池内(1998)による〔『宇宙論のすべて』(42-44p)から〕


11 インフレーション宇宙
 ビッグバンで宇宙が誕生した直後に、宇宙斥力が卓越し指数関数的に膨張する時代があったことを主張する宇宙モデル。このインフレーション時代を挟むことによって、宇宙の「平坦性問題」や「地平線問題」の自然な解決が導かれる。
 アインシュタインの宇宙方程式から得られる通常の宇宙膨張は、時間についてベキ関数で記述される。このような場合はフリードマン宇宙と呼ばれる。アインシュタインの方程式を最初に解いたロシアのアレキサンドル・フリードマンにちなんで名付けられた。ビッグバン宇宙の提唱者のジョージ・ガモフは、学生時代フリードマンの講義を聞いて宇宙の研究を志したという。師弟で現代宇宙論の理論的基礎を拓いたわけである。
 このフリードマン宇宙には、いくつかの難問がある。一つは、時刻ゼロの宇宙の始まりに関する問題で、物質密度や温度が無限大になってしまう。これを宇宙の「特異点」問題と呼んでいる。時刻ゼロに近づくと物質の量子効果を考慮した「量子宇宙」に移らねばならない。
 もう一つは、宇宙の「平坦性」問題である。現在の宇宙が非常に平坦である理由を問うもので、フリードマン宇宙の場合、平坦でない宇宙であれば時間とともに平坦性からのズレはますます増大していく。ならば、100億年も経った現在の宇宙が平坦に近いのは、宇宙初期の平坦性からのズレが極端に小さかったと考えざるを得ない。そのような微調整がなされたとは考えにくいから、そもそも平坦な宇宙が創成されたとするしかない。これでは平坦性問題を説明したことにはならない。何らかの物理的作用で平坦な宇宙になった、というような説明が欲しいのだ。
 さらに、宇宙の「地平線」問題もある。現在までに私たちに情報が伝わり得る範囲を地平線と呼ぶ。私たちは、原理的にこの範囲内の宇宙しか観測できないからである。フリードマン宇宙では、現在の地平線にあたる場所はそれまで物理的に関連し得なかった領域である。物理的に関連し得なかった領域は、互いに情報がやりとりできないから同じ物理状態である保証はない。ところが、観測している地平線領域は、ほぼ完璧に同じ物理状態である。なぜ、物理的に関連できなかった領域が同じ状態にあるのだろうか。これを地平線問題と呼んでいる。いわば、まったく情報交換がなかったはずなのに、入札すれば同じ値段を出す建設業者のようなものである。この問いに対し、フリードマン宇宙ではそのようになっている、としか言えないのだ。
 アインシュタインは、当初、宇宙は永遠と考えており、万有引力に釣り合うような斥力として「宇宙項」を導入した。後にアインシュタインは宇宙斥力を取り下げたが、ビッグバンで宇宙が誕生した直後には宇宙斥力に対応する項が卓越する可能性が、マサチューセッツ工科大学のアラン・グースや日本の佐藤勝彦によって指摘された。宇宙斥力だけが卓越すると宇宙膨張は大きく加速されるので時間の指数関数で表される。これが物価の急速な値上がりに似ているので、インフレーション宇宙と呼ばれるようになった。この段階で宇宙のサイズは何十桁も膨張し、その後フリードマン宇宙に移ったとするのだ。ビッグバン宇宙の膨張則が一部修正されたわけである。
 宇宙のインフレーション的な膨張の時代では、小さな空間が急速に引き伸ばされるので、平坦な宇宙になってしまうことが証明される。トランポリンのようなゴムの膜が曲がっていても、急速に引き伸ばすと真っ平らにあるのを想像してもらえばよい。宇宙の「平坦性」問題は、インフレーション的な膨張で自然に説明できることになる。
 また、「地平線」問題もインフレーションによって解決することができる。まず、物理的に関連できる領域が、互いに信号をやりとりして同じ物理状態になっているとしよう。その後、宇宙のインフレーション的膨張のために、いったん地平線の外に広がる時代が挟まれたと考える。そして、インフレーションが終わってフリードマン宇宙に戻ったとする。そのように考えると、現在地平線に入りつつある領域は、インフレーション前に同じ物理状態にあったから、当然同じ姿で観測されることになる。インフレーション前に「談合」があって情報交換した後、遠く離れ、知らん顔をして入札している業者のようなものである。
 このように、インフレーション宇宙は理論的に魅力があるが、その直接的な証拠がないことが弱点になっている。つまり、インフレーション宇宙でなければ説明できないような観測的な直接証拠の予言力に欠けているのだ。また、インフレーションを引き起こす宇宙斥力の起源も定かではない。現在、これらの弱点を克服すべく精力的に研究されている。』