環境監査研究会(1992)による〔『環境監査入門』(7-14p)から〕


第1章 環境監査の案内図
 環境監査という言葉を時々見かけるようになったのは、ほんの一、二年前のように思われる。最近でこそ頻繁に見かけるようになったが、依然としてその使い方はバラバラで内容的にも必ずしも明確ではない。英文でもEnvironmental Audit、Ecological Audit、Eco-audit、Environmental Assessment、Environmental Review、Environmental Due Diligence、などいろいろな使い方がされており、その意味もまた様々のようである。したがって、これを分類することも難しい状況であるが、本書ではいくつかの切り口、および実例を紹介することにより、できるだけ全体像がつかめるように努めたい。
 ところで、環境影響評価と環境監査が混同されることも時としてあるようである。環境影響評価(Environmental Impact Assessment: EIA)もまた、いろいろな意味に用いられている。例えば、狭義には、地域の面開発、再開発を行なう際に用いられる事前環境評価に用いられ、一般的にはこの意味で使われることが多い。しかし、広義には製品影響評価のように、必ずしも事前とは限らないものも含んでいる。この場合、環境監査と区別することは困難であり、混同して使われることはやむをえないことといえよう。
 後述するEC提案の環境監査は、主として事後評価の方式をとっており、ECでの環境影響評価(EIA)は事前の評価なので狭義の用い方がされていると言えるだろう。
 さて、このように考え方が統一されていない状況の中で企業全体の環境監査を考えることは、現時点では理念的要素がどうしても強くなりがちである。しかし、過去行なわれてきた環境監査は、個々のプロセス、個々のプロジェクト、個々の工場の監査であり、企業全体の監査も具体的にはこれら個々の監査の集大成となる可能性が大である。他方、これら個々の監査なしでの企業全体の監査も考えらない。また、製品の「ゆりかごから墓場まで」(from cradle to grave)とか、資源の開発から製品の終了まで(「子宮から墓場まで」from womb to tomb)というようなことが盛んにいわれる今日、個々のプロセスの監査は従来以上に重要性が増すし、手法・基準等も開発、改良されていくものと思われる。例えば、製品安全に関するPS(Products Safety)の発達等もこの一つであろう。しかし、これらは技術的要素も多く本書の目的とするところではないので、そこには余り立ち入らないことにする。

 環境監査の必要性
 オゾン層の破壊、酸性雨、熱帯雨林の減少、地球温暖化といった地球環境問題は今や人類にとって最大の問題と言ってよいであろう。すなわち、これらの事象により生態系のサイクル(エコロジーサイクル)が危機に瀕しており、多くの生命種が毎日毎日絶滅し、また絶滅の危機に瀕しているのである。このことは、地球生態系の一員である人類にとっても大きな危機であることを意味している。
 こうした現象を引き起こしたのは人類自身であり、今まさに人類の在り方、人間の生活の在り方(ライフスタイル)が問われているわけである。そして特に大量、大規模な地球環境の破壊者たりうる企業体もしくは組織体について、内部的にその在り方を問い、また外部から在り方を問うことに関心が高まってきたのである。
 これはかつての公害問題が華やかなりし頃の、特定企業の特定活動についての関心の高まりといった状況とは全く異なった状況といえる。
 そこで様々な分野から、環境に対する企業としての基本理念・行動原則を定めた各種憲章が発表されている。例えば、
(イ)バルディーズ原則(1990年)
(ロ)ロッテルダム憲章(1991年、国際商業会議所=ICC等主催の環境管理に関する世界産業会議「WICEMU」で採択された憲章)
(ハ)経団連地球環境憲章(1991年)
などである。
 これらの憲章には、その内容・意味は必ずしも同じではないが監査という概念は必ず入っている。
 ところで「ロッテルダム憲章」「経団連地球環境憲章」はともに企業の団体等から自主的に出された憲章である。
 一方、バルディーズ原則は、米国で「社会投資フォーラム」を母体とした民間組織セリーズ(CERES、Coalition for Environmental Responsible Economies)が発表したものである。この組織は環境保護に熱意の薄い企業に投資するのは、投資家としての責任からも問題があるという考え方に基づいている。機関投資家として、企業が内包している環境リスクの情報公開を求め、社会的責任投資というフィルターで投資先企業を選択するものさしの一つとして、環境監査を考えているわけである。

 環境監査のモデル
(1)「スーパーファンド法」の考え方

 最近、日本企業が米国に進出するにあたって、環境監査の必要性がいわれている。これは主として、スーパーファンド法の下での汚染施設浄化責任にかかる問題である。この場合、二つの場面で環境監査、アセスメントが考えられる。
 第一は、施設(土地、建物等)の売買や、企業のM&A、さらには金融機関の融資もしくは担保権実行に先立ち必要とされる環境監査である。スーパーファンド法では、現在の所有者・管理者もしくは汚染当時の所有者・管理者等は、過失の有無にかかわらず汚染浄化の責任当事者と定められている。親会社にも責任が及ぶ場合があり、前述の取り引きに先立ち必須といわれているものである。
 第二は、現実の汚染施設の浄化作業に伴うものである。EPA(米国環境保護庁)は浄化作業について、予備調査(Preliminary Assessment: PA)から修復作業(Remedial Action: RA)までいくつかの段階を規定し、それぞれの段階で環境調査が必要としている。
 第二については、技術的要素が強いものであり、本書では第一についてのみ取り上げることにした。
(2)国際商業会議所(ICC)の考え方
 1970年代から大企業を中心に内部監査として環境監査が実施される例が出てきた。それらのいくつかがUNEP(国連環境計画)で報告されており、本書第4章の実例のいくつかはこれによっている。これらはエコロジーコンシャス(Ecology conscious: 生態系を意識した)から発してきたものもあるだろうが、当初は深刻な公害問題対策から発したものも多いと考えられる。しかし、なにがしか企業の倫理感に基づいてきているものであり、時代とともにその要素は強くなってきているものと推測できる。
 切り口を替えれば、これは「公害防止から環境監査」への変化ともいえよう。
 また、1991年4月に採択されたICC等主催の世界産業会議の「ロッテルダム憲章」では、適切な情報公開もうたっており、「環境監査とディスクロージャー」問題にもかかわってくるだろう。
(3)エルムウッド研究所の考え方
 そこでは、従来の監査を準拠性監査と意味づけ、これは機械論的思考である皮相的環境主義に基づくものであるとしている。そして、それとは違う深層エコロジーという概念に基づいた「エコ監査」を主張している。
 エコロジー認識において、他との違いを強調しているが、それが具体的な環境監査にどのような違いをもたらすのかは必ずしも明確ではない。しかし、管理手法として説明されているものは、いわゆる日本的経営とは必ずしも異質なものではなく、日本企業にとってはなじみやすい考え方といえよう。
(4)EC提案の考え方
 1990年12月、ECは環境監査指令草案原稿を発表した。それには次の三つの特徴がある。
 第一に、一定条件(業種、規模)を満たす企業には環境監査を義務づける
 第二に、資格を認定された環境監査人による検証
 第三に、環境報告書を公表する
その後、数回の改訂原稿案において、第一の特徴である「義務」は「任意の参加」に変わり、「指令」も「規則」に変わっている(指令は各国で国内法化を要するが、規則はそのまま適用される)。また、ロゴマークの宣伝的な使用を認める等、エコラベル的発想に近づきつつあるとも言われているが、最終的なものがどうなるかはこれからの問題である。

 外部からの環境監査・環境監査結果の公表
 企業を外から環境監査するという考え方の背景は決して一律のものではなく、様々な考え方があると思われる。
 例えば一つの例として、著しく過激な市民団体等の主張による企業へのいわば「立ち入り検査」的な考えがある。これは「企業=悪者」という考え方が色濃く出ているものと思われる。
 こうした極端な考え方ではなく、前述のエコロジーの危機に直面して環境破壊の加害者になりうる企業体について、@単にその企業体の任意・自主性にまかせておくだけでなく、情報公開などを通して一般市民にも実態をよく知るチャンスを作る、Aそれにより市民からの信頼性も高まり、企業体もまた、環境保護によりいっそう努力することになる、という考え方もある。エコラベル的考え方と言い換えてもよいかもしれない。
 外部からの環境監査は、前述の両者を含むその中間の様々な考え方をバックにしており、時によって議論がかみ合わないのは、このあたりを明確にしないで環境監査を論じる場合に当然起きてくるものといえよう。
 見方を変えれば「環境監査と会計監査」という問題にもなるだろうし「環境監査とディスクロージャー」という問題でもある。そして「環境監査とディスクロージャー」を考えていくことは、内部、外部といった切り口とは別の形で環境監査を分類する方法にもなるだろう。
 例えば、あくまで内部的な環境監査を適宜公表するものから、外部監査機関による監査および公表まで、相当差があるといえる。
 ここで、「外部監査機関による監査および公表」という言葉を用いたが、これもまた多くの誤解を生んでいる用語である。例えば、エルムウッド研究所、ICCの考え方でも、外部監査機関を活用することは、費用効率、公正さ等々の観点からも十分に考えられる。そして、将来、環境監査が一般化した場合、中小企業等では社内の人的資源面からも外部機関に全面的に頼らざるをえない場合が多くなるものと思われる。
 すなわち、「外部監査機関による監査」は、必ずしも全てが公表されることに繋がるわけではない。EC提案では、むしろ明示的に公表に制限を加えているぐらいである。このあたりは「環境監査と会計監査」にかかわってくる問題ともいえよう。
 また、情報公開についても、監査内容をどの範囲で公開するかについて様々な考え方がありうることは当然である。

 環境監査の展望
 さて、以上のようなことから今後の環境監査はどんなものになるのであろうか。
 最も過激な「一般人による立ち入り検査」的なものは別として、外部機関による監査、公表ということになると基準が明確であることが大前提になるだろう。そうなると、これはほとんど準拠性監査(Compliance Audit)となり、エコロジーコンシャスな企業が自主的基準で行なう環境監査とどのような調整がなされるのであろうか。いずれにしろいろいろな環境監査の考え方があり、また将来像も様々なものがありうるのであろう。考え方のいくつかを第5章で紹介することにする。』