熊井(1993)による〔『地球環境の変遷史−第四紀の環境変遷史を中心にして−』(3-22p)から〕


1.3 長周期の環境変化
 第四紀が別名“氷河時代”と呼ばれるのは、その前の第三紀や中生代に比べて寒冷な気候に支配されたこともさることながら、実際にヨーロッパや北アメリカに氷河遺蹟があり、地球上の広い範囲が氷河に覆われたことがあるためである。この寒冷化はどのようにして初まったのかは、最近の大西洋における深海底のボーリング試料に含まれる底棲有孔虫の18O〔注:質量数18の酸素を表わす。以下同様。〕分析から次第に明らかになりつつある。それによれば、第三紀始新世(約7,000万年前)から地球規模で寒冷化が始まったという(Miller et al., 1987)。現在の海水中に含まれる酸素の同位体は16O約99.763%17O0.037%18O0.199%含まれている。この同位体のうち18O/16Oの同位体比をとって海水温の推定がなされる。一般に海水が熱せられると、軽い16Oが先に多く蒸発し、後に重い同位体が多く残る。地球上に氷床が存在しないときには、この蒸発した水分はやがてまた海洋に循環して戻ってくるので海洋中の酸素同位体比はほぼ一定に維持されるが、大陸氷床が発達すると、軽い同位体が陸上に固定されてしまうために、海洋中の同位対比は重い酸素が多くなる。一方、海洋中に生息する生物のうち、炭酸カルシウム(CaCO3)の殻をもつ生物も温度によって選択的に酸素を取り込んで殻を形成する。海水温が高くなると軽い酸素を多く取り込み、水温が低くなると相対的に重い酸素を多く取り込むようになる。この場合には、取り込む酸素の同位対比はもともとの海水の同位対比が基本になるために、氷期の有孔虫の殻には重い酸素を多く含む海水の影響と寒い時期の生物自身の酸素取り込みの選択性から、多くの重い酸素が濃集されることになる。[図1.1参照:略]
 始新世から始まる長期的な寒冷化の原因についてはまだ不明な点が多い。一般的に言われているのは、プレートテクトニクスからの説明で、ゴンドワナ大陸が分割・分離した後に、現在の南極大陸が南極点近くへ移動したために氷床が発達し始めたためだとされている。この説によれば、極点近くに陸があるとそこに降った雪は低温のために融けず氷床を形成し、さらに、その白い表面のために太陽光の反射率(albedo)が高まり寒冷化を促進していったというものである。確かに、現在海洋によって占められている北極付近の氷床の発達は南極に比べると規模の小さいものであり、季節変化の激しいものになっている。一度南極大陸に氷床が形成されると、大陸周辺の融氷による冷たい海水は底層流となって低緯度地帯へ広がり、南半球から寒冷化が進行する。一方、このような説とは別に、南極大陸は不動のままここに氷床が発達し始めたという見解もある。湊(1980)によれば、アンデス山脈から連続する南極山脈がアルプス造山運動によって高まった後に、ここにまず山岳氷河が形成され、その氷河が低温と反射率の高まりから拡大していったとするものである。山岳氷河の形成時期は始新世であり、本格的な氷床の発達は中新世半ばとされている。
 第三紀の寒冷化は一方的に進行したのではなく、間に温暖期や急激な寒冷化の時期を挟んでいる。日本列島でも門ノ沢動物群で代表される中新世の温暖期(約16Ma)には珊瑚礁が形成されるくらいの気候であった。しかし、鮮新世末(ブローのN21ステージ)には急激な寒冷化と気候の周期的変化の振幅が増大した(Tsuchi, 1992)。この鮮新世末の寒冷化と気候変化の振幅増大はグリーンランドやスカンジナビア半島に氷床が発達し始めたためとも、それまで海峡であったパナマに陸橋が成立したためとも考えられている。陸橋の成立は、それまでこの海峡を東から西へ流れていた暖流を遮断し、アメリカ大陸の西海岸を南流する底層の冷たい深層水を湧昇させて北太平洋の寒冷化を促進すると同時に、メキシコ湾流の形成による西大西洋沿岸の降雪量を増大させて、氷床の形成を促進させたとされている(Tsuchi, 1992)。
 また、この寒冷化に伴って地球規模での乾燥化も促進され、草原化や砂漠化が進行した。ヒト属の祖先アウストラロピテクスがアフリカのキリマンジャロ火山の西、ラエトリの350万年前の火山灰層の上にはっきりとした2足歩行の足跡を刻んだのはまさにこの時期である(Leakey et al., 1976; Leakey, 1979)。やがてこの祖先の後に、石器をもった我々の直系の祖先、ホモ属の最初の種“ホモ・ハビリス”が出現してくるわけであるが、その年代は約190万年前である(McDougall, 1981)。乾燥化はまた黄土(レス:Loess)を広範囲に堆積させ始めた。中国の黄土高原のレスの堆積の開始は約240万年前といわれている(Williams et al., 1988)。[図1.2参照:略]
 黄土高原のレスの堆積開始については、地球規模での乾燥化のみでなく、ヒマラヤ山脈の上昇に伴う偏西風の蛇行もその原因にあげることができる。高くなったヒマラヤ山脈にさえぎられた偏西風はそこから北東へ進路を変更され、インド洋からの湿ったモンスーンを合流することなく乾いたまま黄河流域を流れ、レスを東へ運搬したと考えられている。
 1992年の京都万国地質学会議での第四紀層序委員会では、第四紀の定義について検討され、その議論のなかで第三紀と第四紀の境界を古地磁気層序の松山−ガウス境界(248万年前)付近に設定しようとの意見が大勢を占めた。この理由は、今までこの境界の有力な模式地候補とされていたイタリアのブリカセクションでは、この境界を挟んで気候・動植物群などの変化が見られず、境界の意義をもたないというものだった。そこで、まず第四紀の定義を決め、その後にそれに見合う模式地を探そうというわけである。議論のなかで提案された第四紀の特徴を示すものとして、
 @ ホモ属の出現
 A 急激な気候の周期変化
 B レスの堆積開始

などがあげられていた。その3つともが期せずして松山−ガウス境界付近を示唆している。
 わが国でも、大阪層群や上総層群などのいわゆる鮮新−更新統では、ブリカセクションの鮮新−更新統境界(オルドバイ事件の終了時167万年前付近)はほぼすべての地域で整合であるが、松山−ガウス境界付近は房総半島の黒滝不整合などに代表されるように、いわゆる鮮新−更新統の基底部に当たっているか、いわゆる山砂利のなかにある。そのために、松山−ガウス境界付近の模式セクションを設定できるような一連の細粒堆積物を見いだすことは困難である。

1.3 中周期の環境変化
 第四紀の定義のひとつとして提案されている振幅の大きい急激な気候の周期変化はミランコヴィッチサイクルで代表される。セルビアの天文学者で数学者でもあったミランコヴィッチ(Milankovitch, M)は、1930年に地球軌道要素の周期的変化によって気候変動が生じるとして、過去の緯度ごとの太陽放射量を計算した。すなわち、地球の軌道要素のうち、
 @ 地軸の傾きの周期変化(4.1万年)
 A 公転軌道の離心率の周期変化(10万年)
 B 地軸の歳差運動に基づく太陽と地球の位置関係の周期変化(2.3万年と1.9万年)

に基づいて、太陽放射量を、緯度5゚から75゚の間を5゚刻みに、5,000年間隔で過去60万年前まで遡って計算した。彼は北半球高緯度地帯の夏期の太陽放射量が減少する期間がヨーロッパアルプスの氷河時代に相当するものと考えた。しかし、ミランコヴィッチがこの説を発表した当時はまだ大陸氷床やアルプスの山岳氷河の消長を年代層序のうえに位置付けることは困難であり、この説を検証することができなかった。1950年代に入って、深海底のボーリングコアに含まれる有孔虫酸素同位体比が測定されるようになり、古地磁気層序と深海底堆積物の堆積速度を時間軸として長期間にわたる気候変化曲線が得られるようになった。エミリアニー(Emiliani, 1955)は浮遊性有孔虫の酸素同位体比の変化曲線が表面海水温を示しているとの考えから、その変化曲線を低温期と高温期に区分して、新しいほうから、1,2,3…のように番号をふった。これがエリミアニーの酸素同位体ステージと呼ばれる年代区分である。一番新しいステージ1は現代を含む温暖期であり、2は最終氷期というように、奇数番号は温暖期を、偶数番号は寒冷期を示している。
 その後太平洋や大西洋、インド洋、カリブ海などで実施された深海底掘削(DSDP)によって引き上げられたコアのなかの有孔虫化石の酸素同位体比の検討によって、各地の酸素同位体比曲線がよく一致することがわかり、これが地球規模での変動を示すものであることがわかった。また、コアのなかの浮遊性有孔虫と底生有孔虫から求めた曲線は相互に同様な変動を示し、その変動幅もほぼ同一であることから、これらの変動は海水温の変動よりむしろ軽い酸素が氷床として陸上に固定されることによる影響の方を強く反映したものであることが予想された。すなわち、深海底ボーリングコア中の有孔虫化石の酸素同位体比変化曲線は氷床の消長を示すものであり、それは同時に海水量の増減を示す曲線であるといえる(Shackleton and Opdyke, 1973)。
 さらに、先のミランコヴィッチの太陽放射量曲線との関連でいえば、再計算されたそれと深海底コアの有孔虫化石の酸素同位体比曲線とは良い一致を示すことが見いだされ、10万年周期の離心率変化周期を軸とするミランコヴィッチサイクルが認められるようになってきた(Heys et al., 1976)。10万年周期の酸素同位体比曲線のパターンは、まず最初に急激な18O量比の減少があり、ついで増減を繰り返しつつもゆっくりと18Oは増大し、減少の極値に至って再び急激な減少に至るというサイクルである。つまり、この曲線はノコギリの刃のような形態を示すことになる。これを海水量の変化、すなわち海水面変化に置き換えて見ると、まず急激な海進があり、ついで海水面は上昇・下降を繰り返しながらゆっくりと下降し、海退のピークを過ぎると急激に海進が始まるということになる。また、このサイクルは比較的高海水面が続く前半部分と低海水面期からなる後半に区分することができる。前半の高海水面期はたとえば先のエミリアニーの18Oステージの5にあたるような時期であり、3回の高海水面期からなる。それらの高海水面期は新しいほうから5a、5c、5eと命名され、その間の低海水面期は同様に新しいほうから5b、5dと呼ばれる。このうち最も高海水面期は5eである。一方、最終氷期にあたる後半には目立つような高海水面期は認められないが、6.1万年前から2.9万年前にかけてステージ3のなかに2ないし3回のやや高い時期が認められる。
 海水から蒸発し氷床となって陸地に固定された水がどうなっているのかについては、1980年代に実施されたグリーンランドや南極での氷床のボーリングコアの検討からその様子が明らかにされてきた。南極のボストーク基地で掘削採取された2,200mのコアからは、過去16万年間の酸素同位体比が測定されたのみならず、氷に閉じこめられた過去の空気の成分も測定された(Jouzel et al., 1987)。酸素同位体比については全体に有孔虫化石のそれより軽い酸素同位体が多いが、その相対的変化は深海底の変化曲線によく一致する。すなわち、海洋の高海水準期には重い酸素同位体が多く、低海水準期には少なくなる。つまり、そのときどきの海洋の酸素同位体比に同調しているといえる。また、同時に採取された氷のなかに閉じこめられた過去の空気中の重水素比から推定される温度偏差も深海底の酸素同位体比変化と同調している。これによれば最終氷期の最盛期には、現在の温暖期に比べて、約10℃も平均気温が低かったことが推定される。同時に測定された炭酸ガス濃度は氷期には低濃度であり、間氷期には高濃度を示している(Lorius et al., 1988)。[図1.3参照:略]
 それでは実際の氷床の拡大と後退はどうなっているのであろうか。ひとつの事例として、西ノルウェーから北部北海にかけてのスカンジナビア氷床の一部の消長をあげることができる(Larsen and Sejrup, 1990)。氷床は約12万年前の最終間氷期の5eの時期には見られなかったが、5dから氷床は発達し始め、いったん後退するものの消失せず5bの時期にまた拡大している。5aで消失しまたステージ4ではそれまでより広い範囲に拡大している。後半の最終氷期にはステージ3の初期にいったん消失するもののその後は広い範囲が氷床に覆われることになる。[図1.4参照:略]
 酸素同位体比の変化曲線が海水量の変化を示しているとすれば、それは海水準の変化をきたし、海岸付近で海成段丘埋没谷を形成したはずである。その証拠のひとつとしてニューギニア島ヒュオン半島(Huon)の隆起珊瑚礁段丘の段丘面高度と侵食面高度から推定された古海面の変化をあげることができる。この半島では最終間氷期以降ほぼ等速度の隆起を続けているために、陸上に珊瑚礁からなる段丘群が分布する。この段丘の高度を隆起速度で補正して、古海水準の変化が求められている(Bloom et al., 1974)。個々の隆起珊瑚礁の形成年代は化石造礁珊瑚の14C年代測定とウラン系列年代測定によって決定され、図1.5(略)に示すような変化が得られている。この図から最終間氷期の最高海面期は12.5万年前にあり、それ以降最終氷期の最盛期までに5回の高海水面期が認められる。ただし、そのいずれもが現海水面より低い。
 このような氷河性海水面変化は、陸上にはどのように影響を及ぼしたのであろうか。フランスのグランドパイル(Grand Pile)における泥炭質湿地での連続的ボーリングコアの花粉分析の結果、寒冷気候を指示する草本花粉と温暖な気候を指示する樹木花粉の比率は深海底の酸素同位体ステージに調和的であることを示している(Woillard and Mook, 1982)。それによれば、最終間氷期と最終氷期は約7万年を境にはっきり区分され、間氷期には森林が成育し、氷期にはアルプス山脈の山麓に見られるアルプ的な草原が拡大していたことが推定される。ここがスカンジナビア氷床やアルプスから広がった氷河に近かった地域であるので、その景観の変化は鋭敏である。この変化曲線によれば、最終間氷期には深海底酸素同位体ステージの5bと5dに対比される寒冷期が認められるほか、ステージ3の3ないし4回のやや温暖な時期を記録している。[図1.6参照:略]
 陸上における同様な連続的ボーリングコアの花粉分析は多くの場所で行なわれている。南米コロンビア東コルディエラの標高2,550mの高原に分布する湖成層の540mに達するボーリングコア、フンザ(Funza)Tの花粉分析は、120万年まで遡る気候の変化を明らかにした(Hooghiemstra and Sarmiento, 1991)。それによれば、このボーリングコアは深海底の酸素同位体ステージの35までの花粉組成を含み、東太平洋で実施された大洋底ボーリングODP677の酸素同位体記録と調和的である、ことに、ステージ21(約87万年以前から)以降は、酸素同位体ステージと同様に寒暖の変化の振幅が大きくなっている。このことは従来の、中期更新世から段丘の時代に入るという第四紀のフィールド調査の結果と調和的である。
 ミランコヴィッチサイクルはまた、レスの堆積にも影響を与えている。レスは先に述べたように、黄土高原では松山−ガウス境界付近から堆積を始めた風成層であるが、このなかにミランコヴィッチサイクルが認められる。それは、レス層序のなかに挟在される古土壌の存在であり、図1.7(略)に示すとおり深海底の酸素同位体ステージと調和的な層位的位置を示している。植生の繁茂を示す湿潤・温暖期の形成土壌である古土壌の年代は14C年代測定と熱ルミネッサンス年代測定、古地磁気測定によって推定されている(Williams et al., 1988)。このことは、また偏西風の強弱を指示している。すなわち、古土壌の形成時期は湿潤・温暖な気候を示し、偏西風は弱く、レスの堆積時は寒冷・乾燥、かつ季節風の強い時期を示している。その根拠として、両者の時期の堆積物の粒子の粒径を見てみると、純粋のレスの粒径は、古土壌中のそれより大きいことがわかっている。つまり、古土壌を形成している時期には季節風は弱く、温暖な気候を指示していることになる。レス粒子の大半は中国北西部の花崗岩起源の石英であり、石英中の酸素同位体比が日本のものと異なることから、わが国に飛来しているレスの量比も検討できる。ある試算によれば、日本海の深海底堆積物の50%以上がレス起源であるという。
 図1.7(略)に示したレスの帯磁率は各層準ごとの磁性の強さを示したものであり、季節風が強く粒度の大きいものが堆積するときには磁性鉱物も粒径の大きいものが多くなることを示している。磁性の強さは磁性鉱物の粒径に反比例することから、この結果は粒度分析結果と調和的であり、そのことは堆積当時の季節風の強度を示していると考えられている。また、この結果は大洋底での酸素同位体比曲線とよく一致し、季節風の強弱が古気候の変遷によって変化することを物語っている。
 このような、レスによる季節風の強弱の検討から、日本の古気候もある程度推定することができる。すなわち、日本海が南で太平洋に接続し、対馬暖流が入り込んでいれば、現在と同様に日本海からの盛んな蒸発に伴って日本海側に多量の降雪をもたらせ、閉じていれば、降雪の代わりに乾燥気候に支配されたであろう。
 日本におけるこれらミランコヴィッチサイクルの影響を受けた堆積物としては大阪層群をあげることができる。大阪層群には海成粘土層Ma0(下部更新統)からMa13(完新統)までの海進の証拠が残されている。これらの海進の回数は深海底での酸素同位体による海進回数とほぼ一致し、酸素同位体によるステージ区分にも調和的である。

1.4 短周期の環境変化
 短周期の環境変化とは、先に述べたミランコヴィッチサイクルの変化に比べてさらに短い周期で環境変化を引き起こすものである。通常1,000年単位で生じる気候の急激な寒冷化を指して小氷期などと呼ばれている。これらの短期間の寒冷化はミランコヴィッチサイクルの地球軌道要素からは説明できない変化でありながら、しばしば地球規模で生じるので、その原因についてはさまざまな機構が考えられている。そのうちで、現在もっとも妥当だと考えられている説は大規模な火山活動に伴うエアロゾル(浮遊塵)の日照遮蔽効果による寒冷化である。最近のフィリピンのピナツボ火山の噴火にみられるように、大規模な火山噴火では細かい火山灰が成層圏まで吹き上げられ、偏西風や貿易風などによって地球規模に広がり、太陽光線を遮って地上へ達する熱カロリーを減少させる。1982年のメキシコのエルチチョン火山の噴火に伴う噴煙は成層圏まで噴出され、人工衛星からの追跡によって、1ヶ月後には西周りで地球を一周し、ほぼ赤道から北緯30゚までの全地球を覆い、噴火後6ヶ月以上にわたって留まっていた。この影響で北半球の年平均気温は、その後3年間にわたって0.4゚〜0.5℃低下したと推定されている(Ingersoll, 1983; Rampino and Self, 1984)。
 このような火山活動に伴う大気圏のエアロゾル濃度については、それを定量的に示そうという試みがなされている。その一例として、ダストベール・インテンシティ(d.v.i.)という単位が考案されている(Lamb, 1970,1971)。これは、
 @ 噴火後の中緯度地帯における塵による月平均直射日光減少率の最大値
 A 塵ベールが最大に広がったときの面積が地球全表面に対する比率
 B 中緯度地帯が被った塵ベールの影響の月数
の3つの要素をかけあわせ、1883年に起こったジャワ島とスマトラ島の間にあるクラカタウ火山の噴火の際のそれが1,000となるように一定の係数をかけたものである。北半球における16世紀以降のd.v.i.の変動とヨーロッパの過去100年間の平均気温を対比した図を図1.8(略)に示した。日本でも天明の飢饉などで知られている19世紀半ばの小氷期が地球規模のエアロゾルによるものであることがうかがえる。
 このような小氷期よりさらに大規模でかつ急激な寒冷化が後期更新世には認められている。そのうちのひとつが最終氷期の最盛期から縄文海侵にいたる急激な気候回復期に起こった約1,000年間の寒冷化であり、“寒の戻り”のような現象である。この急激な気候変動は図1.4や図1.6で示したように世界各地で認められている。ヤンガードリアス期と呼ばれるこの寒冷期については、もともと北ヨーロッパの氷期区分で用いられてきた時代区分であり、その年代はモレーンの研究によって、11,000年前から10,450年前までとされている。このような急激な寒冷化と、その後に続く急激な回復はミランコヴィッチサイクル説では説明できない現象である。この原因については、最初、ミシシッピー河口沖で掘削されたボーリングコアの浮遊性有孔虫の分析結果から問題が提起された。すなわち、浮遊性有孔虫の分析結果から、後氷期に入って融けだした北アメリカのローレンタイド氷床の融氷水がミシシッピー河を流下したために16,500年前から11,600年前にかけて、寒冷でかつ低塩分を好む種が卓越したものの、11,600年間を過ぎると急激に暖かくなりかつ塩分濃度も増加する傾向を示すことがわかった。このことは、11,600年前にはローレンタイド氷床はミシシッピー河の流域の北側へ退き、その融氷水は代わってセントローレンス河へ流入していたと推定された。セントローレンス河から西大西洋に流入した冷たい淡水は、ここを北へ向かって流れるメキシコ湾流に乗って北大西洋に広がり、ヨーロッパを急激に寒冷化させたというものである(Kennett et al., 1985)。
 この結果は、ポルトガル沖の大西洋底コアでの詳細な酸素同位体分析によっても支持され、寒冷化は12,260年前から始まり、10,200年前まで続いたことが確かめられた(Bard, 1989)。しかし、その後この時期の寒冷化は北大西洋のみに留まらず、汎世界的なものであることがわかってきた。たとえば、バルバドス島の沿海での珊瑚礁のボーリングコアによる古海水準の復元(Fairbanks, 1989)やフィリッピン南西のスルー海でのボーリングコアの酸素同位体比にもこの時期の寒冷化が記録されていることがわかった(Kudrass et al., 1991)。スルー海での寒冷化のはじまりは10,800〜11,065年前からであり、約1,000年間継続している。また、中国北部の黄土高原ではこの時期にレスの間にバキシー古土壌が形成されている。この時期黄土高原では寒冷化に伴う冬期のモンスーンは強かったにもかかわらず、夏期のモンスーンも強かったために、降水量が増加し内陸奥地にまで古土壌が形成されたと考えられている(An et al., 1993)。夏期の極前線の位置は現在より南に偏り、中国北部にまで雨を降らせる条件が整っていたことになる。[図1.9参照:略]
 このような地球規模での短期間の急激な寒冷化については、先のローレンタイド氷床の融氷モデルだけでは説明できないために、地球全体をその影響下に置くような海洋底の深層流モデルなどが検討されている(Broecker and Denton, 1990)。それによれば、メキシコ湾から北へ流れているメキシコ湾流や黒潮は熱帯地方で温められた海水を北半球の高緯度地帯に送り込んでいるわけであるが、高緯度地帯では次第に冷却され、かつ塩分濃度の低い海氷を作るために塩分濃度が増して重くなり沈降して底層流となり再び赤道方向へ流動する。これが底層流で、太平洋・大西洋ともに大洋の東側を南に向かって流れている。このような海水の大循環はベルトコンベアーに例えられ、地球全体の気候をコントロールする働きをしている。Broecker and Denton (1990)はこのような深層流が大西洋・インド洋・太平洋で相互につながっているために、北大西洋の寒冷化が地球規模の影響を与えると主張している。