金子(1993)による〔『新恐竜伝説』(57-68p)から〕
『●夢の「恐竜完全カタログ」
恐竜学の世界の奥深さを知り、自分のまだ知らない属名や種名が山のようにある、ということに気づいたとき、誰もが必ず一度は夢見るのが、恐竜の完全リストがどこかにないだろうか、ということである。
これまでに世に知られたすべての恐竜を、属名も種名も合わせて全部知りたい、そんなリストがあるものならぜひ入手したいと思うのは、まあマニアの本能のようなものだが、これがじつは意外と難しい。ある特定の時点(1988年)までに発表されたすべての公式な記載論文についてまとめたリスト、といったものなら「A
Bibliography of Dinosauria」という本がアメリカで市販されているのだが、これはあくまでも記載論文およびその他の情報がいつ、何に発表されたかというリストであり、これ自体が恐竜そのもののリストというわけではない。貝や昆虫のように、標本を集めるコレクターや研究者が大勢いる分野なら、その種のリストはそれこそ各国、各州や県ごとにあるのだが、恐竜の場合、なかなかそういうことに手を染める奇特なご仁はこれまでいなかったのである。
だが、さすがにそこは恐竜研究の最先進国にして、カタログ文化の長い伝統を誇るアメリカである。ついに、1991年、長らく待ち望まれていた、夢の「恐竜完全カタログ」がアメリカで刊行された。「Mesozoic
Meanderings #2」『中生代そぞろ歩き 第二版』と題されたこのカタログは、体裁こそコンピューターのプリントアウトをルーズリーフで綴じただけの簡単なものだが、1991年までに公式、非公式に発表された、ワニを除く祖竜上目、すなわち槽歯目、翼竜および恐竜のすべての名前を、そのつづり間違いまで含めて完璧に網羅した、労作などという生やさしい言葉で表現できるものではない前代未聞の刊行物である。これぞまさに恐竜研究史上の一大エポック・メーカー、奇跡の書、と呼んでもいいだろう。
著者のジョージ・オルシェフシキーは、現在サンディエゴで「パブリケーションズ・リクワイアリング・リサーチ」というデータ・サービス会社を経営しつつ、全世界の恐竜業界にネットワークを張りめぐらして、膨大な研究情報を収集することにその全情熱を傾けている人物である。1988年には、世界で初の恐竜情報のニューズ・レター「Archosaurian
Articulations」を月刊で発足させたが、残念ながらこれは、諸般の事情により、第1巻を刊行し終えないうちに中断されている。
『中生代そぞろ歩き』は、1978年に第1版が刊行されたが、これは今では業界でも幻の本と化しており、むろん私も見たことはない。だが、それから13年の時を経て、新たに記載または命名された恐竜の属はおそらく50近くに達し、さらに多くの種が登場し、一方で多数の名前が抹消された。また、祖竜上目の系統発生の研究が進展するにつれ、これまで誰一人夢にも思わなかった新たな系統仮説が続々と登場し、新しいタクサ(分類群)の名称が洪水のようにあふれ出した。かくして、満を持したオルシェフスキーにより、この間の新たな研究成果のすべてをカバーする第2版が刊行の運びとなったのである。
さて、このカタログのなかにはどれだけの恐竜がリストアップされているのだろうか?
オルシェフスキー自身の系統仮説にもとづく「祖竜下綱・恐竜類(たぶん並列下綱)」のなかの3大グループをそれぞれ集計すると、
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獣脚形態上目 |
162属 |
(うち不確実なもの46属) |
224種 |
(うち不確実なもの85種) |
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竜脚形態上目 |
98属 |
( 〃 19属) |
154種 |
( 〃 41種) |
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鳥盤上目 |
188属 |
( 〃 50属) |
287種 |
( 〃 89種) |
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合計 |
448属 |
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665種 |
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これが、1991年の時点でともかくも名前のついた恐竜のすべてということになる。むろん、1993年現在、すでにこのリストの後ろにはもう何属、何種かの新しい名前が付け加えられているはずだ。
およそ恐竜好きな人間にとって、これほど読んで楽しい本などこの世にまたとあり得るものだろうか。全編びっしり活字で埋まった、無味乾燥な名前の羅列。どこにも、一点の図版も入ってはいない。にも関わらず、この本は読む者の魂をして、無窮の情報宇宙に解き放つ魔力を秘めている。文字どおりのトリップである。
その道に踏みこんだ以上は、対象のすべてをわが手のうちにおさめたい、知られているかぎりの全種類をリストアップし、整理し、分類し、体系化し、コレクションしてやりたいという、アマチュア生物学者なら対象がチョウであれ恐竜であれナンキンムシであれ、等しく抱き続けているはずのあの根源的衝動、真の「完璧」を指向する狂おしいまでの欲望を、オルシェフスキーは徹底的に具象化して見せた。身もフタもないとはこのことだ。ある意味で彼は、多くの人々の、「いつか自分こそ」という遥かなあこがれ、見果てぬ夢を完膚なきまでにぶっ潰してくれた、とも言えなくはない。
これが大げさに聞こえるだろうか?
だとしたら、それは単にあなたがこの本の真価を知らないからである。今、試みにこの本のページをランダムに開いてみると、奇しくもティラノサウルス科のリストのページが出てきた。ティラノサウルス科は10属(うち1つは不確実)、14種(うち2つが不確実)を含むと書いてある。
10属? そんなにあったっけ? と、思いつつページをたどると、「属名:マレーエフォサウルス・カーペンター 1992」などという名前が出てくる。
そんな属名を聞くのさえ初めてなのに、その後ろにはシノニム(別名)として、ゴルゴサウルス・ノヴォジロヴィ、アルバートサウルス・ノヴォジロヴィ、オーブリソドン・ノヴォジロヴィ、デイノドン・ノヴォジロヴィ、タルボサウルス・ノヴォジロヴィ、などといくつもの名が続き、最後にこんな注記がついている。曰く−「この属名は、その正式な記載の数年前、すでにカナダのロイヤル・ティレル博物館のスウェット・シャツに現われていた」
いったいこの人の情報網はどんな仕組みになっているのだろうか?
どんな分野のものであれ、情報という奴は、ある程度以上集まって、そのことが人に知られるようになると、雪だるまと同じく、加速度的に集積速度が上がってゆくものだ。誰もが、自分の耳にした最新情報を自発的に送ってくるようになるのである。おそらくオルシェフスキー氏の場合、個人としては世界でいちばん早くそのようなポジションを確立し、みんながその情報網の末端につながることを自ら望むような立場につくことができたのだろう。もっとも、なかには、本当にトンデモない情報も寄せられてくることもあるが。
たとえば、リストのいちばん終わり、「除外された分類群」のコーナーには、一度は祖竜下綱に分類されたものの、その後除外された動物たちの属や種がリストアップされている。そして、さらにそのいちばん最後には、「スペシャル・ノート」として短い付記がついている。
日本の研究者、オカムラ・チョーノスケは、日本の古生代の岩のなかに、より大型でわれわれにはおなじみの脊椎動物、すなわち?ドラゴン?、恐竜、鳥、哺乳類、さらには人間などの顕微鏡的同類を発見したと主張しており、そのなかには体長1ミリの?角竜?、体長2ミリの?カミナリ竜?が含まれる。(中略)私は、このリストが完璧であることを期すため、オカムラの新分類名をここにリストアップする−(中略)−カスモサウルス・ミニオリエンタリス、ケラトサウルス・ナシコルニス・ミニオリエンタリス、そしてブロントサウルス・エクセルスス・ミニオリエンタリス……
これを見たときには、正直絶句した。いくらオタク的に完璧なリストを目指すからって、こんなものまで−いやいや、この岡村長之助氏は、まがりなりにも日本の古生物学会で発表までしてしまったという話だからな。
名古屋で岡村化石研究所という個人研究所を主宰するこの人物は、岩手県大船渡市長岩山産の古生代の石灰岩−聞くところによると、試料そのものは畳一枚分の大きさもないというが−を細かく切って磨き、その表面を顕微鏡で観察することにより、そこに、体長数ミリ以下のハリモグラやツチブタやヘラジカやゾウやツチノコやトノサマガエル、はたまた無顎類ドレパナスピスや迷歯類ベントスクス、新設の「竜科」に属する提灯竜やグレーハウンド竜やあざらし竜、さらには「毛皮の帽子を被り衣服をまとい小走りに走行中のミニ女性」、「大地震に当たり、幼児を抱いて海中に転落し、安全地帯を求めて浅い処を徒渉中、追討の土砂に瞬時に埋没、そのまま死亡して後化石となったミニ父子」といった驚天動地の化石を続々と発見、すべての脊椎動物は古生代の日本に起源を持つとの説を唱える研究者である。(引用は、『実証 人類および全脊椎動物誕生の地−日本』〔岡村長之助著、岡村化石研究所〕より。ちなみにこの本も、渋谷の飲み屋の二階で密かに受け渡されたものである)
別に、私はその主張に対してどんな論評も加える意図はない。日本の古脊椎動物学の大御所、故鹿間時夫横浜国立大教授が、古生物学会の講演会になぜかまぎれこんで発表されてしまったこの新理論を聞いて激怒し、それが教授の死期を早めた、などといううわさも、単なるうわさであると思う。私はただ、このような情報までも収集し得るオルシェフスキーのすさまじい情報収集力、完璧なリストをめざすその執念に敬服するのみである。
ただ、このことを最後に書かねばならないのは非常に残念なのだが、『中生代そぞろ歩き 第2版』は、限定200部しか作られず、そのすべてはわずか2週間で売り切れてしまったということである。もちろん、今後注文が集まれば、オルシェフスキーが増刷に踏み切ってくれる可能性は小さくはない。しかしそれよりも、今は彼が約束する『中生代そぞろ歩き 第3版』の刊行を待つほうがおそらくは賢明であろう。
●恐竜は全部で何種類いたか?
さて、現在知られているかぎりの恐竜についてはオルシェフスキー氏におまかせするとして、その次にわれわれが知りたいのは、中生代を通じて、本当は全部で何種類ほどの恐竜がいたのか、ということである。
言うまでもないが、ある時代にある地域に住んでいた全生物が、そのまま化石になって保存される、などということは決してあり得ない。たまたま死体が水中に沈み、水底堆積物のなかに埋もれたその死骸が腐って鉱物に置換されるという、希有な幸運に恵まれたものだけが、化石となって後世に残ることができるのである。最初から化石の残りにくい山岳地帯などを好んで生息していた生き物は、その存在さえわれわれに知られることはないはずだ。したがって、一体でも化石が発見された生物は、まず生息環境がよかったうえ、確率的に言っても、生前はよほど個体数が多かったものと見ていいだろう。
と、いうことは、中生代の各時代における生態系の本当の多様性について推測するのも並大抵ではない、ということである。恐竜という生き物が、どれほど高い適応力を持ち、どれほど積極的に多様な環境に進出して新たな種を生み出すことができたあ、本当のところ、誰にもわかりはしない。オルシェフスキーのリストにしても、実在した恐竜の1割にも満たないということだってあるし、あるいは逆に、これでもう大半をカバーしていることだってないとは言いきれない。
だが、それでもなお、この難問に真正面から挑んだ研究者がないわけではない。
1990ネン、ペンシルヴァニア大学獣医学部のピーター・ドッドソンは、「恐竜を数える:恐竜は何種類いたか?」と題する論文を発表し、これまでのところ、この問題に対するもっとも説得力のある回答を提示した。この論文には、きわめて興味深い統計データが多数掲載されているので、順を追って紹介してみよう。
まず、ドッドソンによれば、1824年にメガロサウルスが史上初めて公式に記載された恐竜として登場してから、1990年までに、全部で540属、800種の恐竜が記載され、今日ではそのうちの285属、336種が有効と認められている。オルシェフスキーの数値より大分控え目だが、これは、オルシェフスキーのリストが短報や私信による情報まですべてを網羅しているためである。学術的に完全な記載にかぎれば、ドッドソンの数値が正しい。消えた255属のうち、
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記載標本が不完全なものであったため、名前が認められなかったもの |
60.8パーセント |
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すでに記載されていた他の属と同じものであることが判明したもの |
27.1パーセント |
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すでに名前が使用されていたもの |
9.4パーセント |
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じつは恐竜ではないと判明したもの |
2.8パーセント |
である。これだけの統計を作る労力も並や大抵のものではない。これもまた、充分オルシェフスキーの偉業に匹敵する研究であろう。
次に、285属の確定した恐竜のうち、
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1種しか含まないもの |
246属 |
(全体の86パーセント) |
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2種を含むもの |
25属 |
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3種を含むもの |
9属 |
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4種以上 |
3属 |
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である。全恐竜の1属あたりの平均の種数は1.2種となる。
続いて、世界各国の博物館が収蔵している標本数の統計。属名および種名がきちんとそろっている標本にかぎって言えば、およそ2100個体分。鳥盤目の場合1つの属につき平均9.3体分、竜盤目では平均6.2体分の標本が存在する。
概算だが、収蔵標本の個体数の多い属を順に挙げていくと、
第1位 |
マイアサウラ |
200個体 |
第2位 |
プシッタコサウルス |
120個体 |
第3位 |
コエロフィシス* |
100個体 |
第4位 |
プラテオサウルス |
100個体 |
第5位 |
マッソスポンディルス |
80個体 |
第6位 |
プロトケラトプス |
80個体 |
第7位 |
アロサウルス |
60個体 |
第8位 |
シンタルスス |
50個体 |
第9位 |
トリケラトプス |
50個体 |
第10位 |
ステゴケラス |
40個体 |
*ただし、ここで言うコエロフィシスは、現在のリオアリバサウルスのことである |
世界各地の博物館のコレクションの状況を完全に把握し、これだけの統計結果を得るには、大変な根気と熱意を必要としたに違いない。ちなみに第1位、第3位、第4位はともに集団死の痕跡が発見されたものである。この後、さらに何種類かの恐竜の集団死の跡が発見されたり、埋蔵量の豊富な発掘場が新たに見つかったりしているから、今では順位にもかなり移動があるだろう。
これらすべての標本のうち、1属につき標本が5体以下のものが74パーセント、1体しかないものにかぎっても45.3パーセントに達する。また、基本的には完璧と言える(つまり、正確な復元が可能なだけの部分がすべてそろった)頭骨と骨格を持つものは全体のわずか20.3パーセントであり、完全不完全を問わず、ともかく頭骨が出たものを全部合わせても56.8パーセントにすぎない。−恐竜図鑑に出てくる恐竜の多くも、実際にはずいぶん推定だけにもとづいて頭を描いているのである。とりわけカミナリ竜などは、それでしょっちゅう問題が引き起こされている。
さて、それではいよいよ問題の、恐竜の属の数の推定である。
恐竜が生息していた、三畳紀カール階から白亜紀マーストリヒト階までの1億6000万年を、平均700万年間続いた23の階に分割することから作業は始まる。実際には、もっと期間の短い階がもういくつかあるが、これらは他の階にまとめられている。
次に、このそれぞれの階において、何属の恐竜が生息していたかを割り出す。
ここで難しいのは、すべての時代の化石を含む地層がコンスタントに世界中で見つかるわけではないという事実である。前期ジュラ紀や前期白亜紀の地層は、たまたまその多くが浸食されて、地層の存在自体が世界的にかなり珍しいものになっている。前期〜中期ジュラ紀のプリンスバック階からバジョース階にかけて、前期白亜紀のベリアス階からバレーム階にかけて、さらに、後期白亜紀のセノマン階はとりわけ珍しく、これだけの時代を合わせると恐竜の全生息期間の35パーセントに達するのに、これらの時代から発掘された化石の属は全体の9.8パーセントしかない。
また、恐竜研究のさかんな国における露頭の面積、研究者の数などの要素も、この統計に大きなバイアスをかける。中国のように、中生代すべてにわたる露頭が国内に存在し、20世紀半ばを過ぎてから急速に恐竜研究が進展し始めた国が1つ加わると、急速に統計の内容も変わってくるだろう。しかも、中国では恐竜研究者の数が絶対的に不足しているため、恐竜の進化史をゆるがす大変な化石が多数研究室に眠っていても、そのことは私信やうわさという形でしか外に漏れてこず、いつまでも記載されず、統計に含まれないことが非常に多い。−じつを言えば、私自身、そのことを書きたくてたまらないのに、固く口止めされている驚異的化石の存在をいくつか知っている。
これらのバイアスを可能なかぎり取り除くために、たとえば、それぞれの階の単位面積あたりの属の数の平均値を求める等の処理を施せば、ある程度未発見の地層における恐竜の属の数も見当がつくようになる。おそらく、発見された属の数がもっとも実数に近いのは、北米の白亜紀末期、シャンパーニュ階〜マーストリヒト階の地層と、同じく北米の後期ジュラ紀、キンメリッジ階〜チトン階の地層であろう。これらを基準にして、その他の時代の恐竜の属数を推定すべきである。
もう一つ重要なのは、個々の恐竜の属の存続期間に関するなるべく正確な見積もりである。これに関しても、3種類の統計学的手法を用いてそれぞれに結論を出し、さらにその平均値をとるという形で、数値の精度に万全を期す。その結果、恐竜の属の寿命は最低500万年、最高1050万年、平均して770万年という数値が得られた。
最後に、恐竜の属の数が中生代を通じ、どのようなパターンを描いて増えていったかを決定する。単純に時代を追って少しずつ増えていっているのなら計算は簡単だが、話はそう簡単ではない。最近ではもはや常識となってきた、地質時代の大区分ごとの大量絶滅モデルが、必ずここにも影響を及ぼしているだろう。少なくとも、三畳紀/ジュラ紀境界、ジュラ紀/白亜紀境界には属の数が減少し、統計上のボトルネックがあったはずだ。
これらのすべてを加味した上で、単純な漸増モデルとボトルネック・モデルがさし示す、全中生代を通じての恐竜の属の総数を計算してみると−
個々の属の寿命 |
漸増モデルでは |
ボトルネック・モデルでは |
500万年の場合 |
3285属 |
1380属 |
770万年の場合 |
2100属 |
875属 |
1050万年の場合 |
1525属 |
645属 |
さらにこの平均をとると、いちばん可能性がありそうな恐竜の属の総数は、全中生代を通じて、最小900属〜最大1200属となる。
最大1200属。そのうち、われわれがすでに知っているのは、少なくとも285属、多分448属ある。−と、いうことは、見たこともない新属新種の恐竜たちに多数お目にかかれるチャンスが、われわれにはまだまだ残されている!
過去20年間を通じて、恐竜の属の数はコンスタントに年間6属ずつ増えてきた。このペースが維持されれば、恐竜という生き物の全貌をわれわれが見渡せるようになるのは、多分来世紀の今頃ということになるだろう。あくまでも、ドッドソンの予測が正しいとすれば、の話だが。』