はモノクロ本文403ページ、カラー16ページの構成。表紙の写真は、福島中央テレビが撮影した3月12日午後、1号機の原子炉建屋が水素爆発を起こした瞬間を同社の特別協力を得て掲載した。
 財団・プロジェクトのウェブサイト(http://rebuildjpn.org)では、プロジェクト開始当時から原発事故に関する一般の情報提供を呼びかけた。それに応じた福島第一原発の現場作業員に直接会い、その証言をもとに、震災直後から翌日朝にかけて福島第一原発構内でいったい何が起きたのか、作業員の不安や焦燥を含め、状況を詳しく再現して、第一章に先立つプロローグとして掲載した。
 本文は4部構成となっており、事故の原因や被害の拡大をめぐる因果関係を「近因・中間因・遠因」のフレームワークで分析している。事故や被害の経緯を詳述する第1部、官邸や現地における事故への対応とその問題点を指摘する第2部、事故を起こした直接原因ではないが事故に大きな関係がある中間的な原因や遠因を歴史的・構造的に分析する第3部、原子力安全をめぐる国際的な環境や事故対応をめぐる日米関係を掘り下げた第4部となっている。
 調査・検証にあたったワーキング・グループメンバーに加えて、富岡町民で今も避難生活を余儀なくされている日本原子力産業協会参事の北村俊郎氏、医療系ITメディアm3.com編集長の橋本佳子氏にも寄稿を依頼した。両氏の「災害弱者」の実態についての調査結果を第2部の特別寄稿として掲載した。
 最終章では今回の事故の教訓を引き出し、危機管理の究極の目標は復元力であると指摘。「3・11」を「原子力防災の日」とすることを提案している。また巻末には、近藤駿介原子力委員長が菅首相など官邸中枢の依頼で、震災から2週間後の3月25日に作成した「最悪シナリオ」の全文を収録した。

【検証結果から】 (内容の一部を抜粋)

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概略

報告書該当部分
「並行連鎖原災」 多数の原子炉や使用済み燃料プールが、互いに接近し過密に配置されていたことによる危機の拡大 序章、P5
第5章、P89
最終章、P381
「防護服姿の作業員はみな、顔面蒼白だった」 地震当時、原発構内にいた作業員の生々しい証言。「この原発は終わった。東電は終わりだ」 プロローグ、P16
環境汚染、低線量被曝の問題点 事故による環境汚染(水や食物などを含む)や、低線量被曝をめぐる議論の混乱と研究の現状 第2章、P62
「最悪シナリオ」の公表 菅首相の意向を受け、細野首相補佐官(当時)が近藤原子力委員長に依頼し、3月25日に作成。その経緯を詳述する (巻末に資料全文を掲載) 第3章、P89
口絵カラーページ
官邸中枢のクライシスマネジメント 複合危機に際しての官邸内部の混乱。情報共有の遅滞と、その結果生じた疑心暗鬼のスパイラル 第3章、P94
情報は誰のものか 危機時の情報公開や、国民に対するリスク・コミュニケーションのあり方。政府に対する不信とは裏腹に市民が頼りにしたソーシャル・メディアの状況 第4章、P132
オフサイトセンターはなぜ機能しなかったのか 鳴り物入りでつくられながら、現地原子力災害対策本部はなぜ何の役にも立たなかったのか 第5章、P148
SPEEDI公表の遅れ 公表はなぜ遅れたのか。公表の遅れがなければSPEEDIは住民避難に役立ったのか 第5章、P171
生かされなかった航空機モニタリング 米エネルギー省は3月17日から19日にかけて無人航空機による空中モニタリングを実施した。日本にも備えはあったが、残念ながら生かされなかった 第5章、P182
住民避難 避難指示は適切に出されたのか。自治体はどのような対応を行ったか。また避難の実情はどのようなものだったか 第5章、P187、P205
特別寄稿、P211
史上初めて起きた病院のまるごと避難 避難に際して多くの犠牲を生んだ病院責任者による証言。一連のメディア報道の問題点をめぐる詳細な検証 第5章、
特別寄稿、P220
安全をダメにした「安全神話」 「原発は安全である」という漠然とした社会的了解の自縄自縛状態が、安全性の向上を妨げた 第3部、P246
アクシデント・マネジメントの 不備 万全の準備をしていたはずの原発安全対策のどこに、どんな盲点があったのか。技術的な視点から詳しく検証 第6章、P262
安全規制ガバナンス 今回の事故で露呈する結果になった長年にわたる多元的な原子力行政の2元推進体制と2元規制体制の問題点 第8章、P294
安全神話の歴史的背景 中央と地方の二つの「原子力ムラ」。安全神話を支えた利益共同体「ムラ」が誕生した背景と現実 第9章、P323
B.5.b ―海外からの警告 9・11同時多発テロを教訓に、米NRCは新たな規制条項を追加した。これは日本にどう伝えられたのか 第10章、P340
国際的な原子力規制 安全規制の優等生と言われた日本の電気事業者が国際社会からの安全性不備の指摘に真剣に向き合わなかった事実とその歴史的な経緯 第11章、P348
危機における日米同盟 日米の特別な関係を通じて行われた事故対応。省庁横断的アプローチの実現(whole of government approach) 第12章、P362
復元力(レジリエンス) 2007年の中越沖地震の柏崎刈羽原発の被災を教訓につくられた免震重要棟が今回の危機対応の中心になった。国と組織の復元力を目指すためには 最終章、P396


【参考@:関連委員会】(ウィキペディアによる)


【参考A:目次】



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