盛岡(2000)による〔『リスク学事典』(3-6p)から〕


リスク学の領域と方法−リスクと賢くつきあう社会の知恵−
3. リスクの源泉の把握:リスク認知と評価にむけての類型化
 健康リスクの分析、評価において特に顕著になった考え方に、リスク分析の段階論がある。すなわち、危害の構造的把握(risk identification)に続いて、リスクアセスメント(risk assessment)なる科学的なリスクの見積もりおよび評価のプロセスを想定し、ついで、関係各主体間の情報交流や了解事項の積み重ねのリスクコミュニケーション(risk communication)をはかりながら、リスクの軽減、未然防止、回避・避難、補償などの対応策を構想、評価するリスクマネジメント(risk management)を展開するというものである。
 この点からは、まず、リスク同定のためにリスクの源泉とその発現の過程を整理しておくことが欠かせない。すなわち、問題のありかたとその認知の類型化の作業である。リスク概念が成熟するに従い、多種多様なリスクの特異性とともに、共通性を抽出しようとする試みがなされてきた。ここでは、リスクの源泉のカテゴリとしては、次の項目をまずあげる。これらの大部分は、日本リスク研究学会の「リスク分析の考え方とその手法(1993)」〔リスク学事典編集委員会(1993) リスク分析の考え方とその手法−結果:リスク学のアプローチのまとめ−、日本リスク研究学会誌、第5巻、第1号、pp.1-7.〕において分類されたものである。社会で注目され、従来より対応が試みられたリスクについては細分化されているので、従来のリスク対応を超えて総合的科学をめざして、リスク源を大きくくくる分類をのちに試みる。
 @自然災害のリスク
 A都市災害のリスク
 B労働災害のリスク
 C食品添加物と医薬品のリスク
 D環境リスク
 Eバイオハザードや感染症リスク
 F化学物質のリスク
 G放射線のリスク
 H廃棄物リスク
 I高度技術リスク
 Jグローバルリスク
 K社会経済活動に伴うリスク
 L投資リスクと保険

 リスクの源は多様化し、人びとの経済的福祉の向上にともなって新しいリスクが関心を呼ぶ一方で、意識上の周縁と中心の間を繰り返して移動するリスク事象もある。もとより、これらは、リスクの源、発現の際の要因の相互関係などで差異があるので、一括できない面もあるが、リスク評価の共通的な方法論を開発するに欠かせない相対評価や比較評価の基礎を幅広く提供するものである。それぞれの源泉のリスクの特徴的な事柄を強調すると、次のとおりである。
[1]自然災害のリスク
 気候、風土、人間居住などの条件により、異なった災いとしてあらわれる。風水害と火山・地震災害が二大事象とされてきた。純粋に自然のメカニズムによって引き起こされる災害に限定せず、「望ましくない事態」をできるだけ回避するための行動選択や事前対応を合理的にはかるマネジメントとしてとらえる。同時に伝統的には、「素因と誘因」や「危険事象と危険事情」といった要因を区別している。
[2]都市災害のリスク
 都市災害ではその様相が都市に固有の特性をもつことが少なくない。火災や爆発、輸送機関の事故など多様である。複雑化する都市社会にあって、都市基盤施設の機能破壊による災害の拡大がその中心的項目であり、災害波及のシナリオ・ライティングこそが対策を的確に構想することのカギをにぎっている。この波及の過程では財産や経済活動の損失以外に突発的でまれな人命損失もあり、緊急救援システムが構築されている。
[3]労働災害のリスク
 労働災害のリスクに関しては、産業現場としてリスクが集中しやすいので、市民生活で曝されるリスクよりも先行して注目され、対応が試みられることが多い。基礎資料として度数率や死傷者率、労働損失日数などで業種別に比較がなされている。国内年間約2500人の死者は、10のマイナス3乗〜5乗の分布を業種ごとにもっているリスクの総和に対応している。近年の産業社会の変化は、労働そのものもそれにより曝されるリスクの質、量ともに大きく変化させていて、他の領域のリスク対応との連携が必要とされる。
[4]食品添加物と医薬品のリスク
 食品添加物と医薬品のリスクは健康障害や薬の副作用と呼ばれるが、食品や医薬品の摂取それ自体は避けられないとする見方から、可能な限り減少させようとしてきた。近年、非可逆的作用である発癌リスクへの関心が高まっている。アフラトキシンやタバコ煙中のジメチルニトロソアミンなどが注目されたが、化学物質の数が多いので一つ一つの寄与が目立つものはごく少数である。危険度評価の方法として、生涯投与で発癌頻度を例えば100万の1だけあげる実質安全量を算出し、ヒト摂取量と比較することがなされる。食生活や医薬品の安全・安心を求める市民の声は大きく、リスクコミュニケーションの必要性が最初に表面化した分野であり、情報公開や説明責任の面からも対応が試みられている。
[5]環境リスク
 曝露される環境中でのリスクが形づくられる過程やそのポテンシャルの特性が注目される。大気、水、土壌、生物などの媒体ごとに管理水準が設定されることがある。曝露状況の記述をシナリオ・ライティング(曝露シナリオ)により描くことがカギであり、その侵入と運命を予測する作業(環境運命予測)が課題として登場している。すなわち、曝露アセスメントの多様性が特徴である。みずから好んで曝露されたのではない典型的な非自発的リスクであるだけに、また集団リスクとして市民に印象的であり、おそれに敏感なために、VSD(実質安全量)の水準でも発生源対策がとられやすい。さらに、近年、環境資源の持続可能性や生物資源としての種の多様性に注目するエコロジカル・リスクのアプローチが生まれている。
[6]バイオハザードや感染症リスク
 人間の健康や環境に都合の悪い生物種の増加がバイオハザードと感染症のリスクの源泉である。通常の感染症での死亡率も健康リスクの絶対値としては大きい。その上で、エイズの発症や遺伝子操作の悪影響が注目されている。組換えDNAの導入の安全性評価に応じて物理的もしくは生物学的な封じこめをとることがまずは重要な領域とされた。病原微生物と薬剤は終わりのない競争をくり返している。エイズの病原体であるヒト免疫不全ウイルスをはじめとするウイルスの感染は、社会医療システムを構想して人間の行動を誘導することで未然に防止できる側面が大きい。高度技術の産業化がバイオ・サイエンスを導入して急速に進んでいるので、いわゆる技術評価(テクノロジー・アセスメント)とリスクアセスメントを応用したマネジメントが必要となっている。
[7]化学物質のリスク
 化学物質のリスクにおいては、天然と合成物質、意図的と非意図的生成物が区別され、分析、評価がなされる。リスク制御の面からは、生産方法、生産用途、化学物質の構造による違いでリスクが分類されている。微量の有害性の高いものを規制の対象にするアプローチと市場化する産業システムでの一定水準以上のリスクを対象とするアプローチの間にはそれぞれの特徴に違いがある。また、定常的放出のみならず事故時の対策、製造から消費までを通したアセスメントや各事業所の入庫、在庫、出庫の物質管理(PRTR)も取り組まれている。水銀、PCBからダイオキシン、環境ホルモンにいたる汚染実態から論点をひろげてゆく一方で、化学物質の市場前(上市前)審査やデータベース(MPD)も整えられている。
[8]放射線のリスク
 放射線による健康リスクは健康リスクの科学の出発点となっている。誘発癌の発生確率は、広島・長崎の原爆被爆者のデータを用いて推定されている。他方、遺伝的影響は統計的に有意ではあるが、実験動物のデータと閾値なしの考えから、人間への外挿で推定されている。放射線利用の便益が認められる分野では、受容レベルの目安として作業者で10^(-3)、一般公衆で10^(-4)の年あたりの発生確率の下限が示されている。医療行為を通した曝露、ラドンなどの自然放射線起因のもの、原子力発電所等の労働や周辺の生活上の曝露、原子力関連施設の事故等に起因するもの、そして核の冬のようなカタストロフィックなリスクまで多様なリスク対策の原点がここにある。
[9]廃棄物リスク
 廃棄物によるリスクでは、それ自身のもたらす本源的効果、廃棄物処理によってもたらされる効果、さらに物質循環上の効果を区別する。実用的には廃棄物の汚染潜在力から分類して処分法を3つに区別している。ながく政策の基礎にあった適正処理の概念は国内では達成度があがって意味が変容しており、近年は環境低負荷型社会あるいは循環経済にむけた政策と有害物質のリスク対策を志向している。すなわち、大量生産・大量消費と大量廃棄の物質的効果がリスクを顕在化することになるので、むしろ社会経済システムとしての循環形成政策によりリスク削減をはかる動きが強まっている。
[10]高度技術リスク
 高度な技術の開発と産業化によってリスクが生起し、拡大する。従来の人為的なリスクにも技術的要因は深く関係している。しかし、ここで言う高度技術の場合には遺伝子工学などの生命倫理を損なうおそれのある高度技術や核融合や宇宙開発などの巨大技術の開発と産業化によってもたらされる可能性のあるリスクを取り上げている。認知の面からはなじみがなく、知識がないだけに、まれな深刻な被害のみが注目されやすく、マネジメントへの合意形成にも困難が生じやすい。
[11]グローバルリスク
 人間活動が地球的規模に拡大することによって環境負荷や災害の影響が地球の裏のすみずみに広がっている様子をグローバルリスクと言う。その特徴は、不確実性が強まり、長期複合の効果をサブシステムの積み上げでもっては予測しがたい点にある。地球温暖化などの現象のみならず、気候変動等による生活基盤の喪失がもたらす居住地移動や難民化などを含む。未来の状態に関する知識が不十分で、望ましくない結果を今から評価する場合でもその前提が一致しないために、大胆なマクロ経済政策とともに文化や倫理の意味解釈の側面によるところが大きい。この点では、多文化社会として対話を通じた相互理解の促進と地球政策の意思決定プロセスへの信頼を創りだすことがカギとなっている。
[12]社会経済活動に伴うリスク
 不確実性や予見不可能性に根ざす不利益や犠牲として、家計・個人分野、企業分野、国家分野、および全地球分野で論じられている。このうち、家計では生活機能からの分類がわかりやすく、企業分野では生産・営業、財務、管理、人的、情報、海外活動という企業経営の部門ごとにマネジメントがなされている。社会の底流として、高齢化、貧困、犯罪、教育、環境・資源などでリスクが拡大している。このなかには海外投資のカントリー・リスク、経済変動による企業の大規模倒産なども含まれるが、金銭的もしくは市場起因の経済リスクについてはすでに経営学や経済学で多くの学術的ストックがある。
[13]投資リスクと保険
 企業等の投資にともなって、金銭的、経済的リスクが生じる。また、経済主体のリスク対応として保険が形づくられる。主体が制御不能な状態の生起に対し、安全な知識をもたないことによってリスク的状況が生じるが、リスク回避者が変動所得を避けるために特別に支払ってもよいとするリスク・プレミアムが保険の源泉となる。市場の売買で非対称情報が存在する場合には、良質の人が市場から退出する逆選抜が生じやすく、また保険が行動に逆効果を与えるモラル・ハザードも生みやすい。』