河村(1988)による〔『環境科学T自然環境系』(1-3p)から〕


(1)環境
 環境という用語は、日常生活においても、また学問の世界でも広く使われているが、その概念は時と場合によってかなり相違がある。“環境”に相当するフランス語のmilieuの語源は、medium+lieuで「なか」と「ところ」を意味し、空間的に取り囲まれた中央と周囲の関係を表している。英語のenvironment、ドイツ語のUmweltはいずれも取り巻くものを意味し、人々がその中に生活する外界の状態を示している。このように、環境は中心となる人間や生物、あるいは時によっては物とそれを取り巻く周囲の状態とのかかわりの問題である。
 環境という用語についてこのような概念が定着したのは19世紀に入ってからのことであるが、人間が周囲の環境の影響を受けているという暗黙の認識は古くからあった。古代ギリシャの医学の祖といわれるヒポクラテスは紀元前4世紀に、病気の発生に及ぼす空気や水、場所の影響を詳しく論じ、気候の差異とそこに住む人の性格の比較をした。日本では古くから風土という用語が使われ、8世紀には風土記が編纂されている。これは今日の地誌のはしりであるが、伝説なども含まれていて、今日使われる自然環境に人文的要素がとけこんだ複合的な性格をもっている。
 現在の環境の概念が学問的に確立される上で重要な意義をもつのは、自然地理学の開祖といわれるドイツの博物学者アレクサンダー・フォン・フンボルトのアンデス山地や中南米各地の植物生態の調査である。彼は熱帯雨林から高山草地に至る植生分布が高度や山地の気候条件によって変わることだけでなく、高山の低い気圧に対する人間の気候順応をも明らかにした。また彼の後継者として知られるフリードリッヒ・ラッツェルは19世紀後半に、自然条件が人間に及ぼす影響を論じただけでなく、人間活動によってつくり出された社会環境を含めた地理的環境の影響を論じた環境論の先駆者ということができる。このように環境は人間を中心におく場合が多いが、19世紀の哲学者コントは、milieuをすべての有機体の生存に必要な外部条件の全体と定義しているし、進化論者として有名なラマルクは生物とmilieuとの関係を論じる生態学のはしりともいえる研究を行い、環境と生物との相互依存性を明らかにした。このように、環境という概念は、中心に何をおくかによって、さまざまな環境が考えられることは注意すべき点である。
 したがって、オーエンがいっているように、広義の環境は動物や植物、そしてウイルスのような生物と関連するもののほとんどすべてを含み、また他の生物および生物間に存在する自然界の無生物部分をも包含している。換言すれば、環境は“私”とそれを取り巻くすべてのものから成っていて、私以外のすべてのものが環境であるという定義(Fenner)も成り立つ。
 地球上の生物が生活している空間を生物圏とよぶ。生物圏は地球の表層とそれを取り巻く大気や海洋に限られるが、自然の中では生物は単独では生活できず、他のさまざまな生物の個体や種とさまざまな関係によって結ばれている。また、生物は周囲の環境とも熱や光などのエネルギーや水をはじめとする化学物質などによって密接に結ばれていて、環境によってすべての生活活動が規制されているだけでなく、逆に周囲の環境に対しても影響を及ぼしている。このように自然界では、生物とそれを取り巻く環境は、地域的にはある程度機能的にまとまったシステムを構成している。このシステムをイギリスの生態学者タンズリー(Tansley、1935)は生態系(ecosystem)と名づけた。このようなシステムは人間と周囲の環境についても成り立ち、人間生態系ということができる。とくに人間は他の生物と異なり、固有の社会活動や文化の創造を営み、人間環境をつくり出している。
 このようにして、人間あるいは生物とこれを取り巻く環境との間には、相互に影響を及ぼし、また影響を及ぼされる相互作用があるだけでなく、環境はその構成要素が相互に連関したシステム−環境系−をつくっていることは注意すべきことである。一例をあげると、熱帯林の伐採は、その場所の植生や住民の生活に変化を及ぼすだけでなく、ときに土壌侵食や砂漠化の一因となったり、気候変化の誘因となったりする。環境の構成要素に対するインパクトは、連鎖反応的に他の構成要素にも影響が及ぶことが多い。
 しかし20世紀における学術・技術・社会の進歩発展の経過の中で、現在一般に広く慣用されている用例では、環境という用語をより狭い意味に限定する場合が多い。とくに環境を自然環境に限定したり、ときには自然状態と同義と考えるような用い方をすることさえもある。いうまでもなく、自然状態は人間の存在には無関係に現れる客観的な状態で、もちろん自然科学の対象とはなりうるが、自然環境となると、同一の自然状態でも人間なり生物なり、中心となる主体によって評価された自然状態である点が異なる。人間を中心とした環境は、人間の文化活動を通じて醸し出された地域的・人間的性格が自然と組み合わさってその地域住民の環境を構成するようになるので、文化的・社会的要素を大別して、自然環境に対して文化環境、または社会環境、人文環境などとよぶ。
 さらに環境の考察を細かく分析的に行う場合には、自然環境を人間生活に密接な交渉をもつ主要構成要素である地形、地質、土壌、気候、水、植生、動物などに分け、文化環境を民族、経済、社会構造、言語、宗教などに分けて考察することが多い。またこれとは別に、地域住民の生活に大きな影響を与えるものに地理的位置あるいは地域的なまとまり(地域性)があるので、自然環境と文化環境を統合して地域環境として扱う場合もある。都市環境なども類似した範疇に入る。』