『3 進化の基本単位
生物分類の単位−種とは何か
自然界の生物には、互いに同じような体形をもつさまざまな群がある。太古から人びとはこのことに気づいており、その群を種(species)と呼んだ。つまり、種の概念は自然発生的に人びとに認識されていたのである。18世紀のなか頃、スウェーデンの博物学者リンネ(1707〜1778)はこの生物群の基準単位を“種”と定め、種よりも大きい群である属(genus)名と組み合わせて、種名をラテン語で表す二名法を考案した。たとえばアカマツはPinus(属)densiflora(種)、またイネはOriza
sativaと表記する。これは莫大な数の生物種を簡単に表示するすぐれた命名法として、今日まで受けつがれている。
ところが当時、リンネも含めた一般の学者たちは、旧約聖書の創世記にある「神は生きものをその種類ごとに創造した」という言葉を固く信じていた。つまり、生物界の種は神がつくったものと理解されていたのである。したがって、種は完全に固定したもので、繁殖してもその特徴的な形態は変わらず、恒久的に独立した生物群であるとされた。こうした観念のもとでの分類学は、いわば神の偉大さの証明学であり、神の努力の目録づくりであった。
このような生物形態の不変性が信じられていたなかでも、19世紀に入ると、一つの種の集団にはさまざまな変異が存在することが認識されるようになった。しかしその現象は、「不変な平均値を中心にしてゆれ動く、可逆的な変化に過ぎない」との説明で片づけられていた。「種は不連続な存在である」とする考え方は分類学の実際的研究の基礎をなしており、この原則は今も受けつがれているといってよい。つまり、後に輩出するフランスのラマルクやイギリスのダーウィンらによる進化論に従って、「種は生物界が時間とともに変化していくなかでの一つの相を示すにすぎず、したがって生物の形態は連続的なものである」としたのでは、分類作業そのものの意義が薄らいでしまうからである。
種の形成と突然変異
ところでこのラマルクの進化論は、神による種の創造説が社会の通念となっているなかで、分類学に大きなショックを与えた。それだけに、同僚をはじめとする周囲からの非難も相当に強かったといわれる。ラマルクはこう述べている。「私は長い間、自然界には永久不変の種があると考えていた。今はそれが誤りであり、そして自然界には単に個体だけが存在することがはっきりとわかった」[K.M.ザヴァツキー著、『種の研究』、高橋 清・松岡広雄訳、たたら書房(1975)]。
19世紀後半に活躍したチャールズ・ダーウィン(祖父のエラスムス・ダーウィンも有名な進化論者であった)は、著書『種の起源』のなかで「種内にはさまざまな個体差があり、その差が自然淘汰において意味をもつ」と強調している。そして「種は間断なく変化し、発展する」と結論づけている。一方、メンデルの遺伝法則を再発見したオランダのド・フリース(1848〜1935)は、「種の形成は自然淘汰によるものではなく、“突然に起こる大変化”である」とする突然変異説を唱え、ダーウィンの自然淘汰説に反論した。彼は野草のオオマツヨイグサ(Coenothera
lamarkiana)の種子を集め、12年間にわたって年ごとに数千株を栽培し、各世代における形質の変化を記録した。その実験の結果、新しい形質をもち、かつその形質が子孫に遺伝するような“変わり種”が少数現れることを発見し、それぞれに種名をつけた。彼の説によれば、「新しい種は突然現れる」。しかしこのような突然変異説は、20世紀後半に発達した現代遺伝学によって否定された。すなわち突然変異は、ド・フリースのいうような巨大な形態変化ではなく、微小な変化であることがわかったのである。今日、一般に理解されているのは、これらの微小な変化が自然淘汰(natural
selection、自然選択とも邦訳される)の積み重ねにより徐々に品種のような小さな差異から亜種のような大きな差異へと発展し、はじめて種のレベルに到達する、という見解である。ド・フリースが得た結果は、現代遺伝学がいう“突然変異”によるものではなく、おもに染色体数の変化に起因したものらしい。いずれにしても、彼の説は正しくはなかったのだが、「突然に遺伝的変異が起こる」という根本思想は今日なお発展し続けている。
種を分類する基準
生物の種類を目で見分けることは、太古からごく自然になされてきた。その識別基準は当然のことながらその生物の姿、すなわち外部形態であった。リンネが用いた種の基準も外部形態に基づいたものである。生物学ではこれをとくに形態種(あるいはリンネ種)と呼び他の基準と区別している。19世紀末になると、ジョルダンが、リンネが一つの種として分類したヨーロッパヒメナズナ(Erophia
verna)を栽培してその形態を詳しく調べあげ、200以上の種類に分けられることを見いだした。そこで彼は、それらの一つ一つが真の独立した種であるべきだと主張した(これはジョルダン種と呼ばれる)。このような変種は、自然界では遺伝子の突然変異によっても生ずるし、また遺伝子の組合せ、すなわち交雑の結果としても生みだされる。つまり自然界では変種は絶えず生まれているのであり、「種はよく似た個体の集まり」であるとはいえ、「まったく同一の形態の集まり」ではないことを認識しておく必要がある。
第二の種の分類基準として今日広く用いられているものに、「相互に交雑が可能であり、生殖的に他と区別できる個体の集まり」とする遺伝的な(交配親和の)基準がある。しかし現実には、いちいち交雑を実証することが不可能な場合が多い。また微生物界などでは大腸菌のK-12株のような特例を除いて、一般には性差そのものが存在しない。したがって、この基準も全生物界には適用できず、生物分類の絶対的基準とはならない。
第三の分類基準としては“生態種”がある。これは「生態的生育条件に基づいた地理的分布を異にする個体群」と定義されている[スウェーデンのツレッツソン(1922年)がキク科植物を生態的に分類したことに始まる。コムギやトウモロコシがよい例である。今日的見解によると、形態種そのものに生態種の要素が含まれるとする。なお、生態種内での交雑は自由に行われるが、近縁の生態種との交雑はごく限られている。]。生物は、無機的あるいは生物的条件を異にする地域に進出して長い間生活していると、そこの自然条件に適応して、もととはかなり違った形態や性質をもつ集団へと変わっていくものである。
種を分類するには、そのほか個体の致死温度や代謝の差異に基づく生化学的基準、細胞レベルの特徴からみた細胞学的基準などを導入した総合的な観点から検討するのが実際である。
ところでもう一つ、種の分類基準となる重要な考え方がある。元来生物の形質には、生存する環境に応じて順応し生理的に変化するものと、遺伝的に(ある世代に)固定しているものとがある。もちろん種の基準化には前者を除いて考えることが必要である。後者の遺伝的な基準を詳しく論ずるならば、究極的にはDNAの塩基配列の違いにまでさかのぼるべきかもしれない。とくに細菌類は外部形態の特徴に乏しく、交配性とはいっても性そのものをもたない。また生態的分布もまったく不明の状態のなかで、その分類に研究者はなお苦渋している。そこで、DNAの塩基配列に基づく分類法[確立された種分類基準はまだない。ただ塩基配列の類似度から系統と相同性を決定することは可能である。]が、一部では実際に利用されている。しかしこれにも問題がないわけではない。そもそも生物のDNAの全塩基配列を決定することは事実上不可能であるし、全配列のうちでどの領域を比較基準とするのかも判然としてはいない。また、たとえその領域が規定されたとしても、DNA配列のみを根拠に、ある個体群を他から明確に区別することは不可能である。というのは、DNA上では突然変異が絶え間なく蓄積されていて、おそらくDNA配列は生物界全体を通して連続的に変化していると思われるからである。そうなると種間に明確な断層を見いだすことは難しいだろう。
さてここで、今日広く用いられている生物分類の階層について述べておこう。まず種より下位に向かうと亜種、変種、品種へと順に進み、上位に向かうと属、科、目、綱、門、界へと階級は大きくなっていく。つまり、より上位の階級間ほど系統的により遠縁にあたることになる(図1.1:略)。実際にはもっと細かく分けられており、界によってはこれとは異なる階級が用いられている。ただし、一つの生物群をどの部門に分類するかは研究者によって考えが異なる場合がある。たとえばラン(藍)藻類は、『岩波生物学辞典(第3版)』では植物界に入っているが、欧米ではシアノバクテリア(cyanobacteria、ラン色細菌との邦訳もある)として一般細菌類と同じ原核生物に分類するのがふつうである。また生物種によっては、ミドリムシのように動物分類表にも植物分類表にも顔をだしているものもある。さらに注意を要するのは、地球上の全生物をいくつの、またどのような界に分けるかが研究者によって大きく異なり、定式化されていないことである[この問題についてはまた後に詳論することにする(12章参照)]。かつては、すべての生物を動物界と植物界に両断していた(二界説)が、今日では五界説までさまざまな分類法が提唱されている。本書では、最も広く採用されていると思われるホイッタカーの五界説(図1.2:略)に基づいて議論を進めていくことにする。』