『 まえがき
「地球温暖化」により、いったい日本はどんな影響を受けるのか。本書はこの問題について、これまでなされた研究を、この時点で評価して集大成したものである。
温暖化の影響がどれほどのものであるかの推定には、多くの困難がある。予測シナリオをどう設定するか、影響伝播の道筋とモデルの構築が可能か、影響を受ける単位(exposure
unit)のデータが存在するか、影響の経済的評価方法をどうするかなどである。いくつかの問題が残されているものの、代表的な影響評価の方法論は確立されつつあり、世界でも多くの研究がすでに各地域でなされて、報告されている。
温暖化への対応は、全人類に相当の努力を強いるものである。それ故、本当にどれほど重大な影響があるのかを知ることは、今後の政策決定に大きな意味をもつ。大気中の温室効果ガス濃度をどのレベルに、どのような速さで、どうのような道筋を通って安定化に導かねばならないかを決定するのは、まさに自然や人間社会がどれほどの影響を、どのレベルでどの速さの温暖化で受けるかによって決まる。
この影響の評価は当然のことであるが、客観的・科学的に遂行された研究の集積からくるものでなくてはならない。そして、既存の多くの研究を集約し、政策決定の材料を提供する、「科学の状況評価」自体も科学的なプロセスを経てなされねばならない。
1995年「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」報告は、その安定化のありさまを決めるのは政策の場であるとして、科学側からはそれに向けての材料の提供を行うに止めている。本書もまさにその精神で作成されており、本書の内容をどれほど深刻に受け止めるか否かは、ひとえに政策の問題である。本書はいわば、政策決定者と科学者の共同作業のための材料なのである。
本書の編纂には、いくつかの目的が重ねられている。第一に、気候変動枠組条約(FCCC)に基づいて日本が提出する国別報告書の「日本への影響」の部分のもととなる。また、2000年完成をめどに1997年より開始される予定のIPCC第三次評価報告書作成作業へのインプットともなる。気候変動に対する日本の脆弱性を、世界の政策決定のプロセスと研究進捗状況評価の場へ伝えるのである。第二に、気候変動への対応の必要性を、国民が身近な視点から考えるための情報となる。第三に、環境研究者に対して、影響評価の進展状況を示し、次の研究課題の模索にヒントを与える。第四に、本書の作成作業を通じて、気候変動影響に関連する多分野の研究者間のネットワークを形成することである。
今回と同様な作業は、1991年にも行われている。地球温暖化問題検討委員会のもとに「影響評価分科会」がもうけられ、その時点での日本への気候変動影響評価研究が「The
Potential Impacts of Climate Change in Japan」(国立環境研究所地球環境研究センター出版、1993)に編纂された。これを通じて、多くの日本の研究が世界に紹介され、またこれをベースにして『地球温暖化の我が国への影響−地球環境の行方』(中央法規、1994)が出版された。
その後、地球環境研究への研究予算が拡大したこともあって、1990年代に入って日本の多くの学会で気候変動影響の研究が活発化し、本書が編纂された1996年前期までに、より広い範囲で新たな研究蓄積がみられている。その結果、本書の内容は前回よりより広範かつ深い研究内容を含み、それらがよりシステマティックな作業によって集約されている。評価の結果はおおむね前回のものを裏打ちするものである。
気候変動の影響評価においていつも問題となるのは、分野別影響評価とその前提となるべき地域気候予測シナリオの関係である。今回集約された研究の多くは、二酸化炭素濃度倍増時(約560〜700ppm)に想定される気候条件のもとでの温度や降水量変化をあたえ、そこでの影響を評価している。また、1992年の時点で開発されていたいくつかの大気海洋大循環モデルの結果を、地域気候シナリオに落として前提とした評価もある。ここで、本書の第1章で示される「予測される日本の気候変化」は、そのあとの章に集約された研究が前提として使用されたものでは決してないことに注意していただきたい。第1章は、1995年時点での大循環モデルなどに基づく、日本の気候変動推定である。これは、あとに続く章に取り上げた分野別影響研究が、果たして妥当な気候条件を前提としているかのチェックに使われるものであり、また今後の研究が前提として使えるシナリオを提示するものと解釈していただきたい。
分野別影響評価を行う立場からは、より高解像度の気候条件シナリオがほしいが、気候モデルによる分析の立場からは、計算機資源の不足と、データ不足やメカニズム不明のままに高解像度計算をすることに、躊躇している状況にある。
また、日本への影響を「日本の国土」への影響に限っていいものか、の疑問もだされた。日本はオリジナルカロリー換算では食糧の70%を外国に依存しており、輸入される食糧のために使用される面積は、国内の食糧生産用地の2〜3倍にものぼるとされる。世界的な気候変動影響を通じて、日本がどのような影響を受けるのかも重要な日本への間接影響である。水産資源や森林資源についても、同様な考え方が必要である。この方面の研究はまだ進展が少ないため、本書ではほとんど取り上げられていない。
最後に作業の体制について述べておく。環境庁は、1988年より有識者による「地球温暖化問題検討委員会」を設けており、1995年12月本書作業のために「地球温暖化影響評価ワーキンググループ」を設置した。ワーキンググループは、主要な7分野(気候・自然生態・農林水産業・水文水資源/水環境・社会基盤・健康・脆弱性評価)の専門家により構成され、それぞれの分野でそれぞれさらに数人の専門家を組織した結果、総勢31人のチームとなった。メンバーのそれぞれは、担当範囲で学会や地方自治体の研究成果を集約した。チームは1996年7月に専門家ワークショップを開催して分野間調整を行い、1996年11月に本書原案をまとめた。この原案は、検討委員会委員を含む約30名の専門家による査読を受け、1997年3月に本書の原稿が完成した。この間の事務的支援は、環境庁地球環境部研究調査室、国立環境研究所地球環境研究センター、(財)地球・人間環境フォーラムが行った。さらに、本作業結果を地球環境研究に生かすために、古今書院による上梓に至ったのである。
対象分野も学問分野も広く異なる研究者がまとまって仕事をする機会は、決して多くない。しかし、地球環境研究で求められているのは、まさにこうした異分野の横のつながりである。今回の作業は、温暖化影響評価のもとに、さまざまな分野の研究者が集まって真摯な意見の交換ができ、誠に楽しい作業であった。作業に参加された方々のご苦労に心から感謝する次第である。』