アンデル(1991)による〔『さまよえる大陸と海の系譜』(44-55p)から〕


3−気候の変動
 わたしたちのわずかばかりの記憶をたどってみても、日々変化する天気はともかく、1年周期でくりかえす気候にかんしてはほとんど激しい変化があったというおぼえはない。冬が過ぎ去り、春はまためぐり来る。たまにはひでりのつづく夏や豪雪の冬があるにはあっても、季節のうつろいは幾星霜おなじようにくりかえされてきて、未来永劫へとつづくであろうと思う。しかし、人類の歴史をいろどる背景にも、まったくことなった気候が存在していた時代があり、しかも、そう遠くない過去のことである。ここで、いきなり有史以前の、まだ生まれたばかりの人類が洞窟で暮らしていた時代のことからはじめることはやめて、ヴァイキングの時代−あの栄光なる17世紀、および100年とすこし前の『明白なる運命』と『オレゴンへの道』の時代から物語をはじめることにしよう。
 気候は変動する。初めはやや小さな気候変化を考えてみる。そうすれば大きな変化も容易に理解できよう。その時期に何がおこったか、それはどういう意味をもつか、また、どのように変化してきたかなど、現代の知識が許すかぎりたちいって考えてみることにする。

気まぐれな気候
 冬来たりなば春遠からじ、だれもがその思いで、あたたかい陽ざしを待ちうける。記録によれば、気候は過去50年間くらいは順調であったし、たとえわずかに変化しても周期的であった。
 インドでは、1920年より以前には、8年半に1度の割合でひでりがおこり、飢饉のために多くの人びとが餓死した。しかし、1920年から1960年までのあいだは、そういった災害が半分に減り、それまでつねに周期的なコントロールをうけて平均していた人口が増加しはじめた。
 また、カリフォルニアでは、今世紀初めには、降水量の少ない乾燥した冬が5年に1度は予想されていた。その後、15年に1度に減ったものの、ごく最近では、ふたたび以前の不順な状態がぶりかえした観がある。1920年から1960年までに経験した小規模な旱魃災害にたいして、水資源確保のための対策が施行されてきたが、この気候変化によってさらに深刻な問題となっている。あきらかに、気候の変化は水資源の安定供給にたいする人間の努力をおびやかすばかりか、たとえそれが平均するとおなじであっても、増減がはげしくなれば危険性がふえることになる。
 過去1000年間、気候は周期的に変化してきた。この変化は急速であって、ときにはきわめて顕著であった。15〜18世紀にはヨーロッパ全土は現在よりも寒冷であった(図3-1:略)。とくに1650年から1850年までは、小氷期と呼ばれている。当時は穀物の収穫が激減し、飢饉がおこり、そのために戦争までがおこったという記録が残っている。
 アイスランドは人間の住むことができる極限に近い気候のもとにあるが、とくに14世紀と小氷期とに寒冷気候がつづいたことで、当時の人びとはひじょうに大きなダメージをうけた。9〜13世紀の比較的温暖な時期に開拓されたグリーンランドの居住区は、この寒冷な気候によって農業生産が完全に破壊されてしまった。また、夏期でさえ海が流氷で閉ざされていて、渡航するのもきわめて危険になったため、ついにはコロニーが閉鎖されてしまったのである。このような人間の活動にたいして大きな変化をおよぼした小氷期は、その影響のわりには、じっさいの年平均気温の低下はわずか1.5℃にすぎないのである。それでも、アイスランドは小麦生産をあきらめ、羊の牧畜へと産業経済が永久的に転換してしまったのである。
 もっとも、小氷期は世界中どこにでも悪影響をおよぼしたわけではない。アメリカ中央部の大平原は19世紀初めには現在よりも湿潤であって、1850年ごろには、数多くの山岳インディアンたちがこの地に定住していたという伝説が残っている。事実、この伝説をたのみにして白人たちが西へ西へと移住をはじめ、「西部開拓史」が華やかになるのである。しかし、ときはすでに遅く、小氷期も終わりかけていたために、白人たちが発見したのは、「約束された土地」ではなく、定住するにははるかに不適当な荒野だけであった。とにかく、降水量が減少し、多くのバッファローの大群が死に絶え、当初わずかだった白人の死者ものちには激増している。
 近世の気候がどのように変化してきたかは、現存しているいろいろな記録から知ることができる。たとえば、イギリス海軍には、数世紀にわたる航海日誌が保存されていて、海軍省業績集におさめられている。フランスの修道院の記録には、ワインをつくるブドウの収穫量や切った木の年輪数などが残されている。樹木は1年ごとに新しい年輪をつくって成長するが、季節の気候条件によって、年輪の幅が太くなったり細くなったりする。したがって、過去1世紀くらいさかのぼって気候の変化を知るには、この年輪の幅を調べればよい。アメリカ合衆国南西部の切り倒された大木の年輪から、過去8000年間の記録が得られた。
 ところで、この小氷期は、たまたまおこった一時的な変化であったのだろうか。さらに古い時代には小氷期に相当する寒冷な時期はなかったのだろうか。この疑問に答えるために、もうすこし時代をさかのぼって、有史以前に注目してみよう。
 年輪にきざまれている時代よりもはるか遠いむかしの気候変化は、また別の方法で知ることができる。高い山々にみられる山岳氷河は、気候が寒冷で湿潤なときと、温暖で乾燥したときとで発達の程度がちがう。アラスカ南東部のグレイシャー湾は、今世紀初めにジョン・ミュールが探検したときには、一面氷に閉ざされていたが、現在はほとんど氷がない。これらはもっとも新しい時代の気候変化をあらわす好例である。
 これとおなじように、最終氷期が終わってからこのかた、アラスカ・アルプス・スカンジナビアの氷河は数回の消長をくりかえした。山岳氷河が発達すると、谷の樹木が倒伐され、表土がはぎとられる。一方、氷河が後退すると、その後に氷成堆積物が残される。こうして得られた北半球での山岳氷河の消長の記録から、1万500年前、8100年前、5300年前、2800年前、200〜300年前が寒冷な気候であったことがわかった(図3-2:略)。このうち最後の時期が小氷期にあたる。
 こうしてみると、小氷期といえる寒冷期は約2500年ごとにおとずれ、300〜700年間くらい続いたといえる周期的な自然現象であると結論づけられる。それぞれの小氷期はそのあいだの時期よりも寒冷であるにはちがいないが、相対的なものであって、極端に寒かったわけではない。最終氷期が終わってからは全体として気候変動はわずかなものであって、たとえば、スウェーデンでは年平均気温の変化は、現在を基準とすると、±3.5℃以下の増減のみであった。

小氷期の秘密
 後氷期には寒冷な気候と温暖な気候がくりかえしたことから、氷期から間氷期への移行期には何らかの周期的な要因がほたらいていたと考えられ、それにおそらく、突発的な要因も重複していたのであろう。では、この要因とは何であろうか。
 2500年周期というのは、5章でのべるような、地球の公転軌道の変化の周期性よりも短期間である。また、海流循環系の変化(11章参照)が気候におよぼす影響は長くても数十年単位であるから、やはり短周期すぎて、要因のひとつとは考えられない。あるいは太陽表面の大規模な乱流、すなわち黒点が気候変化(とくに旱魃)に影響をおよぼすのではないか、とずいぶん長いあいだ疑われてきたが、それがどのように作用するのかはよくわかっていない。黒点の活動そのものは11〜22年の周期で変化するのであるから、これもまた短すぎる。
 最近、黒点がまったくなくなる時期があることが発見され、これがちょうど、もっとも新しい小氷期に一致していたことがわかった。したがって、太陽の黒点原因説が有望視されることになる。はたして、黒点の出現と消滅が周期性をもち、この活動がまだわかっていない方法で影響をあたえ、小氷期をひきおこすと考えてもよいのだろうか。この説をたしかめるにはどうしたらよいのか。
 ところで、放射性炭素をもちいた年輪の年代測定法に、話をいったんもどしてみる。地球に降りそそぐ宇宙線の量が変化しないとすると、大気圏上層部で生成される14C〔注:質量数14の炭素〕の量も一定である。これはもっとも根本的な仮定であって、もしこの関係が成立しないとすると、14C法による年代測定はまったく無効となる。
 樹齢8000年をほこる大木の年輪をひとつひとつサンプリングし、この仮定を検証しようとする試みが、数年前になされた。もし、14Cの生成量がいつの時代でも一定ならば、14C法による放射年代は、年輪を数えて得た年齢と一致しなければならない。とことが、結果は一致しなかったのである。それどころか、そのくいちがいが年代とともに変化するのである。すなわち、それまで測定された14C年代のほとんどは補正する必要がでてきた。当時、14C法によって得た編年がようやく成立しはじめたときであったので、この結果は考古学者たちを大いにあわてさせた。じっさいのところ、補正した年代は従来のデータより理にかなった値であった。しかし、もっと重要なことは、太陽による宇宙線の輻射が一定であるという仮説がまちがっていたことである。そのうえ、宇宙線輻射の増減が2500年周期でくりかえしているらしいこともわかったのである。そのもっとも新しい輻射の最小期が黒点が消滅した時期であり、小氷期と一致している。
 こうして、まったく独立した方法から得たデータが、偶然にもただひとつの結論をみちびく結果となった。どうやら小氷期と太陽の黒点活動には密接な関係がありそうである。しかし、いぜんとしてその作用メカニズムについては何もわかっていないし、寒冷期の年代をもっと正確に決定しなければならない。

気候のはたらき
 ここ1世紀のあいだ、地質学者たちは、もっぱら氷河や氷床の後に残された地形や堆積物にばかり着目してきた。しかし、海洋学・気候学・地球化学などの発展にともない、最近では氷河時代の気候についての研究がさかんになってきた。これは、過去数十年間の気象の変則的なパターンからだけではなく、変わらないと考えられていた気候が人間の歴史時代という短い期間にもこまかく変動してきたということがわかってきたことが発端となっている。また、気候が1年ごとにも変わりうる可能性は、あきらかに政治・経済にとってゆゆしき事態をまねきかねない問題である。したがって、現在の気候がこの先10年間にはどのように変化するかという予報能力を高める必要性は、社会的にも強く要請されている。
 毎日かならず発表される天気予報のあたる確率はそうとう高くなってきたとはいえ、大気の作用については、まだ完全に解明されているわけではない。大気の状態は不規則なことが多く、おそらく数ヵ月以上先の天気予報は、そう簡単には成功しないと思える。一方、気候は、数十年といった単位から地質学的なスケールまでの平均した天気をいう。したがって、「明日は雨が降るでしょう」とか「今年の秋は長雨がつづくでしょう」といったばあいは天気のことをのべたのであって、気候についてではない。
 湿潤で温暖な季節が何年間もくりかえし、その後やや寒冷になったというのが気候変化である。気候としてみると、短期間の不安定な天気はほとんど平均化されてしまう。気候変化の大きな要因は、大気の循環系の変化と、それよりずっと長周期の海流循環系の変化とである。それゆえ、たとえ大気の作用が不完全にしかわかっていないにしても、長い期間にわたる観測データから、気候変化の特徴を知ることができる。そして、そこから、永続している要素や周期的な要素をみつけられれば、来シーズンの天気予報よりずっと正確に、今後の気候変化を予想することが可能となる。こういった社会的要求と研究者本来の好奇心とから、気候や古気候にかんする研究は活発になってきた。
 地球の気候は、陸地・海洋・大気を部分品とする熱機関のようなものである。このエンジンは太陽熱を燃料にして運転される。太陽熱の一部は大気圏上層部で反射して宇宙空間へ放散してしまうが、大部分は地球表面まで達し、表土や空気や海水などをあたためる。海上では熱をうけて水分が蒸発し、雲ができ、移動し集積して、やがて雨となって海にかえる。
 高緯度地域では、太陽光線は低角度で地表面に達するので、赤道付近とはちがって、はるかに少量の熱しかうけとれない。赤道付近では、大気は熱せられて軽くなって上昇し、南方や北方へ流れだす(図3-3:略)。上昇気流はひろがって冷却し、水分を保持していられなくなって、雨を降らせる。この地域を熱帯雨林気候帯という。高く上昇したあたたかい気流はしだいに冷やされ、緯度25〜35゚に達すると、その一部分が降下し、地球表面にそって赤道付近へと逆もどりする。下降気流は圧縮され、亜熱帯高気圧帯をつくる。圧縮された大気は、水蒸気の許容量が大きいので、乾燥している。上空の残った大気はさらに極方向に移動しながら冷却する。極地方では、これが下降気流となり、寒風として地表面に吹きだす。
 しかし、このシンプルな大気循環システムは、年間を通じて中緯度や極地方の気温が一定ではないために、季節によって変化する。さらに、地球の自転のためにあらわれるみかけの力、すなわちコリオリの力のために東西方向の大気の流れが南北方向へ偏向し、いっそう複雑な循環系となる。
 今かりに北極に立っている人が赤道にむかってボールを投げたとする。ボールが飛んでいるあいだにも、その下にある地球は西から東へと回転しているので、ボールが落下するべきであった地点は東に移動してしまい、ボールは西側に落ちる。地表でこのボールを観測すると、直球を投げたはずが、あたかも右へ右へとカーブした軌跡をえがくことになる。これがコリオリの力である。
 コリオリの力は大気だけではなく、海流の方向にも影響を与える。また、コリオリの力は流速と質量の積に比例するので、大量の空気や水には大きな影響をおよぼすが、人のように質量の小さいものにはとるにたりない力である。コリオリの力は北半球では流れを右へ右へと曲げ、南半球では逆になる。
 亜熱帯から赤道地方へと吹く地上風は、コリオリの力によって東風となる。緯度10゚から25〜35゚のあいだでは年間を通じてこの東風がいつも吹いており、貿易風と呼ばれている。おなじように、極地方から赤道にむかって吹きだす風は極偏東風となる。一方、緯度40〜60゚の地域では北方へむかう風は西よりとなり、偏西風と呼ばれる。この偏西風は、つぎつぎとやってくる給水列車のように、西ヨーロッパや北アメリカの太平洋沿岸地方に雨を運んでいる。
 上空では、ジェット気流と呼ばれる速度の速い気流がある。ジェット気流の影響によって、ヨーロッパからアメリカへの北大西洋空路の飛行時間が往路と復路で大幅にちがうのはよく知られていることである。ジェット気流はまっすぐに吹いているわけではなく、水平にカーブしていて、地球をまわる循環パターンは6つくらいある。ジェット気流が北方にむくところでは、低緯度地域のあたたかく湿潤な風をもたらし、これと反対に、南に吹きおろすところは寒冷で乾燥した気候となる。ジェット気流の軌跡が曲がる地理的な位置はほぼ固定しているものの、曲がり方や気流の強さは一定ではなく、年々変化する。これが大きく変わると、異常気象となる(図3-4:略)。長期間にわたるジェット気流の波型パターンの変化は、氷期の開始と終焉となんらかの関係があるらしい。
 大規模な大気の循環は惑星循環と呼ばれ、これは日照時間・気圧・地球の自転に依存する。したがって、惑星循環は大気が生成された時代からずっとつづいてきた地球上における特徴でもあり、貿易風・偏西風・ジェット気流や、これらにまつわるエピソードなどは、過去のいつの時代も存在していたはずである。
 ところで、大陸や海洋の条件を加えると、大気の流れはもっと複雑になる。たとえば、海辺に住む人びとは浜風になれ親しんでいる。浜風は午前中に海から陸にむかって吹きはじめ、夕暮れ近くになるとやむ。夜になると陸から風が吹く。これは日中には陸のほうが海よりも早くあたたまり、夜になると急速に冷えるが、海のほうはまだあたたかいために、夜と昼とでは風向きが逆転するのである。
 おなじような風向きの変化はもっと大きなスケールでおこっている。これはモンスーンと呼ばれる季節風で、東南アジアなどは典型的な地域である。夏にはアジア大陸の大気が熱せられて上昇気流となり、インド洋から吹く湿った南風が吹きこむ。この風はコリオリの力をうけて方向が変わり、南東の季節風となって、多量の雨を降らせる。冬期は、アジア大陸が寒くなり、海はまだあたたかいため、今度は大陸からインド洋にむかって、乾燥した冷たい季節風が吹く。モンスーンは陸と海の地形的な要因によってつくられたものであるから、地球の歴史のうえで、大陸ができるやいなや吹きはじめた風である。しかし、そのパターンは、大陸が移動し海が開いたり閉じたりするにつれて、さまざまな変化をしてきたのにちがいない。
 太陽からうけるエネルギーすべてが、空気や地表をあたためるのに消費されるわけではない。一部は雲にあたって反射し、地表に達しても、雪や氷などで50〜80%が反射してしまう。低緯度地方の大砂漠や大規模な氷河は、緑地や水でおおわれたばあいより多量の太陽熱を反射し、地面を冷やす役割をする。太陽エネルギーの入射量にたいする反射量の割合をアルベド(反射能)という。氷は高いアルベドをもち、海は低い。地球のアルベドは気候変動の大きな要因となっている。
 あたたかい海では冷たい海より多量の水分が蒸発し、厚い雲がひろがる。雲のアルベドが高いため、海面まで達する太陽エネルギーが少なくなり、海面からの蒸発が減る。海自体も冷え、雲のおおいが消滅する。するとふたたび海があたためられ、水分の蒸発が活発になる。このメカニズムをネガティブ・フィードバック(自己制御)といい、気候を安定させるようにはたらく。
 宇宙空間に太陽エネルギーを反射させるのは雲ばかりではなく、空気中の塵もまたおなじ作用をする。火山活動は成層圏まで火山灰を送りとどける。噴きあげられた火山灰は、すべて地表に降下するまで気温を低下させる役割をする。ある種の火山性ガスもおなじ効果をもつ。1816年にアメリカ西部に「夏のない年」をもたらしたのは、インドネシアのタムボラ火山の大噴火であった。
 森林を燃やし、荒地を開墾し、建設工事をする、こうした人間の活動ばかりか、あちこちを歩きまわることさえも、多くのホコリを舞いあげる。もっとも、このような塵埃はあまり高くまでは上がらず、数日あるいは数週間のうちに、雨とともに地表に落ちてしまう。火山噴火以外には、大きな隕石の落下や核爆弾などが、粉塵を空高くまき散らし、気候に影響をあたえる。
 一方、地球をあたためる作用をするのは、大気中に含まれる二酸化炭素(炭酸ガス)である。炭酸ガスは、太陽光線のうち可視光線は通過させるが、いろいろな波長の赤外線を反射したり吸収したりする。わずかな量の炭酸ガスでもきわめて効果的なブランケット(覆い)となり、熱が宇宙空間に逸散するのをふせぐばかりか、自分自身でも熱をたくわえておく。これを温室効果という。
 大気中の炭酸ガスの現在量は約0.03%にすぎないが、石炭や石油を燃やしたり森林を焼いたりするほか、有機物を多く含む古い土壌を耕したりしても、大気中の含有量がふえる。19世紀初めに産業革命がおこって以来、大気中の炭酸ガス含有量が以前より15%は増大したといわれている。しかし、一時ふえた炭酸ガスも多くは海水中に溶解してしまい、今では、産業革命当時ほど含有量は多くない。ただし、今後石油を浪費しつづけたり、ジャングルを切り開いたりすれば、炭酸ガスは50年くらいで約2倍にふえることが確実である。
 大気中の炭酸ガスの含有量がふえると、気候に影響があらわれてくる。年平均気温が数℃上昇し、とくに極地域ではそれ以上あがる。グリーンランドや南極の氷がとけて、海水面が上昇し、世界各地の海岸が水没する。気候は変化するが、そのことによってわたしたちの生活がどのような影響をうけるか、だれにもわからない。』