飯島(1993)による〔『環境社会学』(213-216p)から〕



T 学問領域としての環境社会学
 1 環境社会学の誕生

 環境社会学は、歴史の浅さが折にふれて指摘される社会学のなかでも成立してからの期間が短く、より新しい位置づけにある学問分野である。環境社会学という名称が組織的に使用されはじめたのは、1970年代末、まず、アメリカの社会学者の間においてであるが、日本における環境社会学的研究の着手は、実質的にはアメリカの場合よりもかなり早い時期になされている。しかも、日本における他の多くの社会学領域とは傾向を異にして、アメリカの環境社会学とはまったく独立した源流をもって形成されてきている。日本においては、環境社会学的研究は、社会問題の1つとしての公害問題に関する実証的な研究として発足しており、1950年代半ばに発表された島崎稔らによる鉱害問題の調査研究を嚆矢とする。ここでは、環境社会学という名称は使われていないが、企業活動による環境の変質が地域社会に与えた社会的影響を調査したものであり、実質的な環境社会学的研究である。
 名称という点からすれば、日本において環境社会学という名称が使用されたのは、ここに述べた1950年代の実証的研究よりもさらに早く、1940年代後半の敗戦直後の時期に、赤神良譲の『環境社会学』と題した書物が刊行されている。同著において赤神は、環境とは周囲の全影響を意味するものであると定義し、コント(A.Comte)の著作から引用して、環境を表10.1のように分類する。

表10.1 環境の分類

自然的環境
1.物理的環境
2.生物的環境 人意的環境
3.社会的環境
(出所) 赤神良譲 『環境社会学』 9ページ。

 ここでは、物理的環境や生物的環境を、社会的環境とともに環境社会学的研究の環境概念の構成要素であるとしている。この点を取り上げるならば、この著書を日本における環境社会学研究の端緒と位置づけることができるかもしれない。しかし、理由は不明であるが、この研究は、赤神自身によっても、また、他の研究者によっても、その後、引き継がれることも発展させられることもなかったようである。こうした経緯から判断すると、環境社会学という名称を日本において最初に使用した人物としては赤神の名前が出てくるにしても、日本における環境社会学的研究の実質的創始は、1950年代半ばに鉱害問題に関してなされた島崎稔らの実証的な研究をあげるほうが適切であろう。1950年代に着手されたのち、この分野に関する社会学的研究の進展は、他の科学と比べて緩慢である。自然科学分野の諸科学が、すそ野の広い研究を着々と進めていたのに対し、社会学における研究の進展は、近接した社会科学の法学や経済学の分野に比べてもゆっくりしたものであった。しかし、それでも、世界の国々の社会学分野における環境にかかわる研究の開始時期でみるならば、日本の社会学者による研究着手は、最も早いほうといえる。社会学による自然的環境を含めた環境を意識した研究は、世界的にみても、諸科学の間で後発だったのである。

 2 環境社会学とは
 では、こうして誕生した環境社会学とはどのような学問なのだろうか。
 アメリカで、環境社会学の成立に貢献したリレイ・ダンラップ(R.Dunlap)やアラン・シュナイバーグ(A.Schneiberg)によれば、「環境社会学とは社会と環境との相互関連を研究するもの」と定義されている。ここで環境とされているのは、物理的・生物的な環境を含めた概念であるが、それにしても、この定義は一般的でありすぎて、環境社会学が社会学とほとんど同義語といえるほどである。ダンラップらが、このように社会学と混同されるような定義を環境社会学について行ったのには理由がある。彼らにあっては、環境社会学は、従来の社会学に代わるものとして位置づけられているのである。ダンラップらは、環境社会学を提唱するにあたって、従来の社会学を人間特例主義パラダイムであったとして批判し、環境社会学は従来の人間中心主義を脱却した地平に立ち、人間も多くの生物種の1つにすぎないとの視点をもつ新しいエコロジカル・パラダイムに依拠する、と述べる。この観点から、環境社会学は社会学の一領域を構成するという位置に甘んずるのではなく、従来の時代遅れの矛盾した社会学理論に対し、唯一の理論枠組みに立脚して時代に適合する新たな社会学理論である、とする。
 しかし、その格調高い主張とは裏腹に、ダンラップらは、その後、環境社会学の新パラダイムを肉づけすることはしていない。環境社会学の方法論的検討も、また、理論枠組みを構築することも、とくにはなされなかった。そこで、再び問う必要がある。環境社会学とはどのような学問なのか。
 日本においては、環境社会学をパラダイム転換の視点から論じるというアメリカ風の議論はほとんどなされておらず、むしろ、より実質的な、理論枠組み構築の基礎となる実態把握を優先させ、地道な数多くの実証研究が蓄積されている。そうした研究を参照しつつ、序章で行った定義−「環境社会学は環境と環境問題に関する社会学的研究の総称」に肉づけを加えると、次のようになる。すなわち、環境社会学は、社会学的方法や視点、理論枠組みに基づいて、物理的・自然的・化学的環境と人間生活や社会との相互関連、とりわけそうした環境の変化が人間生活や人間社会に及ぼす影響や、逆に、人間社会の活動がそれらの環境に及ぼす影響やその反作用を研究する学問であり、すぐれて実践的な性格を有する学問領域である。

 3 環境問題の社会学と環境に関する社会学的研究
 今日、環境社会学には、大別して2つの流れがある。1つは深刻な健康障害も含む明確に社会問題であるような環境問題に関する社会学的アプローチに基づいた研究(sociology on environmental problems)であり、顕在的あるいは潜在的な加害−被害関係が問題の中核を構成していることで特徴づけられる分野である。日本における1950年代以降現在に至るまでの研究の非常に多くが、この流れに属する研究である。他の1つはなんらかの自然的・化学的・物理的環境(表10.1参照)とかかわりのある社会的現象に関する社会学的研究(sociology of environment)で、環境と人間の社会関係の学ともいうべきものであり、そこでは加害−被害関係は付随的現象である。アメリカにおける研究の多くは、このほうに属する。ちなみに、前項で言及した赤神の環境社会学は、日本における環境社会学のその後の大方の流れと異なって、ここに分類される。
 ヨーロッパにおける環境社会学的研究は、未だ、アメリカに比べて数的には多くないが、水準の高い研究は確実に出てきている。翻訳されているものはさらに少ないが、アラン・トゥレーヌ(A.Touraine)『反原子力運動の社会学』やニクラス・ルーマン(N.Luhmann)『エコロジーの社会理論』がある。上記の分類ではトゥレーヌは前者に、また、ルーマンは後者に近いとみることができよう。
 本章が取り上げる範囲は、研究業績の量からして日本の環境社会学研究が中心になるが、欧米の研究についても必要に応じて触れることにしたい。上記の2つに大別した分類に従うならば、結果として、環境問題の社会学に関する研究の流れを主要に紹介することになる。しかし、日本における研究にも、近年になって、<環境問題の社会学>の流れに必ずしも属さない<環境の社会学>研究も現れているし、大勢としては<環境の社会学>であるような外国の研究のなかにも、<環境問題の社会学>がないわけではない。』