中西(1998)による〔『現代科学技術と地球環境学』(122-125p)から〕
『 4.3 リスク論の範囲
リスク論ではどのような範囲を想定して評価をしようとしているのか、そこから述べよう。ここでいうリスク論とは、筆者が考えているリスク論を指すのであって、一般的なリスク論をさしているのではない(中西、1994;中西、1995)。わが国ではリスク論の研究は非常に少ないし、あったとしても、アメリカで開発された手法を日本に応用しているだけの研究が多い。アメリカでは、リスク論は発達していて、広く使われているが、筆者の目指すものとは大いに違う。アメリカのリスク論は基本的に、「わが身大切」という趣が強くて、現世代でのリスクを上手に管理することには向いているが、次世代におよぶ環境影響を視野に入れることは難しい。強いていえば、筆者がここで述べようとするリスク論は、スウェーデン環境研究所が提案した環境勘定の考え方(Steen
and Ryding, 1992)と近い。
環境への影響は大きく人の健康への影響と生物・生態系への影響とに分けられるから、人の健康リスクと生態リスクの評価ができればいいと考える方もおられると思うが、リスク管理を行うためには、それだけでは不十分である。筆者が、リスク論という枠組みの中で考慮しようと考えている要素は、現在と将来での、(1)経済的な損失、(2)人の健康への影響、(3)生態系への影響、(4)原料、エネルギー資源などの物質的な資源の消費、(5)ベネフィットの10項目である(表4.1)。項目が多ければ多いほど全体を説明できるが、使い勝手が悪くなり、現実に使えなくなってしまうので、これ以上項目を増やすことは事実上できない。これらの項目への影響度を測りながら、それらの最適化を目指そうというわけである。それができるということは、逆にいえば、これら10項目を単一の尺度で評価できることを前提にしている。つまり、最後は一元評価が可能であるようなかたちで、この10項目は選択されている。
表4.1 環境影響評価の際に考慮すべき項目 |
時制 |
環境影響 |
資源の消費 |
ベネフィット |
経済的な損失 |
人の健康への影響 |
生態系への影響 |
現在 |
P1 |
P2 |
P3 |
P4 |
P5 |
未来 |
F1 |
F2 |
F3 |
F4 |
F5 |
5番目にあるベネフィット(benefit)という概念について、ここで少し説明しておく。日本語では、便益というが、ベネフィットとは、生活の快適さ、収益、費用が安いこと、健康であること、環境がいいことなど、人間にとっていいと評価できるすべてのことを意味する。表4.1を見ながらこの説明を読むと、「しかし、経済的な損失や、健康であることなどは別の項目で評価されているではないか」という疑問をいだかれるに違いない。それについて、すでにP1とF1、P2とF2、P3とF3で評価されたものを除くという注を加えなくてはならない。では、なぜ最初から健康影響は除くといわないかといえば、健康影響の一部をP2の項目に、残りをP5に入れることがあることを明確にしておきたいからである。その理由を詳しく説明するとかえって難しくなるから、ここではそういうものかというような理解をしておいていただきたい。
最終的には一元評価も可能なように、表4.1の10項目を、以下の3項目に集約する。(1)現在の時点での人の健康リスク(人の健康リスク、HR)、(2)将来の生態系への影響(生態リスク、ER)、(3)コスト(C)の3項目である。集約の様子は表4.2に示すが、例えば、経済的な損失、資源の消費、ベネフィットは現在も将来も含めてコストで評価する。コストは必ずしも現在の市場価値に基づく評価だけではなく、将来の資源の枯渇を見据えた政策的な評価に基づくこともある。
表4.2 環境影響評価の際考慮すべき項目と集約化 |
時制 |
環境影響 |
資源の消費 |
ベネフィット |
経済的な損失 |
人の健康への影響 |
生態系への影響 |
現在 |
P1→C |
P2→HR |
P3→ER |
P4→C |
P5→C |
未来 |
F1→C |
F2→HR |
F3→ER |
F4→C |
F5→C |
ここでは、現世代の健康影響も次世代以後の健康影響も、現世代の人の健康影響として評価する。一方、生態系への影響は、現在の環境影響も将来に予想される環境影響も、遠い将来にどういうかたちの自然になるかという視点で評価する(これが、筆者のいう生態リスクである)。ここが、筆者のリスク論のポイントの一つである。つまり、人の環境影響は、すべてを現世代にひきつけて評価し、生態系への影響はすべて将来にひきつけて評価する。なぜ、そのようにするのかと、疑問をもたれる方もあるだろう。これについては、4.7節でやや詳しく説明する。
環境問題をうまく解決する方法(解決といっても環境影響をゼロにするという意味ではなく、できるだけ小さくするという意味ではあるが)は、複数の環境影響の間のトレードオフの関係を調整すること、それらを経済的に(費用と資源の節約を考えて)行うことである。つまり、ここで挙げた3項目を用いて表現すれば、健康リスクと生態リスクとの調和、それらとコストとの関係の調整である。』