関沢(2000)による〔『リスク学事典』(216-218p)から〕


リスク評価の科学的手法

1.リスク評価の目的
 社会的、また個人的に影響を及ぼす事柄について、ある選択や意思決定を行う際に伴うであろうマイナス要因とその実現可能性を、あらかじめ一定の論理性をもって予測・検討し、備えようとする科学とその手法がリスク評価といえる。
 ある場所に行くのに電車で行く場合と、車で行く場合のメリットとリスクの予測といった日常の判断や行動の選択は、特に理論的な検討を必要とせずほとんど無意識のうちに行っている。しかしある選択が、社会的に強制力をもったり(基準をつくり規制するなど)、または潜在的危険の可能性の負担をしいたり(原子力発電所の立地など)、環境条件を大きく変更する(渡り鳥飛来湿原をごみ埋立て地に使用するなど)場合においては、その是非はかなりの確かさを持つ根拠とルールにのっとって行われなければならない。
 リスクの予測という意味では国や企業は、バブル経済が破綻する可能性とその対策について的確な分析に基づいて判断する必要があったし、また判断する枠組みを持たなければならない。
 このようにリスクの的確な評価のための科学と方法は、さまざまな分野に関連して必要とされ、実際への応用においてその有用性と限界を検証し、改善され発展してきた。リスク評価の目的に応じたさまざまなリスク評価の手法について、@リスクのタイプ(健康一般、放射線、公衆福祉、生態系など;ただしシステム安全、経済・資源などについては他で記す)によるさまざまな評価手法の目的と適用の概要、Aそれらの沿革と問題点、今後の課題を紹介する。

2.リスク評価の考え方の基礎
 リスクの考え方の基礎は、公衆衛生、労働衛生、環境汚染の問題をきっかけとして発展してきた。16世紀にParacleusは毒物学における画期的な考え方、すなわち「あらゆる物質は毒であるが、正しい服用量を守れば毒と薬を識別できる」を発表した。以降、18世紀ロンドンの煙突掃除夫における陰嚢癌多発と煤への曝露の関連の観察、19世紀のロンドンのコレラ蔓延が公共水道ポンプの汚染によることの検証とその後の改善、1950年代に同じロンドンで大気汚染により4000人の死者を見たことに発し、大気汚染規制へと発展してきた(Kolluru et al., 1996)。
 食品安全の分野では国連食糧農業機構(FAO: Food and Agriculture Organization of the United Nations)と世界保健機構(WHO: World Health Organization)は共同して、食品添加物と汚染物質および残留農薬の安全性評価のための専門家会議(FAO/WHO Joint Expert Committee On Food Additives: JECFA, FAO/WHO Joint Meeting on Pesticide Residues: JMPR)を設置して、動物試験データにおける無影響量(No-Observed-Effect Level: NOEL)または無毒性量(No-Observed-Adverse-Effect Level: NOAEL)をもとに人の健康保護の目安を導くために種差と個体差への考慮から100倍の安全係数(Safety factor)を適用して、一日許容摂取量(Acceptable Daily Intake: ADI)を設定する手法を1960年代はじめに確立し、その原則の具体例への適用においてさまざまな経験を蓄積してきた(IPCS、1987;1990)。
 国際癌研究機関(International Agency for Research on Cancer: IARC)は化学物質などの要因による人の発癌リスクを評価する枠組みを作り、1972年以来さまざまな要因による発癌リスクを証拠の確かさの評価に基づき定性的に分類することを行ってきた。

3.リスク評価手法の発展と展開
 1980年代になり米国National Research Council(NRC)は、健康リスク評価についてリスク評価手法の考え方に大きな影響を与えた、@有害性判定(hazard identification)、A曝露評価(exposure assessment)、B用量−反応評価(dose-response analysis)、Cリスクの総合判定(risk characterization)というパラダイムを提示した(NRC、1983)。
 発癌リスクへの関心が高まってきたことを受けて、米国環境保護庁(US EPA: US Environmental Protection Agency)を中心に発癌リスクの定量的な評価のための数学的なあるいは統計的なモデルが開発され、動物試験データから人のリスクを予測する手法が発展してきた。1990年代前半までUS EPAは「遺伝毒性を持つ発癌物質について、いかに微量の曝露レベルでも影響は0(ゼロ)とはいえず閾値はない」との前提のもとに線形多段階モデル=Linearized Multistage Modelを多用してきた。米国では発癌リスクの指標としては、slope factorまたはQ(ある物質の単位量すなわち経口摂取の場合1mg/kg体重/dayあるいは吸入の場合1μg/m^3を生涯摂取または曝露した時の発癌確率の上限推定値:この定義からユニットリスクとも呼ばれる)を用いてきた。
 また、ADIにあたる概念をRfD(Reference dose:参照用量)と呼びリスクの判定の参考にしてきた。RfDを算出する過程で使う安全係数について、評価における不確実性に起因して人へのリスクを安全側に見積もるための係数であることから不確実性係数(uncertainty factor)と呼んできた。なお有害廃棄物埋立て地近傍の住民の健康保護を目標におく米国厚生省の専門機関』判定ATSDR(Agency for Toxic Substances and Disease Registry)は、RfDと似た目標値として最小リスクレベル(MRL: Minimum Risk Level)を指標にしている。
 しかし発癌リスク評価について1960年代に米国食品医薬品庁(FDA: Food and Drug Administration)が食品医薬品化粧品法に採用した「いかなる量であっても発癌物質を含む物質を食品に使用してはならない」というデラニー条項を実際に適用する上で、さまざまな問題が指摘されるにいたり、科学・技術の進展に伴いその後の本条項の見直しにつながっていった。
 すなわち動物発癌試験で高用量を投与した時に何らかの発癌影響が観察される例が多く見られたが、高濃度曝露データについては、生物学的なメカニズムを検討すると人の発癌リスクに外挿する上で適切性が問題となったこと、分析技術の進歩により食品中などにおけるごく微量の汚染物質の検出も可能になったこと、サッカリンの発癌リスクと糖分の摂取による肥満のリスクを比較し対策を検討するなどのリスク比較の必要性が認識されたことがある。
 FDAのリスク評価担当者は、1977年に「デミニムス(de minimis)理論」あるいは「無視しうる発癌リスクレベル」という考え方を提出し、発癌の生涯リスクが100万人に1人だけ増加するレベルは無視しうるリスクレベル(実質安全量: Virtually safe dose)と考えるべきであると主張した。カリフォルニア州では1980年代にプロポジション65という州の環境条例の中で、企業は発癌物質を排出してはならず生涯リスクで10万人に1人以下とは認められないレベルの発癌物質に市民を曝露させると考えられるときは報告しなければならないとした。1990年の連邦清浄大気法(Clean Air Act)改正では、「安全とはゼロリスクを意味するものでなくリスク評価に基づいて受容しうるレベルが検討されなければならない」とした。

4.リスク評価上の新たな問題
 1990年代に入りいわゆる環境ホルモン物質の問題がクローズアップされ、それまでの安全性評価では十分捕捉されていなかった毒性の種類、または用量−反応関係を示す可能性を持つ物質のリスク評価が問題になった。EPAとFDAが共管する1996年の食品質保護法(Food Quality Protection Act)では、環境ホルモン物質対策、デラニー条項の廃止、複合・多経路曝露対策、発達過程にある子供と成人の生理的な違いや食品摂取パターンの違いを考慮しデフォルト値に追加の不確実性係数の必要性を検討するなどを織りこみ、新しいリスク対応の方向を示した。』

5.曝露評価の改善
6.用量−反応評価などにおける新しい動向
7.人を対象とする研究手法
8.環境中の生物を対象とするリスク評価
9.今後の課題