川上(2000)による〔『生命と地球の共進化』(76-83p)から〕


最古の生命化石を巡って
 地層に含まれる化石の記録をたどっていくと、いまから5億4000万年前に突然多様な動物化石が産出するようになります。大型化石が産出する時代は顕生代と呼ばれており、それ以前の化石の産出しない地層が堆積した時代は陰生代と呼ばれることもあります。また、最初に大型化石が産出する時代は古生代のカンブリア紀と名づけられているので、それ以前の時代をひとまとめにして先カンブリア時代と呼ばれたりしています。
 カンブリア紀になってから大型の動物化石が産出することは、ダーウィンの時代にすでに知られており、『種の起源』でも突然多細胞動物が出現することが大きな謎とされています。
 19世紀末から先カンブリア時代の地層から生命化石が発見されたという報告が出されたことがありました。しかし、ほとんどの場合、非生物的にできた模様や鉱物粒子であるとされ、確固たる証拠にはなりませんでした。その中で、ストロマトライトと名づけられたドーム状の縞状炭酸塩岩については、バイオマットが固化したものとみなされていました。1954年米国の古生物学者が19億年前のガンフリント縞状鉄鉱床から採集した岩石薄片をたくさん作成し、原核生物様の微化石を発見しました。その試料は縞状鉄鉱床ですが、形態はドーム状をしており、ストロマトライトの一種とみなされていました。縞状鉄鉱床とは含まれる成分に基づいた名前であり、ストロマトライトは形態につけられた名前であることに注意してください。ストロマトライトと縞状鉄鉱床は、地球史の研究では密接に関係しているのです。
 それから約10年後、古生物学者のP・クラウドがその発見の意義を論じた論文を発表し、先カンブリア時代を対象にしたパレオバイオロジー(Paleobiology)の黎明期を迎えたのです。
 話が横道にそれますが、わが国では、特徴のある形態をもった大型化石のみが古生物学の対象とされてきました。パレオバイオロジーを直訳すると古生物学となるのですが、日本語の古生物学はパレオントロジー(paleontology)を指し、私たちが先カンブリア時代を念頭においた全地球史解読計画を進める中で、古生物学者の参加はほとんどありませんでした。このあたりのわが国の古生物学会の経緯は、東京大学出版会から出されている講座『進化』第3巻に詳しいので、古生物学の歴史や研究者の生態学に関心がある方はご覧ください。
 さて、クラウドの論文が契機となって、先カンブリア時代の地層からバクテリア様の化石が発見されたという報告が急増しました。しかし、それらが本当に先カンブリア時代に生きた生物の化石であるかどうかを注意深くチェックする必要がでてきました。クラウドの下でパレオバイオロジーに関心を示したJ・W・ショッフは、それらの論文を評価し、原核生物様化石として確かなものとそうでないものを区別していきました。古い時代の原核生物様化石の認定基準として、次の条件をパスしなくてはなりません。まず化石の含まれている岩石の年代が太古代あるいは原生代に属するものであるか、岩石が古い年代であったとして、含まれている化石様の物体も岩石が形成された時期に混入したものであるか、化石様物体が本当に生物起源であるか、といったチェックです。
 1970年代までにだされた報告で、これらのすべてを満足するものとなると数が大幅に減少します。しかし、80年代以降になると、有機物の分析や炭素、硫黄などの安定同位体比、先カンブリア時代の地球環境をも含めた総合的な研究が行われるようになり、信頼性の高い報告が多くだされるようになりました。こうした流れは1990年代になって、さらに活発化しています。

38億年前の生命活動の痕跡
 それでは、生命の誕生は地球史でいつごろ起こったのでしょうか。地球上で最古の堆積岩は38億年前のグリーンランドのイスア地域に残っています。
 1970年代にイスア地域の岩石の研究が活発になりました。そして、原核生物様化石が発見されたという報告も出版されました。しかし、イスア地域の岩石は摂氏600度に達する熱変成作用を被っていることがわかりました。変成作用というのは、岩石が地中深くで高温、高圧下におかれて、構成される鉱物が別の鉱物に変化したり、地下水と反応して、元素組成が変化するプロセスを指します。場合によっては、激しい変形を受けて結晶の大きさが変化することもあります。変成作用の影響が激しいほど、形成された当時の情報が失われてしまっているといってよいでしょう。イスア地域の岩石に変成作用の影響がみられることから、原核生物様化石は変成作用の際に無機的に形成された二次的な鉱物粒子であるとみなされたのでした。
 ドイツの地球化学者M・シドロウスキーは、イスアから採集された変成岩に含まれるグラファイト(石墨)の炭素同位対比に着目しました。
 私たちのからだをつくる炭素原子には、質量数12のもの(12C)と13のもの(13C)とがあります。自然界におけるその存在比は98.892:1.108です。しかし、自然界に存在する物質に含まれる炭素同位体比は少しずつ異なっています。とくに、無機的につくられた物質と生物が関与してつくられた有機物で炭素同位体比が系統的に異なっており、炭素同位体比から生物活動によってつくられたものと無機的につくられたものを区別できる可能性があります。図14(略)にさまざまな物質の炭素同位体比の値を示します。炭素同位体比は、同じ物質でも試料ごとに異なっていることが多いので、ばらつきの大きさを含めて太い線で示されています。
 同位体地球化学の分野では、同位対比を表すのに、比の値そのものを示すのではなく、通常標準試料とされている物質の炭素同位体比との偏差で表します。炭素同位体比の場合には、PDBと呼ばれるベレムナイト化石の炭酸塩岩の炭素同位体比からのずれの千分率をとり、δ(デルタ)値で表します。図15(略)の横軸はこのδ値が示されています。δ値でみると大気中の二酸化炭素はマイナス7‰(パーミル、千分率の単位)、海水中の溶存二酸化炭素は0‰、マントル起源の火成岩に含まれる炭素の同位体比はマイナス7〜5‰です。
 生命が無機物を材料に有機物を合成する場合には、酵素反応によって選択的に質量数の小さい炭素(12C)を利用する傾向があります。
 一般に光合成によって合成された炭素の同位体比のδ値の平均値はマイナス27‰であり、光合成生物であるシアノバクテリアの行う炭素固定(二酸化炭素から有機化合物を合成すること)で生成された有機物と原料としての海水中の溶存二酸化炭素の間の同位体分別の大きさは27‰であることがわかります。図15には、シアノバクテリアのほか、メタン細菌、緑色硫黄細菌、紅色硫黄細菌などの炭素同位体比も示されています。また、シアノバクテリアの中でも、自然界から採集されたものと、実験室で培養したもので、炭素同位体に違いがあることも読みとれます。つまり、炭素同位体比から自然界の炭素が生物が関与してできたものか、無機的な作用でできたものかを区別するうえで手がかりを与えてくれます。
 また、もっと詳しい研究を行うことにより、生物起源である場合には、どのような生物がつくった有機物なのかがわかり、さらに条件を絞り込めば、どのような環境で生息していたかを同位体比のばらつきから読みとれる可能性もあります。
 さて、イスア地域で採集されたグラファイトの炭素同位体比が測定されていますが、その値はマイナス12‰程度だったのです。シドロウスキーらは、イスア地域から採集されたグラファイトは、原核生物で酸素発生をともなう光合成を行うシアノバクテリアの炭素固定で生成されたものが、のちの時代の変成作用を受けたため若干偏差が小さくなったものであると解釈しました。この解釈では、酸素発生する光合成生物が38億年前に出現していたことになります。しかし、この炭素同位体比の値だけからは、生物起源であるか、無機起源であるか議論は困難であるし、ましてそれをつくった生き物がシアノバクテリアであることを証明することはできません。
 シドロウスキーらは地球最古の岩石試料に目をつけ、それらに含まれる炭素の同位対比を最初に測定したことにオリジナリティがあるため、そのような大胆な結論を主張することが認められているように、私には思われます。そうしたオリジナリティを別にして、客観的にデータをみると、彼らの論理展開には無理があり、結論に疑問を抱く研究者も多いのです。38億年前に生命が誕生していたかどうかは、さらなる研究が期待されていました。
 最近になって、米国の研究グループがイスアの近くのヌーク地域(アキリア島)で採集された岩石からアパタイトというリン酸カルシウムからなる鉱物を分離し、その中に含まれているグラファイトの炭素同位体比を測定しました。まずグラファイトが38億年前に堆積物が堆積したときから存在したものか、のちの時代の変成作用によって形成されたものかを問題にしなくてはなりません。彼らは、グラファイトがアパタイト結晶中に取り込まれていることから、堆積したときにアパタイト結晶ができ、その中に堆積物中に存在していた有機物が閉じ込められその後グラファイト化したものだと論じました。
 また、得られた炭素同位体比の測定結果は、図15に示すようにδ値がマイナス30〜マイナス50‰であり、これまでになく大きな負の値をもっていることが明らかになりました。この値を生物の炭素固定の際の同位体分別の大きさと比較すると、メタン細菌のような化学合成細菌によってつくられたことが示唆されます。しかし彼らは、変成作用によって、炭素同位対比が大きく負の値をとるようになる場合があることをモデル計算によっても示しています。
 ところが、これまでに研究されているいろいろな地域の変成岩中のグラファイトの同位体比の測定データは、変成度とともに偏差が正の値に近づくことを示しており、無機的なプロセスによるという解釈は、説得力が乏しいようにみえます。彼らの研究は、38億年前に生命が誕生していた可能性を高めることに貢献したといえそうです。しかし、それらの岩石も変成作用の影響を受けており、より確実な証拠の探査が望まれています。』