都城・久城(1975)による〔『岩石学U』〕(1-9p)から〕


15.1 岩石と記載的岩石学
 岩石にいろいろな種類があることに気がついて、それらを肉眼的に区別して名前をつけることは、極めて古い時代から始まった。古代ローマの時代には、もうかなりの名前があった。今日一般に使われている岩石名のなかでも、syenite、basaltなどは、そのように古い時代に始まったものである。
 しかし、本来の岩石の科学的名称が始まるためには、岩石を、鉱物や化石や地質学的岩体からはっきり区別する必要がある。すなわち、岩石の名前というものは、数cmあるいは数十cm程度の標本的な大きさの塊りのもっている性質にもとづいて与えられる。岩石は一般に、鉱物の集合体である。そして、岩石が集って地質学的な岩体を構成する。この区別が不十分ながら意識的に行なわれ始めたのは、18世紀の末ごろからである。
 岩石の性質を記載し、名前をつけ、分類するような種類の研究を行なう学問を、記載的岩石学または岩石記載学(petrography)という。それに対して、もっと一般的な岩石学(記載的岩石学をも含む)をpetrologyという。

 15.2 記載的岩石学の歴史
 記載的岩石学の始まりに大きな貢献をしたのは、18世紀の末ごろドイツのフライベルグ鉱山学校の教授であったA.G.Werner(1749〜1817)である。彼は、今日では主として、岩石の水成論という学説の主唱者として記憶されているが、岩石や鉱物の記載的な方面の開拓者としての功績が大きかった。
 Wernerや彼の後継者たちは、肉眼やルーペで岩石の鉱物組成や組織をできるだけ正確に観察して記載した。しかし、鉱物組成や組織を正確に決めるということは、肉眼やルーペだけではとてもできないことである。したがって、彼らの観察には、狭い限界があった。たとえば玄武岩のように細粒の岩石の鉱物組成は、全く決めようがなかった。したがって当時は、玄武岩は鉱物の集合ではなくて、均質な物質だと考える人が多かったのも当然であった。この点からみると、本格的な記載的岩石学は、偏光顕微鏡が使われるようになって始まったともいえよう。
 すでに第3章でのべたように、偏光プリズムや薄片の作り方を発明したのはWilliam Nicolであり、これを使ってはじめて有意義な岩石学的観察を行なったのは、1850年代のH.C.Sorbyであった。この種の研究は、その後ドイツとフランスで発達するようになった。ことに、ライプテツィッヒ大学のF.Zirkel(1838〜1912)と、ハイデルベルグ大学のH.Rosenbusch(1836〜1914)とが、体系的な記載・命名・分類を行ない、記載的岩石学の最高の権威となった。Zirkelの“Lehrbuch der Petrographie”(第2版、3巻、1893〜'94)や、Rosenbuschの“Elemente der Gesteinslehre”(第3版、1巻、1910)などは、ことに広く読まれて、世界に大きな影響を及ぼした。津和野藩出身の小藤文次郎(1856〜1935)は、1881年ドイツに留学し、岩石学をZirkelに学び、この学問をわが国に伝えた。
 1873年から1890年ごろまでは、記載的岩石学の全盛時代で、それが岩石学全体を代表していた。しかしその後、岩石の成因論的研究が進み、20世紀の岩石学の中心はそちらに移った。
 岩石を分類することは、岩石の性質の詳細な観察とともに18世紀の末ごろ始まった。しかし、18世紀の末ごろから19世紀初期にかけての、Wernerなどの分類では、まだ、岩石と地質学的岩体(岩層)との違いが意識されていなかったために、分類に混乱があった。彼らは、岩石をまず地質時代によって大分けし、それをさらに標本的な性質によって細分しようとした。鉱物と岩石と地質学的岩体をはっきり区別して、そのような意味での岩石を時代に関係なく分類するという試みは、1827年出版されたフランスのA.Brongniartの著作において、はじめて大いに強調された。しかし、岩石の分類や名前のなかに、地質時代による区別を入れる習慣は、その後もなかなか消えず、ZirkelやRosenbuschにまで残っていた。
 ZirkelやRosenbuschの提案した岩石の分類命名法は、主としてそれを構成している鉱物の種類(鉱物の組合せ)とごく大たいの量の割合にもとづくものであった。その点で、それらは、定性的な鉱物学的分類法とよばれることがある。その後岩石名の意味をもっとはっきりさせるために、鉱物の量の精密な割合を岩石名の定義のなかに入れることが、いろいろな人によって提案された。たとえば、A.Johannsenの“A Descriptive Petrography of the Igneous Rocks”(4巻、1931〜1938)は、今日一般に用いられている最も詳細な、火成岩の記載書であるが、この本はそういう定量的な鉱物学的分類法の一つにもとづいて書かれている。そのほかに、岩石の化学組成にもとづく、化学的分類法も、いろいろ提案された。
 岩石の分類命名法があまり不統一なので、それをもっと統一して、名前の誤解や混乱をなくしようということが、これまでに何回か試みられた。その一つとして、現在、国際地学連合(International Union of Geological Sciences)のなかにそのための委員会があって、ことに火成岩の分類命名について国際的な統一案をつくりつつある。それは、定量的な鉱物学的分類法の一種になるであろう。
 こういういろいろな分類命名法のそれぞれには、その長所と短所とがある。どの分類命名法が良いかは、個々の場合の目的によってちがうのである。いつでも他のすべての分類命名法よりも良いような、絶対に最良の分類命名法というものは、存在しないであろう。岩石の標本の物理的性質(たとえば密度)を測定する場合に、それが鉱物組成と関係があることを見るには、定量的な鉱物学的分類法を用いるのが自然であろう。しかし、岩石の成因を論ずるときには、精密な定量的な分類法が、かならずしもすぐれているとは限らない。なぜかというと、岩石の成因的な系統や、生成条件による境界は、定量的な分類法に定義された鉱物の量の割合の境界線とは、一致しないのが普通であり、しかも、ちがった系統や生成条件の岩石が定量的分類法で同じカテゴリーにはいることを避けられないからである。
 本書の第18章で火成岩の分類と命名を記述するときには、そういう伝統的な記載的岩石学のなかのいろいろな立場からの分類命名の相互の関係だけでなく、それらともっと成因的な分類との関係を、なるべく明瞭に記述するようにしよう。
 構成鉱物の割合や化学組成が連続的に変るにつれて、岩石の性質は連続的に変るものである。多くの場合には、一つの岩石名をもつ岩石から、それとはちがった岩石名をもつ岩石までの間の、どんな中間的な性質をもった岩石でも見つけられうる。したがって、定性的な分類であっても、定量的な分類であっても、岩石の分類はすべて自然的な境界にもとづくものではなく、人為的な定義にもとづくものである。その点を強調するために、動物や植物や鉱物には自然的な種(species)があるが、岩石には種は存在しないで、ただ岩型(rock types)があるだけだといわれることがある。岩石名は、そういう意味の、岩型名である。

 15.3 岩石の成因的な三分法
 今日ふつうには、岩石はまず成因的に、火成岩(igneous rocks)、堆積岩(sedimentary rocks)および変成岩(metamorphic rocks)という三種に大分けされることになっている。本書もこれを採用する。このような三分法は、1862年にB.von Cottaによって提案されたといわれている。しかし、19世紀には、この三分法はあまり広く用いられてはいなかった。それが今日のように一般的な習慣になったのは、20世紀の始めからである。
 今日でも、この三分法にしたがわねばならない必然的な理由はない。たとえば、火成岩という分類箱をやめて、それを火山岩と深成岩に分けてもよい。火成岩と堆積岩との中間に、火山砕屑岩(pyroclastic rocks)を設けてもよい。しかし近年、多くの人は、火山砕屑岩を火成岩にいれている。
 以下に、この三分法のなかにでてくる名前の定義を論じよう。
 岩石とは、鉱物またはそれに準ずる天然の物質(たとえば火山ガラス)の集合した塊りであって、地殻のなかにかなり大きな部分を構成して出現するもののことである。(原則的にいうと、固結した塊りをつくっていても、固結した塊りをつくっていなくてもよい。しかしふつうは、固結した塊りをつくっているものだけをさす。たとえば、バラバラの砂などは岩石とはいわないことが多い。)
 火成岩とは、マグマが固結してできた岩石のことであると定義されるのが普通である。しかし、カコウ岩、超マフィック岩類、その他の岩石のなかに、ほんとうにマグマが固結してできたものかどうかに疑いのあるものが少なくない。そういう岩石は、成因が確定的にわかるまでは分類できないというのでは不便である。そこで、普通は、成因は確定的にはわからなくても、マグマが固結してできたカコウ岩と容易に区別できない岩石はすべてカコウ岩とよび、火成岩に入れるとか、すべての超マフィック岩類は火成岩に入れるとか、いうような便宜的な規約を暗黙のうちに設けている。そういう点からみると、記載的岩石学で用いている岩石の三分法は、厳密に完全な成因的な分類ではない。
 変成岩とは、変成作用によってできた岩石、換言すれば、本質的に固体の状態の岩石が、地下のかなり深いところで変化をうけて生成した岩石のことである。ただし変成作用が進んで、その岩石が、標本的な性質ではマグマが固結してできた岩石とほとんど区別できないようになった場合があれば、変成岩ではなくて、火成岩に入れて火成岩としての岩型名をつけるのが普通であろう。また、“地下のかなり深いところで”という条件は、地表の風化や地表近くの続成作用を除くためのものである。
 堆積岩とは、水中または空気中からの堆積作用によってできた岩石のことである。ただし、それが地表または地下浅所であまり著しい温度上昇なしに変化(続成作用)をうけたものは、ふつうは堆積岩に入れる。著しい温度上昇があった場合には、その変化は変成作用とみられ、変成岩に入れることになる。したがって、堆積岩と変成岩の境界も、人為的なものである。

 15.4 岩石の化学組成と鉱物組成
 火成岩の造岩鉱物の大部分はケイ酸塩であり、火成岩の性質はそのSiO2の含有量の変化に応じてある程度規則正しく変化する。そのために、火成岩をそのSiO2の含有量を基準にして分類することが、しばしば行なわれてきた。この分類では、表15.1のような言葉がよく使われる。

表 15.1 SiO2の含有量による火成岩の分類(1)

名  称

SiO2の重量パーセント
超塩基性岩(ultrabasic rocks) 40%前後(あるいは45%以下)
塩基性岩(basic rocks) 50%前後(あるいは45〜52%)
中性岩(intermediate rocks) 60%前後(あるいは52〜66%)
酸性岩(acidic rocks) 70%前後(あるいは66%以上)
(1) この分類は、本来は火成岩に対して提案されたものであるが、それらの火成岩が変成してできた変成岩にも用いられることがある。

 しかし、ここに現われる酸性とか塩基性とかの語は、化学ではこれとちがう意味に広く用いられている。それで、誤解を起こすといけないから、避けた方がよいという意見がある。酸性の代りにシリシックあるいはシリカに富む(silicic)あるいはフェルシック(felsic)、塩基性の代りにマフィックあるいは鉄マグネシウムに富む(mafic)という語が使われることがよくある。この用法は、ことにアメリカに広くゆきわたっている。本書のなかの火成岩の分類記述の章(第18章)では、フェルシックとマフィックを用いる。
 堆積岩や変成岩は、火成岩よりもはるかに広い範囲の化学組成をもっている。そのなかの一部分は、火成岩に似ているが、似ていないものも多い。たとえば、チャート(堆積岩)のSiO2含有量はよく95%を超えるが、そんなにシリシックな火成岩は存在しない。
 岩石の鉱物組成は、化学組成と密接な関係がある。しかしそれは、化学組成だけで一義的に決るものではない。岩石の生成する温度・圧力、そのほかさまざまな条件によって、いろいろに変りうる。火成岩に比較すると、変成岩は生成の温度が低いので、両者の化学組成がほとんど同じであっても、鉱物組成は大きな違いを生ずることが多い。
 火成岩や変成岩を構成する鉱物を、次のように大きく二つに分けることができる。
(i) 無色鉱物(colorless minerals)またはフェルシック鉱物(felsic minerals)。これは、色が白または白に近い鉱物で、具体的にはシリカ鉱物、長石、準長石などをさす。化学組成上は、Si、Al、Na、Kなどに富んでいる。
(ii) 有色鉱物(colored minerals)またはマフィック鉱物(mafic minerals)。これは色が暗い鉱物で、具体的にはカンラン石、輝石、角閃石、黒雲母などをさす。化学組成上は、一般に無色鉱物よりもSiが少なく、Fe、Mgに富んでいる。
 白雲母は、化学組成の類似から無色鉱物に入れる人と、黒雲母といっしょにして有色鉱物に入れる人とがある。一般に、無色鉱物の多い岩石は、SiO2の含有量も多い傾向がある。
 火成岩や変成岩の場合に、そのなかの有色鉱物のパーセント(多くの場合は体積パーセントであるが、重量パーセントを使うこともある)を、色指数(color index)という。火成岩は、色指数によって次のように分けられることがある:

名  称

色指数
優白質(leucocratic)

0〜30
中色質(mesocratic)

30〜60
優黒質(melanocratic)

60〜100

色指数が90〜100の範囲のものを、とくにhypermelanicとよぶこともある。
 全火成岩を、色指数によって分類する方法は多くの人によって提案されたが、本書では表18.1に示してある。

 15.5 岩型名の表現法と表記法
 1870年ごろから1920年ごろまでの間に、世界の岩石学者たちは、きそって新しい岩石名を提案し、岩石名の洪水をひき起した。火成岩の名前だけでも、総数は1,000個を超えるであろう。今日からみると、その大部分は、無用のものである。今後は、できるだけ岩石名を少なくして、記憶に無用の負担をかけないようにしたいものである。将来われわれは、聞きなれない岩石名はできるだけ使わないように自制したい。
 古い記載的岩石学では、類似した岩型でも、鉱物の組合せがすこしちがうと、ちがう岩型名をつけるのが普通であった。たとえば、黒雲母を含むカコウ岩はgranititeとよぼれ、白雲母を含むカコウ岩はgranuliteとよばれた。しかし、近年は、岩型名をなるべく少なくして、しかも複雑な天然の状態の記載を容易にする一つの手段として、岩型名の前にいろいろな鉱物の名前をつけることが広く行なわれている。
 たとえば、有色鉱物が黒雲母であるカコウ岩は黒雲母-カコウ岩とよばれ、白雲母であるカコウ岩は白雲母−カコウ岩とよばれる。両方あると、黒雲母-白雲母-カコウ岩である。これらの場合に、鉱物名の間や、鉱物名と岩型名との間には、2分の1字幅のハイフンを入れることにすると読みやすい。英語では、これらはそれぞれ、biotite-granite、muscovite-granite、biotite-muscovite-graniteというように書かれる。(鉱物名と岩型名との間にはハイフンを入れないで、biotite granite、biotite-muscovite graniteというように書くのがアメリカでは普通である。)火山岩では、斑晶鉱物の名前を岩型名の前につけるのが普通である。
 日本語の岩型名は、大部分は、明治時代に英語やドイツ語の岩型名に対する訳語として作られた。山崎直方著“岩石学教科書”(1899)には、花崗岩、石英斑岩、流紋岩、粗面岩、閃緑岩、輝緑岩、玄武岩、片麻岩などのような、現在も広く使われている岩型名が見られる。しかし他方では、そこで使われている正長岩(今日の閃長岩)、富士岩(今日の安山岩)、飛白岩(今日のハンレイ岩すなわちガブロ)、剥岩(今日の片岩)などは、いまではすたれてしまった。その後刊行された佐藤伝蔵著“岩石地質学”(1925)に使われている岩型名は、今日のものと全く同じだといってよい。
 明治・大正時代の学者は、漢学に対する親しみがあったので、しばしば珍しい字を用いた。当時用いられた文字のなかで、たとえば閃や斑や剥は、たいして珍しい字とはいえないかもしれないが、今日では当用漢字のなかにははいっていない。ヒン岩(〔王+分〕岩)の〔王+分〕、ハンレイ岩(斑糲岩)の糲などに至っては、今日の漢字の普通の辞書には出ていないほど珍しいものである。今日からみて、このような特殊な漢字を用いる理由がないことは、明らかである。カコウ岩(花崗岩)の崗は岡の俗字だということである。このように不必要にむずかしい漢字を用いた岩型名は、早かれおそかれ廃棄せねばならないであろう。本書では当面の妥協的な試みとして、特にむつかしい漢字を含む岩型名は片カナで書くか、あるいは英語名の発音(またはそれに近い日本における慣用音)を片カナで書くことにする。たとえば、ハンレイ岩のかわりにガブロと書く。』