『1 環境社会学の現場
フィールドワークの4条件
最初に確認しておかなければならないのは、環境社会学のフィールドワークという特別な方法があるわけではないということである。フィールドワークの醍醐味は、個別化された専門分野の垣根を越えて、社会や文化にまつわる全体性を対象化すること、つまり「対象を切片化することなくまるごと把握しようとする」態度こそが、フィールドワークのエッセンスである。現場に出かけた社会学のフィールドワーカーが、歴史学や生態学の手法やフレームを利用することは、珍しいことでもなんでもない。なぜならフィールドワークは、さまざまな学問分野を越境する「スーパーディシプリナリーな科学」でからである。
1920年代にフィールドワークという手法を確立したマリノフスキーは、フィールドワークを成功させるための4つの条件をあげている(Malinowski[1922]訳[1967]
68-94頁)。1つは現地での長期滞在である。わずか数日のスケジュール化された調査では、「お客様」として遇されるだけで、現場の深層にふれることはできない。第2は、現地の人々の話す言葉の習熟である。それはたんに言語学的なトレーニングというだけでなく、現地の人々が互いに暗黙のうちに了解して話す言説世界への参入でもある。第3の条件は、現地の人たちとの間の信頼関係の構築である。あなたが何を目的にここに来て、そこで得たものをどのように利用し、また地元に還元するのかについて、十分な理解と承認なしにフィールドワークは行えない。最後の条件は、地元の社会の成員として受け入れられるということである。そしてこれこそがフィールドワークという方法の真骨頂でもある。ひとたび現地の社会の成員として認められれば、寄合いへの参加からゴシップ・ネットワークへの参入など、調査の視界は一気に広がるだろう。
フィールドワークについては、後にくわしく論じるように、方法論・科学論上のさまざまな論点がある。どうやら、フィールドワークという調査法は、たんに調査地に出かけていって、そこで暮らしながら、環境について人々から何でも聞けばそれですむというものではなさそうである。だが、それはきわめて難解で高等な技術を要するものでもない。ある意味では、肩肘張らずに自然にできるものでもある。フィールドワークの創設者マリノフスキーは、この点についてもさらりと言っている。「(フィールドでの)生活ははじめのうちはものめずらしく、ときには不愉快なこともあり……、それがしばらくするうちに、環境との違和感のないまったく自然な毎日になっていく」(同、72頁)。
2つの現場
環境についてのフィールドといえば、たとえば開発による自然破壊の現場などが思い描かれる。ダムや道路の建設による森林伐採は、貴重な自然資源を破壊しエコシステムにもダメージを与えることで、後世に取返しのつかない負債を背負わせることになる。また企業の利潤追求至上主義の影で大量に発生した「公害」の被害者の生活は、社会の無理解と偏見・差別によって、二重三重に被害の上塗りがなされている。こうした現実と向きあい、被害者の思いを聞き取り、その思いを抑圧する社会システムを考察し、問題解決のための方策を探ることも環境社会学のフィールドワークの重要な役割である。
しかしながら、環境社会学のフィールドはこうした環境問題の現場だけではない。そのことを考えるには、環境社会学という学問分野の全体像を視野に入れる必要がある。日本の環境社会学のなかには、大まかにいって2つの方向性があることは、すでに多くの指摘がある。飯島や古川彰の用語法を借りるなら、それは「環境問題」への志向と「環境共存」への志向ということができる(飯島[1998]
2頁、古川[1999a] 55頁)。あるいは嘉田の言い方にならって、「環境問題」への志向を「狭義の環境社会学」的、「環境共存」への志向を「広義の環境社会学」的なものと二分してもよい(嘉田[1993]
145頁)。
前者は、いうまでもなく、産業化・近代化の過程で生態環境のみならず生活環境が劣悪化していく現象を、「環境問題」として捉えて、被害者の運動や加害の構造を解明していこうとする研究であり、今日の環境社会学的関心の中心的位置を占めている。1960年代から70年代にかけて誕生した公害研究・反公害運動研究や、新幹線や原子力発電所などの大規模な公共事業・開発プロジェクトに伴って発生する社会問題を対象とする研究は、こうした「環境問題」への志向をもつ優れた成果であった(色川[1983]、舩橋ほか[1985]、長谷川[1996]、飯島・舩橋[1999]など)。これに対して後者の関心は、「環境問題」とは一見関係なさそうにみえる、小コミュニティの生活世界へと向けられる。地域の人々が、周囲の自然と折合いをつけながら生計をたて余暇を楽しみ、日常生活を築く過程に環境の視点を導入するのである。たとえば上下水道の導入、共有林の衰退といった戦後の日本社会を覆う変化の波のなかで、地域社会が自前に育ててきた環境保全の知恵やしくみが変容したり再生したりする現象も、後者の環境社会学の重要なテーマになる。前者が、全体社会との係わりのなかで特化された環境問題にスポットをあてるのに対して、日常の生活世界のコンテキストに埋め込まれた環境への視点に、後者の関心は寄せられているといってよい(鳥越・嘉田[1984]、嘉田[1995]、鳥越[1997]、古川[1999b]など)。
社会のなかでクリア・カットされた、特定の問題を焦点化するイッシュー志向と、生活世界のなかに埋め込まれた諸要素を包括的に把握しようとするコンテキスト志向という2つの方向性に、環境社会学の研究は裾野を拡大しながら深化を続けている。フィールドワークという方法も、この2つの方向性のなかで、活用され創造されていった。これからそのそれぞれの方向性のなかで、フィールドワークがどのような像を結ぶのかについてみていくことにしたい。』
『文献(関係分のみ)
舩橋晴俊・長谷川公一・畠中宗一・勝田晴美[1985]、『新幹線公害−高速文明の社会問題』 有斐閣。
古川彰[1999a]、「環境問題の変化と環境社会学の研究課題」 舩橋晴俊・古川彰編『環境社会学入門−環境問題研究の理論と技法』 文化書房博文社、所収。
古川彰[1999b]、「環境の社会史研究の視点と方法−生活環境主義という方法」 舩橋晴俊・古川彰編『環境社会学入門』 文化書房博文社、所収
長谷川公一[1996]、『脱原子力社会の選択−新エネルギー革命の時代』 新曜社。
飯島伸子[1998]、「総論 環境問題の歴史と環境社会学」 舩橋晴俊・飯島伸子編『講座社会学 12 環境』 東京大学出版会、所収。
飯島伸子・舩橋晴俊編[1999]、『新潟水俣病問題−加害と被害の社会学』 東信堂。
色川大吉編[1983]、『水俣の啓示−不知火海総合調査団報告 上・下』 筑摩書房。
嘉田由紀子[1993]、「環境問題と生活文化」 飯島伸子編『環境社会学』 有斐閣、所収。
嘉田由紀子[1995]、『生活世界の環境学−琵琶湖からのメッセージ』 農山漁村文化協会。
Malinowski,B. [1922], Argonauts of the Western Pacific : An Account
of Native Enterprise and Adventure in the Archipelagoes of Melanesian
New Guinea, George Routledge & Soms. ([1967]、寺田和夫・増田義郎訳『西太平洋の遠洋航海者』 中央公論社)
鳥越皓之[1997]、『環境社会学の理論と実践−生活環境主義の立場から』 有斐閣。
鳥越皓之・嘉田由紀子編[1984]、『水と人の環境史−琵琶湖報告書』 御茶の水書房。』