筏(1998)による〔『環境ホルモン』(18-39,142-148p)から〕


第1章 いま、何が起こっているのか?

1.1 環境ホルモンに対するアピール

 環境ホルモンは、公式には「内分泌攪乱物質(ないぶんぴかくらんぶっしつ)」という。米国のホワイトハウス科学委員会が1997年に主催したワークショップは、この「内分泌攪乱物質」をつぎのように定義した。
 生体内ホルモンの合成、分泌、体内輸送、結合、作用あるいは分解に介入することによって生体の恒常性(ホメオスタシス)の維持、生殖、発達あるいは行動に影響をあたえる外来物質
 つまり、私たちの内分泌系を乱し、私たちの子孫にまで悪影響をおよぼす外界からの有害物質、というわけである。内分泌系とは、ひと口でいえば、われわれの生殖、発達、成長、行動などに中心的な役割を果たしているホルモンの活動の場である。
 内分泌系を乱す化学物質の存在することは、これまでにも散発的には指摘されていた。しかし、環境ホルモン問題を世界にアピールしたのは、何といっても、米国の生物学研究者のT・コルボーンと生態学研究者のJ・P・マイヤーズとジャーナリストのD・ダマノスキの三人によって執筆された『Our Stolen Future』(図1-1:略)の1996年における刊行である。
 それとならんで環境ホルモンについて警鐘を鳴らしつづけたのは、英国の国営放送BBCである。このBBCの科学番組をプロデュースしてきたD・キャドバリーも、1997年に『the feminization of nature』(図1-2:略)と題した本を出版している。
 ヒトと野生生物の棲息する地球で、いま、何が起こっているのかを知るためには、この二冊を読むのがもっとも手っとり早い。忙しい読者のために、まずはこの二冊を少しアレンジして紹介しよう。そこには耳なれない専門用語もでてくるが、それらは次章以降で説明するので、気にしないで先に進んでほしい。

1.2 コルボーンらの警告
 『Our Stolen Future』は『奪われし未来』という題で邦訳され、1997年に翔詠社から出版された。原著は316ページであるが、邦訳書も約400ページの分厚い大作である。この要約の一部はつぎの通りである。

野生生物の異常
 『奪われし未来』の中でもっともショッキングなのは、つぎからつぎへくり広げられる野生生物の信じられない異常生態である。それらを箇条書きにして以下に列挙する。

 ザッとこんな具合である。これらの異常は、酸欠、ウィルス、近親勾配、などの自然現象によるものではないという。環境に人間がくわえた化学物質がその大きな原因らしい。

精子の減少
 これらの異常現象はヒトに関しても報告されている。その一例はヒトの精子の数の減少と異常な精子の増加である。
 『奪われし未来』においては、まず、コペンハーゲン大学のスカッケベック教授らの1992年における調査結果が紹介されている。それによると、精子の数の減少のみでなく、多くの男性に停留精巣や尿管萎縮も認められる。ヒトの精子の平均数は1940年には精液1ミリリットルあたり1億1300万個であったのが、1990年にはわずか6600万個にまで落ちこんだ。45パーセントの減少である。精液量は25パーセントの減少であった。
 スコットランドでの精子調査結果も紹介されている。それによると、1940年生まれの男性の精子の数は精液1ミリリットルあたり平均1億2800万個であったのが、1969年生まれでは7500万個にまで減少した。
 ベルギーにおける調査は、1990年から93年にかけての360人のデータと1977年から80年にかけてのデータを比較している。それによると、正常な形態をした精子の割合は40パーセントから28パーセントに減少している。また、まともに泳いだり動ける精子の割合は53パーセントから33パーセントに減少した。
 一方、フランスチームの研究結果も紹介されている。フランスチームは、コペンハーゲン大学による調査結果を信用できなかったため、独自の調査をおこなった。そえによると、1945年生まれの男性の30歳のときの精子数は精液1ミリリットルあたり平均1億200万個であり、1962年生まれの男性の30歳のときの精子数は平均5100万個であった。この調子でいくと、2005年に30歳になる1975年生まれの男性の精子数は精液1ミリリットルあたり約3200万個になるという。これは、1925年生まれの男性の精子数の4分の1である。
 以上のように、各国とも精子の数が減少しているが、これは、ここ半世紀のあいだに激変した性行動や喫煙・飲酒の習慣によるものではないという。もしも、そのような後天的な原因によるものならば、若年層でみられた著しい精子減少が高年齢層でもみられるはずである。原因は胎児のときの発育環境によるものだろうとコルボーンらは推測している。

ごく微量のPCBやダイオキシンが原因
 前述の野生生物の生殖異常とヒトの精子の減少は、すでに地球全域を汚染してしまった有機塩素系化合物のPCB(ポリ塩化ビフェニル)やダイオキシンによるものではないかとコルボーンらは疑っている。有機塩素系化合物とは、炭素と水素からなる有機化合物の化学構造の中に塩素がはいりこんだものである。彼女らがあげた状況証拠のいくつかを紹介しよう。

 コルボーンらはこれら以外にも多くの観察結果を紹介している。たとえば、PCBは甲状腺ホルモンにも悪影響をおよぼすという。彼女らは、結論としてダイオキシンやPCBが危険なのは発ガン性のためだけでなく、子どもの生育と、生殖にも有害なためだと強調している。

PCBとダイオキシン以外の化学物質
 PCBとダイオキシンに関してコルボーンらは多くのページをさいているが、その他の化学物質に関する記述は意外に少ない。その中でも比較的くわしく説明しているのは、ジエチルスチルベストロール(DES)という合成ホルモン剤である。これは流産防止に約500万人の女性が服用し、さらに「事後に飲む経口避妊薬」としても利用された。その最盛期には妊婦必携の妙薬として絶賛された。
 ところが、その後の研究により、生まれてきた女の子にも男の子にも生殖器の奇形が認められた。また、膣ガンや子宮ガンを誘発することもわかった。おどろいたことに、別の調査によると、DESは、避妊は別として、流産予防に何の効力もないどころか、流産、早産、新生児死亡などに拍車をかけていたそうである。
 クローバーなどの植物がもつホルモンについても紹介されている。この天然物質は、それを食べた動物に対して避妊薬としてはたらき、その動物に子孫を残さないようにしてしまう。
 これら以外にとり上げられている合成化学物質は、ビスフェノールAとp-ノニルフェノールという一般にはなじみのなかった物質である。
 ビスフェノールAは、スタンフォード大学でポリカーボネート製のフラスコを用いてイースト菌を培養しているときに偶然見つかった。フラスコから溶出したビスフェノールAがイースト菌の異常増殖をひき起こしたのである。
 このイースト菌の増殖に影響するビスフェノールAの濃度は2〜5ppb、つまり、5億分の1〜2億分の1であったが、当時、ポリカーボネートを合成していたジェネラル・エレクトリック(GE)社は、その溶出液中のビスフェノールAの濃度を10ppb(1億分の1)までしか測定できなかった。
 ビスフェノールAがイースト菌を異常に増殖させたのは、それがホルモン作用(エストロゲン様作用)をもっていたからであるが、その効力は天然エストロゲンの2000分の1であった。缶詰の内側のプラスチック・コーティングからビスフェノールAが検出されたという研究も紹介されている。
 今後、本書でごく低い濃度をあらわす略号がでてくるので、それを図1-3にまとめて示しておく。ppbとpptは、10億分の1と1兆分の1の濃度であるが、通常の濃度にでてくるグラムやリットルのような質量や体積の単位がふくまれていない。これは「グラム/グラム」という具合にグラムがうち消されてしまっているからである。あまりにも少ない量であるため、それが質量とか体積であるということが重要ではなくなるのである。
t (トリリオン)
b (ビリオン)
m (ミリオン)
k (キロ)

1兆
10億
100万
1000

(1012
(109
(106
(103
m (ミリ)
μ (マイクロ)
n (ナノ)
p (ピコ)
f (フェムト)

1000分の1
100万分の1
10億分の1
1兆分の1
1000兆分の1

(10-3
(10-6
(10-9
(10-12
(10-15
ppm (parts per million)
ppb (parts per billion)
ppt (parts per trillion)

100万分の1の濃度
10億分の1の濃度
1兆分の1の濃度
 

図1-3 数字の大きさをあらわす略号と極低濃度を示す単位

 p-ノニルフェノールが細胞培養に影響することが見つかったのも偶然からである。ボストンのタフト大学においてポリスチレン製試験管を用いて乳ガン細胞を培養していたとき、ポリスチレンにふくまれていたp-ノニルフェノールが溶出して細胞の異常増殖をひき起こしたのである。研究者らは、エストロゲンを分泌する卵巣をメスのラットから摘出しておいてから、そのラットにポリスチレン溶出液を注射したところ、子宮内膜が増殖することを認めた。そうなると、内膜増殖はp-ノニルフェノールによることになるが、この内膜増殖は、その後、子宮がその周囲組織と強く癒着する子宮内膜症をひき起こし、不妊症の一つの原因となる。
 ところで、こえまでにしばしばでてきた「エストロゲン」という物質は、女性ホルモンの総称である。これについては第2章以降でくわしく説明するが、環境ホルモンといわれる化学物質の大部分は、このエストロゲンに似た作用を示すため、ヒトの体、とくに生殖系に多大な影響をおよぼすことが危惧されている。ここでは、この点だけを心に留めておいてほしい。
 一方、アルキルフェノール・ポリエトキシレートとよばれる洗剤の魚への影響に関する英国の調査結果も紹介されている。この洗剤は、水中のバクテリアの作用で分解してp-ノニルフェノールなどを生成し、それが水棲生物に有害な影響をおよぼす。そのため、すでに1980年代に、ヨーロッパの一部で家庭用洗剤としての使用が禁止されている。しかし、工業用洗剤としてはまだ用いられているそうである。

コルボーンらの主張
 コルボーンらが『奪われし未来』を執筆した最大の動機は、おそらく、医薬、農薬、工業製品などの特殊な物質のみでなく、私たちが日常的に用いている家庭用品にまで環境ホルモンのふくまれている可能性が高い、ということを広く世の中に知らせることであったろう。彼女らはつぎのように述べている。
 「乳がん、前立腺がん、不妊症、学習障害。現代社会にすでに蔓延しているこうした病理傾向やパターンの解明にとりくむさいには、ぜひとも以下の点は肝に銘じておくべきだ。合成化学物質の中には、ごくごく微量であっても、人体に生涯にわたって甚大な影響を及ぼすものがあるという事実はいまなお、科学研究によって次々と立証されている。人類を脅かしている危険は何も、死や疾病だけに限らないのである。ホルモン作用や発達過程を攪乱する合成化学物質は、いまや人類の未来を変えつつある。とすれば、合成化学物質こそ、われわれ人類の運命を握る鍵といえるだろう」(『奪われし未来』より)
 本書の読者は、合成化学物質が危ないというが、本当に確たる証拠はあるのか、因果関係ははっきりと証明されているのか、どれが危険でどれが安全か、などといろいろな疑問をもっているであろう。そのような疑念に対してコルボーンらはつぎのように答えている。
 「こうして、正当な判断を下すには、ぜひとも確かな『証拠』が必要だといいはる向きには、『永遠の待ちぼうけ』があてがわれることになる。現実の世界では、ヒトも野生生物も数十種類の汚染物質に暴露している。こうした化学物質は、協調作用や拮抗作用を複雑に繰り返しており、暴露量よりも暴露する時期のほうが重要になる場合もある。複雑きわまる現実にあっては、厳密な因果関係をとらえるなど望むべくもないのだ」
 「現在、人類が直面している状況には、万全の処方箋や手ごろな解決策があるとは思えない。現代文明は、化石燃料と合成化学物質に全面的に依存している。某化学産業の見積もりによれば、塩素系合成化学物質とそれを含む生産物とで、世界のGNPの45パーセントを賄っているという。この窮地に陥るのに50年の歳月を要したとすると、ここから脱するには、それと同じかそれ以上の年月がかかるだろう」(ともに『奪われし未来』より)
 今後は、コルボーンらがいうように、本当に「人類は未来へ向けて猛スピードで飛んでいるが、それは無視界飛行にすぎない」ということなのだろうか。

1.3 キャドバリーの報告
『奪われし未来』との違い
 もう一冊のD・キャドバリーの執筆による全303ページの『the feminization of nature』も邦訳され、『メス化する自然』という書名で集英社から出版された。著者のキャドバリーも、コルボーンと同じく女性である。ちなみに、DDTなどの有機塩素系農薬を使用禁止にまで追いこんだ『Silent spring』(1962年、邦訳『沈黙の春』、1964年、新潮社)を著したレイチェル・カーソンも女性であり、コルボーンは第二のカーソンとよばれている。
 『メス化する自然』の内容の大わくは、『奪われし未来』とほとんど変わらない。副題にある「環境ホルモン汚染の恐怖」が、ドキュメンタリータッチで臨場感を盛り上げながら描かれている。科学ジャーナリストだけあって多くの研究者とのインタビューをまじえながら、ヒトと野生生物に対する環境ホルモンの影響に関する研究の現状が解説されている。とくに、研究者の苦労話や裏話がふんだんに盛りこまれているため、まるでSFのようにひきこまれてしまう。
 キャドバリーは、環境ホルモンとしてリストアップされている化学物質が内分泌系を乱すのではないかと疑われるようになった発端を、エピソードを織りこみながら紹介している。
 たとえば、DDTが人体のホルモン系に悪影響をおよぼすかもしれないと米国のマクラクラン教授がすでに1979年に警告したが、ほとんど誰も耳を貸さなかったとか、ダイオキシンの毒性の手がかりは、すでに1930〜40年に、船乗りに頻発した皮膚病の一種クロルアクネ(塩素ざ瘡)の発症によって得られていたと指摘している。ヒトの母乳中にDDTがふくまれていることが最初に報告されたのは1951年だそうである。
 わが国ではあまり使用されていないフタル酸ベンジルブチルやフタル酸ジブチルという、プラスチックを柔軟にする可塑剤の調査のいきさつも述べられている。
 英国の下水処理施設からの放流水にふくまれている物質が魚の性を変化させたという結果を、英国の農水産養魚研究所が『ネイチャー』誌に発表しようとしたところ、英国の環境局がそれを機密扱い≠ノしていたために断念せざるを得なかったという裏話も紹介されている。
 環境ホルモンの合成の歴史も紹介されている。DDTはドイツにおいて1874年に合成され、PCBはもっと以前の18世紀に発明されたそうである。
 興味あるのは、1930年代に合成ホルモン第1号であるDESを発見した英国のドッズの話である。かれは、この発見によって英国学士院院長にまで登りつめた。おどろいたことに、かれはアルキルフェノールやビフェニルのような合成物質の研究もすでにおこない、それらが動物の発情性物質であるらしいことを『ネイチャー』誌に発表している。

環境ホルモンへの欧米政府と業界の対応
 環境ホルモンが生殖や発育に有害だという報告に対する政府や工業界の反応も、キャドバリーはくわしく拾いあげている。
 英国やドイツなどのヨーロッパ政府は、すでに環境毒物学および化学物質の毒物学に関する欧州センターを通じて、全ヨーロッパ規模の研究を開始している。米国でも、環境保護局が環境ホルモン問題を最優先調査事項の一つに位置づけた。米国科学アカデミーも、ホルモン作用のデータを評価するための専門家委員会を招集した。
 一方、つぎのような話も紹介されている。1993年に米国の連邦議会がコルボーンらの第一線研究者から話を聞くために説明会を開いたところ、そこへの議員の出席はまばらで、話を熱心に聞くでなく、一つの質問もでなかったそうである。
 工業界の対応に関しては、たとえば、欧州化学工業委員会が、「製品の安全性にかかわるあらゆる問題について、消費者と同じく深い関心を持ち、その重要性を認識している。各企業は当委員会を通じてヨーロッパやアメリカの科学界や取り締まり当局と連携している。われわれの目的は、化学物質が人間や野生生物のホルモン作用に影響を及ぼし、生殖能力を阻害しているかどうかを見きわめることである」と表明した。
 米国でも、化学製造者協会をはじめとする業者団体が、DDTと乳ガンとの関連など、数多くの調査研究に資金を提供している。精液の質の変化を評価するための専門家委員会も招集され、「委員会のメンバーである専門家による、精液の質に関する既存の研究の誤りを発見し、それを正す」研究も進められているそうでる。

環境ホルモン問題に関する研究者の考え
 環境ホルモン問題にとりくんでいる研究者はこの問題をどのように考えているのだろうか。『メス化する自然』の中でよく名前のでてくるのは、英国のシャープ博士とサンプター教授である。参考までにこの二人の話を紹介しよう。
 「化学物質がそんなに体に悪いなら、禁止してしまえばいいじゃないか、それで問題解決だ、というのが大方の人々の反応だろう。そんなに簡単な話なら、どんなにいいだろう。だが、俎上に載せられている化学物質は、日常生活とは切り離せない多くの製品に使用されているため、それらを一切合切取り除くとなると、それはまさに革命を起こすに等しい」(シャープ博士)
 「たとえば、フタル酸化合物を使用禁止にするとしましょう。家財道具はまず半分はなくなります。家具類、ポリ塩化ビニルのプラスチック、たとえば皿洗い機や冷蔵庫、冷凍庫などはどれも、大量のプラスチックを使っています。化粧品の大部分、食品容器やラップにも、フタル酸化合物が使われています。そういうことを、本当にやろうと思いますか?」(サンプター教授)
 「プラスチック容器からフタル酸化合物が溶け出る恐れがあるから、プラスチック容器入りの牛乳をやめて、ガラスびん入りの牛乳にしたとしても、今度はびんを洗うのに使われる洗浄剤にエストロゲン様化学物質が含まれているかもしれません。同じように、ビスフェノールAが溶け出る可能性から、缶詰野菜ではなく生野菜を食べるとしても、それにはエストロゲン様作用を持つ農薬や除草剤が含まれているかもしれません。エストロゲン様作用のある化学物質はじつに多種多様で、さまざまな用途に使われているため、暴露量を減らすためのアドバイスをしろといわれても、現在のところ、絶対に不可能とはいえないまでも、きわめて困難なのです」(サンプター教授。いずれも『メス化する自然』より)

1.4 わが国の現状
 コルボーンは、野生生物の生態異常の原因を突きとめるために2000編以上の原著論文を読むとともに、多くの研究者と討議し、異常の原因は外来物質による内分泌攪乱であるという結論に到達した。その比類なき忍耐力と洞察力には頭が下がる。それにくらべると、日本は遅れている。しかし、野生生物の異常も、観測例は多くないが、報告されている。
 東京都の多摩川で、異常に小さい精巣をもつコイが、1997年に見つかったが、海域においてもオスの魚のメス化が報告された。場所は東京近海で、魚は海底に生息するマコガレイ類である。巻貝の一種のイボニシのインポセックス(メスが成長するにつれてオスの生殖器ができる現象)は、すでに1990年代の初頭の調査によって日本全国のいたるところで発生していることが明らかにされている。
 日本人の健康な若者の精子も正常ではないという報告が帝京大学から発表された。調査は、1996年4月から1998年1月にかけて20〜26歳の青年34人の精液に対しておこなわれた。
 調査人数はあまりにも少ないが、その結果によると、平均値は、精液量が2.5ミリリットル(2ミリリットル以上)、精子の数が1ミリリットルあたり4170万個(2000万個以上)、正常形態率が49パーセント(30パーセント以上)、生存率が78パーセント(75パーセント以上)であり、世界保健機関(WHO)の基準値(カッコ内の数値)を上回っていた。しかし、運動率は27パーセントであり、基準値の50パーセントを大きく下回っていた。すべての検査値が基準値を上回って「正常」と判定されたのは34人中1人だけであった。
 環境庁が、ドイツから1本100円のポリカーボネート容器を輸入して溶出試験をおこなった、と新聞は報道した。最初は、試験に使った8本のうちの1本だけにビスフェノールAが検出されたが、洗浄を50回、100回とくり返すうちに8本すべてからビスフェノールAが検出され、最大溶出濃度は0.18ppmであったそうである。
 以上に紹介したのは、環境ホルモンが生態系におよぼす影響のごく一部と思われる。それにしても、いろいろと奇妙な現象がアメリカやヨーロッパのみならずわが国でも続発するものである。いったい環境ホルモンとは何物であろうか。なぜ、このようなとんでもないできごとが環境ホルモンによってひき起こされるのであろうか。
 本書は、これらの疑問をともに考え、環境ホルモン問題の解決法を探るために、生体に対する環境ホルモンの作用という点からアプローチする。まず最初に、環境ホルモンがなぜ内分泌系を攪乱できるのかという理由について考え、つぎになぜそうなったのかという原因を推理する。最後に、環境ホルモンの現状を見渡してから、環境ホルモン汚染を防止する方法を提言する。
 といっても、環境ホルモンに関しては、測定データがまだまだ不足しているため、大胆な憶測を織りまぜないと話が進まない。憶測といっても、可能な限り科学的なデータにもとづいた推測であるが、決定的な証拠がないことに変わりはない。そこのところは読者に判別がつくように、表現には注意をはらったつもりである。』

環境ホルモン一覧
有機塩素系化合物(塩素をふくむ有機化合物や農薬)
物質名 用途 わが国での使用状況
★=使用されている
内分泌攪乱作用
●=確定またはほぼ確定
▲=疑い濃厚
△=疑われる
ポリ塩化ジベンゾ-p-ダイオキシン(PCDD)(ダイオキシン類) 廃棄物の焼却過程、化学物質の合成過程で発生

ポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)(ダイオキシン類) 廃棄物の焼却過程、化学物質の合成過程で発生

PCB(ポリ塩化ビフェニル) 電気絶縁体、熱媒体、溶媒など

1972年生産中止・1974年使用禁止

●※1
コプラナーPCB PCBに微量ふくまれている
PBB(ポリ臭化ビフェニル、PCBの塩素が臭素に置き換わったもの) 難燃剤
オクタクロロスチレン 有機塩素化合物の合成過程における副生成物
2,4-ジクロロフェノール 染料中間原料
DDT 有機塩素系殺虫剤

1971年から不使用・1981年使用禁止

DDE (DDTの代謝物)
DDD (DDTの代謝物)
HCH(BHC) 有機塩素系殺虫剤

1971年使用禁止

1,2-ジブロモ-3-プロパン 有機塩素系殺虫剤、土壌燻蒸剤

1980年から不使用

アルドリン 有機塩素系殺虫剤

1971年から不使用・1981年使用禁止

エンドスルファン(ベンゾエピン) 有機塩素系殺虫剤
エンドリン 有機塩素系殺虫剤

1981年使用禁止

キーポン(クロルデコン) 有機塩素系殺虫剤

使用歴なし

クロルデン 有機塩素系殺虫剤

1968年から不使用・1986年使用禁止

オキシクロルデン (クロルデンの代謝物)
ジコホル(ケルセン) 有機塩素系殺ダニ剤
ディルドリン 有機塩素系殺虫剤

1973年から不使用・1981年使用禁止

トキサフェン 有機塩素系殺虫剤

使用歴なし

トランスノナクロル 有機塩素系殺虫剤

1986年使用禁止

ヘキサクロロベンゼン 有機塩素系殺菌剤、有機合成原料

1979年使用禁止

ヘプタクロル 有機塩素系殺虫剤

1975年から不使用・1986年使用禁止

ヘプタクロルエポキサイド (ヘプタクロルの代謝物)
ペンタクロロフェノール 有機塩素系殺菌剤、除草剤、防腐剤

1990年から不使用

マイレックス 有機塩素系殺虫剤

使用歴なし

メトキシクロル 有機塩素系殺虫剤

1960年から不使用

2,4-D(2,4-ジクロロフェノキシ酢酸) ベトナムの枯葉剤(オレンジ剤)の成分
2,4,5-T(2,4,5-トリクロロフェノキシ酢酸) ベトナムの枯葉剤(オレンジ剤)の成分
アトラジン 除草剤
アミトロール 除草剤、分散染料、樹脂の硬化剤

1975年から不使用

アラクロール 除草剤
トリフルラリン 除草剤
※1 PCBの毒性は、現在、微量にふくまれているコプラナーPCBによるものといわれている。
※ [使用禁止]=法的に禁止。
  [不使用]=農薬を使うには「登録」が必要だが、この「登録」の有効期限が切れたままになっていること。つまり、「登録」が失効し、事実上使われていない状態。

非塩素系農薬(塩素をふくまない農薬)
物質名 用途 わが国での使用状況 内分泌攪乱作用
アルディカーブ カーバメイト系殺虫剤 使用歴なし(輸入オレンジに残留)
カルバリル カーバメイト系殺虫剤

ベノミル カーバメイト系殺虫剤 ★(輸入バナナ、輸入マンゴーに残留)
メソミル カーバメイト系殺虫剤 ★(小松菜、レタス、白菜に残留)
ジネブ ジチオカーバマイト系殺菌剤 ★(トマト、きゅうり、絹さやに残留)
ジラム ジチオカーバマイト系殺菌剤

マンゼブ ジチオカーバマイト系殺菌剤

マンネブ ジチオカーバマイト系殺菌剤

メチラム ジチオカーバマイト系殺菌剤 1975年から不使用
エスフェンバレレート ピレスロイド系殺虫剤

シペルメトリン ピレスロイド系殺虫剤

フェンバレレート ピレスロイド系殺虫剤 ★(輸入ブロッコリーに残留)
ペルメトリン ピレスロイド系殺虫剤 ★(ペットのノミ取り首輪)
合成ピレスロイド ピレスロイド系殺虫剤

エチルパラチオン 有機リン系殺虫剤 1972年から不使用
マラチオン(マラソン) 有機リン系殺虫剤 ★(輸入小麦、輸入米に残留)
シマジン トリアジン系除草剤

メトリブジン トリアジン系除草剤

ニトロフェン ジフェニルエーテル系除草剤 1982年から不使用
ビンクロゾリン 殺菌剤 1998年から不使用(輸入キウイに残留)

天然および合成エストロゲン
物質名 用途 わが国での使用状況 内分泌攪乱作用
植物エストロゲン

●※2
DES(ジエチルスチルベストロール) 流産防止薬、避妊薬、前立腺ガン治療薬 1971年使用禁止(前立腺ガン治療薬としては使用中)
エチニールエストラジオール 低用量避妊薬 認可待ち(1998年現在)

有機スズ
物質名 用途 わが国での使用状況 内分泌攪乱作用
トリブチルスズ(TBT) 船底塗料、漁網の防汚剤 1997年生産中止 ●※2
トリブチルスズオキシド 船底塗料、漁網の防汚剤 1989年使用禁止 ●※2
トリフェニルスズ(TPT) 船底塗料、漁網の防汚剤 1997年生産中止 ●※2
※2 内分泌攪乱作用は認められるが、ヒトにとって有害であるかどうかはわからない。

非塩素系有機化合物(塩素をふくまない有機化合物)
物質名 用途 わが国での使用状況 内分泌攪乱作用
p-ノニルフェノール 界面活性剤の原料、分解生成物 ●※2
p-オクチルフェノール 界面活性剤の原料、分解生成物 ●※2
ビスフェノールA ポリカーボネート樹脂、エポキシ樹脂の原料 ●※2
フタル酸ジ〈2-エチルヘキシル〉(DEHP) プラスチックの可塑剤 ●※2
フタル酸ブチルベンジル(BBP) プラスチックの可塑剤 ●※2
フタル酸ジ〈n-ブチル〉(DBP) プラスチックの可塑剤 ●※2
フタル酸ジエチル プラスチックの可塑剤 ●※2
フタル酸ジペンチル(DPP) プラスチックの可塑剤 生産歴なし ●※2
フタル酸ジヘキシル(DHP) プラスチックの可塑剤 生産歴なし ●※2
フタル酸ジプロピル(DPRP) プラスチックの可塑剤 生産歴なし ●※2
アジピン酸ジ〈2-エチルヘキシル〉 プラスチックの可塑剤
フタル酸ジシクロヘキシル 防湿セロファン用可塑剤、アクリルラッカー用可塑剤 ●※2
BHT(ブチルヒドロキシトルエン) 酸化防止剤
スチレンダイマー・スチレントリマー カップ麺などのポリスチレン樹脂にふくまれる
バンゾ〔a〕ピレン タバコや排気ガスから発生 ●※3
ベンゾフェノン 医薬品合成原料、紫外線吸収剤
n-ブチルベンゼン 液晶製造用、合成中間体
p-ニトロトルエン 染料中間原料
※2 内分泌攪乱作用は認められるが、ヒトにとって有害であるかどうかはわからない。
※3 内分泌攪乱作用とは別に重大な毒性がある。

重金属
物質名 用途 わが国での使用状況 内分泌攪乱作用
カドミウム △※3
△※3
水銀 △※3
※3 内分泌攪乱作用とは別に重大な毒性がある。



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