『第T章 地質図とは何か
地質図を利用する人に
複雑な地質構造をもったアルプス山脈を貫通するシンプロン・トンネルの工事のときに、地質学者の考えていた地下深くの構造の予想が工事を指導したし、しかも実証された。これより地質調査は、地下資源だけではなく、土木工事とも離れられないものとなった。わが国でも、困難をきわめた丹那トンネル工事を機として地質調査の必要があらためて認められた。そして最近では土木関係だけではなく、水利・建築・農林など広い分野で地質図の要求がふえてきている。もちろん油田・炭田や鉱山の発見・開発に地質図の必要欠くべからざるものであることはいうまでもなく、精度の高いものがつくられて、採鉱・探鉱に活用されている。
ところが地質図は一般の地形図や分布図と違った点があり、これを読みこなすにはある程度の基礎知識が必要である。地質調査や地質図が、どんなものであるかを知っていないと、せっかくの地質図も活用できず、誤解や失敗のおこることもある。
普通に地質図とよんでいるものは、正確な地形図のうえに、地殻の最上部(地表ではない)の状況を一定の約束に従ってあらわしたものである。地表は表土や風でとんできた砂泥、崖くずれなどでちらばった石ころなどでおおわれているのが普通であるが、特殊な場合を除いて、地質図はこれらの薄い表層を除いた状態を示している。地殻は構造をもった立体的なものである、たとえば一枚の地層を考えてみよう。この地層は地下に分布しているがある場所で地表にあらわれる。この地層が露出する部分は、地層と複雑な局面である地表面との交線で決定されることになる。したがって地質図の地層の境界線と地形との関係を読み取ると、ある程度地下の状態を知ることができるわけである。第U章で基礎知識を身につけ、えきれば第V章を読んで地質図作成法のあらましを理解した後、第W章で、実際を研究していただきたい。
また地質図は、表層下の状況をあらわすものであるから、同じ地域の地質図でも、精粗いろいろなものがあるのは当然である。地質調査の精度や、調査者の調査のしかたによってもある程度の相違はさけられないことは誰もが予想されるであろうが、つぎのような点も考えておく必要がある。たとえば第1図(略)と第39図a(p.67)(略)を比べてみよう。
この二つは同じ地域の地質図であるのにずいぶん違う。第1図では、分けた層が四つであるのに、第39図では八つになっている。それらの層の間の対応はだいたいわかるが、層の分布、とくに左の3分の1ほどは違いが大きい。断層についての違いはもっとはなはだしい。背斜軸は2本ともいちおう一致しているが、第1図に描かれている向斜軸は第39図にはなく断層になっている。
このような違いは何に基づくものであろうか。上に述べたように、一般に大部分の地表が表層におおわれているので、地質図には調査者の考察による表現が取り入れられることはやむをえない。もちろんその違いもあろう。しかしながら、第1図が1930年代につくられたもので第39図が1950年代につくられた図であることをまず考えなくてはならない。この20年の間には、地質調査の方法も大きな進歩をとげたし、地質学も発達した。これらが調査者の個人的な違いをこえて、二つの図の違いをもたらした大きな原因と考えられる。
地質調査も、最近では、物理的化学的な地下探査法がさかんに導入され、地表調査だけではわからない点まで探求されるようになってきたし、ボーリングの方法も発達してきた。それにともなって地質調査資料のまとめ方や形式もかわってきて、第X章に述べるような図法も活用されるようになり、一般に地質図1枚をたよりに仕事をすすめるという時代はすぎつつある。さらに、目的に応じた精度の高い調査方法の採用と、最近の堆積学・岩石学・鉱床学などの急速な進歩は地質学的考察の客観性を著しく増大し、一般に優秀な地質図が作成されるようになったので、ますます土木工事や探鉱に、地質調査の重要性が強調されるようになった。
このような変遷は、地質学の基礎的な考え方の進歩と表裏一体の関係をもっていて、地質図は、できるだけわれわれが直接みることができない部分の地質状況を正確に画きだすように前進している。だがなんといっても、地質図は機械の設計図のようにはゆかない。地質図を利用するときは、つぎのような点に注意する必要がある。
1)その地質図がいつ頃つくられたものであるか。2)同じ時代にできた地質図でも、調査の目的や、調査者によっても違ってくることは、次項をみていただければわかる。したがって、目的、調査者あるいは調査機関の種類を知って利用の限界を考えながら活用することが望ましい。
要するに、ある目的で地質を知る必要がおこった場合には、安易にできあいの地図にたよらず、新しくその目的に応じた詳しさの地質調査を行うことが理想的である。一般向きには地質調査所から各種の地質図が発行されつつある。また最近、府県別地質図も増加してきた(巻末付録参照)。
地質図をつくる人に
地質図は調査結果をまとめて発表するときだけつくるものではない。地質調査の対象になる地層や岩体は人間の視野にとって、あまりにも大きく、複雑な構成をもち、変化の多い形をしており、しかも一部を点々と地表に露出しているにすぎない。調査者は山野を歩きながら散在する露頭(ろとう)(岩石や堆積物が地表に露出しているところ、崖などのこと)から資料を得、それらの資料から地層や岩体の分布・構造を明らかにしてゆくのである。そのためにはどうしてもこの大きな対象を小さく縮めて図上にあらわし、得られた資料間の関係をみてゆく必要にせまられる。そのとき、それまでに得られた資料から地質図(あるいはつぎに述べる野稿図)をつくってみるということは調査を推進してゆくためにぜひとも必要であるということをまず心にとめてほしい。
露頭について観察したことは地形図上に整理・記入され、いくらかの推定を加えて、翌日の調査方針をたてるのに役立つ(p.13第8図参照:略)。そうしてある程度資料がそろって野稿図が充実してくれば、作図法その他によって資料の得られない空白部を埋めてゆくことができるようになる。そうして地質図ができあがる。
調査の日数・費用にはおのずから制限があり、いかに調査者の良心が期間の延長・器械の活用をもとめても許されないことの多い現状であるから、ある期間・方法で結果をまとめなければならない。その期間と方法とによって、ほぼ地質図の精度が決まってくる。しかし資料が多いほどよいのはもちろんであって、いろいろの困難や条件や制限のもとで、より正確な、より詳しい野稿図をつくりあげることに努力し、できあがる地質図の信頼度を高めるようにしなければならない。
作図法をよく使いこなした一見みごとな地質図でも、大切なところが事実と違っているものがある。これは、野稿図を豊かにする努力を怠ったものである。作図法をみだりに使うのはもっともつつしむべきことで、わが国のような複雑な地質のところでは、わずかな資料から作図法だけで地質図をつくれるようなところはないといってもさしつかえない。地質−図学の知識は、不備な調査資料から地質図をもっともらしくつくりあげるための武器ではなくて、観察したことから地質構造を正確にとらえるための武器であり、地層の分布を予想して調査計画を立てるための武器でなければならない。
つぎに問題になるのは、調査者がいかに努力しても、表土をすべてとり去ることができないかぎり、野稿図に空白部が残ることは当たり前である。これを埋める最後の過程に作図法や、調査者の解釈が入ってくる。解釈いかんで構造や新旧関係という根本的な問題まで影響してくる。また、地質図の理想は岩石や地層の状態を、最も自然に忠実に表現することであるが、単元(たとえば第1図の各層)に分けるのにどのやり方がよいかというような問題がおこる。これらの問題は、調査者の能力や経験の問題であると同時に、先にも少しふれたように、調査者を育てているその時代の地質学のあり方に深く根ざしている。だから、地質図は単に技術的に生みだされるものではなく、地質学のあゆみとともに進歩してゆくべきものであり、同時に地質学の発展をうながすものなのである。この意味で「地質図とは」豊かな野稿図をもとにしなければならないから、「地質学者の考えをあらわす便法」ではありえないし、必ず解釈を必要としているから、「すべてが事実の記録」ともなりえない、そのどちらの要素も合わせもっているものである。
地質図をつくったときには、さらにつぎのような点を反省してみる必要があろう。
1)地質図から、区分単元の相互の関係や生成の順序が矛盾なく読み取れるかどうか? 地質というものはいつでもその中で互いに関係しているものであってそれら全体の関連を描いた本来の地質図は、土壌分布のような土地分類図ではなくて、各区分単元の形と生成順序とを考えに入れたものである。だから地質図は地質のできあがる歴史が読み取れるものでなければならない。
2)野外で観察した重要なことすべてを地質図に生かしているか? そのような地質図であって、はじめて自然に忠実な地質図といえるのである。自分の抱いている地質像に、合わせようとした点はなかったか? たとえその時代に支配的な“地質学”の考え方に合わない資料であっても、そのなかから新しい地質学の芽が出てくるのであるから、重要な野外の事実を捨ててはいけない。
3)その地質図から調査の精度がわかるようになっているか? 観察したことと推定したこととをわけて示す方がよい。もしできれば、どれだけの露頭又は行程によって調べられたか、推定の根拠などを別記できると理想的である。(何人もの調査者が協力して1枚の地質図を描くときなどは、各人の歩いた路線図は調べた範囲・精度ばかりでなく分担地域もあらわせる便利さがある。)
4)誰がつくっても同じような地質図になるか? 地質調査結果に主観的な偏見が入ってはならないことはいうまでもないが、さきにも述べたように、地質図を完全に技術的に仕上げることができないとすれば、偏見をさけるためにはできるだけ個人差のはいらない方法で調査結果を図化するように努力すべきだろう。
地質図をつくることが、地質調査の目的ではない。そこに分布する岩層や構造のできていった過程を知ることが大切なのであって、地質図はそのためにつくる必要がある。これは学問的な問題にかぎらず、石油や石炭その他の鉱床なども、その生成過程を研究することなしに地下深部のものを探りあてることはできないからである。そしてこのような研究をしてゆくためには、いつまでも一般の“地質図”で満足していないで、その手段として地下の状態を解析するために、第X章にいくつかの例を示したようないろいろの図法を活用することが必要である。これらを使いこなし、さらに新しい図法を工夫して、地下構造の実態をつかまえてゆくことが、地質調査者のつとめであり、よろこびでなければならない。』